« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年9月

2016年9月20日 (火)

すすきのはらの童たち【劇団有馬九丁目】160919

2016年09月19日 インディペンデントシアター1st (70分)

相変わらず、難解だ。
筋となるような話は無く、作品名のすすきのはらという地にいた、舞台にはいない、ある男の姿を何とか浮き上がらせて、そこから何かを読み解かないといけない。
情報量は多くは無く、そこにはその地にいた人たちの中に眠る様々な感情がある。それが高ぶって、舞台上に現れた時に、捕まえるみたいな感じか。

自分の中にある故郷。幼き頃、過ごした思い出の地。例えば、秘密基地を作った空地みたいな感じか。
そこから、いつの日か、旅立って、今の自分がいる。大事なものを置いてきてしまったかもしれない。大切な人と別れてきてしまったかもしれない。
でも、今の自分は、たくさんの周囲の人、情報に晒されて、雑踏の中にいる。
社会の一員。その一員として、社会を発展させるという大義の下、戦うことだってある。
あの頃の自分は、まだあそこにいるんじゃないだろうか。一緒に過ごした人も、もしかしたら。
手紙を綴る。あの地に、あの時にそこにいた自分、人たちに向けて。
返事が無くても構わない。そこにまだある、いるということさえ分かれば、自分は今を歩んでいけるから。
そんな感覚を抱くような作品だろうか。
この感覚は、繰り返され続けていることなのかもしれません。今だって、新しいものに挑戦する時には、今の自分で創り上げた居心地のいい地、分かり合える仲間とお別れして旅立たないといけないこともあるのですから。
そして、それは自分の中だけでなく、マクロな視点で考えれば、社会、国家のレベルでも、同じようなことが起こっている歴史の繰り返しがあるようなことも言及しているように感じます。

新しい道へと旅立つ自分。
このままを必死に頑張り抜こうとする自分や、変わることに負の感情を抱く自分、まだここにいればいいと誘ってくる自分など、様々な自分と決別して、自分はこの地を去ります。
捨ててしまった訳では無い。
これからを歩む自分にとって、いつまでも変わらず、大切に残っている、大事な人生の一時として、それはすすきのはらのような空虚な地となって、自分の身の一部となっているのでしょう。
そんなかつての幼き自分たちに、今の自分を奮い立たせるように、慈愛の言葉をかけたような話に感じます。

続きを読む "すすきのはらの童たち【劇団有馬九丁目】160919"

| | コメント (8) | トラックバック (0)

次は、終点【アマサヒカエメ】160919

2016年09月19日 SPACE9 (105分)

最終電車という、なにか心ざわつく空気の中で、ある男の失踪をきっかけに別れることになった劇団員たちが再び集まる。
劇団員だけあって、そのキャラは個性的で、背景にも様々なことを抱えている。
1年前までは、それがぶつかり合いながらも、作品を創り上げ、公演が出来ていた。でも、それも限界が近づいていた。このままでは、ぶつかり合いによる爆発が起こり、全てが終わってしまう。それを終わらせないようにと去った男。
その男の手により、集められた劇団員たちは、自分自身を失っていた。劇団を解散して、本当の自分を抑え込み、偽りの自分として生きるみんな。
それでいいのか、本当の自分として生きなくて。
あの頃、戦隊モノをしていたように、みんなが各々の色を持ったヒーローだった。もう一度、それを取り戻して欲しい。
そんな劇団が好きで、そして、その役者である自分が好きだ。
男の真摯な願いは皆を変えて、本当の自分自身を取り戻させる。そして、みんなと一緒にまた演劇をしたいという望みも叶える。

失踪した男、集められた劇団員たちの最終電車の中でのやり取りをコメディーベースとして、この話の行き着くところはどこに向かうのかという謎解きのサスペンス要素も盛り込む。
一人一人がヒーローなんだ。自分の色で、本当の自分として、色々なことにぶつかって生きていけばいいんだ。熱血青春漫画のような感動を誘うラストへ向かう展開から、最後の失踪した男の願いが叶うブラックオチまで。
様々な魅せる要素を巧く融合しているように感じる。
作品名も、目的に向かって懸命に走る人たちという希望溢れる熱いイメージを持てるし、どうあがこうと終点という全てが無に帰す終わりに向かっているという厭世感も漂わせる。
その両方とも、作品の中で巧妙に感じさせるという魅せる腕が光る。
起承転結のメリハリ、その中での緩急のつけ方が巧みで、とても楽しく、笑って、感動して、ゾクっとして、震えるという感情の起伏をくずぐられる、いい作品だったように思います。

続きを読む "次は、終点【アマサヒカエメ】160919"

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2016年9月18日 (日)

ЯEVERSE【大阪大学劇団ちゃうかちゃわん】160918

2016年09月18日 芸術創造館 (95分)

