たゆたう【HPF高校演劇祭 堺西高等学校】160729
2016年07月29日 ウィングフィールド (65分)
人が持つ絶対的な、人を想える力が、必ず連鎖して繋がり合い、自分自身も、その周囲も、もっと言えばこの社会全体を幸せへと導くことが出来る。
辛さや悲しみは、この広い海へと、決して消えなくとも、流して薄め、たまに揺らぐ波と共に現れた時に想いを馳せながらも、希望を抱いて、今を前へと進んでいく。
そんな人間の持つ強い力と、そこから生み出される希望溢れる幸せな未来を、傷つき、悲しみを抱く若者が、自分たちの想いの繋がりを知ることで、それに打ち勝ち、希望の未来へと歩み出す、素敵な姿を感じさせる作品でした。
すごく好みの作品でした。
自分を否定してしまい、いつの間にか、その周囲の人も否定して、殻を作ってしまう。
でも、その否定は、人を想い、その力になってあげられない自分へのもどかしさや情けなさから生まれているようです。
人を想うから、そんな悩み苦しみが生まれてしまう。でも、それが人であり、人を求め、繋がり合いたいという純粋な気持ちなのだと思います。
そのことを分かち合って、自分たちのより良い未来を皆で考え、共に進んでいくことになる。
そんな人の優しい想いが、希望ある未来を生み出せることを信じる世界を、今、きっと様々なことで傷つき、悩み苦しみの中にいるのであろう若者が、素敵に描き出されています。
観たままの感想を記しておくと、やはり前半はぎごちなさが感じられます。
話の展開のテンポは心地よく、転換もスムーズで観やすい印象がありますが、どうもしっくりこないなあと。
後半、心情が積み重なると全く気にならなくなるだけに、序盤の惹きつけ方に何かしら巧い手法があるなら、もっと心惹かれて感動を生み出すのではないでしょうか。
気になるのは、前半は相手を見る眼差しがしっかりと向き合えていないように感じました。キャラの把握、話の設定の理解にウェイトがあり、観る側の問題もあるのでしょうが、会話が、単なるセリフのやり取りといった前半から、心の通じ合いを感じさせる後半になっているようなところの一つの理由のように思っています。
まあ、こんなことは、一応、講評委員なので、素人ながらも少しでも技術的なことをと考えながら観ているので、残したメモをそのまま書いているだけです。的外れはご容赦願いたい。
本当のそのままの感想は感動しましたでいいのかと思います。
一番後ろの席で見ていたので、誰にも気付かれていないはずです。
最後の方で、少し泣いて、声が出そうになったのを咳でごまかしたことは。
海辺の砂浜。
おばあちゃんが、海は広いな大きいなを歌いながら、海を眺めている。
隣に座る若い男。1番しか知らなかったと、自分も口ずさみ始める。
おばあちゃんは、その若い男を見て、シンタロウという名前で呼ぶ。
ずっとお帰りを待っていました。あなたのことをお慕い続けていました。プロポーズの時に頂いた髪飾りは今も大切に持っています。あの時のままのお姿でお迎えに来て下さったのですね。もう、この世に未練はありません。どうぞ、一緒に天国にでも地獄にでもお連れください。そう言って、若い男を追いかける。若い男は何のことか分からず、逃げ惑う。
砂浜には、もう一つのグループ。
高校の演劇部。
ちょっと頼りなさそうな部長のがんちゃん。
真面目そうな副部長ののん。
おちゃらけて適当そうなモモ。
裏ボスと呼ばれる貫禄を持つとも。
男のがんちゃん、モモと、女ののん、ともの4人しかいないみたい。
今日は、五感を鍛えるとかいう稽古のために来たようだ。
互いに冗談を言い合ったり、おふざけをしたり。
がんちゃんとモモの、友達以上の関係が発覚。なんて、おふざけ。
部内恋愛は禁止だなんて、馬鹿正直に注意をする副部長。でも、もう少し部員が増えたら仕方ないことかも。それまでは公にしないようにと皆に釘をさす。
モモは微妙な表情をしている。だって、そんながんちゃんとの仲なんて、ノリで調子に乗ってしたこと。本当に好きな人は・・・
それを知るともはニヤニヤ。がんちゃんは、自分は当て馬だとバカバカしく思っている。
カルピスでも飲みたくなるような、青春の一風景。
そんなことより、文化祭だ。
華やかさの問題なのか、ダンス部とかにどうしても、負けてしまう演劇部。
限られた短い時間で良い公演をして、新入部員を勧誘しないといけない。
脚本はがんちゃん。でも、上手く進んでいない。
