永久の神憑き【箱庭計画】161029
2016年10月29日 ウィングフィールド (80分)
観始めてすぐに、昨年、短編集で拝見した作品を基にしているのだろうことに気付く。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/151107-c9ef.html)
そうそう、何か生き方を悩むせからしい女子大生と、豪快かつ飄々とした荒くれ男のコンビでワイワイとしている話だったなと。
あの時は、意味がよく分からないという印象が強く、これはちょっと厳しい観劇になるかなと思っていましたが、しっかりと膨らませているのか、まだ分からないところは多々ありますが、理解はできて、ちょっとした生き方指針みたいなものを描いているような感じかな。
暴走気味な女子大生と荒くれ男のコンビを、淡々と落ち着いた3人の役者さんがじっくりと魅せる丁寧かつ、繊細な演技でしっかりと固めるみたいなスタイルが、とても心地よく、観やすさを生み出しているようです。
キャラの特徴化が上手なのかな。
観ていて楽しく、狭い空間の中に惹き込まれるような魅力があります。
就活中の千鶴。
面接で必死に自己PRをするが、ありきたりの言葉が並びあまりウケは良くない。面接官にあなたは何をしたいのですかという厳しい質問を浴びせられて、落ち込んでいる。
あそこまで厳しく言うことないだろうと腹を立てるものの、確かに私は何をしたいのだろうか。ただ適当に生きていたいというのが正直な気持ちだ。
そんなことを考えていたら、一人の女性が近づいて来て、何も考えないでいい世界に行きたくないかと言ってくる。私を助けて。やり残したことがある。そう言って女性は曖昧な返事をする千鶴を強引にどこかへと導く。
千鶴は夢の中なのか、頭の中である景色が浮かび上がる。
厳粛な空気の中、先ほどの女性が立っている。神主らしき男が、ヒサトと呼ばれる男に、指示をして、その女性をどこかへと連れて行こうとする。女性は抗うこともなく、その手を取り、どこかへと向かう。
気付くとそこは神社らしきところ。子供たちの声が聞こえる。一緒に遊ぼうと。お姉ちゃん、することがあるからと答えて断る。
一体、ここはどこなのか。神隠しにでもあったのか。
先ほどの女性が現れる。ナガエというらしい。神隠しも何も、この神社には神がいないのだとか。ここはあの世とこの世の境目といったところだろうか。あの子供たちは死んでいる。一緒に遊ぶとあの世へ向かうということらしい。元の世界に戻るには、それは鬼を探せと言う。どちらにせよ、ここを抜け出すか、覚悟を決めて子供たちと遊ぶかしかないようだ。
女性はどこかへと去って行き、千鶴は途方に暮れる。鬼はどこにもいないし、出口も無い。
そんな中、怪しげな男が登場。アヤカシ探偵、物部と名乗る。夢の中で見たような。
物部はここから抜け出す方法を知っているみたいだ。力で神社の鳥居の結界を破って、脱出できるようだ。
千鶴は物部の助手になるという条件で助けてもらうことに。どうせすることないし。
早速、千鶴は物部の助手としてこき使われる。
アヤカシなどこの世にいるのかと思っていたが、けっこう昼間から色々なアヤカシがウロついているみたいだ。物部はそれを力で倒していく。
幼い頃の夢。人を助けるような人になりたい。幼い頃に事故にあい、命が危なかった千鶴。父がそれを救ってくれた。その時からそんなことを考えるようになった。今、していることがそうなのかは分からない。
物部は千鶴を連れて、ある家へと向かった。
登山に向かったまま行方不明になった息子。その間、母も亡くなり、もう生きる気力も無くなった父の下に、突然、息子が普通に帰って来た。
良かったじゃないかと千鶴は思うが、物部の考えは違う。その息子がアヤカシだとふんでいる。記者を装い、父に接触。帰ってくれと言い放つが物部は強引に息子と会う。すぐにアヤカシだと気付いたらしく、息子の首を絞める。物部と千鶴は追い出される。
物部と千鶴は山へ向かう。アヤカシが作った結界が見つかる。恐らくはこの中に真相が隠されている。
物部は結界を壊し、ここで起こったことを導き出す。
息子は気付くと結界の中で倒れていた。タヌキのアヤカシたちが、それを発見。あるタヌキが、息子を引き取ると言い出す。
息子が目を覚ますとそこにはタヌキがいた。それだけでも驚くのに、そのタヌキ、父の姿をしている。昔、父に助けてもらったことがあるらしい。それ以来、恩を返したいと、その姿を忘れぬように、その姿に化けたままで暮らしているのだとか。
息子はすぐに家に帰ろうとするが、タヌキはそれを許さない。
やがて息子は気付く。自分が雪崩にあって死んだことを。
息子はここにとどまらず、あの世へと向かう決心をする。
ただ、父にお別れを言いたい。タヌキに魂をまるごと渡せば、真の化けタヌキとなって、自分の姿かたちそのままに化けられるらしい。
息子はタヌキにお願いして、父にサヨナラを告げてもらうことにした。
結界から長く出るとタヌキは死んでしまう。
千鶴たちはタヌキの下へ向かう。
タヌキは、自分のことを息子と信じてくれている父に申し訳なくて、なかなかサヨナラを言い出せなく、随分と時が経ってしまっていた。
そんなタヌキに物部は単なる同情、運命を捻じ曲げているだけ、無駄なことをしていると厳しい言葉を投げ掛けて、力を使って無理やり山へ帰そうとする。
しかし、千鶴はそれは正論だと反発し、物部からタヌキを助け、父の下へと向かわせる。
タヌキは父にサヨナラを告げる。父は全て知っていたみたい。息子は死んで、きっと息子に頼まれて化けてやって来たのだろうと。
タヌキと父は互いにありがとうと感謝をし合ってお別れする。
タヌキは結界に戻るのが間に合わず死んでしまう。やりたいことをやった。でも、なぜかむなしい気持ちが残っているみたいだ。
父は、これからを独りで生きていくことになる。
物部は、この結果を千鶴に対して責める。父のところへ向かわせなければ、タヌキは生きていた。父も事実を知らずに悲しい想いをしなくてすんだ。
皆既月食の日が近づいている。
物部は神を神社に作ろうとしているらしい。
これで縁切りだと、千鶴の前から姿を消す。
千鶴は父の下へ向かう。
父は落ち込んではいるものの、こういう運命の意味を探しながら生きていくと力強い言葉を聞く。
物部の言うことは正しいが、全てが過ちだったわけではなかった。
しかし、父は物部の話をしてもキョトンとしている。忘れてしまったというか、初めからいなかったかのように。
家を出て、タヌキの幽霊と出会う。タヌキも同じく、物部のことを知らないと言う。
縁切り。タブキ曰く、本当の名前を知らない者との縁を切る力を使ったらしい。
神隠しにあった時に見た景色。そこで、ヒサトと名乗る男。それが物部の正体だった。
ヒサトは皆既月食の時、あの世とこの世が通じるその時に、怖ろしい魔物のような力強いものを神社に引き込み、神として据えるつもりだ。
それが使命だから。
こんなことになったのは、ヒサトの妹、ナガエを神にすることが出来なかったから。
あの時の千鶴の見た景色。
双子の兄妹、ヒサトとナガエ。父の命令で、ヒサトはナガエを神にするべく、力を身につけるべく懸命に鍛錬してきた。
しかし、その試みは失敗に終わった。
父は絶望から自殺。
ナガエは生きることも、死ぬことも出来ず、結界の中に閉じ込められた。ヒサトはナガエとの縁を切り、記憶から消してしまった。
気付くと千鶴は、あの神社の結界の中にいる。
元の世界に戻るには鬼を探せ。子供たちのかくれんぼの声。
千鶴は気付く。何もしない者が鬼。鬼は自分だった。
私は何をしたいのか。人助け。そう、それでいい。偽善でも何でもそれが自分のしたいことだった。
千鶴は初めて、自分で敷いたレールの上を走ろうとし始める。
私を助けて。そう言っていたナガエの力になる。
ナガエのしたいことは、ヒサトを止めること。
物部がやって来る。
ナガエのことは覚えていない。
千鶴は物部にナガエのことを話す。兄妹なのだから分かり合えるはず。縁など切れるはずが無い。
物部の記憶が蘇る。
ナガエはあの時のことを話す。怖かった。神になるのが。その未練が、私を神に出来なかった理由。
自分が原因だったとずっと悔い、その使命を再び果たすべく、囚われていたヒサトの心が解放される。
ナガエはその力で自分をあの世へ送るようにヒサトに願う。ここに自分がいたら、アヤカシが寄り続け、この町の平和を脅かすから。
そんなことは出来ない。
そう言うヒサトに千鶴は厳しく言い放つ。
自分が培ってきた技術をここで使わないといけないのではないのか。使命に囚われ、父の道を歩んできたヒサトこそ、自分の敷いたレールの上を進まないといけないのではないか。ナガエを殺すのではない。救うのだ。
ヒサトは力を使い、ナガエをあの世へと送る。
元の世界に戻った千鶴。内定をなぜかもらえて、やりたいことをする道を歩む。
どうなるのかは分からないが。
息子を失った父も言っていた。
今、生きている、これからを生きる意味合い。
それを探しながら。そして、自分が持っている力を、やりたいことと同時に成すべきことに使って、なりたい自分を目指して、その道を自分で切り開く。
今、生きているってどうしてなんだろう。
やりたいことをやるため。何かを成し遂げるため。
神様が生かしてくれたのだろうか。
死んでしまう人もいるのに、自分は生きている。
これまで生きてきて、得た知識や力が何かのためになるのだろうか。
それならば、持てる力を精一杯使って、生きる証を残さないといけないのかも。
そんな風に各々の道を歩めるように、神様がどこかで見守ってくれているのか。神憑きなんて言うと、何か怖いことをイメージするけど、己が己であれるように、しっかりしろと、いつでも、自分の身体や精神にそんな神が宿っているような。
そして、何かあればすぐに顔を出してくる、怠けや逃げといった鬼を、自身で戒める。
自分を悩ましたり、苦しめたり、道を塞いだりするのを、妖とかのせいにしてないで、自分自身を見詰め直せば、そこに原因は見つけ出せる。
何となく、この作品の神不在の神社が人自身であり、そこに閉じこもっている適当でいいやと逃げている自分や、やたら使命感に囚われて自分や、何とか人の役に立つ自分にならないといけないと悩む自分とかがたくさん蠢いていて、月詠のような人生の転換点みたいな時に、外から色々なものを取り込み、自身を成長させるような姿としても映るように感じます。
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コメント
SAISEI様
ここは私も外したくないんですけどねぇ。
激戦だとカフェ公演は。。
投稿: KAISEI | 2016年11月 4日 (金) 00時16分
>KAISEIさん
ブログにも記したように、以前、観られているやつを膨らませた感じの作品かな。だいぶ、変わってしまってはいますが。
やや分かりにくさはあるものの、とても真摯で丁寧に熱を込めて、創られて、演じられていることが伝わり、毎度のごとく、好印象だったです。
投稿: SAISEI | 2016年11月10日 (木) 17時32分
SAISEI様
訂正
カフェ公演ちゃうな(苦笑)
ウイングフィールドやな(笑)
投稿: KAISEI | 2016年11月13日 (日) 10時29分