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2016年10月15日 (土)

いつかの夏は【シバイシマイ】161014

2016年10月14日 カフェ+ギャラリー can tutku (70分)

穏やかに流れる温かい時間が心地よく、舞台に溶け込むかのような安堵感を得る作品だった。
人が人を傷つける。そんな人が犯す過ちを寛容する。どうしようもないことは幾らでもあるから。
傷つけた者も、傷つけられた者も、かけがえのないものを失う悲しみを心に抱えることになる。そんな失った悲しみは、必ず差し伸べられた手を掴み、新たに得る繋がりから始まる未来の自分が癒してくれる。
今という苦しみが、流れる時間の中を生きることでたどり着く未来の自分が、きっとそれを大切なこと、時間、日だったことに気付いて、これからを生きる自分の希望へと変えてくれる。そんな日が来ることを信じて、今を生き抜く。
流れる時間の中で、過去は決して失われてしまうだけのものではない。今、これからの自分の大切な糧であったことに後からだが気付く。失うことの悲しみも、今はそのどん底で苦しみの中にいても、きっとそれが幸せな喜びを導く大切な思い出として、心に刻み込めるようになるはず。
だから、今という大切な時間を、自分、そして周囲の人たちと共に、心を寄せあいながら生きようと勇気づけられるような感覚を得る話でした。

<以下、あらすじがネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>

5年前のあの夏の日。
今、涼子はその夏の日を思い出しながら、ある男に手紙をしたためている。
祖母の家に遊びに行くのは毎年恒例だった。
同じ都内に住むけどなかなか会えない従兄弟の浩太と共に祖母、三喜子が一人で住む兵庫の山奥の屋敷を訪ね、夏のひと時を過ごす。
その年はその祖母の屋敷に、知り合いだと祖母が言うヤマサキという一人の来客がいた。
知り合いという割には、寡黙であまり喋らず、遠慮しているのか、随分と居心地悪そうに堅苦しい雰囲気だった。
彼はたった一晩しかいなかった。
台風が近づいている影響で大雨。ヤマサキもその日は泊まることになった。
自分と浩太の家族も、新幹線が運転見合わせで、結局、その晩は祖母、浩太、ヤマサキ、自分で過ごすことになる。
店屋物で夕食を済ませ、テレビが無いのでラジオで台風情報を聞く。
自分は焼酎で晩酌。浩太が付き合う。と言っても大学受験を控えた高校生なので、浩太は水。例年のごとく、互いの近況を語り合う。
祖母はヤマサキと話をしたりしていたようだ。
そんな姿を見て、浩太はヤマサキが祖母の恋人だと疑っている。ヤマサキはどう見ても、祖母と歳の差があり過ぎる。幼い頃に離婚しているので、あまり覚えていないようだが、浩太の父親と同じくらいだろう。でも、浩太はそんな二人を見て、自分は応援すると意気込んでいる。歳の差という障害があるなら、それを乗り越えて欲しい。
その気持ちは、今の自分にも向けられているようだ。
浩太は最近、彼氏が出来たらしい。彼女では無く、彼氏。イケメンなので、これまで告白されて女性と付き合ったりしていたようだが、自分の本当の気持ちに気付いたようだ。いわば、初恋。それが上手くいったというのだから、そりゃあ、テンション高くもなって、何でも恋愛と結びつけたがってしまうのも仕方ない。
それでも、不安を口にしたりもしている。世間的には冷たく見られる関係。大学に入ったら、また環境が変わって、別れの日が来るのかもしれない。その時、自分はどんな自分になっているのだろう。
おめでとう。今はそれでいいじゃないか。もし、そんな別れの日が来たら、きっとそばにいてあげるから。でも、その言葉の裏にある、自分の複雑な想いは浩太には伝わっていないのだろう。いや、けっこう、伝わっているのかもしれない。従兄弟同士は結婚できない。祖母が間違ったことを教えなければ、今頃、どうなっていたのか。
なかなかうまくいかないものだ。
家の方もあまりうまくいっていないし。自分が帰る場所。少なくとも、今は祖母のこの屋敷の方がそんな場所だと思っている。でも、もし今の家を失ったら。その時、初めて、今の大切さを知るのかもしれない。若くして東京に出て、年老いてから、この屋敷に戻ってきた祖母にそんなことを話すが、祖母は昔を思い出しながら、ただ黙って聞いているだけ。
翌日、雨はあがっていた。
そして、自分と浩太が寝ている間に、ヤマサキは朝早くに家を出て行っていた。
そんなことを思い出しながら、涼子はヤマサキ宛に手紙を送る。
あれから、忙しくなり、祖母とも疎遠になった。
ヤマサキも一度も訪ねていないようだ。
手紙の最後はこう綴った。
亡くなった祖母の遺品から、ヤマサキからの手紙が見つかった。
一度、屋敷に来ませんか。私もしばらく祖母の屋敷を整理するためにいますので。