モモのコント脚本でいけばどうだろうかという意見は、副部長が反対。がんちゃんのしっかりした脚本で、本当に演劇をしたい人に来てもらいたいから。
そうこうしているうちに、モモはバイトの時間。ともは親の機嫌を損ねるといけないので帰る時間だ。
残ったのんとがんちゃん。
がんちゃんは脚本に自信が無いようだが、のんはいい作品になると信じているようだ。
海を舞台にしている。
私はこの広い海が大好き。でも、がんちゃんは、海が嫌いなように、脚本を読んでいて感じたらしい。
海は広いし、怖いなと感じるところはあるかも。がんちゃんは、そう言って、答えを濁す。
それよりも、さっきからちょっと気になることがある。
向こうの方で、ずっと砂浜にいる人。のんは、向こうでずっとキスをしているカップルを見つけて、顔を赤らめている。そうでは無い。それとは別の、さっきからウロウロしているおばあちゃん。
今日は帰ろうと、二人は砂浜を立ち去る。
若い男が、おばあちゃんに追いつかれる。
自分はリョウ。シンタロウでは無い。
おばあちゃんの持っていた写真も見たが、全然、似ていない。
困り果てているところに、がんちゃんがやって来て、こんなところで何をしているのかと、おばあちゃんの手を引いて、家へ連れて帰る。
すぐに、がんちゃんは、砂浜に戻って来た。
ごめんな。あまり、ここに来れなくて。やっぱり、来たら、心がキューってなるし、おばあちゃんがよく来ていることを知っているので会いたくないのもあって。
演劇部は今、4人。リョウがいた頃は良かった。元々、リョウがいるから入部したのに。
脚本なんか書きたくなかったし、部長も嫌だった。大道具とかも今はしないといけないし。役者は少ししたい気持ちがある。でも、才能が無いのが分かっている。自分にはバイトもないし、親もうるさくないし、時間があるからやっているだけ。
それと、家にいるよりかはマシだからか。
痴呆になってしまったばあちゃん。舵を失った船とでも言うのだろうか。この波のように行ったり来たりしているみたい。自分のことだって、覚えていない。
この前なんか、猫のタマコと間違えられた。ひどい無茶振りだ。エチュードだと思って、必死に演じたけど、まるで通じず。がんちゃんは恥ずかしいタマコを演じるジェスチャーを披露する。
おばあちゃんは、砂浜でプロポーズされたと言っていた。戦後、祖父と結婚。その祖父が亡くなり、急におかしくなってしまった。
家はこんな感じ、演劇も上手くいかない。せっかく、リョウのことを描いた作品を創ってるのだが。
そんながんちゃんの告白に、リョウは何も返してあげられない。だって、もう、この世にはいないから、がんちゃんには自分は見えていないから。
おばあちゃんとリョウが砂浜にいる。
二人、この前みたいに海を眺める。
おばあちゃんは、飲み物を買ってきてあげようとどこかへ向かう。
ともが潮干狩りの準備をしてやって来る。
そして、リョウに話しかける。
見える人らしい。何やら遺伝なのだとか。
のんとモモが二人でやって来る。ともは隠れる。一応、リョウも。
意を決して、ほとんど告白したかのようなモモ。気付かないのか、スルーするのん。
そんな中、がんちゃんもやって来る。
いいところだったのに。
4人は潮干狩りをしながら、文化祭の話。
がんちゃんは、もう自分の脚本は無理だから、モモの脚本でいこうと提案。
のんは、依然、それに反対する。
まだ未完だけど、感動する話だと思うから。
人が死ぬ話だから、ただ感動しているのではないのか。本当に心の底から、震わせられてなどいないと思うとがんちゃんは反論。
のんは、でも顧問はコントや既成脚本を嫌うから、自分は出来ないくせに創作させようとするからと、がんちゃんの脚本を後押しする。
そんな中、おばあちゃんが戻って来る。
あの変なばあちゃんが来たと皆は口を揃えて言っている。
おばあちゃんは、がんちゃんを見て、しおんという本名を口にする。
それで、このばあちゃんが、がんちゃんのおばあちゃんだとみんな気付く。
おばあちゃんは、皆に挨拶をして、2本のカルピスを分けて飲むようにと手渡す。
がんちゃんは、怒り出す。
いつもは、自分のことなど、全く気付かないくせに、こんな時だけ。
ばあちゃんはいい気なもんだ。色々と大変なのに、好きな時にボケて気楽だ。
ばあちゃんは、そんながんちゃんに、ただただ頭を下げる。私のせいで、嫌な思いをさせてごめんなさい。私なんかもう生きていても仕方がないのだから、早く死ねばいいのにと思っている。もう、殺して欲しい。
