フェスティバル#2 A【プロトテアトル】161117
2016年11月17日 カフェ+ギャラリー can tutku (45分、休憩10分、45分)
昨年に引き続き、観劇。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/80-aab2.html)
今回はこのA公演ともう一つのB公演を合わせて、4名の劇作家の方々の作品を公演する。
感覚的には、昨年のどこか近所の祭りを観に行く感じから、しっかりした伝統的な祭りを観に行くぐらいにグレードアップしたような感がある。
それだけ、まだ2作品しか観ていないが、この劇団の空気を活かした、しっかりしたものだったように感じられた。
昨年も感じたが、生真面目、落ち着きといった感じが強いこの劇団。真摯過ぎるのか、固くなる空気を客演の役者さんが、どこか柔らかさある空気を吹き込んでいるようで、バランスの整った心地いい雰囲気になっている。
<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>
・戦争くんと平和ちゃん
18歳の誕生日を迎えた女の子。
これまで、女の子を守り、大切に育てることが当たり前だと無条件に信じ、甘やかしてきた両親は誕生日ケーキでお祝いをする。
そして、これまで隠してきた秘密を女の子に明かす。うちには兄がいた。兄は人を殺した、悪い奴だから、田舎町に閉じ込めて別に暮らしているのだと。
それを聞いて自分はどうすればいいのかと混乱する女の子は、待ち合わせをしている小学校で開催されている祭りに向かう。
そこには彼氏と友人カップルがいた。
彼氏は女の子にセンスのいい誕生日プレゼントを渡す。
女の子は彼氏に、バイクで田舎町に連れて行って欲しいと言う。兄に会うため。
女の子のためなら、何だって出来る彼氏は了承。二人はバイクを走らす。
センスが悪く、頼りない男と付き合っている女は、その彼氏に心を奪われそうになっている。それでも、女は男のことが嫌いになったわけではない。自分のことだって、きっと男はいざという時は守ってくれるのだろうから。
バイクは高速道路を走る。女の子は兄のことをフェイスブックで調べていた。3歳上の兄。ということは、まだ幼い子供の頃に人を殺したというのか。妹だとコメントしてみたが、すぐにデータを削除した様子。
女の子の帰りが遅いことを心配して両親は捜索願い。
事なかれ主義っぽい軽薄そうな小学校の先生、今の若者を差別視してデリカシーに欠けた警察官が祭り会場で捜索を始める。
友人カップルの女は、自分が女の子だと名乗り出る。男の方も友人だと。騙すことは悪いことだけど、女の子を守るためだから仕方がない。でも、そんなことで女の子を守ることは出来なかった。すぐに高速道路で女の子と彼氏が保護された連絡が入ってしまう。友人カップルは逃げ出し、警察官に追われる。
両親の下にも保護連絡が入る。女の子は兄に会おうとしていた。会わしてはいけない。兄は悪い人だから。女の子と遠ざけたけど、本当は殺してしまった方が良かったのかも。今からでも殺すべきかと考える父。女の子のために兄は人を殺した。だから、兄を捨てたのに。いや、女の子がいなければ、兄は人を殺さなかったのか。だったら、捨てるべきは女の子じゃなかったのか。そんな母の言葉を諫める父。
保護された女の子と彼氏。彼氏は警官を殴り殺し、女の子を逃がす。女の子を守るためには仕方が無かった。話し合いなどで、守れるはずが無いのだから。
祭り会場では友人カップルが逃げている。そこに現れた兄。兄は逃げるか戦うかをいきなり迫り、二人に殴りかかってくる。男は女を守らない。一緒になって逃げ惑う。
駆け付けた警察官に兄は撃たれ、どこかへと去って行く。
警察官はあれは幽霊だったとして、友人カップルを無罪にする条件で証拠隠滅を図る。男は、女を守れなかった。それどころか、自分は嘘をついていないと罪を女に全てなすりつけようとした。でも、そんなものだ。何かを守るなんてことは。普通は損得を考えて行動するものなのだから。