思いっきり笑い、話も面白く、魅力的な役者さんもたくさんで、とても楽しい作品でした。
REVERSEを使えば、きっと真っ赤な画面になるでしょう。

非常に申し訳ないですが、話の構造がまず把握できなかった。老夫婦のエピソードと小学校の子供たちのエピソードは時間軸をずらしているのでしょうが、REVERSEの配信、停止の時間の流れとの関係性がよく分からない。
REVERSEというもので暴かれる嘘と、そんなもの関係なく暴かれている嘘が混在して、この画期的なうそ発見器の意味合いがぼやける。
嘘は暴かれるという大前提で生きなくてはいけなくなった世界と、嘘が嘘としてまかりとおる今までの世界のような観方をすればいいのかな。どうも、このあたりもはっきりせず、何を描こうとしているのか、恥ずかしながら、ほぼ全く理解できなかった。
嘘に翻弄されているのか、嘘が暴かれてしまうことに翻弄されているのかの、明確な差が見い出せていないのが、きっと訳が分からないと感じさせ、作品の面白味を味わえなかったところなのかな。
観ている間、ずっと頭の中が?だったので、評判高いダンスや、個々の弾けたキャラの魅力も味わえず。
こうして、一応、感想を書いている中でも、頭の中は?だらけ。何を書いているのか、よく分からない状況なので、今回は分からないということを感想として記しておきたいと思います。

まあ、こんなこともあるでしょう。
好みの差はあれど、まあまあ、これまでフィットしていた劇団なのですが、何がどうなのかは分からないが、自分と合わないという作品も。
また、次の機会に期待して観に伺いたいと思います。
これは、REVERSEを使っても、ちゃんと青の画面になるはずです。

続きを読む "ЯEVERSE【大阪大学劇団ちゃうかちゃわん】160918"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

PANDORA -Op.5 最終章・はじまりの章-【Project UZU】160917・160918

2016年09月17、18日 芸術創造館
                  母の記憶編 (110分)
                  悪魔の心編 (105分)

5年を通じて、観ることが出来ました。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/130-c6bf.html
本当は、もう一編、追憶の愛編という作品があるのですが、どうにも日程調整が出来ませんでした。
感想は上記リンク先に例年積み上げられていくと記していますが、今年も同じくさらに積み上げられた作品が観られたということでいいかと思います。

感じたことの詳細は下記していますが、歪んだ人間の心に囚われて、絶望の世界へと進もうとする者たちを救済する話だったのだと思っています。
その救済の方法は、あなたを愛する、あなたは私にとって必要な人、あなたはこの世界に存在しないといけない人であることを真摯な想いで伝えること。
どんな絶望の中にもある人の愛や友情、信頼の心が、繋がりの中にいる自分を感じさせ、自己肯定から、これからの世界を創り出すはじまりの時へと導いたような感覚を得ます。
絶対的な人の力。ファンタジー作品ですが、その力を決して単純にただ優しく描くのではなく、人の負の部分も鋭く深く見詰めた上で、その尊さを見せようとしているみたいでした。

<以下、あらすじがネタバレしますので、白字にします。公演は明日、月曜日まで。5年の締めくくり。本当は観に伺いたかったけど・・・>

続きを読む "PANDORA -Op.5 最終章・はじまりの章-【Project UZU】160917・160918"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

FOR【clickclock】160917

2016年09月17日 PLACEBO (90分)

これまでと同じく、刻まれるクリック音のリズムと音楽の中で、話が進む。
今回の話は地球の終末。
その地球で生きていた人たちの記憶をたどりながら、私たちが残した大切なものを見出そうとしていく。
いつでも繋がり合っていた私たちの生。
そんな大切な繋がりを、つまらないことで断ち切ってしまう。いつか、命が尽きることでお別れの時を迎えるのに、それを待たずして。
いつでも私たちに温もりある安寧の時を与えてくれていた地球。
それを汚染して、破壊してしまう。いつか、宇宙が終わりを迎えることで、全ては無に帰してしまうのに、それを待たずして。
自分たちで別離を生み出し、終末を迎える愚かな人間。
でも、人間はそれでも、断ち切れた繋がりをもう一度結びつけようと必死の想いを募らせ、光を失った地球で灯りを求めて声を飛ばす。太陽から得られなくなった温もりを、心を通わせることで手にして、幸せの時を生み出す。
そして、そんな人間が残せるものが、次の生命に繋がり、流れ続けることを祈る。
暗闇の中の光。極寒の中の温もり。無から生み出される有。
人間は強い力を持つ。
汚れた醜い世界の中にも、浮き上がる愛しい人の姿。
全てが終わりを迎える時、その終わりへの慈しみと、始まりへの希望の祈りを感じさせるような作品でした。

続きを読む "FOR【clickclock】160917"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月15日 (木)

モンタージュ はじまりの記憶 木×浦【Contondo】160914

2016年09月14日 common cafe (85分)

3回目の観劇。
(2回目の感想:http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-7.html
今回は、会場も、役者さんも総入れ替え。
会場は上記、役者さんは木村美憂さん(ピッコロ劇団)と浦長瀬舞さん(劇団冷凍うさぎ)となる。
全く違うので、逆に、そこに風景が変わっても、変わらぬものが浮かび上がって、作品の本質を掴むみたいな、何かちょっとかっこいい観方が出来るんじゃないかなんて思って足を運んだが、そんな感性の鋭さは自分には無かったみたいで。
やっぱり、全然違うなというのが感想。