皆は、酷い言葉を投げ掛けるがんちゃんを責める。
みんなだって、変なばあちゃんだとさっき言ったじゃないか。結局、バカにしてるんだろ。ばあちゃんも俺も。
がんちゃんは、皆に対して、そう罵り、続ける。
リョウが死んだ時。ばあちゃんは、ここで落ち込む自分に生きろと言った。リョウの分もしっかりと。
それなのに、自分は死にたい、殺してと、おかしいじゃないか。
おばあちゃんが豹変する。
今から、私はここでプロポーズされるんです。シンタロウさんは、不器用な人だから、なかなかはっきり言ってくれないんだけど、しばらくお別れだから、きっと。
まだらボケか。ともはそう言う。
のんは、まだら痴呆症だとともに言う。
言葉一つで人を傷つけてしまうことがある。私の祖父もそうだったから、そんな言葉に自分たち家族もたくさん傷ついた。
その時のことを分かっていたはずなのに、さっき、私はおばあちゃんに、がんちゃんに酷い言葉を言ってしまったことを謝罪する。
がんちゃんは何も言わない。
モモが口を開く。
でも、がんちゃんだって悪いんじゃないの。だって、そんなことずっと何も知らなかった。演劇部の4人には話してくれても良かったと思うし、まして、自分には男同士として。
何も言わずに、分かれというのは、おかしいと思う。それよりも悔しい。
一人で抱え込んで、溜め込んで、悩み苦しんで。気軽に言える環境を作っていなかった自分たちも悪いんだろうけど。やっぱり悔しい。
それに、おばあちゃんのことを変だと言ったのは、面白いと思ったから。不謹慎かもしれないけど、面白いおばあちゃんだから、もしかしたら、がんちゃんの脚本に組み込めば、がんちゃんの創作に役に立つのではないのかと思ったから。
がんちゃんは何も言えない。
ただ、もうしんどいんだ。全部、辞めたいと言って、去ろうとする。
リョウがともに言う。自分の言葉をがんちゃんに伝えてくれないか。
ともは、自分が見える人で、今、ここにリョウという人がいて、がんちゃんに言いたいことがあることを伝える。
そんなことを信じてくれるはずが無い。
ともは、ドスを利かせ、無理やり、がんちゃんに聞かせる。
自分のことをいつも思い出してくれてありがとう。脚本にしてくれるのも嬉しい。がんちゃんはがんちゃんの人生をきちんと歩んで欲しい。
そんなことはいくらでも適当に言える。がんちゃんは信じない。
だったら、リョウは、この前見た、猫のタマコの恥ずかしいジェスチャーを見せれば、信じてもらえるかもとともに教える。
ともは恥ずかしがりながらもそれを披露。
一瞬、がんちゃんはひるむが、まだ信じ切れていないようだ・
だったら、自分が死んだ理由を話そう。脚本にはリョウのことが描かれて、死んだことも記されている。でも、その理由には触れられていない。
クラスのみんなで、海に遊びに行き、そこでノリで飛び込もうみたいな話になる。本当はがんちゃんが飛び込むみたいな話になったが、がんちゃんはかなづちだ。リョウが、だったら、俺は余裕だからと飛び込む。でも、服を着ていたからか、溺れてしまい。
クラスの皆は焦って、逃げ出してしまった。がんちゃんは、すぐに警察に連絡し、救援を求めて駆けずり回った。
そう、本当は自分が死ぬはずだった。がんちゃんは、生きていることが苦しいと言う。
死んでもしんどいよ。だって、がんちゃんはいつまでも、自分のことを想ってくれているから。自分の分まで生きるなんて、背負わせているのを見るのは辛い。がんちゃんはがんちゃんのままでずっと生きて欲しい。
ともはリョウの言葉をがんちゃんに伝える。
演劇部だって辛いんだったら、辞めたらいいんだ。自分がいたから入部した。その自分が死んだからといって、責任感じて無理に続けることなんかない。自分のしたいことを、生きているんだから、好きにすればいいんだ。
その言葉は、ともの手によって、演劇部でしっかりと頑張って、応援しているという言葉に変換される。
モモが言う。
もっと気楽に。自分なんか、流れでここにいるみたいなもの。誰かのためとか、そんな堅苦しくなく、自分の思いのままでいいんじゃないのか。そして、辛いことや苦しいことがあるなら、そう、ありのままに言ってくれたらいい。自分が思っていることを口にすることは何も恥ずかしいことなんかじゃないから。
のんは、自分の言動を反省する。人に気を遣い過ぎるのか、誰かが言っているからみたいな感じで、自分の思いをごまかしていた。正直に自分の思いを相手にぶつけないと意味が無い。私は、がんちゃんの脚本が大好き。文化祭で新入部員を集めるためとか、顧問の先生がオリジナルを求めているからとか、そんなのじゃない。私はがんちゃんの脚本で作品を創りたい。
4人は、今、本当の気持ちを語らい合える仲間となった。
がんちゃんは、リョウと対峙する。
ともが一応、通訳。でも、ほとんど、その必要は無い。気持ちが通じ合えるようになった者同士、その心の会話を繰り広げられるようになったから。
久しぶり。
俺、生きていていいのか。当たり前だ。
脚本が進まない。書き終えてしまえば、リョウのことを忘れてしまうような気がして。それはいけないことのように思って。
忘れるのではない。作品としてずっと残るんだ。それは、とても嬉しいことだ。
恨んでなど全くない。ずっと、がんちゃんとして生きて欲しい。
おばあちゃんががんちゃんのところへ向かってくる。シンタロウさんと呼んでいる。
佳美さん。がんちゃん、いやシンタロウは、おばちゃんの名前を呼ぶ。
皆は、おばあちゃんのカバンから髪飾りを取り出し、密かにシンタロウに渡す。
シンタロウは、それを佳美さんに手渡す。
戦争に行ってくる。帰ってきたら、一緒になろう。ずっと、あなたのことが好きだから待っていて欲しい。
がんちゃんは少し考えて、シンタロウの言葉を続ける。
もし、自分に何かあったら、あなたが大切に想えた愛する人と添い遂げてください。
佳美さんは、佳美さんの人生を思うままに歩んでください。
これから先、きっと死にたくなるような辛いことがあるかもしれません。でも、絶対に生きて欲しい。あなたが決めて、あなたが生きる人生を大切に、あなたの幸せを何よりも信じて、この先を生きてください。
あの時、シンタロウもきっと言ったのだろう、もしかしたら言いたくても言えなかったのかもしれない言葉を佳美さんに伝え、抱き締める。
何が才能が無いのやら。がんちゃん、最高の役者魂を魅せる。
みんなで再び、潮干狩りにやって来る。
いっぱい採って、がんちゃんはおばあちゃんと家族みんなで盛大な夕食にするらしい。
モモは自分の分もあげるから頑張ろうと。
モモは、両親がおらず、兄と二人暮らし。そんな家族が羨ましいと言っている。
そんなこと知らなかった。そりゃあそうだ、言ってなかったから。
みんな、自分のことを言っていなかったんだな。
辛いこと、苦しいことを一人で抱えて、どうでもいいようなことを言って殻を作って。
そして、知ろうともしなかった。
何を怖れて、何を諦めていたのか、分からせようともせず。自分のことばかりで、人の心に寄り添い分かろうともせず。
みんな悪かった。
それでいいんじゃないか。海に向かって謝っておこう。
広い海へ、上手い具合に流されてくれるだろう。
リョウはともに伝える。
これでさよなら。自分も自分の道へ歩むことにする。
ともはそれを皆には言わない。隠すんじゃない。ちゃんとリョウは、みんなの心に、そして、がんちゃんが完成させる脚本の中にきちんと刻み込まれるから。
分かち合い、通じ合えたみんな。
辛い時、苦しい時に、携えられる手を信じ、自分もまたその手を差し出せる。
そして、そんな辛く苦しい想いは、この目の前に広がる海へ、ゆるりゆるりと流されて、その悲しみを希薄させてくれるのだろう。
がんちゃんは、友人の死、おばあちゃんの痴呆、うまくいかない演劇と様々な悩み苦しみを自分の中に抱え込んでいます。
友人は、自分の代わりに死んだようなもので、自分は生きていていいのだろうか。才能も無く、本当にこれがしたいという溢れる熱意があるわけでもないのに、演劇を続けていていいのだろうか。
そんな想いが、もう自分はこの世に不要、生きていたくない、死にたいと言っているおばあちゃんとオーバーラップし、そのおばあちゃんを否定する周囲の人の声が、自分自身にも向けられているように感じてしまうようになったみたいです。
自分を見るかのようなおばあちゃんにいら立ちを感じ、その周囲に悪意を向ける。
どうしようもなくなって、苦しむ青年の姿が非常に丁寧に描写されています。
でも、がんちゃんの悩み苦しみは、死んでしまったリョウへの悔いや慈しみの感情、演劇部の皆の気持ちに応えられてあげられていない自分への情けなさや否定の感情、そして、そんな死んでいいわけない、そんなこと誰も思ってない、もっと自分に自信を持って、幸せに生きてよというおばあちゃんへの想いから生まれているようです。人のことを想うから、そんな悩み苦しみに苛まれてしまう、人の優しさを感じさせるものです。
そして、これは、がんちゃんだけではなく、周囲のみんなもそうだったことが分かってきます。
周囲のみんなも、それぞれ、何かしら悩み苦しみを抱えています。
それは、いつまでも自分のことで立ち止まってしまっている友人を思い、この世に残っているリョウ。
確固たる理由を持って、何かをしているわけではないが、寂しい家庭環境の中で、仲間と共に時間を過ごしたいという想いを心に潜ませるモモ。
誰も傷つけたくないことから、自分の正直な気持ちを何かに投影して語る手段を覚えてしまい、ぶつかり合って、分かち合うことが出来ず、苦しむ人を励ませてあげられない弱さに悩むのん。
遺伝的な奇妙な能力に、虐げられるのではないか、否定されるのではないかということを気にし過ぎて、暴力的な威圧的な態度を鎧にして人と接するようになってしまっているとも。
共通するのは、みんな救いを人に求め、どこかで通じ合いたい、分かち合いたいという気持ちを持っていること。
自分だけで好き勝手に生きていれば、きっと自分のことを好きになれるのだと思います。これはきっと歪んだ自己愛でしょう。
でも、人は人のことを想ってしまう。周囲の人が、良くあって欲しいという気持ち、それに貢献できていない自分を見出してしまった時に、自分を否定してしまうようです。基本、自分勝手だと言われる人間ですが、意外にも常に周囲の中の自分を意識している心が根底にあるように思います。
それが他人への否定にも繋がります。幸せになって欲しい、傷ついているなら癒してあげたい。そんな気持ちを持っていても、自分を否定してしまえば、そんな悲しみ、苦しみの中にいる相手を否定してしまっているような姿が浮き上がります。
でも、根底には優しい人を想う気持ちを持ってのことなので、いずれ、それは人同士を繋げ合って、通じ合いへと導かれるのでしょう。
おばあちゃん、橋本佳美さん。
前説の段階から、しっかりとおばあちゃん。たくさんの悲しみを知り、同時にたくさんの喜びも知る人生を歩んできた感謝の気持ちが感じられる素敵なおばあちゃんでした。そして、同時に恋する女性。他の高校生役と変わらぬ、乙女の甘酸っぱい心。微笑ましい、人を恋する気持ち。高校生が演じるおばあちゃんならではかもしれません。
がんちゃん、岩本紫苑さん。
上記しましたが、悩み苦しみの中にいる青年像を丁寧に演じられます。幼く、まだ自分だけの手で乗り越えることが出来ないからこそ抱く、自分への葛藤と、そこから導かれる人を想う気持ちが繊細に表現されています。
リョウ、豊田遼さん。
スマートなたたずまいで、誠実で、人への優しさを醸すキャラ。生前から、相手のことを常々想って言動するような子だったのだろうと感じさせられます。もしかしたら、おばあちゃんがシンタロウと間違えたのは、顔では無く、こういう優しい人柄だったのかもしれません。そう思うと、後半、がんちゃんをシンタロウと間違えたのは、がんちゃんがみんなとの触れ合いの中で、そんな優しさを取り戻したからなのかもしれません。
モモ、桃田葵さん。
デリカシーなく、本音をズバッと言ってしまう。でも、そんな言葉がきっかけで、皆の心の奥に隠れてしまっていた、隠してしまっていた気持ちを引き出しています。そういう、起爆剤になる人っていますね。そんな人も、内には同じように苦しみを抱えている。そんな力強さをちょっと生意気だけど憎めないキャラとして演じられています。
とも、脇谷智絵さん。
いわゆる、荒々しく口の悪い、ヤンキーキャラ。ツッコミ上手なのか、いい間合いでの掛け合いで笑いもとられる。彼女もまた、モモと同じように、少々、優柔不断で、おとなし目のみんなを煽るように行動を起こさせる。力強さの中に、自分への不安や自信の無さもにじませ、悩める若者の姿を映し出している。
のん、吉田乃音さん。
優等生。人の目を気にして、自分の意見をいつの間にか抑え込んでしまうことで、自分自身を見失っている。そんな、自分探しに悩む若者像。おだてると調子に乗る、クソ真面目過ぎてちょっとKYなところも。そんな天然な面白キャラでもある。
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