フツーニアルアシタ【追手門学院高等学校 演劇部】160326
2016年03月26日 芸術創造館 (60分)
昨年のHPFで拝見した作品の続編というのか、習作だったから本物の作品として表現できるようになるまでに至ったことを披露してくれたのか。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/55-97dc.html)
前作は、顧問の先生が変わってしまうことから、これまでのフツーが崩されてしまうことへの、不安や心の揺らぎをドキュメンタリー風に描いて、自分たちが変化することへの糸口を見出そうとする姿を見せるような作品。
今作は、顧問の先生の変化は、自分たちの人生の一変化と捉え、もっと様々な変化の中で明日を迎えなければいけない人の生き方に対する気持ちをぶつけてきているような感覚を得る。
変化によりこれまでのフツーを喪失する。
でも、変化が無い日々なんて無くて、自分たちはその変化に走って、止まって、跳んで、転んでとぶつかったり、避けたり、抗ったり、受け止めたり、立ち止まったり、逃げたりしながら、生きていくしかない。
今のフツーに執着していては、きっと明日は来ないのだろう。
喪失は辛いことだが、失うことは捨ててしまうことではない。新しいものを掴むために、その手を空けなくてはいけない。これまで掴んでいたものは身体の一部に吸収させてしまうようなイメージだろうか。これが人の成長なのかもしれない。
変化に対する自分たちの対応は各々だろう。能力、性格、環境とその時々の置かれる状況がある。
でも、いつだってその変化をしっかりと見詰め、考えて生きていく。
フツーに明日はきっとやって来ない。自分たちが、変化する今日のフツーと向き合って、自分で引き寄せるのが明日なのかなと思う。
こうして、明日、あさって、しあさって・・・と、過去に掴んだ大切なものを吸収しながら、未来を自分たちの手で掴むという、今回の経験、この作品を通じて得た決意への自信と誇りを感じさせられる。
追手門学院高校演劇部。
40年間、演劇部の顧問だった先生が退職され、新しい先生が来られた。
基礎体力作りと表現力向上の練習だろうか。掛け声に従い、走ったり、止まったり、時には跳んだり。
そんな中、3年生の松岡創(黒男)が、部員たちのことを語る。
<劇中、聞き取った名前を基に書いています。あやふやなところがありますので、( )内にシャツの色と性別を記載。誤っていたら、コメントにでも記載していただけるとありがたいです。すぐに訂正しますので>
1年生の時はおふざけばかりだったけど、部長になってすっかり変わり、しっかり者になった池田きくの(黄女)。新しい先生と色々と話をして、決めたことを現実化していく。先生と話していること全てが部員に伝えられる訳ではないので、何か勝手に決められた感にちょっと腹が立つこともある。
同じく同期の東佑作(紫男)。何かを尋ねても自分の意見を全然、言わない。要するにそんなことはどうでもいいと適当に思っているわけだ。そんな奴なのに、大学で演劇を学ぶことをいち早く決めた。最近、自分から挨拶をするようになったみたいだが。
河崎正太郎(青男)。デリカシーの無いことを平気で言ってくるところがあるが、3年生になってからは、陰で地道に仕事をしてくれたりして頼れる奴に。
2年生コンビ、則武紅葉(青女)と井出琴音(黄女)。
紅葉はとにかくズレた子だ。2年生になったので少しはしっかりしてきた。と言いたいところだが、まだまだ不安なことだらけ。
琴音は入部した時から、真面目でできる子だった。部長はじめ、部員たちみんなが頼りにしている。でも、ちょっと自分で全部を背負ってしまうところがあるかも。
こんな真逆なキャラの二人だから、ちょっと互いの信頼関係に危惧するところがある。
1年生コンビ、川瀬未耶(桃女)と田中勇輝(橙男)。二人はこれまでの先生のことを知らない。これからの子たち。
そして、自分自身のこと。創は、ずっとマイペースでやって来た。フツーに昨日が終わり、フツーに今日が来て、フツーに明日が来る。でも、周囲の人たちが進路を明確に決め始め、最近、ちょっと焦ってきている。
他人から見た、部員たち各々の自分が語られている。
自分がどう思っているのかは分からないが、フツーの日常の中でも、改めて他人からの視点で自分を描いてみれば、変化した自分がそこにいる。
それはきっと、取り巻く環境は実はずっと変化し続けているからなのだろう。
特に、先生が変わるという、大きな変化が変わっていっている自分たちを気付かせたのかもしれない。
続いて、今度は自分から見た自分を各々が語っていく。
池田。不安も大きかったが、部長としてやっていく決心をした。先生も変わった。これまでのフツーはフツーじゃなくなった。そのことに部員たちの動揺は大きく、このままでは演劇部が空中分解すると考えた。だから、自分は新しい先生を受け入れることにした。
自分の経験した数年の前にも存在する40年間の伝統。もちろん、それを捨て去る気はない。自分はその伝統と新しいことへの変化の結び目となろうと思っている。
