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2016年5月29日 (日)

ペチカとエトランジェ【劇団冷凍うさぎ】160528

2016年05月28日 シアトリカル應典院 (125分)

難解だ。
普通に話は進んでいるのだが、その時空間の繋がりが混乱し、今、何を観ているのかさっぱり分からなくなる。
絶望の中にいる人。もういいと諦め、厭世の念を募らせる。
それでもいいじゃないか。それが本当の自分なら。
逃げることもないし、したくないことをする必要も無い。
今、自分がすべきことを真摯に見詰めて生きればいい。
さっぱり分からない中で、話を思い返しながら、そんなことを感じている。

<以下、ネタバレするような明瞭なあらすじではありませんが、一応書いてしまったいるので、公演終了まで白字にします。公演は月曜日まで>

いつの時代か、どこかの国のどこかの村。
その路地裏に何も言わずただじっとしているホームレスのような髭だらけの老人。
ガスマスクをした村人は、その老人をバカチン様と呼んで、敬愛している。
老人の姿を見て、手招きされて、ただ頭をなでられるだけで、安堵を得ているみたい。
村を治めるのは酋長。村はいつも何かの記念日だと祭りをする。それに乗じて飲んだくれているいい加減な男。村人に対しても威圧的で、村の発展など何も考えていない様子。その夫人も、情緒不安定なのか、不可解な行動ばかりである。
村の主たる産業は炭鉱とイカ漁。どちらも危険が伴う仕事だ。おまけに非常に寒い地域らしく、村人はいつも寒さと戦って生活をしている。
そんな村に、一人の記者が行き倒れのようにたどり着く。酋長に招待されて取材にやって来たらしい。
路地裏で倒れる記者の携帯とサイフをバカチン様は、ここでは不要とばかりに抜き取って持ち去ってしまう。
今日は村の独立記念日。村内放送が流れる。
よそ者が歓迎されるわけもなく、村人は保安官に通報。
棺桶屋と狩人の二人組は、当たり前かのように記者のコートを奪い去る。
そんな中、獣人を連れた少女は、記者を助け、家に招き入れ、医者を呼ぶ。しかし、医者は不機嫌で、こんなのはただの風邪だとまともな治療もしないで去って行く。
少女は酋長夫人の手伝いに出掛けるが、しばらく記者の介護をする。

ようやく立てるようになった記者。少女は体が弱いみたいで、それでも生きるために酋長夫人の厳しい手伝いをしているみたいだ。そんな状況で見ず知らずの自分にここまでよくしてくれたことを深く感謝する。
そこに助手を名乗るうるさい男がやって来る。彼を慕う見習い少年も。
記者の手伝いをするように酋長に命じられたらしい。これで危険なイカ漁に行かなくてすむ。助手も見習い少年もそれを抱き合って喜んでいる。
酋長は酒場にいるみたいだ。
記者は少女の家を去り、酒場へ。
酒場では記念日のお祝い中。よそ者の記者が入ることは出来ない。
外で待つ間に、記者は酒場娘に酒を注文。それを飲んだが、金が無い。保安官が現れ、牢獄へ。そこには、自分のコートを奪った棺桶屋と狩人がいた。
コートを奪い返すが、寒さはしのげない。
下級官吏が電話を繋いでくれる。上司から。とにかくしっかり取材するまでは帰って来るなといつも通りの厳しい言葉。ついでに、その間に妻に手を出すようなことも言って、記者のイラダチと不安を煽る。
牢獄に酋長がやって来る。記者はこの状況を非難するが、酋長は低頭に謝りながらも、ルールだから助けてはあげられないと言う。

記者は釈放される。しかし、酋長とはなかなか会えない。
いつしか、この村で生きるために、色々と仕事をすることになる。
揉め事に巻き込まれ再び牢獄に入れられもした。管理する保安官は、酋長の命令を聞くことでもらえる薬でヤク中だ。
なぜか牢獄に入れられていた医者はこの村が腐り切っていることに言及し、もう諦めの念を強めて自暴自棄になっている。
記者の妻からの電話は、もう向こうに自分の存在は無いかのような口ぶり。
隣国から使者がやって来る。彼女は、棺桶屋と狩人と仲がいい。先の戦争で隣国に多くの村人を殺された。その復讐として、二人は隣国の人を殺しているらしい。使者はその手引きをしている。
酋長とは会うことは出来るようになったが、取材は一向に進まない。いい加減な酋長。上手い具合に仕事の手伝いをさせられている。
もはや、自分は記者では無くなった。
だから、助手も不要。助手は再び、イカ漁に出なくてはいけない。それを悲しむ見習い少年も何も自分のことを考えていないバカだと思う。
酒場の娘にここから逃げ出さないかと誘ってみる。ここはここでいい。でも、その表情は複雑だ。一歩踏み出す勇気はないのだろう。予想通りの答えに辟易する。
でたらめばかりだ、この村は。でも、こんなものなのだろうか。
少女の容態はかなり危ないみたいだ。獣人は少女の代わりに働いている。その中で言葉も覚え始めた様子。少女の家を去った自分が戻ることは出来ない。記者は使者に頼んで様子を見に行ってもらう。
酋長夫人が行方不明に。棺桶屋と狩人の情報から炭鉱へ向かう。使者が興味本位なのか新しい助手として付いてくる。
夫人は、炭鉱で何がしたいのか破壊的な行動を繰り返している。彼女もまた、夫人では無くなってしまったのだろう。
自分が自分でなくなってしまう。
バカチン様は、ガスマスクを村人に渡している。そんな自分を隠すためか、何から守るためなのか。