あの日は大雨。
私はバス停でずぶ濡れになっている男を見つけ、半ば強引に屋敷に招いた。
男はヤマサキと名乗る。この辺りに昔、住んでいたのだとか。あてのない一人旅でもなさそう。男が嘘をついていることは何となく分かる。この山奥の先は自殺の名所となっている崖だ。
その日は、孫たちがやって来る日。
見ず知らずの人を屋敷にあげたと分かれば、きっと、もっと気を付けないとと怒られる。
ヤマサキに知り合いということにしてと頼み、やって来た孫たちに紹介。雨も酷くなったので、自分はここにいていい人ではないからと言って出て行こうとするヤマサキを引き止めて、泊めることにする。
孫たちも元気そう。色々と悩みはあるのだろうけど。
一時期、浩太がひどく精神的に落ち込んでおかしくなったことがあった。その頃から、涼子は人見知りで引っ込み思案で心配性だった頼りない子だったのに、随分とお姉ちゃんになった。浩太の親の離婚後も、不安な母親の聞き役になったりして、涼子と浩太は本当の姉弟みたいだ。だから、従兄弟同士は結婚はいけないなんて間違ったことを口走ったのかも。
涼子は酔い潰れている。お水を飲ませ、近況を聞く。
帰る場所。私は今でも、この場所で待っている。あの日、突然、別れることになった弟が帰る場所で。
涼子も浩太も寝室に向かった。
ヤマサキが水を飲みに来ていたようだ。
どうして、こんなによくしてくれるのか。自分が嘘をついていることに気付いているはずなのに。自分はやはりここにいていい人ではないのだと、ヤマサキがそう言ってくる。
そして、自分は酷い人間なのだと語り出す。
人を傷つけた。それどころじゃない。殺した。あの頃、そうしていいと思っていた。身寄りがなく、どこにも帰る場所が無い人。自分はそういう人を殺めた。その人は今の自分だったように思う。
刑期を終えて、家を訪ねるが、歳をとった弟たちがいた。母はいなかった。母からは獄中で手紙が毎日のように届いたが、それに返事を書くこともせず。
家を立ち去ろうとした時、どの弟の奥さんかは分からないが、自分に気付いて教えてくれた。母は自分を気にしながら亡くなった。でも、弟たちと穏やかに暮らしていたのだと。
自分には帰る場所はもう無い。贖罪の気持ちでは無いのだと思う。ただ、疲れた。だから崖に向かおうとした。
私は自分のことを語る。
弟が産まれた。少し変わった子で、自分のことを上手に伝えられない子だった。ある日、弟は傷害事件を起こす。厳格な父は弟を家から追いやり、東京の学校に行かせた。
色々と調べて、弟の学校が分かり、訪ねた時、弟は既にそこを飛び出し、消息不明になっていた。私は東京の大学に行き、弟を探すことを決意する。反対する父を母も影でうまく説得してくれた。
結局、弟の消息は分からず、年老いて、この屋敷に戻って来た。もちろん、父も母も、弟と会うことなく、この世を去った。
弟はどこに行ったの、お父様。そう叫ぶ、かつての私の姿が、今もこの屋敷にはいるように思う。
私は弟を待つ。人を傷つけることで、大切なものを失うことを知ったなら、そのことをしっかり胸に刻んで、これからの時を生きればいい。今も帰る場所が無くて、彷徨っているかもしれない弟。ヤマサキの姿はその弟を思い起こす。この屋敷をあなたの帰る場所にすることはできないのか。
ヤマサキは綺麗事だと言う。戒めの呪縛はそんなに簡単に解けることはないのだろう。でも、彼の表情は少し穏やかさを見せている。
翌朝、ヤマサキは去って行った。私は屋敷の住所を彼に渡した。
では、また。弟とは違い、お別れの挨拶をすることができた。だから、きっとまた会える。
でも、それから手紙は届くものの、ちっとも屋敷には来てくれない。最後の手段だ。
私は涼子に自分が亡くなったと手紙を書いて、ヤマサキを呼び出すようにお願いする。

