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2016年7月18日 (月)

一家団欒【魚クラブ】160718

2016年07月18日 ウィングフィールド (95分)

両親を殺した息子が、その両親の墓にやって来る。墓参りとかではなく、長い人生の時を全うして、その墓の中の一員となる。
再会した家族。
でも、生前、本当に家族だったら、そんな悲劇的な事件は起こらなかっただろう。何がおかしかったのか、間違っていたのかを、現実には無理だから、こんな虚構の設定で考えてみる。
そこには、ごく普通と言われている家族の中にも生み出されそうな歪みが存在しているかのよう。それから目を背けずに、自分は関係ないと放り出さずに、しっかりと受け止めて見詰めてみる。
その先に、自分たちが願う家族の形、一家団欒の姿が生み出される。
そんなことを検証しながら、その中で感じたことを、実生活の家族との触れ合いに活かしてみようとしているような作品か。
不可思議な、少しコミカルな設定も盛り込んで、欝々とならぬように、でも、本当に真剣に家族を考えることが出来るような時間だったように思う。

二つの目、耳。なぜなのかは分からないが鼻の穴は一つ。普通の人間の姿形をし、痛みもあれど、残像のような、成れの果て。
46歳で亡くなり、52年の年月を墓の中で過ごす夫婦。外からは今年も祭りの笛の音が聞こえてくる。
鬱蒼とした森の中から、何者かの足音や鳴き声が聞こえてくる。犬だろうか。いや、あれは息子のアキラだ。
別れた時は20歳。72歳で人生を全うしたらしい。最期は胃癌だったのだとか。胃の切除手術を受けた上に、遺体は大学病院に献体したため、臓器は無く、体はすっからかん。目も義眼だ。
生前のことを言及し謝罪しようとするアキラを遮り、父母は久しぶりの再会を喜ぼうとする。アキラは兄のタカシのことを尋ねる。
タカシはこの墓にやって来ていない。10年前から、すぐ傍の池でずっと釣りをしている。定期的に訪ねるのだが、何も覚えていない。父母はそう答える。
アキラは、兄は最初に面会で会ったきりだと言う。その時、お前みたいな奴は死ねと罵られ、その形相は気がふれた狂人かのようだった。
そんな昔の話は辞めようと言う父母にアキラは答える。
こんな姿になっても、義眼の目に映る風景は、今でも、金属バットで頭をかち割られて、血みどろになっている父母の姿なのだと。父母はこれは試練なのだと、アキラをなだめる。
そんな中、隣のノビ夫婦がやって来る。
このあたりが臭くなっている。それが、このノビ夫婦の墓が原因なのだとか。
パパ大好物の供え物の桃。それをドラエモンが腐らせているらしい。
ノビタがドラエモンとその子分である小ドラ4人を連れてやって来る。ドラエモンたちの手にする水鉄砲が、物を腐敗させるみたいだ。桃に狙いを定め、怪しげな呪文を唱えながら、桃を消滅させるかのように踏み潰す。ひととおり、暴れてノビタたちは去って行く。ノビ夫婦もアキラにノビタの友達になってと言って、自分の墓に戻って行く。
アキラは、タカシに会うと外へ出る。

ノビの墓。
桃を食べるパパ、ママ、ノビタ。ドラエモンは闇の中でおとなしく座っている。
パパが通帳の話を切り出す。お金を勝手に引き出された形跡がある。パパとママは遠慮がちにノビタに確かめる。
ノビタは自分がお金を勝手におろし、ゲームセンターに入りびたり、ポルノ映画を観たと言う。別にそれなら構わないのだと、ノビタを気遣うように話をうやむやにしようとするパパとママ。
ノビタが続ける。予備校の通知。それを見たかとパパとママに尋ねる。パパとママは曖昧に知らないと答える。そんなはずがない。見ているはずだ。最下位の成績であることを知っているはず。さらには、ずっと予備校をズル休みしていることも知っているはずだと。
パパとママは、それでも曖昧にして、場をおさめようとする。
ノビタがさらに続ける。パパが隣町にアパートを黙って借りている。そのことをママも知っているはず。知った時に泣いていた。でも、何も問題にせず、互いに知らないフリ。
パパを責めるママ。ノビタはママが自分を寂しいからと誘惑してきたことを語り出す。
パパは、何も無かったと叫び出す。全てから目を逸らし、偽りと嘘で塗り固めた家族の虚像を創り出すつもりのようだ。
今日は、ただ、みんなでパパ大好物の桃を仲良く食べていただけ。一家団欒の嘘。