まず、会場の空気が明らかに違う。
会ふも、こちらも、屋上と地下の違いはあれど、どこか外界の日常とは切り離されたような、非日常空間の中に入り込むような感覚は変わらない。
会ふはその隔離感が強く、今、自分がいる世界とはどこか違う空間に迷い込んでしまったかのような、ノスタルジックな空気を感じさせる。時間も止まってしまったかのような感覚を得る。
一方、こちらは、外界との繋がりが完全には断ち切れない感じで、日常の延長のどこかに、非日常の空間を見つけたような、迷い込んだとかではなく、今の自分を振り返るためにそこを選んだ、もしくは出会うべくして出会ったような感覚を得る。時間もここはここでの流れがあるような感覚となる。
積み木を砂時計にしている。本がたくさんある背景。
変わったところは様々あるが、会場を変えての大きな変化はこのあたりか。
砂時計はそのまま時間の概念を意識するし、本は一瞬を切り取る写真と違って、ある時間を紡ぐ時間の幅を感じる。
これまでの記憶の断片がモンタージュされて重ね合わせられる風景と同時に、その時間の流れが、一つの人生を刻む時間として収束しているような姿も何となく感じられる。
視点の軸が増えたといった感じだろうか。
一枚の写真。そこに見える風景や人。その時の人の心。今の自分との変化。今とは変わってるだろう風景。その前後の時間に浮かび上がる風景、出会った人。
一枚の写真から、引き出される様々な情報は一冊の本になる。記憶の断片はそうして、一つ一つの中身を膨らませ、それが積み重なり、自分の人生を構築する。そして、その断片は今こうしている中でも、振り返ることで膨張し、自分の人生を未だ創り続けている。
ユミと女性がいる部屋は、二人の生きている空間そのもので、そこにある様々なものが記憶の断片であり、それを掘り起こして、部屋を埋め尽くしていくことで豊かな生き様を導こうとしているように感じる。

これまでの感想の書き方に準じれば、浦長瀬さんのイメージは、見た目のおとなしさや清楚さの中で、けっこう熱情的な感情を滲ませ、いつの間にか溢れさせてしまうような、熱血派女優といった感じだろうか。
そんな感じがユミにも出ていたような気がする。
ユミは、人生の悲しみや辛さだけを見てしまい、それを消し去りたいと考えているみたい。その悲しみや辛さの断片それだけを見れば、当たり前の感情であるが、そこにある繋がりを見出せば、それは自分の生きる中での大切な思い出となる。
片意地ばかり張って、ずっとそんな悲しみや辛さを受け止められず、抑え込んでかわすように生きていたのか。歳を経て、そんな断片が思い出となって一挙に襲って来て、目を背けるしか出来なくなっているかのよう。でも、大丈夫。そんなことも含めて、あなたの人生は色々な素敵な想いに包まれているのだからと導いてくれる女性の存在を再認識した時に、ユミの心が開いたような感じだ。
初回に拝見した村田さんは、この悲しみや辛さを、ただひたすら傷つきながら耐えて、どうしようもなく我慢できなくなったユミを女性が包み込むみたいな感じ。幼き少女が、優しい母に抱き締められるような感じか。
寺井さんは、知的な正当化で悲しみや辛さが襲ってきていない振りをしているが、もう抑え切れなくなって攻撃を受けて傷ついてどうしようもなくなったユミを女性が私はいつでも味方だと言っている感じ。孤独な戦いの中にいた女性が、いつも傍にいる大切な親友、仲間の存在を知った安堵から凍った心を溶かすみたいな感じか。
浦長瀬さんは、襲ってくる悲しみや辛さを、気の強さか、いつでもぶつかり合って戦うといった攻撃をちらつかせて牽制している感じ。でも、そんなに強い子じゃない。意地は張るけど、張りすぎて、弱い感情が外に漏れ出てしまっている。分かりやすい子と言ったところか。いつでも、一人で戦うことにビクビクして、傷ついた心や体を癒してくれる人を求めている。そんなユミの性格を良く理解している女性が、彼女のはったりとも思える悲しみや辛さとぶつかるといった気持ちを否定せず、いつでも助けるし、戦ってもあげるよと、彼女と一心同体であることを伝えて、ユミは自分らしく生きることに歓喜しているよう。

女性とユミの関係性は、これまでの母娘、親友みたいなイメージから、姉妹、もしくは親戚のおばちゃんと姪っ子かなあみたいに最初は感じていたが、結局、固定することが出来なかった。強がり言って生意気なユミの弱さを知り、それをそのまま受け止めてあげられる女性の存在は、母や友とも違うし、姉とかおばちゃんとかもどうもしっくりこない。
ただ、よく考えれば、関係性が固定されないのは当たり前で、最初と最後で、ユミが、自分を開いて、女性に飛び込むようになり、同時に女性もそんなユミを抱き締めるように変化するのだから、変わって見えるのが当たり前かもしれない。
また、木村さんの役変化が、全く前を引きずらないのか、ユミの友達、母、恋人と、全く違う人のように様々に変化するところが大きいように感じる。
木村さんを、どこで拝見したのかが分からない。顔は確かに拝見したことがあるように思い、何か豪快で飄々とした面白さを醸す方だったような気がするのだが。
今回は上記したように、役の切り替えが凄い。ユミの変化に巧みに合わせて、切り替えてキャラを作っているような印象も受ける。一貫して感じるのは、どっしりと揺らがない芯ある強さ、そこに潜む優しさだろうか。

