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2016年11月21日 (月)

だるまかれし【第66回 大阪府高等学校演劇研究大会府大会 桃谷高校文芸部ドラマ班】

2016年11月20日 門真ルミエールホール (55分)

かつて、アスペルガー症候群を扱った作品を思い出す。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/bier---141109-d.html
こちらは社会をテーマに描いていた感じでしたが、今回は人に照準を絞っているように感じます。

冒頭の絶望をイメージするシーンから、ラストは、あまり変わらない景色なのに、そこに希望が見つかる。どうして、そう感じられるようになったのか。それはこの作品を通じて、生き辛い中で生きる人を見詰めて、向き合うことが出来たからなのではないかと思います。
わずか1時間弱。登場する人たちの心を、真摯に丁寧に。時には狂気をも感じる熱さをもって、必死に伝えようとした姿に心打たれるような作品でした。

駅のホーム。アナウンスが流れる。
アンナが誰かを線路に突き落とす。
トキコが乳母車に乗った夫を置いて電車に飛び込む。
ワタシはその衝突を見て、耳を塞いで手足を縮めてダルマのように座り込む。

医師から診断結果を告げられるワタシ。
アスペルガー症候群。
医師は言葉を選んで、説明をしてくれる。でも、アウトだったという言葉。つまりはそういうことなのだろう。
病気じゃないから治療は出来ない。周囲の人の理解や環境に依存し、それで不具合が無いように生きるしかない。
自分の普通が通じない。だから、世の中とうまく折り合って生きることが出来ない。
一人暮らしは危険じゃないか、相手のことを考えたら結婚は出来るのか、遺伝を考えたら子供のことだって。
生きるのが不自由だ。
みんなのためになっていないことを責められる。それでなかったら、知らない振りだ。どうせ頭が悪く、赤ちゃんと接するぐらいに付き合っておけばいいと思われている。
そんな外野の声は、いつも死ねという言葉に収束する。
朝、駅のホームで飛び込み自殺を見た。悪いことをしているようには見えなかった。あ~なればいいのかと思った。
こんな現実に手も足も出なくなって、仕事中、喫煙所に逃げ込む。アジールみたいなものだ。
そこで、シリアルキラーの彼女を持つ男と話す。
男は彼女とどう接したらいいのかと聞いてくる。
結婚しようと思っている。だって彼女は大事なことを告白してくれたから。それから逃げてはいけないと考えているみたい。
告白じゃなくて自白じゃないのか。それが内村鑑三が記した勇ましく高尚な生涯を送ることなのだろうか。そこに愛はあるのだろうか。
ワタシは答える。そんなの、シリアルキラーなのだから、シリアルキラーとして扱ってあげて欲しい。
だって、今はタバコを吸うことが悪いという世の中。その中で、タバコを吸う人はどう扱って欲しいかって、タバコを吸う人として扱ってもらわないと困るんじゃないのか。
だから、通報するとか。あるいは抱きしめてあげるとか。首を。
学生時代も苦痛だった。人とどう接すればいいのか、今でも分からない。
健常者でなくなった自分。そんな自分に手足が出ない。もう出さなくていいようにも思う。

トキコは朝早く、主人を連れて散歩に出かける。主人を皆に見せないように。
乳母車に載せた主人は戦争で手足を失い、何も聞こえず、喋れない。
隣の老人はそんなトキコを立派だと褒め称える。内村鑑三曰く、勇ましい高尚な生涯を送ることが最大の遺物らしい。金や事業や思想では無く。
戦争で全てを失った日本にも、そんな残せるものがあることが素晴らしいのだと。
老人はトキコがそんな高尚な生涯を送っていると言う。奥さんは大事な仕事をしていますと。それは新聞にも載った主人がもらった勲章にも匹敵するのだとか。
新しい時代がやってくる。それはきっといい時代だと老人は言う。
そんな世の中に自分はついていけていないように感じるトキコ。だって、かつては主人の姿を見るとお国のために戦ったと万歳をされた。今は、見ない振りをされる。
食事。主人は食べない。口を開けない。
トキコは激昂する。本当は元に戻れるんじゃないのか。私を困らせようとしているのではないのか。新聞に載って、勲章をもらい立派な主人。そんなのもう過去の話。今はもう役に立たないクズだ。そう叫んで、我に返り、主人に謝る。
そんな主人も亡くなる。自殺したらしい。
皆が主人のために集まり、過去の栄光を語ってくれる。そして、皆が自分のことを励ましてくれる。
私も新しい時代へ向かって歩く人たちの仲間になった。何も出来ない主人を恥ずかしく思っていた。お国のために戦うことが誇りだった過去とは違う。
ご愁傷様でした。隣の老人の言葉にトキコは怒りを暴発させる。嘘をつくな。誰一人、自分たちのことなど見ていなかったくせに。放って自分だけ前へ行ってしまったくせに。
落ち着きを取り戻したトキコは、電車で家へ戻る。
みんなの仲間には入らない。一緒には歩かない。やっぱり、何も無かったことには出来ないから。
でも、何かのためとかではなく、私が私であるべく生きるつもりだ。それが私の勇ましく高尚な生涯。

