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2016年7月26日 (火)

十二人の怒れる女たち【HPF高校演劇祭 大谷高等学校】160726

2016年07月26日 吹田メイシアター (90分)

感じとしては、これまで何回か拝見した、親の顔が見たいという作品のように、密室で、およそ相容れられなさそうな個性豊かな登場人物の、様々な意見が飛び交う中で、一つの真実に収束していくような姿を描いているみたい。

ある殺人事件の被告は有罪か無罪か。
与えられた証言と状況証拠から、その真実に迫る推理サスペンスのような話の展開に、観る者の心を惹きつけながら、個性あるキャラ設定をじわじわと印象付けていかないといけない。
場面転換が無いので、会話の掛け合いのテンポいい流れも重要。
被告の死刑がかかっている深刻な設定。堅苦しすぎても、息が詰まって退屈になってしまうだろうし、調子に乗って、笑いばかりを誘うコミカルを前面に押し出されても、真剣味が薄れてしまう。
この全体的なバランスを調整するのは、非常に難しそうだが、巧妙に創り上げているように感じられ、さすがの出来だと思う。
役者さんにとっては、きっと、独自のキャラを生み出す腕前を魅せるには、最高の作品であり、それをきちんと成し遂げているように感じる。

キャラが立ち過ぎなくらいだが、皆、現実に出会ってきた人を思わせるような設定になっており、自分も含めて、こうした人たちが集まって、人を裁くという陪審員制度における問題点が浮き上がる。
同時に、その議論の中で、自分たちの考えや経験がぶつかり合うことで、偏見や執着する考え、流されてしまいがちな人の意見に、何らかの制御がかかり、真実へと導かれることも示唆しているようだ。
こうした裁判だけに関わらず、疑問を口にして、様々な意見をもって検証することの重要性が感じられる。
自分の抱く真理は、絶対的なものでは無い。人の考えを受け入れることで、その真理の中にある囚われてしまっている部分の考えを見出すことが出来る。
それも見詰めた上で、なお、自分の心に刻み込まれている考え。それが自分の本当の主義、真理であり、それは流されることなく主張し、ぶつかり合えばいいようなことを感じる。

少年が母親をナイフで刺して殺害した事件。
その審議を12人の陪審員たちが行う。
有罪評決の場合、少年は死刑となり電気椅子に送られる。
それだけに、評決は全員一致が原則となる。
少年が9歳の時に父親が死亡。母親も刑務所に入っていた時があり、今は一緒に暮らしているがDVの疑いがある。それだけに、少年は母親に反抗的な態度をとっており、動機は十分ある。
階下の老人が部屋の中で少年の殺してやるという声を聞き、その後、部屋を出た時にアパートから逃げていく少年の姿を目撃した。
向かいのおばさんが寝返りをうった時に、部屋の中で少年と母親が争い、刺している姿を目撃した。
凶器に使用されたナイフは店で買われたもので、店主も少年へ販売したことを証言している。珍しいもので、なかなか入手できるものでは無い。
少年は母親が殺害されている時間、外出し、映画を見たと証言しているが、その内容をしっかりと覚えておらず、アリバイとして認められない。
そんな証言や状況証拠から、少年の有罪はほぼ確定であり、審議はすぐに終わると思われていた。
しかし、一人だけ、陪審員の八号が無罪を主張する。無罪の確たる証拠があるわけではない。しかし、有罪とするには不十分過ぎる証言や状況証拠であり、人ひとりの命をそんなにたやすく奪うことは出来ないという考え。

八号は、自分の考える推理や証言の矛盾点を理路整然と主張していく。
最初は、早く審議を終わらせたい、あんな悪い奴なんだから人を殺したに決まっている、よくは分からないがあれだけ皆が言うのだから殺したのだろうみたいな、自己中心的、偏見、無関心な考えに囚われていた皆は徐々に考えを変えていく。
そして、いつしか、自分の経験や考えを基に、八号の推理や証言の矛盾点を証明するような言動に至る。
現場は鉄道が走るうるさい場所。殺してやるなんて言葉が明確に聞き取れるのか。聞き取れたとしても、殺してやるという言葉は日常でも感極まった時に出てくる言葉であり、殺害に結びつけるにはあまりにも単純すぎる。
アパートの見取り図から、少年の声を聞いた老人が、部屋を出て少年の姿を見るにはかなりの時間がかかり無理ではないか。
老人は独居できっと寂しい思いで日々を過ごしている。そんな老人に、この事件をきっかけにスポットライトが当たれば、必要以上に言葉を発してしまう可能性は無いだろうか。同じ老人である陪審員はその気持ちが分かると言う。
向かいのおばさんは眼鏡をかけている。証言台で鼻にその跡があったことを、同じ眼鏡をして、鼻に残る跡がかゆくなっていつも悩まされる陪審員はしっかりと見ていた。寝ていたおばさん。当然、眼鏡はしていなかったので、部屋の様子を明確に見ることは出来なかったのではないか。
凶器のナイフは実は誰でも買える。八号が実際に購入している。
治安の悪いところで生活する陪審員の少女はナイフの使い方をよく知っている。少年の身長やナイフ使いの慣れ具合を考慮すれば、人を刺した時にあの傷跡にはならない。
映画を観に行く。でも、その後、少年は戻って来て、そこで逮捕されている。こんな行動は不自然ではないか。それに、そんな状況になれば、焦りから記憶がしどろもどろになることはあり得ると考える。犯行現場に目がいき過ぎて、少年の全体的な行動を見る視点を失っていた陪審員たちは、少し変わった観方をする陪審員の言葉に耳を傾ける。
最終的に、裁判で言及された証言や状況証拠は、全て有罪に結びつくものでは無いと、誰もが判断し、自分が囚われていた考えを変えて、無罪の評決をする。