アキラが池に向かうと、タカシは釣りをしていた。
アキラのことは全く覚えていない。
ここで10年も釣りをしている、ただのバカ、もしかしたら狂人かもしれないと自分のことを語る。
ここでは魚を釣っているのではなく、アイデンティティーを釣り上げようとしているのだとか。
アキラは、タカシに自分を殴って、あの時の怒りを思い出してくれと言う。しかし、そんなことをして思い出すことは、そもそも破棄してしまえばいいようなことなのではとタカシは納得しない。
アキラは、それなら自分が池に潜って、タカシのアイデンティティーを探してくると、池に入って行く。
しゃれこうべが見つかる。それはタカシのものだった。
タカシは思い出す。アキラの起こした事件のせいで、人生を踏み外したことを。妻と娘とこの池に入水して、一家心中したことを。
タカシは、池の底で、永遠にアキラを恨み続けると言って、池に入って行く。そこで、家族と一緒に過ごすつもりだ。

ノビタは酒を煽り、どうしようもなく自堕落な時間を過ごす。
そんなノビタにドラエモンは、夢ばかり食べてきたから、ずっと子供のまま。成長することなく、これからの時間を過ごすことになると言葉を投げ掛ける。もう、昔のドラエモンでは無くなっていた。
震える手でノビタは掴むものを探す。ドラエモンはノビタに金属バットを渡す。
現れたパパ。泥酔するノビタを見て、見て見ぬふりをする。
ドラエモンたちは、パパを金属バットで襲う。

池から戻って来たアキラは、父母に自分を金属バットで殴ってくれと懇願する。
父はそんなことは出来ないと拒否して、逃げ惑うが、母は、そのバットを握る。
アキラにしてあげられること。あの時、何もしてあげられなかった私たちの罪。
アキラは、どうして自分がここにいるのかが分からないと言っている。それは、私たちがまだ家族になっていないからだと。
母が覚悟を決めた時、ノビ夫婦が飛び込んでくる。
ドラエモンが暴走した。外は、ものを腐らせる水が散布され、その雨が降っている。
外に出てはいけない。
ノビタは腐ってしまった。そして、自分たちもすぐに腐るみたいだ。ようやく、これで新しい家族となれるのかもしれない。そう言って、ノビ夫婦は消滅する。
それを見て、母は決意する。みんなで外に出よう。このノビ夫婦とノビタの姿は、私たちが目指さないといけない姿なのではないか。
外に出て、みんなで腐って溶けてしまおう。この汚い体を消滅させ、みんなで家族になろう。

アキラは、父母を背負って、外を歩く。
腐って行く体は、徐々に重くなり、歩くのも困難に。それでも、一歩一歩、歩みを進める。
森の先には祭りの音。
この道はいつか、家族で通った道だ。
そこで踊られていた火おんどり。死者を弔い、今の命を尊ぶ、その姿に畏怖を感じた。
気付くと、父は小さな部屋にいた。
大家さんと、たくさんの人が待ち構えている。
52年間も借りっぱなしだったあの部屋。
家族のために立派な家を建てた。家族のために懸命に働いた。そこで止まってしまった。
家族に黙って借りたあの部屋の孤独の中で、自分は家族の団欒の姿を描いていた。
自分の心の内には、いつも家がある。でも、その中にはずっと入れなかった。
自分だけでは無い。きっと、みんなが、自分と同じようにどこかに閉じこもってしまっていたから。
病んでいたのではない。ずっと、みんな飢えていた。
思い描く家族を築きたいと、でも、どうしていいのか分からず、不安と恐怖から、バットを振り回し、それでも、求め合い・・・