でも、そうじゃない時もあるのだろうか。彼氏は女の子を乗せて、バイクを家へと走らす。戻れば、彼氏は人殺しで捕まるのに。それでも、女の子を守る。愛の原動力か。それは嬉しい。女の子はピースサインをする。
家に急いで戻っているのは、兄から女の子に連絡が入ったから。兄は今、祭り会場にいる。幼い頃に人を殺した時のことも聞いた。大人が家に入り込んできて、女の子を傷つけようとしたから殺したのだと。そして、友人カップルも女の子を傷つけると思ったから襲ったことも。兄は自分が女の子を守ると言う。そんな兄に恐れを抱きながらも、女の子は家にケーキがあることを伝える。自分の誕生日。今日まで守られてきた証。それを食べて欲しいと。
兄は家に向かう。
ぎごちないながらも、両親と会い、ケーキを食べる。普通だ。そう、何も無い平穏な時、兄は、人を傷つけたりしない極めて普通の存在だ。女の子がいなければ。
女の子が家に戻って来る。
女の子が傷つくかもしれない。
兄は両親に襲い掛かり・・・
女の子を平和、兄を戦争に置き換えると、何かぼんやりと浮かび上がってくるような。
平和は無条件に愛される、守られるべきもの。
みんな、そう言って平和に近づこうとする。でも、そこには損得を意識する歪んだ感情を抱く奴らがいる。平和を利用して、自分たちの幸せを得ようとしている。
幼き頃、戦争は自分を虐げて、平和に近づく大人たちを穢れていると感じたのだろうか。
平和はもっと本当に愛されて、守られないといけない。
それは平和を盲目的に愛すこと。そして、守るべき唯一の手段は戦うこと。逃げたり、言いくるめたり、話し合いでは守れない。本当に平和を守るつもりがあるなら、戦争の暴力に立ち向かってくるはず。
こうして、戦争が生まれる。平和のことを描いていると、いつの間にか戦争にたどり着いてしまう不可解さ。平和と戦争は表裏一体みたいな感じなのだろうか。
両親は平和がそこにあるというだけで、とりあえずのみせかけの安堵を得ている日本。戦争が殺した幼き頃の大人はアメリカみたいな感じか。これ以上、殺すと大ごとになるから、戦争を封印した。でも、その核が残っている限り、日本に戦争という言葉は無くならない。
これからの世代の若者たちを蔑視しながら、自分では何をするわけでもない事なかれ主義の大人が先生や警察官。戦争は無条件に排除する。でも、平和は当たり前に存在すると思っているのか、特に守ろうとはしていない。仕事だから、保護はしますって感じだ。
友人カップルは若者たち。若いからか、新しい世代の視点の広い考えが出来るのか、戦争に対して、ある程度の理解を持っているような感じ。そして、もちろん、平和を守るべきという行動をしている。でも、その手段は幼く、巧妙さに欠けているので、権力ある大人たちに潰されてしまっている。
もっと死に物狂いで平和を守らないと。そんな戦争の考えは、彼氏に受け継がれている。
平和ちゃんがいる限り、本当に戦争くんは幾らでも世に現れるみたいだ。
事が事だけに、考えれば考えるほど、堂々巡りになって混乱する。その混乱を巧く表現している作品に感じる。
一人語りのシーンで、作品の空気を巧妙に醸される平和ちゃん、西琴美さんが印象に残る。人間の業みたいなものを、自然な形で見せる野村眞人さん(劇団速度)も独特の空気が心地いい。
・あかい木のしたのカナ江
カナ江は、両親が幼い頃に行方不明になってから閉店したが、喫茶店の実家に住んでいる。
その窓からはあかい木。これがまるでロケットみたいに見え、カナ江はそんなあかい木をぼんやりと見詰めながら、働きもせずに日々をボーっと過ごす。あまりにも暇なので、時間を頭の中でカウントして経過が分かるくらいに。
カナ江には妹がいる。妹には夫がいて、この家に一緒に住んでいる。