アンナは彼氏に自分がシリアルキラーであることを告白する。
彼氏は混乱する。
今までもたくさん殺してきたらしい。初めて殺した人は高校の同級生。好きな人だった。線路から突き落とした。でも、自分では好きな人に触れようとしただけだった。刺したり絞めたりするのがシリアルキラーの触れ方だから。勇敢で強いから。
シリアルキラーとして、好きなあなたを殺したい。でも、彼氏だから一緒に生きていたい。
そこで考えた。境界のギリギリを突けばいい。彼氏の手足が欲しい。
そんなことを言うアンナに彼氏はプロポーズをする。
アンナは激怒して、彼氏を殴りつける。結婚するから手足を切らないでという取引のつもりなのかと。
でも、彼氏は真剣。アンナは反論する。自分の本当の名前も知らないのに、愛が無い。
彼氏は、生活のことなど正論を言ったりしながらも、アンナへの想いを伝える。
平行線。彼氏は会社に出掛ける。
彼氏が会社から戻るとアンナがいない。心配になり、彼氏はアンナに電話をする。出ない。
アンナが帰って来る。人を殺してきたと言う。死にたいという気持ちが心のどこかにある人が寄って来るから。
アンナは彼氏に結婚したいかと尋ねる。
彼氏はどうして殺すのか理解できない。でも、アンナにとって、他人を殺すことは普通だ。タバコと同じ。
だったら、禁煙外来にみたいに治せばいい。そんな彼氏の言葉に、治そうとしないで叫ぶアンナ。
アンナは出て行く。現場から離れないといけないから。
彼氏は手足はどうするのかを聞く。やっぱり出来ないと答えるアンナ。そこに愛はあるのだろうか。
彼氏はアンナを駅まで見送る。

駅のホーム。アナウンスが流れる。
トキコがいる。ワタシはダルマのように手足を縮めて座り込んでいる。アンナと彼氏がやって来る。
彼氏はアンナを突き落とそうとするが、出来ない。ただ、背中に手が触れただけ。その触れを感じ、アンナは彼氏と抱き締め合う。
トキコは電車に飛び込む。線路の上で、転がりながら主人を連れて散歩していた時の歌を口ずさむ。
ワタシは手足を伸ばし、立ち上がり、語り出す。
私は何もかも上手くいかない。きっと何も出来ずに死んでいくのだろう。でも、私は勇敢だったと思いたい。どうしたらいいのかは分からない。でも、明日になったら、何かが変わるかも。誰もいなくても私がいる。きっと何かがある。
私は生きている・・・

衝撃的なプロローグから話は始まる。
ダルマになってしまった夫との生活を苦に、電車に飛び込むトキコ。
人を線路に突き落とす殺人鬼、アンナ。
それをただ見るだけで、何も出来ず、耳を塞ぎ、身体を縮めて、ダルマとなるワタシ。
その絶望的な姿は、誰だって目を覆いたくなり、そこから目を背けたくなるはず。
でも、作品の中で、この3人を見詰めていく。
各々の独白や、医者、隣人、彼氏とのやり取りの中で、この3人が生きていることを知る。孤独に苛まれ、苦しみを抱え、生き辛くても生きていることを。
そして、最後に少しだけ違った風景でラストにもう一度、その駅のホームを見せる。