3回拝見して、それぞれ役者さんが異なるので、感想がちょっと書きづらくなってきた。
褒めても、じゃあ、違う回はそうじゃなかったのかとかになってしまうし。
そのあたりは、各々に魅力があり、それを各回、自分なりに楽しませていただいたということを大前提として、今回の感想を記すなら、お二人が非常にキュートで、各エピソードでの切り替わりが絶妙であったように感じる。
そのことで、ユミ自身、二人の関係がより明確に浮かび上がるようになったような、逆に複雑化して難解になったような。
この前半戦を終えて、後半は、これまでの公演写真が貼られた風景での公演になるらしい。
さらに、視点の軸は増えて、また違う空気の中での観劇となり、感じることも変わり、その核で膨らむ何かが見えるのかもしれない。
ただ、仕事と他公演の観劇日程の都合上、私は恐らく全く観ることが出来ない。
なので、今回が最後のモンタージュ。
記憶に残る素敵な作品と出会えたことへの感謝と、後半戦が、この作品の魅力をさらに突き詰められた公演となることを祈る。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2016年9月12日 (月)

モンタージュ はじまりの記憶 土×寺【Contondo】160912

2016年09月12日 会ふ afu (85分)

2回目の観劇。
(1回目の感想:http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3.html
今回は、1回目と会場は同じ。二人の役者さんの組み合わせは、土江優里さん(Contondo)と寺井幸菜さん(遊劇舞台二月病)とお一人は同じ。つまりは、村田さんが寺井さんに代わった作品。

動きやセリフは所々違っているみたい。だいぶアドリブが盛り込まれているのだろうか。
互いに相手の言動を見ながら、合わせ合わされみたいな感じで演じているかのよう。これが、この話の二人の女性の想い合い、分かち合いに繋がっているのだろう。

前回の感想と同じ書き方をすれば、寺井さんのイメージは、見た目の美貌のまま、凛とした冷たさすら感じさせる、ある意味残酷な美しさを醸すような感じか。美しさは時として、人を傷つけ、そのため自律の精神で自分を抑え込むような葛藤の心も垣間見られるような。
今作品でも、どこか冷静に自分を見詰め、正当化しようとする知的さを見せながらも、その奥にある本当の幼稚な自分を暴露したいみたいな葛藤の空気は醸されていたように感じる。

1回目と2回目の感想の違いは微妙なところで、言葉にはしにくい。でも、けっこう違うと断言できるくらいでもあるか。
寺井さんのユミはちょっと、幼稚な意地悪な感じが強いかな。生意気というか。それは、自己防御の手段としている、少し知的さや巧妙さを感じさせる。子供ながら、いつも、何に対してなのかは分からないが、負けたらダメだと言い聞かせて無理して必死だったみたい。それだけに生意気言っても、今にも泣き出しそうな表情がいじらしい。
村田さんのユミは、不器用さの方が強く感じられ、自分を守る最適手段を見出せないから、不安な中、虚勢を必死に張っているみたいかな。まあ、どちらもいじらしく、可愛気があり、愛おしいキャラではある。
また、そう感じさせるように、相手の女性役の土江さんが、素直になれない、ユミの複雑な心理を引き出しているような構図になっているのだろう。
実は一番違いを感じたところは、不思議なことに、代わった役者さんではなく、同じ土江さんである。
村田さんの時は、どこか母のような優しい愛情、寺井さんの時は、本音をぶつけ合える家族以上の友情みたいなものを感じる。
だから、1回目の土江さんは温かさを強く感じさせるキャラだったが、今回はコミカル色が強く、ズバズバと相手をツッコんでいくようなキャラだ。

母と娘。娘と少年。
今回、新たに面白いなあと感じたのは、このエピソードシーンから、母と娘の繋がりを感じたこと。
娘が母の血を引いていることを思わせるような、掛け合い。母と娘では土江さんが寺井さんを、娘と少年では逆転して寺井さんが土江さんを攻め込むみたいな感じで喋る。ここは同調性を感じ、やはり性格や顔が似ていて、互いに影響を受け合ってきたのだろうなと。
否定から、ガツガツと追い詰めるような口調で攻め込むような話し方。だからと言って、冷たいとか、相手を傷つけるとかいった感じでは無い。
自分への自信の無さ、不安があるからこそ、相手の素直な好きとかいう想いを受け止められない不器用さ。だから、相手がそんな想いを伝えてこないように、素っ気なく冷たい態度をとるしかない。でも、きっと本当は、そんな相手の自分への想いに恋い焦がれている。それが災いとなり、結ばれなかった、分かつことになったみたいな母と娘の恋愛における男女関係が浮かぶ。
きっと、言葉にされた相手の自分への想いをどう伝え返せばいいのかが分からず、拒絶した振りをしてしまう。もしくは、そんな言葉にするチャンスを相手に与えないように言動する。そうしておけば、気付かない振りで誤魔化せるから。もちろん、自分の相手への想いも言葉にしない。ただ、心の奥底で想いを大切に保管しておくだけ。
でも、女性とは違った。そんなユミを丸ごと受け止めてくれていた。だから、ユミも自分を全部出せていたみたいな感じだろうか。
そのことを、記憶の旅の中で、様々な時間、シーン、抱いた心を重ね合わせることで知ったユミは、自分の本当の想いを外に出し、女性の変わらぬ自分への想いを受け止める。
ラスト、長い間、この部屋で眠っていた写真が掘り起こされる。それは、ユミが記憶の断片を重ね合わせることで、自分の人生を肯定できたことから、恐らく、どれ一つも消し去りたくない、愛おしい思い出となっているのだと思う。