紅葉。自分が色々と足りていないことは自覚している。迷惑をかけることも多い。そんな時に星を見る。ちっぽけな自分に気付かされる。同時に、そんな小ささに囚われている自分が解放されて、頑張ろうという気になる。
琴音はイライラしている。みんながしないから、全部、自分がしている。物事を勝手に悪意で見て、一人、勝手に腹を立ててしまっているのかも。紅葉は何か、星座見てボーっとしているし、疲れているのに話しかけてくるし。でも、ずっと不安なんだ。3年生がいなくなって、自分たちが最上級生として本当にやっていけるのかが。
東は、一言で言えば、コミュ障だと思っている。転勤が多かった幼い頃のトラウマだろうか。揉めたくないし、嫌われたくないから、人にのっかるようになる。いつしか、そんな人のことなどどうでもいいように思うようになってしまった。
このままではいけないと思っている。大学で演劇の勉強することも決めたのだし。だから、自分から挨拶するようになった。最初はもちろんぎこちなかった。でも、徐々に。そのうち、みんなから挨拶されるようにも。
河崎は、大阪出身じゃないこともあるのか、どうも周囲とのズレに違和感を持っている。コミュニケーションの最大の道具の言葉の違いはなかなか曲者だ。そうした違和感をずっとスルーしてきた。その感情はどこにいってしまったのだろうか。澄み渡る空を眺めて、ふと自分を見詰める。大学には行かないことにした。
みんな、自分のことを見詰めて、自分が何者なのかを掴もうと必死だ。
でも、自分のことなのに、掴めないみたい。
だからなのか、変わろうとしている。今とは違う自分。フツーに明日は来るけど、そこにいる自分が、今日のフツーの自分では無いように。
変化することの受け入れ方は人それぞれ。
正面きって受け止める態勢になっている者もいれば、ぼんやりと、でも変わろうと何かをしてみようとする者も。
変化を恐れて、どうしてこんなものがあるのかとイラ立っている者もいるし、ほんの少し変化に触れてみたら、意外に恐れるほどのものでは無かったと感じる者、自分の感じるままを信じてその変化の波に乗ってみようとする者。
自分を見詰めるのはもちろん、自分ではあるが、それだけではやっぱり変化することへの不安とか恐怖の方が大きいのではないだろうか。最初に語られた他人から見た自分。このことを知った上で、変化とぶつかってみたら。それは、不安や恐怖を、勇気や希望、誇りでかなり抑え込めるような気がする。
このことを、この作品を通じて、舞台上の方々はしていることになる。
それが出来たのは、大きな変化を共有する機会を得たことのようにも感じる。
練習場所の変化。
それに伴う倉庫整理。
創は、思い出がたくさん詰まったものたちを、簡単に片付けて、捨ててしまうことへの抗いが捨てられない。
40年という年月。これを守るという方向だって、あったのではないのか。
一番、思い出深いものは、自分の手で解体した。数々のことが思い出されて、少し涙が出る。
こんな思い出や想いは、どこにいってしまうのだろうか。
池田の指定校推薦入試はダメだった。池田は引退を決める。
不安な表情を浮かべ、弱気な言葉を口にする部員たちに、大丈夫という言葉しか池田は語れない。
これは伝統的な練習なのだろうか。それとも新しく取り入れられた練習なのか。
掛け声と共に、走って、止まって。
皆は池田、最後の練習を、円陣を組み、礼をして終える。
演劇部にも、もちろん明日はくる。でも、それは池田のいない明日になる。
部員たちは、その明日に向けて、変わった練習場所を後にする。
創と池田。
創は、12月まで、ギリギリまで演劇部に残ることを決めたことを池田に伝える。
池田は先に行く、ありがとうと告げて、演劇部とお別れ。
残った創は、手を伸ばし、何かを掴もうとする。
それは、変化した新しいものなのか。
明日が来る。また、明日もそれをきっと掴もうと必死にもがくのだろう・・・
この部分は、上記リンク先の作品に詳細に描かれています。
今回の作品との大きな違いは、そういった変化を詳細に描写するのではなく、ただ一言、変化ということに対して、自分たちがどう受け止め、進んでいったのかを重視して描かれているようです。
自分たちが変わったことに対して、描きたいことがたくさんになったのでしょう。
先生が変わったことだけに囚われず、自分たちを取り巻く様々な変化に対する自分たちの気持ちを、もっと広い視点にまで拡げて、普遍的な若者の未来への熱意へと変換したように感じます。
それは作品名にも現れており、明日という言葉がフツーに使われています。
前作から、どんな明日があったのか。そして、それはもう昨日、過去になってしまい、今また、これからの明日、未来を見ようとする段階にまでたどり着いたことを伝えてくれたように感じます。
変化に打ち勝つ。もしくは、まだ奮闘中。フツーに次から次へとやって来る変化に。
掴んでいたこれまでの伝統は、きっと創はじめ、皆の中に刻んで、新しいものを掴む明日を迎える自分たち。
そんな姿が誇らしく、より一層まぶしく魅せられたように思います。
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