トキコは線路に転がる。そこで歌う。夫の死により、苦しみは昇華された。
きっと、夫がいたから、電車に乗れなかった。その電車はいつもトキコと夫を無視して走り去る。かつては一緒に電車に乗っていた人たちも、駅のホームにいるトキコと夫を見えない振りをする。そんな電車や乗っている人たちに対して鬱積する怒りや悲しみ。時にそれを暴発させながらも、ずっと夫と共に止まった時間を過ごしてきた。いっそ、そんな自分たちを置き去りにする電車に飛び込んでやろうと思っていたのかもしれない。
これからは違う。でも、電車には乗らない。夫との時間は消しされるものではないし、その時間で知った世間を受け入れることは出来ない。
私として生きる。自分の線路の上を歩む。夫もいないし、それは一人ぼっちの寂しい旅路かもしれない。それでも、それが私の勇敢で高尚な生き方なのだろう。

アンナは、電車が駅のホームにやって来るたびに、そこにいる人を突き落としたい衝動に駆られていた。他人の背中を押す。それは触れるという意識は無く、ただ、自分の中に湧き上がる衝動を昇華させるための無機質な行動だったのかもしれない。でも、自分の愛した彼氏から、その手の温もり、触れられることを教わる。突き落とせなかった彼氏。シリアルキラーである自分を通報も出来ず、殺すことも出来ない彼氏。自分と同じように苦しんでくれる存在。そこに愛はあったのだろう。
もしかしたら、アンナは、今度、駅のホームにやって来る電車には彼氏と一緒に乗ってみようという考えを得たのかもしれない。

ワタシは自分自身と世の中の折り合いがつけられず、手足をもがれてしまったように、ダルマとなってしまった。きっと、そんなダルマのままで死んでいく。でも、立ち上がろうとする。
戦争でダルマになった人から、簡単に手足は生えてこない。耳だってまともな音は聞こえるようにはならないし、巧く喋ることも出来ないだろう。傷ついて失ったものは、そう都合よく再生しない。ダルマは所詮、いつまで経ってもダルマだ。でも、それでも、そうして生きる道を選択した。
口を開けて食べよう。幻聴の中にも本当の声に耳を傾けてみよう。伝わらないのかもしれないけど、自分の心を声にしてみよう。そして、失ってしまったけど、そんな手足を精いっぱい伸ばして、自分で立ち上がってみよう。
今は駅のホームにただ佇むだけ。でも、明日、そんな電車に一歩近づく自分がいるかもしれない。誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない。もしかしたら、ずっとこのままなのかもしれない。でも、そこに私は確かにいる。電車に乗っていないけど、駅のホームで立つ私がいる。それを私は勇敢だと誇って生きたい。

3人の最後の姿は、死しかイメージ出来ないプロローグとは異なり、これからを生きることへと繋がっている。絶望の最初から、希望の最後へと導かれた話。
今、絶望に追いやられていても、それはいつか、その風景は変わり、これからの希望に繋がることを信じさせる。
そのために、今の自分から目を背けないで、自分を見詰めてあげればいい。自分の今を、自身が肯定してあげたらいい。
そんな生きることに祈りを込めた作品だったように感じる。

ワタシ、山根千尋さん。当日パンフレットに、客を凍り付かせると書かれている。通りのいい声とどこか凛とした芯ある姿のこの方の狂気にも感じる独白は確かにそうかもしれない。でも、実際は凍り付く演技をしているだけで、客は凍り付かなかったんじゃないかと感じる。少なくとも私は熱くさせられた。熱く真摯に語るワタシの言葉がマグマみたいな塊となって、否応なしに口の中に放り込まれたような感覚だ。偏見やら常識やらで固められている自分の心に投げ込まれたそんな燃えるような熱意は今もまだグツグツと自分の心の中で沸き上がっているようで落ち着かない。
トキコ、辻坂那智さん。時間軸は一定になっていないようで、ここだけ昭和の香り。また、妻という設定。年齢も時代も合っていない、この役を妙にはまった感じでこなされている。また、昭和の女らしく、貞淑で控える面持ちから、感極まって暴発する感情への切り替えも綺麗だ。隣人と淡々と話しながら、何かが鬱積していくような、漠然とした畏怖の出し方も上手い。
アンナ、井阪日向子さん。今風の普通なので、逆に怖い。シリアルキラーになった背景も隠されていて、心に潜む闇がより浮かび上がるような感じだ。人を平気で殺す=人を本当に愛せない。そんな単純な方程式は成り立たないことが何となく理解出来るようなキャラ。怒りは高ぶった感情表現で演じられるが、そういう設定もあってか、愛の喜びや安堵みたいな表現はあくまで普通の姿で抑えて、でも、きちんとそこにそんな感情があることを理解させる。
隣人と彼氏、金子翔さん。普通は役の切り替えによる七変化は女優さんのものだと思うのだが。自分の生き方に誇りを持ち、未来にも希望を溢れさせる老人と頼りなく不器用だけど温かみある若者を、見事に演じられる。最初に老人を拝見した時は、落ち着きや貫録があって、じっくりと演じられる方だなあと思っていたが、彼氏になると、慌ただしく、彼女に振り回され混乱する姿を見せる。会話も巧さがあり、相手に合わせて、スムーズに相手の考えを引き出し、また自分の考えも絶妙なタイミングで語るような器用さが印象的。

