2016年09月14日 common cafe (85分)
3回目の観劇。
(2回目の感想:http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-7.html)
今回は、会場も、役者さんも総入れ替え。
会場は上記、役者さんは木村美憂さん(ピッコロ劇団)と浦長瀬舞さん(劇団冷凍うさぎ)となる。
全く違うので、逆に、そこに風景が変わっても、変わらぬものが浮かび上がって、作品の本質を掴むみたいな、何かちょっとかっこいい観方が出来るんじゃないかなんて思って足を運んだが、そんな感性の鋭さは自分には無かったみたいで。
やっぱり、全然違うなというのが感想。
まず、会場の空気が明らかに違う。
会ふも、こちらも、屋上と地下の違いはあれど、どこか外界の日常とは切り離されたような、非日常空間の中に入り込むような感覚は変わらない。
会ふはその隔離感が強く、今、自分がいる世界とはどこか違う空間に迷い込んでしまったかのような、ノスタルジックな空気を感じさせる。時間も止まってしまったかのような感覚を得る。
一方、こちらは、外界との繋がりが完全には断ち切れない感じで、日常の延長のどこかに、非日常の空間を見つけたような、迷い込んだとかではなく、今の自分を振り返るためにそこを選んだ、もしくは出会うべくして出会ったような感覚を得る。時間もここはここでの流れがあるような感覚となる。
積み木を砂時計にしている。本がたくさんある背景。
変わったところは様々あるが、会場を変えての大きな変化はこのあたりか。
砂時計はそのまま時間の概念を意識するし、本は一瞬を切り取る写真と違って、ある時間を紡ぐ時間の幅を感じる。
これまでの記憶の断片がモンタージュされて重ね合わせられる風景と同時に、その時間の流れが、一つの人生を刻む時間として収束しているような姿も何となく感じられる。
視点の軸が増えたといった感じだろうか。
一枚の写真。そこに見える風景や人。その時の人の心。今の自分との変化。今とは変わってるだろう風景。その前後の時間に浮かび上がる風景、出会った人。
一枚の写真から、引き出される様々な情報は一冊の本になる。記憶の断片はそうして、一つ一つの中身を膨らませ、それが積み重なり、自分の人生を構築する。そして、その断片は今こうしている中でも、振り返ることで膨張し、自分の人生を未だ創り続けている。
ユミと女性がいる部屋は、二人の生きている空間そのもので、そこにある様々なものが記憶の断片であり、それを掘り起こして、部屋を埋め尽くしていくことで豊かな生き様を導こうとしているように感じる。
これまでの感想の書き方に準じれば、浦長瀬さんのイメージは、見た目のおとなしさや清楚さの中で、けっこう熱情的な感情を滲ませ、いつの間にか溢れさせてしまうような、熱血派女優といった感じだろうか。
そんな感じがユミにも出ていたような気がする。
ユミは、人生の悲しみや辛さだけを見てしまい、それを消し去りたいと考えているみたい。その悲しみや辛さの断片それだけを見れば、当たり前の感情であるが、そこにある繋がりを見出せば、それは自分の生きる中での大切な思い出となる。
片意地ばかり張って、ずっとそんな悲しみや辛さを受け止められず、抑え込んでかわすように生きていたのか。歳を経て、そんな断片が思い出となって一挙に襲って来て、目を背けるしか出来なくなっているかのよう。でも、大丈夫。そんなことも含めて、あなたの人生は色々な素敵な想いに包まれているのだからと導いてくれる女性の存在を再認識した時に、ユミの心が開いたような感じだ。
初回に拝見した村田さんは、この悲しみや辛さを、ただひたすら傷つきながら耐えて、どうしようもなく我慢できなくなったユミを女性が包み込むみたいな感じ。幼き少女が、優しい母に抱き締められるような感じか。
寺井さんは、知的な正当化で悲しみや辛さが襲ってきていない振りをしているが、もう抑え切れなくなって攻撃を受けて傷ついてどうしようもなくなったユミを女性が私はいつでも味方だと言っている感じ。孤独な戦いの中にいた女性が、いつも傍にいる大切な親友、仲間の存在を知った安堵から凍った心を溶かすみたいな感じか。
浦長瀬さんは、襲ってくる悲しみや辛さを、気の強さか、いつでもぶつかり合って戦うといった攻撃をちらつかせて牽制している感じ。でも、そんなに強い子じゃない。意地は張るけど、張りすぎて、弱い感情が外に漏れ出てしまっている。分かりやすい子と言ったところか。いつでも、一人で戦うことにビクビクして、傷ついた心や体を癒してくれる人を求めている。そんなユミの性格を良く理解している女性が、彼女のはったりとも思える悲しみや辛さとぶつかるといった気持ちを否定せず、いつでも助けるし、戦ってもあげるよと、彼女と一心同体であることを伝えて、ユミは自分らしく生きることに歓喜しているよう。
女性とユミの関係性は、これまでの母娘、親友みたいなイメージから、姉妹、もしくは親戚のおばちゃんと姪っ子かなあみたいに最初は感じていたが、結局、固定することが出来なかった。強がり言って生意気なユミの弱さを知り、それをそのまま受け止めてあげられる女性の存在は、母や友とも違うし、姉とかおばちゃんとかもどうもしっくりこない。
ただ、よく考えれば、関係性が固定されないのは当たり前で、最初と最後で、ユミが、自分を開いて、女性に飛び込むようになり、同時に女性もそんなユミを抱き締めるように変化するのだから、変わって見えるのが当たり前かもしれない。
また、木村さんの役変化が、全く前を引きずらないのか、ユミの友達、母、恋人と、全く違う人のように様々に変化するところが大きいように感じる。
木村さんを、どこで拝見したのかが分からない。顔は確かに拝見したことがあるように思い、何か豪快で飄々とした面白さを醸す方だったような気がするのだが。
今回は上記したように、役の切り替えが凄い。ユミの変化に巧みに合わせて、切り替えてキャラを作っているような印象も受ける。一貫して感じるのは、どっしりと揺らがない芯ある強さ、そこに潜む優しさだろうか。
3回拝見して、それぞれ役者さんが異なるので、感想がちょっと書きづらくなってきた。
褒めても、じゃあ、違う回はそうじゃなかったのかとかになってしまうし。
そのあたりは、各々に魅力があり、それを各回、自分なりに楽しませていただいたということを大前提として、今回の感想を記すなら、お二人が非常にキュートで、各エピソードでの切り替わりが絶妙であったように感じる。
そのことで、ユミ自身、二人の関係がより明確に浮かび上がるようになったような、逆に複雑化して難解になったような。
この前半戦を終えて、後半は、これまでの公演写真が貼られた風景での公演になるらしい。
さらに、視点の軸は増えて、また違う空気の中での観劇となり、感じることも変わり、その核で膨らむ何かが見えるのかもしれない。
ただ、仕事と他公演の観劇日程の都合上、私は恐らく全く観ることが出来ない。
なので、今回が最後のモンタージュ。
記憶に残る素敵な作品と出会えたことへの感謝と、後半戦が、この作品の魅力をさらに突き詰められた公演となることを祈る。