結局、無罪というかは、有罪では無いというところに落ち着き、すっきりはしない。
有罪は立証が必要だが、無罪は必要ではなく、有罪の否定だけで生み出される。
裁判の基本的な原理なのだろうが、一般的にはどうも受け入れ難いところがあるようにも感じる。
冤罪を防いだようにも見えるが、実は犯罪人を、世に再び放ったという、とんでもない冤罪を生み出してしまった可能性も残る。
それでも、人を裁く、審理するという時に、必要な考えが込められているようだ。
基本的には性善説なのかな。
偏見や、自分の主義や思想からの悪意的な人への視点は封じて考え、そして、皆の考えを受け止めながら議論しないといけないのだろう。

陪審員たちは、個性があり、各々の生まれやこれまでの経験などによる考えを持っている。だから、こうした事件を見る視点はそれぞれ異なっている。真逆なぐらいに異なっていたりもするし、微妙にどこかでオーバーラップしているような感覚もある。
それが議論することで、どこかに収束していく姿を導き出しているようだ。
人の意見を聞くことで、自分の考えに客観性が生まれ、単に囚われているのではなく、明確な主義となるようだ。ただ、自分はこう考える、こうに決まっているとキーキー言っているのは、主義では無いのだろう。
話し合いの場で、皆が初めに抱いていた考えの中のこうした主義でないところが削がれ、いつの間にか、本当に自分の中でポリシーを持って思っていること、考えていることがぶつかり合えるようになっていったように感じる。
陪審員たちは、最初、みんなツケ鼻みたいなものをして登場し、話し合いと共に、それを外し、終わるとまたそれをつけて出て行く。
アメリカ映画が原作らしく、最初は外人イメージみたいなものかと思っていたが、色々な自分を覆うものを外して、議論しないと何も導き出されないようなことをイメージ付けているのだろうか。

何となく怖いというか、本当に人を裁くなど出来るのかなと不安を感じるのは、徐々に陪審員たちは自分の考えを変えていくのだが、初めの考えが、実に端的な一視点だけで導き出した考えだったように思えること。
おじいさんの証言のみ、向かいのおばさんの証言のみ、あいつは悪いからという偏見といった偏りが見られる。
おじいさんの証言が偽りかもとなれば、誰かが変わる。おばさんの眼鏡のことが明らかになれば、また誰かが変わる。
そこに、あまり総合的な視点で、自分の考えを導き出していたということを感じない。
自分が正しいと信じ込んでいる考えも、実は、人生のある経験からだけで抱くようになったものかもしれず、それに囚われて、様々なことに対応することの無能さを思う。
人と話すことで、その人の経験から導き出されている考えを受け止めて、咀嚼し、自分の抱いている考えを見詰め直す。
何かを結論付ける時には、そんな時間が必要なのかなと感じる。

12人の陪審員たちは、非常に個性ある、でも、どこか自分の人生の中で出会った人たちと置き換えられるような現実味のある人たちだった。
自分とは考えが異なっていたり、もしかしたら嫌悪を抱くようなキャラを演じられた方もいらしゃるのかもしれない。でも、そのキャラ設定をじわじわ明確にしながら、この議論をベースにした推理サスペンスのような話の展開にも、心を掴んで離さないようにする。もちろん、ずっと深刻だったら息が詰まるので、少しコミカルも交えて。
このバランスの巧さは、さすがだなと思う。
ただ、一点、観終えても、はっきりと分からないところがある。
どうして、みんな女子なのだろう。もちろん、女子校だからなのだろうが、これだけキャラを動かせる役者さんが揃っているなら、男役だって余裕でこなせるはず。
原作も男だけのようだが、これは何となく時代背景からも、女性蔑視とか、何かを決めるのは男みたいな風潮があったのかなとも思う。
今の新しい時代は、女性が未来を創っていくみたいなところがあるのなら、そこをあまり感じさせるようなところはなかったような感が強い。もしかしたら、守衛のあまり役に立たない男の存在がそんなことを示唆していたのだろうか。
原作は被告の少年は父を殺す。こちらは、母を殺している。同じ親殺しだが、私には、けっこう大きな違いがあるように思う。
自らを生み出した存在を消すなんて行為は、相当、怖ろしい。その母となり得る存在である女性が集まっている中で、ある陪審員においてはあるのはあるのだが、その母というものが、それほど強く感じさせられなかったところは、何となくもったいないような気がしている。