村人たちは、この村の状況に対して、酋長に反発心を抱き始める。
反乱軍が組織される。記者もその中の一員。
しかし、一致団結とはいかず、内部で揉め事。
それに乗じて、酋長にくっついて生きていくことを良しとする保安官が村人を射殺。
少女は病気で亡くなる。
記者は思う。何もしなくてよかったのかもしれない。
こんなものだと諦めていれば。ただ、少女に感謝して一緒に過ごしていれば。取材を放って帰っていれば。
もう、この村はお終いだ。
バカチン様は相変わらず。どうして、何も言わない。何を考えているのか。あざ笑っているのか、バカにしているのか。
この村は、この世界は全部でたらめだ。
記者は炭鉱に火のついたタバコを放り投げる。
そして、銃を手にして酋長の下へと向かう。

記者はこの村を壊した。この世を破壊した。
上司から電話。
村崩壊をスクープとして持ち帰るように指示。
何かを語ったのか、相変わらずなのか、バカチン様はただ手を合わせて祈り続ける。
こんなものだ。記者は村を去る。
村では村内放送が流れる。今日は村の独立記念日・・・

チラシなどでは寓話と称されているので、色々なことが何かのたとえになっていて、教訓みたいなことを導き出せるのだろうが、これがさっぱり。
冒頭から、ガスマスクを付けた村人の住む村と、記者がたどり着いた村が同じ村なのか、はたまた時間軸がズレているのか、誰かの空想世界なのかとか考えて既に混乱。
その後も、わざとしているのか、シーン転換による場所移動や時間経過が曖昧に描かれていて、さっきと今の観ている事象が、時空間的に繋がらない。
ラストも、時間の経過は無視されてしまっており、観てきたものが何だったのかを全部否定されてしまったかのような感覚が残る。
アリスの世界の様相もあるので、時間や場所は不明瞭な、どこにも繋がらない閉鎖的な時空間の妄想世界ということなのだろうか。
唯一、基準となるのが、ずっといる老人なのだが、本当に何も喋らないし、神みたいなものならば、どんな時間でもどんな場所でも存在できるので、もはや基準とはならない。
いったいどの人を信頼して、この話を観ればいいのかをずっと悩む。まあ、よそ者、エトランジェである主人公の記者がそうなのだろうが、彼もまた、いつの間にか、この村人と同じような存在になり、寒さを凌ぐために、ペチカを求めるだけの人になってしまっている。

寒さを凌ぐ。そのためにどうするか。
単純にこの村は寒い。それに対しては、みんなペチカで温もりを得ているみたい。
寒さはそれだけではないようだ。
隣国との戦争に敗北し、能力の無い主導者の下で悪政を強いられる。村を再建する産業も厳しい仕事ばかり。
村人たちは肉体的にも精神的にも憔悴している感じ。
この寒さというか厭世みたいなものから、自分を守るためにはどうしたらいいのか。
この村は、罪を犯せば牢獄に入れられるように、諦めや厭世の念を抱くと、ここにたどり着いてしまうかのようなところに映る。
そもそも、記者も上司の圧力や妻との不仲みたいな中で、もういいやみたいな気持ちがこの村へと自分を連れて来たのではないのか。きっとエトランジェではなく、来るべくして来た来客だったように見える。
この寒さは、単なる温度の寒さを凌ぐために暖を取るみたいな単純なことで解決は出来なさそうだ。これが祭りというイベント事を作って、生きている実感を無理やり得ているようなこの村人たちの手段のように感じる。そうしているうちに、自分の本当の寒さを忘れ、廃人となってしまうのでは。

だったら、寒さ自体を解決しようとでも言っているのだろうか。
でも、その前に力尽きてしまったり、こんな村になってしまったことへの隣国への復讐を企てたり、新しい指導者の下で新しい村を作ろうと立ち上がったりするが、何もうまくいかない。
こんなことになるのだったら、何もしない方がやっぱり良かったんだ。寒ければただ暖を取ればいい。これから先、どうなるかの不安を抱えながらではあるが。
有毒ガスに見舞われるなら、ガスマスクをすればいい。本当の自分が分からなくなったら、マスクでその自分を隠してしまえばいい。
神のような老人だってそうだ。ただ、抱きしめ、頭をなでて、祈って、ガスマスクを渡してくれるだけ。何も救ってくれない。
使者も何か神のようないでたちをしているが、村を救えはしない。一緒になって悩み、無駄なことをして村を崩壊する道へと一緒に歩んだ。
何か、そんなことが描かれているようで、未来を切り開こうみたいな考えは否定されているように感じる。

村人たちは皆、家族のことやら病気やら、問題を抱えている。この村の社会情勢は決して良くないし、地下からは有毒ガスみたいなものも噴き出しているのか、環境も悪そうだ。
みんな不安や怯えを抱えて生きている。
もうどうにもならないな。この村は終わりだ。
どうも、観ているとこの考えは肯定されているような気がする。
こんな世の中だ。諦めや厭世の感を持っても仕方がないじゃないかというくらいの開き直り。ただ、それでは、死ねばいいとは描かれていないように思う。やはり、生きろだ。
それも、いらんことをしなくてもいい。ただ、自分が本当にしなくてはいけないことにだけ真摯に。
記者は愛する妻のいる家にいればよかった、きつい仕事だったら逃げだせばよかった、救ってくれた少女の傍にいればよかった。
人間は、しなければいけないことから逃げ出して、しなくていいことをすることがあるみたい。彷徨える人間。その彷徨いに不安を感じれば、一度立ち止まればいいし、しばらく動かなくたって。
そんな、自分に正直な生き方をすればいいんじゃないのかといった、自己肯定をこの不可思議な世界の中の人たちを見て感じる。

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