これだけ違う感覚を抱かせてもらえるなら、もう一度は、会場、役者さんの組み合わせをさらに代えた回を観に伺う価値があるかなあ。
今週末は公演激戦で、日程調整できるかが微妙ではあるが・・・

| | コメント (2) | トラックバック (0)

革命少年【劇団レトルト内閣】160911

2016年09月11日 近鉄アート館 (120分)

世界大戦という時代に、成功を夢見て、祖国を旅立ち、たどり着いた地で踏ん張って生きる在日と呼ばれる人たちの姿を、そこにある同胞、家族の絆と共に描き出しているような話。
在日の方々の実情を赤裸々に描き、そこにある圧倒的な力強さに、今の日本で生きる自分たちを振り返るような感覚は、Mayなどでよく拝見する話であるが、やはり同様に、心に響き、同時に失くしてしまったのではないだろうかと不安になる深く温かい想い合いの心や、苦境を乗り切ろうとする前向きな魂に思いを馳せる。

失敗、差別、裏切り、別れだとか、そこには生きる上での負がたくさん散らばっており、生きることへの絶望すら感じるものである。
でも、その失敗を成功へと結びつけようとし、不条理な分け隔てにはたくましい根性で対等な立場を勝ち取ろうとする。裏切りは、受け入れて、神への懺悔として昇華する。そして、裏切る相手を信頼で包み込む。別れはいつかまた出会える日の喜びを生み出す過程と考える。
自分たちは、明日、皆で幸せを掴み取るために今日を生きるのだと、強い信念を貫いて、前を見る姿が、誇らしく、どこか羨ましさを感じる。
人間の弱さ、脆さ、その人間が生み出した社会の不条理さ、冷たさ、汚さ。それでも、それを受け入れて、変えていく。人間は強くなれる。そこから社会は浄化され、平等な平和で温かい姿となって現れるように感じる。

続きを読む "革命少年【劇団レトルト内閣】160911"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月11日 (日)

熱き心に ~センチメンタルレクイエム~【街のトリカブト屋さん、GEKITOTSU公演】160911

2016年09月11日 GEKITONG-SPACE (75分)

チラシも入手してなければ、情報も無く、一昨日ぐらいにTwitterで激熱の芝居をしているという情報が入る。
その時点で、ご出演の役者さんは徳丸\1さん(舞夢プロ)と成瀬サキさんということを知る。作品の内容には触れておらず、とにかく凄く熱いことが感想として記されている。ちょっと気になったので、レトルト内閣さんの予約の回を変更していただき、足を運んでみる。
当日チラシを見たら、どうやら熱海殺人事件を脚色した作品。
そう言えば、数ヶ月前に熱海殺人事件の稽古をかなり悩みながらしていることを徳丸さんから伺い、ナルセケのお父さんから娘が出演するのでよろしくと言われたのを思い出す。
このことだったか。熱海殺人事件は色々な方たちの手でどう料理されるのかが、また興味深い作品でもあるので、きっと観に伺いますなんて答えていたので、気付いてよかったというものだ。

当日チラシに記されているあらすじによれば、舞台を警察の取調室から、AV撮影現場に置き換えている。それに伴い、あの部長刑事、伝兵衛は監督に、若いエリート刑事は助監督。愛人の女刑事は当然、AV女優に。犯人の金太郎はAV男優だ。金太郎は幼馴染のアイ子を熱海の砂浜でレイプする。そのリアリティーを追及しながら、レイプもの作品を創り上げるという設定になっている。
感覚としては、下記作品をベースにラストへの持って行き方は、少しオリジナルを組み込んだ感じだろうか。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-9.html
これだけでは、下ネタでパロって、勢いに任せて演じられる作品だと想像しても仕方が無いことかと思う。だから、正直、これはあまり好みでは無いだろうと、少々テンションが落ちる。
かくなるうえは、なかなか観に伺えていない徳丸さんの味ある役者さん姿をきちんと見て、最近、女優さんとして成長著しく魅力が高まっているお気に入りになっている成瀬さんのお姿を楽しむ。
さらには、久しぶりに拝見するような気がするマナカさん(劇的ジャンク堂/まきこみじこ)のあの独特の真剣で真摯な姿の中に滲む面白さを味わい、演技派のイトー。さん(学園座)のクールに決めた熱演を目に焼き付ける。
こんな感じで楽しむしかないかなあと。