つまりは、カナ江は居候みたいな状態で、妹からは早く出て行って欲しいと思われている。
そんなカナ江が語る昨晩の夢。
真夜中、目の前に父が現れた。25歳の自分の前に28歳の父が。
警察に通報しようと思ったが、その男が歌うおかしな歌は、確かに父との最後の記憶に残るものだった。
父曰く、自分も母もタイムトラベラーなのだと。ただ、父は未来にしか行けない。逆に母は過去にしか行けない。
妹の誕生日。両親は大きなミスを犯す。バースデーケーキのネームプレートを姉の名前にしてしまった。母の力で過去に行き、ネームプレートを直す。父の力で未来に行き、それを戻す。ケーキ以上に甘い考えだったらしく、二人は離れ離れになってしまったようだ。
父は未来を果てまで見てきたらしい。すると、未来は一周して過去に繋がった。そして、今、ここにいるようだ。母に会うために、父はタイムトラベルを続けると言う。もし、寂しくなったら、これを押したら駆け付けるとスイッチを渡して、父は消える。
妹はそんな話は嘘だと姉をきつく責める。夫がそれをなだめ、カナ江にスイッチは大事にどこかにしまっておいた方がいいと伝える。
ふと気付くと部屋に一人の男。豆腐屋。
ずっと潜んで聞いていたらしい。カナ江はいつものように、二人だけの言葉で会話をして体を重ねる。
スイッチを押してみようか。お父さんに挨拶したいし。そんな豆腐屋の言葉にカナ江は喜ぶ。でも、そんな挨拶する気など毛頭も無い。豆腐屋の一番忙しい時間帯。そんな時、サッとやらせてくれて、欲情してしまう性のはけ口にカナ江をしているだけなのだから。豆腐屋はうやむやにして、去って行く。
寂しくなってカナ江はスイッチを押す。その瞬間、あかい木が本当にロケットとして発射。町は吹っ飛んだ。
妹が何をしたんだとキレて姉を責める。夫は催眠術を使って、妹を部屋に押し戻す。
カナ江は豆腐屋を助けるために外に出ようとするが、灼熱地獄となっており、どうしようもない。
錯乱するカナ江に夫は母のことを語る。
夫は政府の諜報員らしい。色々な文献を調べる中、母は邪馬台国の女王となり、この世を滅ぼすためにロケットを設置した。それをカナ江に託したことが記されているらしい。
妹が催眠術がとけて、話に入り込もうとうるさいので、夫はいつものぶっ刺しで脅し、部屋に連れて戻る。
ブレーカーが落ちて部屋が真っ暗に。カナ江の頭の中に豆腐屋が浮き上がる。
豆腐屋は邪馬台国の構成員。世界は滅ぼされるべき。それを邪魔するあの男を殺せとカナ江に指令。先ほどまぐわった机に毒薬を置いてあると。
カナ江は暗闇の中、夫を殺す。
父が現れる。
母は過去をずっとタイムトラベルして、絶望したのだろう。過去にしかいけないのだから、終わりがある。そして、こんな絶望の世を儚んで滅ぼそうとした。
父は母が既に亡くなったことを知り、母の願いを叶えようとした。
もう疲れた。父はぐっすり寝ていると思っている夫の傍にある薬を飲んで死んでしまう。
巫女姿の妹が部屋から出て来る。
要塞のようになっているこの喫茶店のことを語り、いつも人の手助けをしているカナ江に感謝の意を示す。
姉は頭の中で時間をカウントする。ブレーカーを落とし、部屋が真っ暗に。
・・・という夢を見た。
姉の妄想なのかな。
仕事もせず、実家でぬくぬくと引きこもり。家に出入りする、いい男の豆腐屋との情愛を勝手に妄想膨らませて。
することと言えば、ただ時間の経過をカウントするだけ。それで未来に行ける訳もなく、気付けば、暗闇の今に舞い戻ってしまっているような日々。
妹もとっくに出て行って、夫ときちんとした生活を営んでいるのかもしれない。
そもそも、夢の話を語り掛けている相手は母なのかな。
みんなから、疎まれていることは感じていて、自分の今の申し訳ない気持ち、そして、それでも、実は重大な役割を果たしていると正当化しているような感じ。
外には出れない。灼熱地獄だから。外から守ってくれる要塞のような家にいるしかない。