ヤマサキは、三喜子の屋敷に5年ぶりに向かう。
迎える涼子。ご無沙汰しています。
そして、涼子から真相を明かされる。奥から三喜子が、少し年老いておぼつかない足取りだが、元気な姿で現れる。
ご無沙汰しています。
何となく感じていた。いや、そうあって欲しいと、でも、ダメだった時の落胆が大きいから考えないようにしていた。これは三喜子のいたずらじゃないかと。
手紙を送っていれば、また、今度会えるとずっと希望がある。でも、会ってしまうと、やはりここに帰ってくるべき人ではないとはっきりしてしまうかもと怖くてなかなか訪ねられず。
でも、ここは自分の帰る場所になったのかもしれない。
チャイムが鳴る。浩太も来たようだ。
5年前の夏の日。あれから、皆、同じように時間は経っている。
みんなお互い、どんな自分になっているのだろうか。
辛いことも、嬉しいこともたくさんあったに違いない。そして、これからの希望も不安もたくさんなはず。
そんな色々を、寄り添い合いながら、心を通わす時間。共に喜びを分かち合い、不安を手を携えあって繋がりで安堵に変える。
今日はそんな日になるのだろう。そして、そんな今日という日も、またいつか、未来のいつかに語られる大切な日なのだろう。

バランスの良さだろうか。観ていて、凄い安堵感があり、舞台に溶け込んでしまいそうなくらいの感覚になる。
弟が人を傷つけてしまったことから、弟を失うことになった三喜子。きっと、弟は苦しみ、辛さの中で生きている。だから、帰る場所を自分が守り、いつまでも待っている。
人を傷つけてしまったことから、家族を失ったヤマサキ。自分を待ってくれていた母をも裏切り、今、ただ人生を彷徨って生きている。自分にはどこにも行くところが無いし、帰る場所も無い。ただあてがわれたような場所で生きているだけだ。
そんな二人がある夏の日に出会う。
共に心に抱える家族、大切なものを失った苦しみを分かち合い、互いにその手を繋ぐ。待つ者には待っている人が帰って来たような、彷徨う者には、帰る場所を見つけたような。
二人の抱えていた苦しみや悲しみ、不安がその夏の日に溶けてしまったような感覚を得る。その二人に出来た繋がりは、その夏の日だけではない。その日を起点に、時間の流れの中、ずっと互いに繋がり続ける。
それがどれほど愛おしく、尊きものなのかを、未来のある夏の日が教えてくれる。
失うことの怖さ。凍ってしまった心。でも、そのことで生み出される新しい繋がりが、人の心を温かく溶かし、その不安を安堵へと変えてくれるのでしょう。
今、失った悲しみは、きっと未来のいつかに癒え、それを大切な思い出として受け止めて、そこから誰かとまた手を携え合って繋がった想い合いの喜びへと昇華できる。
そんな、今は苦しくて気付かなくとも、絶対に希望溢れる未来を見詰めた生き方に安堵を得るのかもしれません。