観ながら、自分の中に印象づいた12人の陪審員像を簡単に記す。
一号:宇佐美朋花さん。
それほどリーダーシップが取れている訳ではない。賢そうというか、まともそうだから陪審員長みたいな感じ。すぐにひがみ、逃げ出しそうになるが、持ち上げるとすぐに機嫌よくやる気を戻す。
本来は一人で没頭して研究するのが好きで、あまりチームワークは苦手な理系の研究者みたいなイメージかな。この書き方は語弊があるが、私自身がそういう研究に携わる人なので親近感を得たと捉えていただければ。

二号:高見美宇さん。
怪しい挙動。このキャラは何だろうか。神経質なのだろうが、それ以上に宇宙人みたいな感覚。あの手は、何と通信しているのか。謎である。

三号:吉田莉子さん。
ガラ悪く、常に苛立っている。息子に裏切られたように思っているみたいで、そこからの生活の疲れが見える。愛情を注いでいなかったわけでは無いのだろう。ただ、その与え方と受け取り方にズレがあったのかも。癒されることがなく、そのうちに何でも悪意的な見方をしているように感じられる。
今回の事件は、息子が母を殺すというもの。出て行かれただけの自分よりも酷く、辛い立場の人間を完全否定することで、自分自身を肯定しようとしているような感じ。そのためか、最後まで有罪の立場を崩さない。

四号:三井玲奈さん。
自分に酔った感じのマダム風。どこか上から目線で、揉める議論を高見の見物しているような感じ。自分は決して傷つかない、守られた立場ということから得られる余裕や安心感か。

五号:藤田那優子さん。
一人で強く生きる芯を持った少女。机上の学だけが人を成長させるのではない。生きる中で経験する全てが、出会う様々なことに活かすことが出来るということを証明する。

六号:岸本舞鈴さん。
几帳面で正確さを常に求める。遊びがない堅苦しさ。おばあちゃんに思いやりのある行動を取るが、それは優しさよりも、彼女の中にある、お年寄りには優しくという凝り固まった正義の固定概念からきているよう。でも、決して悪い人ではない。

七号:森野和さん。
自分中心。話題もすぐに自分のことになる。真剣な話をすると、すぐに冗談や適当な話へとシフトしようとする。そうすることで自分を守っているのか。いわゆる頭の悪さが見え隠れして、まともに議論できるように思えない人。物事を建設していくことは、めんどくさいししんどいからと逃げ、すぐに出来て、自分の存在を見出せる破壊しか出来ない。

八号:石黒陽菜さん。
信念を持って、理路整然と正義を貫く。
最終的に有罪を無罪にする。いわば勝者である。
しかし、それは決して正しいことだとは思えない。もしかしたら、誤ったことをしたのかもしれないようにも感じる。
彼女は自分の正義のポリシーを満たされた。満たされたのが正義だから彼女は素晴らしい、正しいと崇められる。本当にそれをただ手放しで賞賛していいのだろうか。この戦いで消えていった様々な個々のポリシーは間違いだったとしてしまっていいのだろうか。
これを単純に正義の勝利とせずに、もしかしたら正義なっていたかもしれない考えや思想が、どうして消えていったのか、そして、それはこの先も消し封じてしまっていいのかにも思いを馳せないといけないように感じる。
この作品のラストが、あまり爽快に感じられない。それは、この女性が、この勝利によって、最初にあった真実を追求して、少年に本当の処遇を与えたいという純粋な正義が、数々のものに打ち勝った、悪を倒して勝ち得た正義みたいになっている感じを醸すところかも。

九号:我妻万有さん。
年配で、人の心を知ろうとして、さらに受け止める態勢も持っている。いわゆる寄り添える人。性善説で人を見れるような感じか。

十号:中谷美月さん。
わがままで、自分が一番偉い、正しい、そうなるようにしっかりと生きてきた自負があるのか、自分の思想や筋道と外れたものは、全て否定となる。
一昔前の親父や、今でいう老害みたいな感じだろうか。偽の誇りはいずれ崩される。その時、辛い思いをするのは自分だ。拒絶からの孤独に苛まれる姿を最後に見せる。偏見を崩すのは難しい。

十一号:吉田愛さん。
海外からの人。考えが日本風じゃない。だからこその、皆が目に付けられない独自の視点を持つ。新しい概念は拒絶の対象として容易。でも、そこに皆を冷静にして、各々の考えを見詰め直すきっかっけを与える。

十二号:中筋陽菜さん。
それなりの経験、得る情報を基に、自分の正しさを主張。仕事柄だろうか、情報にたぶらかされて、偽りの自信の中で生きているかのよう。仮面を剥されることを恐れて、空虚な情報や経験で自分を覆って守り、それからは目を背けて、自分は強いと思い込んでいるような感じ。

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