ところが結果は、過去、観てきた熱海殺人事件の中では最高だ。
確かにめちゃくちゃに熱いが、無秩序に飛ばしているわけではなく、きちんと緩急をつけており、弾けまくったおふざけシーンでも、誰かが場をまとめるような役となり、収拾がつかないようなごちゃごちゃにならないように、常に制御されている。かなり、緻密に計算された上で、パロって遊び、その中でも、原作に潜む人の狂おしい想いをきちんと描き出している作品に感激した。
ラストあたりの金太郎と女刑事の哀愁漂い、心が締め付けられるような劇中劇。それをじっと見つめる伝兵衛とエリート刑事の姿。
熱い動だけではなく無く、静の中に溢れ出す想いが叫び声となって響くような印象を植え付ける役者さんのすさまじい技量に感服。
珠玉の一品を味わえた満足感で一杯になる。
素晴らしかったと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わが町【劇団六風館】160910

2016年09月10日 芸術創造館 (145分)

3年前に同作品を大学生の授業公演として拝見。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-d639.html

とても印象に残っている作品ではあるものの、やはり忘れてしまうもので、観ているうちに徐々に思い出してきました。
なんか甘酸っぱ過ぎて、ムズムズと落ち着かず、胸をかきむしりたくなるくらいに狂おしい幸せなエミリーとジョージの二人のシーンあたりで、急にこの作品のラストが蘇ってきました。そうだった、これは死の残酷さもまともに突き付けた上で、今を生きる、時間の流れに乗って進む今の生を尊ぶような気持ちが得られる作品だったのだと。
そんなことを思い出して、ラストを迎えましたが、不思議と以前に拝見した時と感想というか、心に残る感覚が異なる。
今回は、ただただ、死への辛さが残り、不安定で不条理な生に執着して生きなくてはいけない人間の悲しみが強く浮き上がるような気持ちになりました。
時の移ろいの中で、環境も人も自分も変化していく。その中で流れる生の時間。やがて、たどりつく死のゴール。それがいつかも知らずに。
そんな人間の生を見詰めているような作品なのだと思います。

続きを読む "わが町【劇団六風館】160910"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)・笑の太字【アガリスクエンターテイメント】160910

2016年09月10日 インディペンデントシアター1st (50分、休憩10分、50分)

昨年、京都で拝見して、ここはかなり注目だと好きになった劇団。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/125-5c8a-1.html
大阪に来ていただけたのだったら、足を運ばないと。
それに、観劇三昧ではまだ映像配信されていない、DVDを入手しないといけない。
もちろん、豪華2本立ての作品も楽しみたい。

ということで、全て目的達成。
上記リンク先の作品(なんと、拝見した京都公演だけでなく、本拠地の東京公演や試演会まで収録されている2枚組のきちんとしたものだった)と、まだ拝見できていない作品のDVDを入手。
2本の作品も笑って楽しむ。というか、笑えると同時に、その独特の仕掛けに驚く。そして、何よりもご自分方の作品を突き詰めて、より向上させていくプロ根性が強く感じられるような作品自体が、表現者としての主義主張に同調する創りになっているようで、その巧妙さに感激。
次回公演は京都に来ていただけるのだとか。作品は観劇三昧で映像配信されており、既に2回拝見して、その面白さは確認済み。生で拝見できるのは嬉しい限り。また、是非、観に伺いたい。

<以下、あらすじがネタバレしていますが、すじがどうこうといった作品では無いのと、許容範囲内と判断して白字にはしていませんので、ご注意願います。公演は本日、日曜日まで>

続きを読む "七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)・笑の太字【アガリスクエンターテイメント】160910"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2016年9月10日 (土)

芸人コンティニュー【スクエア】160909

2016年09月09日 ABCホール (110分)

安定の人情喜劇。
程よいしんみりさ、突き抜けた笑いで面白かったという感想以外は無いですね。
また、小さな商店街の一角にある立ち飲み屋で繰り広げられる、芸人たちの姿を描いた話ですので、味わいがあって、心に沁みます。
舞台も、高架下を完璧に具現化したような凄いものでした。昭和という時代や、そこにある大衆の人情みたいなものが常に溢れかえっているところも、また安定して、楽しめる要因のように感じます。

20周年を迎え、これでいったん活動休止期間に入るのだとか。
観劇記録をたどると、初見は2010年のマンガマンみたい。
そこから、ずっと楽しませていただいたのかあ。
マンガマンは今でもだいたい内容を話せるくらいに覚えている。色あせない面白さも、またこの劇団の魅力なのかもしれません。

<以下、あらすじがネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>

続きを読む "芸人コンティニュー【スクエア】160909"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2016年9月 9日 (金)

For スマイル【プロデュースユニットななめ45゜ 白木原一仁ソロマイム公演】160909

2016年09月09日 イロリムラプチホール (65分)

昨年、拝見した作品。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/60-fa1f.html
さらに改訂を加え、一つのゴールにたどり着いたかのようなことが、当日チラシには書かれています。
なるほどと、その言葉の意味がよく理解できるような作品が創り上げられていたように感じます。

これまでと大きく違うように感じるのは、おじいさんが一人ぼっちという印象が強かったのですが、今回はおじいさんの周囲にいる人たちの存在が浮かび上がります。
おじいさんは、そんな人たちと一緒に、笑顔で今日を生きています。
おじいさんは記憶をたどるかのように、記憶の海の中を潜っていきます。もう年老いて、老い先短いからとか、もう生の時間が緩やかになりやがて止まってしまう日がくるから、過去の思い出をたぐりよせようとしているのではありません。
今を生きる、これからを生きる人であるから、過去を振り返っているかのようです。その思い出一つ一つ、出会った一人一人、自分の身の回りにある物たち。そんなものたちと対峙することで、そこにある大切な想いが見えてくるのでしょう。