また、未来を感じさせること、そして、失ってしまうってことは本当にどうしようもないことなんだと感じさせているのが、涼子と浩太の姿でしょうか。
二人はとても仲睦まじく、幸せそうな姿を見せます。その姿には思わず、観ていてにやけてしまうくらいに、幸せオーラを放ちます。
でも、二人は決して、今、幸せという喜びしか無い状態ではありません。数々の過去の悲しい出来事を引きずり、今もその悲しみは降りかかったりして、未来にもそんな悲しみは襲って来るのだろうと不安を心に抱えています。それに、神様から与えられた運命と言ってしまえばそれまでですが、自分ではどうすることも出来ないことから、そんな悲しみは引き起こされます。
性同一障害、発達障害といったような、マイノリティーゆえの生き辛さ。親の離婚、叶わぬ恋愛、家族の不和・・・
そんなたくさんの悲しみや辛さの中でも、二人は若く、未来を見詰めて生きる。今はまた変わってしまうことを知っている。その時、自分がどうなってしまっているのかは不安。でも、未来のその時、きっと、今を大切に思えるのだろうと信じているかのようです。だから、今を精一杯、今の自分が笑顔でいられるように頑張って生きているように感じます。

最後は、三喜子が抱え続ける失った弟への想いを持つ、若かりし頃の悲しみのどん底の中で苦しむ少女の三喜子がこの屋敷から消えていきます。消えるというかは、今の、少女にとっては未来の三喜子の中に重なり溶けていったみたいな感じでしょうか。
きっとヤマサキも、その時、あの死を意識して、今を彷徨っていたあの夏の日の自分、さらにもっと過去の罪の意識に囚われて身動きが出来ないくらいに苦しんでいた頃の自分の姿もどこかへ消えた、自分の身の一部となって、これからを生きることが出来るようになったのだと思います。
そして、涼子や浩太にも、そんな未来の日がやって来るはずです。
失うことの悲しみに囚われる自分を救うのは、たくさんの差し伸べられた手を掴んで、新たな繋がりを得た未来の自分だといったような感覚が、とても生きることの喜び、今を頑張って生き抜き、未来へと向かうことへの勇気となるように感じます。

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コメント

SAISEI様

観劇ブログ「観劇と ベランダ園芸と 健康と」で当公演を知りました。DFGに載るのが遅いですね。こりっちはお金がかかると聞くけれどDFGはどうなんだろう? 告知が遅い劇団多いですよね。集客にどこも困ってないのかな? 詳細は一か月前くらいで良いですが時期だけでも発表してくれてるとありがたいんですけどね。喀血劇場 第11幕 「10年後の8月も何も言えなくて、夏」やoffice未塾 「愛鷹山の古狼と天狗」もそうなんですがフライヤーだけで宣伝できてると思って欲しくないな。。

投稿: KAISEI | 2016年10月16日 (日) 21時26分

>KAISEIさん

そう、集客に苦労している割に、ギリギリ告知は多いですね。劇場確保の時点で、公演告知は出来ると思うのですが・・・
DFGは、関西小劇場を観劇する者はほとんど見ていると思っています。そこに告知していないのは大きなマイナスでしょう。
以前は、DFGの中の人がご自分で情報を見つけて告知していたようですが、限界がきたようで、今は情報を送ってこられた公演をスケジュールに組み込んでいるようです。
別に私たちが、その情報を渡してもいいのですが、それもおかしな話かと私は控えています。
まあ、宣伝は難しいところではありますよね。

投稿: SAISEI | 2016年10月17日 (月) 11時10分

SAISEI様

最近、告知が遅かったり上演時間が載っていないと観ていただく、という観点からは意識が低いなあ、と思うことが多いです。

役者さんや作演の方など劇団関係者の方に敬意を表するという意味では人後に落ちないと思いますが経営営業宣伝という点ではアホだなあ、と軽蔑することも多く。

結局役者繋がりの客が多いというパイの小さな世界の中で動いているなあ、と。良い作品も多々あるのでもっと多くの方に観てほしいと思いますね。

シバイシマイはまだ観たことがなく。気がついた時には既に埋まっていることが多いです。

投稿: KAISEI | 2016年10月18日 (火) 12時59分

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