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コメント

ワタシ役を演じました山根です。
今回も観に来て頂いて本当にありがとうございます。こんなにじっくり感想も書いて頂いて本当に嬉しいです。今、嬉しくてボロボロ泣きながらコメントを書いています。
凍り付かせる、と言っていましたが、障害の有無に限らずマイノリティをタブー視する人達はこのショッキングな台詞の数々で凍り付けばいいなぁと思ってその言葉を選びました。でも、私がきちんと伝える事が出来るならばもっと色んな事を感じて考えて頂けるお客様もいればいいなぁと思っていました。なので、SAISEIさんがこんなふうに感じて下さったのは私は本当に嬉しくて、感激致しております。本当にありがとうございます。

投稿: ワタシ | 2016年11月21日 (月) 16時44分

>山根さん

コメントありがとうございます。

前はミト役だった方ですよね。
素晴らしい作品を拝見できました。
そして、皆さんの力強い素敵な役者さんとしての姿を拝見できて、非常に満足です。

確かにマイノリティーを否定することへの厳しい言葉が並んでいたように思います。
そこには溜め込んではおけなくなって溢れ出してしまった憤りが強く感じられます。
その憤りだけで、こんな世界は壊れてしまえばいいと破壊だけが感じられるのだったら、怖ろしく凍り付く思いをしたのかもしれません。
でも、私はワタシの語る数々の言葉から、世界は否定しない、変える、新しい世界を創造するなんてありきたりの言葉を吐くつもりもない。私はこの世界を認め、そんな世界にこんな自分を存在させる。生きて、そこにいるんだ。という、強い覚悟を感じました。
それは否定することで生まれる人の苦しみを理解している者の優しさがあるのかもしれません。自分をたとえ誰が否定しても、自分だけは肯定して生きる。そんな孤独な戦いに挑もうとする勇敢さ、そんな生き方の高尚さを訴えかけてきているように感じられ、心が熱くなったのだと思っています。
トキコやアンナも、形は違えど同じような感じだったようにも思います。
そんな3人の熱い気持ちからの力強さと共に、この世界を見捨てない優しい祈りも感じられて、心震わされる素晴らしい作品でした。

今度はどこでお会いできるかは分かりませんが、今後の益々のご活躍を祈っております。

投稿: SAISEI | 2016年11月21日 (月) 19時11分

@SAISEIMIRAI まさか観て頂けてるとは思ってもおりませんで、驚きと感激と、何より救われた想いで泣きながら読ませていただきました。

このブログに救われたのは3度目です。生徒たちも報われました。あの作品の一言一句全て、生徒たちの魂です。

ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。

投稿: 梅本雅之 | 2016年11月21日 (月) 21時32分

>梅本雅之先生

コメントありがとうございます。

ルミエールホールが職場の近くで、車で10分ぐらいでして。
他公演観劇と仕事の隙間に、ピタリと時間がはまりまして、また、地区大会の噂も非常に良かったとのことで、これは観に行けということかなと思いまして(゚▽゚*)

コメントいただきました、驚きと感激、救われた想いと泣き。
私が作品を拝見して、受けたものと全く同じです。
受け止めたことを、このブログを通じて、そのままお返しできたというなら、拙い文章力で何とか、いいもの見せてくれてありがとうのスタンスで書いているつもりの私としては、これ以上の喜びはありません。
私の方こそ、梅本先生はじめ、作品に関わられた方々に深く感謝いたします。

ありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2016年11月22日 (火) 17時17分

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