記憶の欠片は、微笑ましい喜びに溢れるものばかりではありません。ちょっぴり寂しい辛い出来事や、悲しみに溢れた大切な人とのお別れなどもあります。
そんな思い出たちは、消し去ったり、奥深くに沈めこんだりするのではなく、いつだって、今の土台となってきた。人生をステップアップするかのように、自分で明日を迎えられるようにと、レンガを積み上げ、新たに生きる場所、ステージを繰り返し創り上げてきた。
喜びの中で楽しく次の住む場所を造ることもあっただろうし、涙を流しながら、それでも、今、ここにいたら記憶の海の中で溺れてしまうからと、必死に造り上げたこともあったでしょう。
でも、いつだって、そのレンガを積み上げる自分の心には、明日、笑顔でいられる自分への願い、笑顔にさせたい周囲の人たちへの想いがあったように感じます。
おじいさんの過去を、叙情的に描きながらも、そこにはおじいさんとその周りの人たちの笑顔溢れる明日しか見えないような作品でした。

上記リンク先に書きましたが、初演時から、パイプをくわえた白木原さんの姿がとても印象的で、なんかお気に入りなのですが、今回はそのパイプのエピソードも描かれています。
火をつけず、くわえるだけで、すぐにポケットにしまったりする仕草。これに意味があったようです。あのパイプには、おじいさんにとって大切な人からの優しい想いが込められていて、同時に大切な人への男として父としての覚悟ある想いがあったみたいです。
なんか素敵だなあとずっと感じていたのは、そんなものに込められていた想いが滲んで見えていたのかもしれません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年9月 8日 (木)

モンタージュ はじまりの記憶 土×村【Contondo】160907

2016年09月07日 会ふ afu (85分)

1ヶ月にわたり、3会場、7人の女優さんの様々な組み合わせで二人芝居が行われる企画公演。
今回、拝見したのは、上記会場で、土江優里さん(Contondo)と村田千晶さん(劇団センマイる)の組み合わせ。
会場は、心斎橋の繁華街の中にある雑居ビルの屋上にある店。綺麗だとはとても言えないビルの入り口から階段を上って、屋上に出ると、ひょっこりと不思議な空間が現れる。どこかという場所をイメージさせ、この空間の中で、いつに、どこに連れて行かれても、そのまま境界線無く、引き込まれてしまうような感じか。
役者さんのお二人は、これまでもよく拝見してきた、私の中では相当な実力派女優。ド素人が演技力うんぬんを語るのはおこがましいことだろうが、役の空気を創られる力はかなりのものなのではないかと思っている。おまけに、ちょっと弾けて飄々とした面白さを醸すことが出来るのも、また魅力的なところか。
これまで観てきた役の影響が多々あると思うが、お二人のイメージ。
土江さんは優しく温かみある印象。母性的な空気が漂い、少し年配の口うるさいおばちゃんのような雰囲気で包み込むような感じ。
村田さんは、見た目の茶目っ気ある可愛らしさに反して、奥に揺らがない芯が感じられ、それ故に不器用な生き方を強いられ、薄幸へと自分を追い込むような感じ。
不思議とこの作品は、そんな抱くイメージにぴったりはまる役だったように感じます。

追いかけ、追われ。想われ、想い。時の移ろいの中で、ずっと互いに惹きつけ合い、繋がり合っていた二人の友情。
一人では耐えきれなかった、逃げ出すしかなかった数々の悲しい思い出も、そんな二人の友情をたぐる記憶への旅で、断片化された記憶を再構築することで、大切な生きる証となって浮き上がってくる。
そんな重なり合うことで自身の生は年月と共に積み上げられてきており、その積み上げられる積み木のピース一つ一つは、その時、その場所で出会った数々の人たちと通じ合わせた想いの塊だったように感じます。
だから、そのピース一つ一つには、様々な喜びや、時には悲しみが詰まっていたとしても、どれも人生の中で尊き素敵な自分の記憶の欠片なのだと思えるような気がします。

<以下、あらすじがネタバレしますが、公演期間が今月いっぱいと長いので、白字にはしていませんので、ご注意願います。組み合わせ、会場の妙も楽しみの一つでしょう。私も、どこかで違う組み合わせでも、もう数回、楽しめればと思っています>

続きを読む "モンタージュ はじまりの記憶 土×村【Contondo】160907"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2016年9月 5日 (月)

みかんせいのくだもの【プラズマみかん】160904

2016年09月04日 SPACE9 (100分)

社会の中にはびこる女性にまつわる問題を、皮肉を交えて、じわじわと締め上げるように突きつけてくるような作品。
今を生きる女性たち。変わりゆく社会の中で、様々な問題が彼女たちに降りかかる。
もちろん、その親の世代の女性たちもかつて、そんな変化の時代を同じように過ごしてきた。その結果、生身の肉体を機械に変えるように、身体を軋ませて生きる中、今、その動きを止めようとする時代に入った。
急速な変化にもてあそばれるかのように必死に生きてきた女性像。
今、女性はその変化に向き合い、己の生身の肉体のままで生きようとする。でも、それを良しとしない社会。
社会は変わるが、女性が変わることは、阻止しようとしているかのごとく。
ずっと、このままなのか。いつまで経っても、女性にまつわる問題は曖昧に、焦点をぼかされて伝えられ、同じことが世代を超えて繰り返されていくのか。
そこに一石投じる。それが演劇なら出来る。
そんな感じの作品か。