自分は未来には行けない。過去を振り返って生きるしか。そして、いつしか絶望に行きついてしまったことの仕方なさ。そこで、全てをやり直そうと考えるようになった。
私はどこにも、物理的にも、時間的にも行けないんだ。だから、今、ここで佇む。
何かそんな女の寂しさを描いているように感じる。
男の父は未来がある。女の母は過去に向かうしか出来ない。
妹は夫に服従させられている。
豆腐屋に想いを寄せても、所詮は体目当てで遊ばれるだけ。
そんな男への絶望も感じられ、それが世の存在をも司る女王なんてものを生み出しているような。スイッチを押すという主導権も、そんな姉の心の奥に潜んでいる欲望なのかとも思う。
まあ、ぶっ飛び過ぎて、よく分からない。でも、その割には妙に面白い。
カナ江の深刻さの中に、どこか飄々としたいい加減さが女の強さとして垣間見られる不思議な空気を醸す有川水紀さん。未来でもどこでも自由に羽ばたける男、父。でも、結局は愛する人にすがるように求めてしまう男の不器用さ、幼稚さを魅せる小島翔太さん。
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コメント
SAISEIさん
やはりSAISEIさんよく見られてますよね。前回の「フェスティバル」の記事にコメントした時にコメ返いただいたことが当時はピンとこなかったのですが今回感じた部分もあって。以下の部分ですが。
①今は、名前のとおり、本当に模索しているような感じで、確かに突き抜けていないように感じます。
②ご自分方のお得意のスタイルを基に、そこから拡げる力を溜めているような感じですね。
③悪いのかどうかは分かりませんが、同年代の方々に比べると若さが無く、弾けたようなシーンでも落ち着いているなあと感じます。
そこが今回物足りなく感じたかな。。期待しているだけに。悪くはないんですがもっと弾けてもよい感じがしますかねぇ。
今回は小山亜衣さんが入団後初参加公演。昨年「フェスティバル」の記事に
ここは必ず売れますよ(笑)『ノクターン』を観に行った時に最初に思ったのが美人が2人(西さん・小山さん。小山さんは当時客演。今は劇団員だが仕事が忙しいんでしょうね)いる、と(笑)
とコメントしたようにプロトテアトルの最初の印象だったので(笑) それも楽しみに(笑)
今回も福谷圭祐さん、山本正典さん、久野那美さん、野村有志さんが脚本を書かれているのは知っていましたがどの作品がどの方かは確認せずに観劇。
Aグループ
「戦争くんと平和ちゃん」作:福谷圭祐(匿名劇壇)…寓話っぽい感じだったんですかねぇ。一年以上匿名劇壇を観ていないので作風が変わったのかなぁ。豊島さんとペレイラさんに演技の地力を感じました。
「あかい木の下のカナ江」作:山本正典(コトリ会議)…言われると山本さんぽい感じですかね。今年の1月の「対ゲキだヨ !全員集合」から山本さんの作品はちょっと合わない感じなんですよね。
Bグループ
「一つの石と二羽の鳥」作:久野那美(点の階) …小山さんの目の使い方などが印象に残ったかな。
「アカガミキタカラ、ヨマズニタベタ」作:野村有志(オパンポン創造社) …一番好き。小島さんはこの作品が一番良かった感じ。西さんも可愛かったし(笑) 豊島さんの台詞で一番笑いが起こってましたね。これはアテガキかな? と思ったらそうみたいで(笑)
投稿: KAISEI | 2016年11月24日 (木) 17時08分
>KAISEIさん
昨年同様、様々なジャンルをやってのけることを見せたような感じですかね。
変わったように思うのは、こちらが観慣れたところもあるかもしれませんが、落ち着いた感が、若さに欠けるとか弾けきれていないとかではなく、安定ということに結びついているように思います。KAISEIさんの言葉を借りれば地力じゃないでしょうか。
投稿: SAISEI | 2016年12月29日 (木) 13時28分