息子に殺された両親の墓に、人生を終えた息子がやって来る。
時も52年経ち、許し合い、分かち合いの心で、ようやく家族になれるのかと思えば、そんなことはない。
生前、家族になれていなかったから、起こった悲劇。
どうして家族になれなかったのか、どうして団欒の時を作り出すことが出来なかったのかをもう一度受け止めないと、永遠に家族ごっこは繰り返される。
現実には出来ないことだ。だから、こうした虚構の作品で考えてみる。それは、悲劇に陥ってしまった者を見詰めて慈しむことと同時に、自分たちが今、生きる中での家族のことを考える大切な題材になることを伝えているかのよう。それを単純に残虐な猟奇的事件だと、そんな犯人の気持ちも、家族のことも分からないと背けてしまえば、この家族と同じように、皆が繋がる団欒の時は生み出されないのだろう。

金属バット殺人事件を起こしたアキラ一家の過去と、隣の墓でのノビ家での出来事が同調するような感じで描かれている。
ドラエモンと言えば、21世紀の、いじめやら色々とありながらも、まあ平和な家族の象徴かとも思える。ドラエモンという、夢や希望を与えてくれ、快適な恵まれた生活を保障してくれるかのような家族の姿。
でも、それは、52年前の過去であろうと、今、21世紀の現在、未来であろうと、普遍的に陥る可能性のある家族を揺るがしてしまうような形で映し出される。
これは、時代を超えて、家族を考える時にいつでも問題となることなのかもしれない。
ちなみに、家族の象徴と言えば、本当は私の中ではサザエさんだ。サザエさんではきっとダメなのだろう。そこには、時代を超えてと言っても、あんな何世代もが同居して、複雑に交錯することが、逆にある安定を生み出すような世界では無くて、今の家族がだいたいそうであるような核家族と呼ばれる、密接な繋がりの上で成り立つような世界を描いてるのだと思う。だから、ちょっとしたことで、歪みが生じて、大きな悲劇を生み出してしまう。現代社会の盲点のような感じで、だからこそ、真剣に家族を見詰めて考えないといけないことを鋭く突いているように感じる。

家族になるのは、一緒の場所で時間を過ごしていればいいわけでは無く、それぞれの立場での役割を果たし、一緒に過ごす中で家族であっても生まれてしまう、不信や怒り、憎しみを消し去る努力をしなければいけないようにも感じる。
生まれてしまった不信や怒り、憎しみに怯え、そこから目を背け、無関心を装うことで、無かったことにする。でも、無くなってなど決していない。それは崩壊の核となり、大きくなり続ける。
家族だからこそ、そんな負の感情を互いにぶつけ合うことで昇華させてしまうこともきっと出来るように思う。
その先に、家族、そして、一家団欒が生み出されるように考える。

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コメント

SAISEI様

魚クラブも前から気になりつつまだ観れていません。好きなタイプの作品っぽいのですが。。

投稿: KAISEI | 2016年7月20日 (水) 01時21分

ご観劇くださいまして素敵なご感想ありがとうございましたm(__)m
とても詳しくお書き下さり私ですら、そうだったのか…と思わせて頂くドキっとする様な内容もあり
とても刺激的でした
本当に有難うございましたm(__)m

投稿: 中村ゆり | 2016年7月29日 (金) 14時16分

>KAISEIさん

私も、気になりつつも今回が初見。
けっこうアングラ色がある、独特の空気ですけどね。

投稿: SAISEI | 2016年8月 8日 (月) 11時49分

>中村ゆりさん

コメントありがとうございます。
Twitterの方でも、いただきまして。

また、舞台で拝見できるのを楽しみにしております。

投稿: SAISEI | 2016年8月 8日 (月) 11時50分

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