続きを読む "みかんせいのくだもの【プラズマみかん】160904"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年9月 4日 (日)

真夏 no 夜 no 夢!【いるかHOTEL】160903

2016年09月03日 ピッコロシアター 大ホール (125分)

これまで結構な数の演劇作品を観劇してきたものの、この有名なシェイクスピア作品はまだ観たことがなかった。
話の内容も実は知らない。知っているのは、ガラスの仮面で北島マヤが、人とは思えない動きを魅せる妖精パックを演じたみたいなことを漫画で読んだだけ。
これではいけないとずっと思っており、ようやくその機会を得る。
観終えた今、これで良かったのかと少々不安を覚える。
観劇を趣味にしていますと誰かに言って、シェイクスピアの夏の夜の夢ってどう?と聞かれた時。私は、今回の観劇をベースに、半ば興奮気味に、めちゃくちゃ面白いよ、これは絶対、観ておかないとダメですねと答えていいものなのだろうかと。
元々こんなに面白い作品なのか、この劇団の手に掛かり、関西弁のノリやボケとツッコミのリズム、女優さん方の個性ある弾けた魅力でパワーアップしたのかが分からない。
君主と女王はあんなに好感度が高い仲睦まじい姿を見せるのか、あの可愛らしい召使いのキャラは存在するのか。イジーアスはあんなに横暴な古臭い考えを平然と主張するのか。ハーミアの美しさは変わらないだろうが、あんなに急にキレたりする不安定キャラなのか、ライサンダーはちょっとチャラチャラした感じなのだろうか、ディミートリアスは貫録あるオーラを醸しながらもどこか三枚目の空気を漂わすのか、ヘレナはあんなに卑屈になり、純粋な愛を見せる姿と攻撃的な姿の裏表の激しいキャラなのか。
妖精の王はちょっとせせこましさを見せる貫禄あるのに可愛らしい感じなのか、妖精の女王はガツガツ肉食系の姿を見せるのか、妖精パックはちょっと悪意ある悪さをするような大人びた感じなのか。森の妖精たちも、女性の美しさと、少女の可愛らしさを巧く醸すような構成でチーム化されているのか。
アテネの職人たちは、そこらのお笑いグループに負けないぐらいの、計算された笑いを生み出すコミカル集団なのか。
今回、拝見したものを基準とするので、次に観た時は、これと異なると違和感を覚えるだろうし、これを越えてこないときっと面白いと感じない。
ずいぶんと高いハードルを作ってしまったかのように思う。

<以下、あらすじだけしか記していません。ネタバレですが、有名過ぎる作品なので、白字にはしていません。一応、ご注意願います。公演は、本日、日曜日まで>

続きを読む "真夏 no 夜 no 夢!【いるかHOTEL】160903"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

水いらずの星【壁ノ花団】060903

2016年09月03日 アイホール (70分)

不幸を背負う、悲しい二人が、互いに自暴自棄の状況から、二人だけで少しだけ幸せを見つけてみようかとしているような、哀しいけれどほんのりと温かく甘い匂いがするような。
吸い込まれてしまいそうな、二人だけの空間を創り出す舞台上のお二人。
そこには不幸への憎しみがあり、自身の人生への否定がぶつけようのない怒りとなって露わになる。でも、同時に、こんな人生で出会い、一時でも夫婦として生活した日々への愛おしさ、そのことだけでも、自身の人生を肯定してみたいという心情も見え隠れする。
そんな哀しい愛。でも、それがとても尊く温かく感じられ、二人の幸せな未来を願いたくなる。今度こそ幸せになって欲しい。人の幸せを自然に願いたくなる気持ちが溢れるその感覚が、この作品の薄幸の中に、どこか充足した気持ちを引き起こしているように感じる。

<以下、あらすじがネタバレしますが、再演でネットに既に詳しく載っていたりするので、白字にはしていません。ご注意願います。公演は本日、日曜日まで>

続きを読む "水いらずの星【壁ノ花団】060903"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 3日 (土)

カラカラ【コンブリ団】160902

2016年09月02日 ウィングフィールド (40分、休憩10分、アフターイベント40分)

阪神大震災直後に描かれたらしい作品。
そこには、壊されてしまって粉々になってしまったものたちや、分かつことになり距離感や温度差を生み出す人間の姿が映し出されている。
脆く、消えてしまいそうな周囲から露わになる明日への不安。
でも、それを包み込むかのような人の優しい想いが見え隠れするような空気を感じる作品でした。

<以下、あらすじがネタバレしますが、戯曲集も販売されていますし、すじを知ったからといって、どうかなる作品とも思えないので、白字にはしていませんのでご注意願います。公演は大阪は日曜日まで。その後、三重公演へと続きます>

続きを読む "カラカラ【コンブリ団】160902"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »