Social walk【VOGA】160524
2016年05月24日 京都・石清水八幡宮野外特設舞台 (90分)
人が自分を想った瞬間に、この世にたとえ見えずとも、生まれてきたこと。
この社会の中で、色々と彷徨いながら、自分が自分として生きていくこと。
そこに一人では無い、人との繋がりがあること。
その生きた道筋は、残された者の生へと繋がっていること。
生まれてきた自分、生きている自分が、尊く大切な存在であることに安堵を覚え、この社会の一員である自分として、思いのままに生きていけばいい。
そんなことを一人の少年の生を通じて、社会を行き交う様々な人たちの生きる姿を観ながら、導き出そうとしているように感じる作品でした。
神社ということもあるのか、清らかな空気や鎮まる木々の自然の力が、スピリチュアルな凛とした雰囲気を醸し出す。
そこに、熱のある舞台上の役者さん方の力が、美しく融合し、生を強く感じさせる時間だったように思います。
<以下、あらすじを書いていますが、恐らく、何を書いているのかよく分からないと思います。それでも、若干ネタバレしてしまうところもありますので、ご注意願います。公演が来週火曜日まで続き長期間なので、白字にはしていません>
ビートルズ来日の様子を伝えるニュースをラジオで聞く、少年、ケンタロウ、ミサキ。
ラジオって不思議だ。何も見えないのに音が聞こえる。電波、光、電磁パルス。
東入る、西入る、何とか上ル、どこどこ下ル・・・
京都の町。
京都タワー。
少年は父と母を見つける。2人も手を振っている。急いで降りるが父も母もいない。
心細く不安な暗い道を少年は歩く。女たちが見守っている。
京都のある四つ角で出会う男4人。
互いに見たところ、仕事帰りみたい。
新聞記者、貿易商、工場勤務、?(一人忘れてしまいました)。
新聞記者は、ちょっとマリッジブルー。
家に帰ったら妻が鳥かごの中の鳥を見ている。生まれた時はグレー。今は白い羽根が生えている。・・・らしい。自分には見えていないから。
でも、違う日に聞けば、それは赤色だと言う。
貿易商は英語がてんでダメ。
耳鳴りがする者。
小便の出が悪くなっている者。
みんな違う。そして、色々なことを抱えている。
好きな本もそれぞれ。だから、考え方も違う。
視点も違うし、その見ているものの色、姿かたちもきっと違っているはず。
ケンタロウ。夜、帰宅するおじさんにスリ、女学生にスカートめくり、人の良さそうな夫婦に一芝居打ってお金を騙し取る。
少年は諌めるが、ケンタロウは心の実験をしているだけなのだとか。
世の中には色々な人がいる。色々な考えを持って、生きている。
時には都合よく、それを自分たち、子供に押し付けたりして。
自分たちはそんな人の心を想像して、その人を見ている、いや、想像してもらっているのか。
だから、自分が思ったことを信じて、歩いて行くんだ。自分の畑に自分だけの種を蒔く。
そうしたら、きっと見えないものだって見えてくる。そう、電磁パルスだって。
京都タワーに巨大な鳥が見える。行ってみよう。
巨大鳥。
色々な鳥がいる。それは考えや思想が様々な、みんな違った鳥。見たままの姿では無い。
骨で組み立てられる。
出来上がった、目に見える鳥たち。
少年もその鳥の中の一つ。
あの時と同じ、父と母が自分に手を振っている。
父は、母に子供を産んで欲しいと願う。母は笑顔で答える。
この時、少年は二人の心の中に生まれた。
女4人。
海。鳥かごを皆で抱えながら。
それぞれ違う社会。
工場勤務の男の妻は、子供のミサキが心配。最近、元気が無いし、夜遅くまでフラついている。男はそんな妻の言葉を受け止めて、共にミサキのことを考えようとする。
貿易商の男は仕事が上手くいかずイライラしている。妻に当たることも多い。いざとなれば私も働くから大丈夫。焦って弱気になる夫を肝っ玉太く支える。
専業主婦として、家庭にこもりすぎなのを心配しているのか、妻に外の世界を見せようと声をかける夫。
新聞記者の男の妻は子供は産めないと言う。閉じ込められた生活に疑問を抱くようになった。カゴの中の鳥。妻の社会であった鳥かご。この言葉を聞いて、男も初めて妻の鳥が見える。その姿は真っ黒だった。
男たちは自分、互いに問い合う。見えない、見えていなかったことやものの本当はどこにあるのか。
そして、俺はお前に正しく愛されていたのかと。
生まれていなかったことを知る少年。だから、少年に名前は無い。
でも、少年は二人の想像の中で確かに生まれた。そして、ケンタロウも少年が生み出した想像の産物だ。
二人は、旅立つ。
父と母の記憶がある限り、どこまでも、もっと遠くの世界へ。
新聞記者の男は、妻と再会。元妻は裁縫の先生を目指してイキイキとしていた。
あの頃の自分勝手を謝りたいと言う元妻。
そんなことは、もうどうでもいい。今、元妻は自分の思う道をしっかりと羽ばたいているのだから。
もし、子供が生まれていたら。
男は断然、男の子が欲しかった。名前はツトム。
少年は名前をもらい、見える存在になった。
あなたは私を正しく愛してくれていました。その言葉を残して、妻は去る。
風が吹く。社会の風。
ツトムとケンタロウは手をつなぎ、旅立つ。バイバイ。
その声に一人、ミサキは答える。バイバイ。
ミサキを両親が優しく迎えにやって来る。
3人は手をつないで家路につく・・・
冒頭のビートルズ、Let it be、あるがままに生きなさいというところに通じるのかな。
それは、自分勝手に自分の好きなように生きろと言っているのではなく、社会の繋がりの中で、あなたがあなたでいられるように、あなた自身が考えて、この社会の中のあなたが見る周囲の人と共に、生の時間を歩めばいいのですといったような感じ。
そう考えるための理由みたいなことを、何も無いところから人が生まれて、生きて、やがて死んで、人の記憶からも消えて本当にいなくなってしまう時までのことを、社会の中の一員である人間として描きながら導き出そうとしているような感覚が残ります。
少年は、父と母がその命を二人で想った時に生まれます。
愛し合った親が、自分たちの繋がれる生を意識した時に、その生命は誕生しているかのような描き方をしています。
巨大な鳥のシーンがありますが、何を意味しているかはよく分かりません。この劇団では過去にもこの鳥が生命の象徴かのような形で描かれることもあったように思いますが、感覚的に感じるのは、やはり生命の誕生の一シーンのようです。
きっと解剖学的に、人間には決められた骨があるのでしょう。もっと、ミクロで見たら、同じ細胞、タンパク質などの成分。そして、目や口や耳があり、同じ人間の形。
でも、同じ人間など一人としていない。それはみんな違う。見えているままでは無い。
みんな違って、異なる考えを持って、人生を歩む。
それは、自分たちが生まれる時に形作られるパーツ一つ一つが、あなたのために生み出されたものであり、そこにあなたを生み出す人のあなたへの想いが込められていることを伝えているように感じます。それは見える人の姿かたちとは別に、見えないものですが、ラジオの電波と同じように、人へと伝えることのできる確かなものであるように思います。
こうして考えると、人は生まれたその瞬間から、既に一人ではなく、親や周囲の人と繋がり、関わりのある社会の中の一人なのでしょう。
ここ数年で私は両親を二人とも亡くしてしまいましたが、私も両親が私の生を意識してくれた時に生まれたのかなとか思いながら観ていました。
覚えているはずもありませんが、生まれた私も、どんな鳥だったのか知りませんが、高いところから、二人を見て、自分はここに降り立つんだと思ったのかもしれません。
自分が生まれてきたということに思いを馳せて、その生を得たことの責任を全うするかのように人生の旅を続ける人間。
孤独で人は生きられない。
人はその人生を一人で歩くのではない。
世間には色々な人がいる。見えているままで無い時もある。それは自分も同じかもしれない。
私たちは人を想像し、想像されながら、見える存在として、共の時間を過ごす。
自分たちが生きる社会。
その中にある、各々が抱く、自分だけの社会。
それが絡み合って生きていることを、4組の男女から描かれているようです。
男は身を削って働くことで社会に貢献するといったような形でちょっと切なく哀愁ある現実的な感じで、女性は母なる海みたいなもっと大きな生命を生み出す存在の母として、かつ社会を発展させる一人の女性としてみたいな感じです。
そんな社会を、時には共に守ったり、時には傷つけ合ったり、時にはその独立性を重んじたりしながら、人と寄り添い合って生きている。
社会の風みたいな描写が最後の方でありますが、尊重して認め合うといった人との分かち合いを社会の風を受け止めることでの、人の豊かな成長みたいなことを感じさせられます。
男女4人組は中年、つまりは大人。ケンタロウは心の実験と称して、大人の社会とはまた別の子供の社会の中でも、同じように時には苦しく悲しい問題をたくさん抱えながら、その中で生きてることを証明しようとしているようです。
少年は見える存在としてのツトムとして、この世に降り立つことは出来なかったようです。それは彼の想像の産物であるケンタロウも同じく。
でも、二人は確かに生まれていたのでしょう。
このあたりは、よく分かりませんが、きっと、一人ぼっちだと寂しくなってしまったミサキには、見える二人だったのでしょうから。
ツトムもケンタロウも、見える存在としてこの社会を生きることは出来ませんでしたが、元々、自分たちを生み出した親の存在や、孤独に苛まれた女の子の存在が、一時のこの社会での生の時間を得たようです。
二人は旅立ちます。両親が各々の自分の道をしっかりと歩み始めたことを見届けて。そして、友達の女の子が、きっと自分は孤独なんかじゃない、だから強く、これからの人生を歩めるはずだと分かったことを信じて。
二人のお別れして旅立つ覚悟は、そのままこの社会の残された人たちへのこれからの生きる覚悟に繋がったかのようなラストです。
両親は互いに愛し合っていたことを信じ合い、各々の道を認め合って進みます。そして、ミサキの心細く不安な手には、優しい誰よりも彼女を想う家族の手が繋がれます。
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