night way【遊劇舞台二月病】160221
2016年02月21日 シアトリカル應典院 (95分)
いわゆる殺人事件のような、ニュースでみる凶悪な犯罪。
いじめや差別のような、日常にはびこる問題。
こういうものには、加害者と被害者がいる。そして、それを見る傍観者。
加害者は悪い、被害者は可哀想だった、私たち傍観者はまあ関係ないのでそう思う。
それだけでは、ずっと何も変わらないのではないか。
何が間違っていて、どうしないといけないのか。加害者を罰して、被害者を慈しむだけではこの答えは出ない。
各々の立場から、その人を見詰め、そこに想いを馳せてみよう。
そこから、きっと、人が生きるこれからが見つかる。
人はいつだって優しく、善意で生きることを求めている。
それを信じて、実際にそんなことが出来るような題材として、この作品を提供しますといった感じの作品かな。
高校生のマスナガ。
友達のミヤシタと、6日後に迫った文化祭の漫才ネタで悩んでいる。
授業中にも関わらず、お喋りをして先生に叱られる。
授業ではビデオが上映されていて、マスナガの住んでいる村の名前が出てくる。部落。
知らないままでよかったのに。子供の頃、名前と住所を述べた迷子放送で親が迎えに来なかったのも今なら分かる。
差別が始まる。今まで、見たこともなかった差別が、自分がされるという側で。
高校を卒業したら、漫才師になるなんて、漠然と考えていたが、結局、工場に就職した。
皮革産業。屠殺した動物を原料にする穢れとして忌み嫌われる仕事。
墨の原料になる膠を作る。今は、墨汁の時代だ。経営は赤字続き。
面倒見のいい工場長は、この村出身。マスナガにもよくしてくれる。
フルヤさんは、どこか遠いところから、ここに就職した女性。しっかりしていて、優しい人。マスナガはよく部屋に遊びに行く。つまり、恋人同士である。
キイチ君は、軽度の知的障害を抱える。決められた仕事は誰よりもきちんと真面目にこなす。お母さんの入院費用を稼がないといけないと一生懸命、頑張っている。
今は会社員になったミヤシタが、その工場を訪ねて来る。
ミヤシタは、いきなり工場長に土下座。契約を打ち切ることが、会社からミヤシタに課せられた仕事。
工場長は全て、分かっていると覚悟を決める。
フルヤさんはしっかりしているし、元々、外から来てる子なので大丈夫。キイチ君は心配だが、障害者手帳があるから、食べるのに困ることは無いだろう。
マスナガ君が心配。彼はこの村出身だから。それにフルヤさんと、いずれ結婚をするのだろうし。工場長はミヤシタにマスナガのことを何とか頼めないかと頭を下げる。ミヤシタは、漫才師になるとか適当な夢を持たしておいて、結局、普通に自分は就職をしてしまい、マスナガを突き落としたような形になっている今を悔いている。だから、出来る限りの協力をすると約束する。
マスナガとフルヤ。
工場が倒産。
仕事を頑張って探さないといけない、二人の将来のことがあるからと言うマスナガにフルヤは、結婚する気は無いと答える。
赤ちゃんが産めない身体だから。
それが本当に理由なのか。自分が、米に虫が湧いても、洗って食べるような家出身だからじゃないのか。マスナガは声を荒げ、その場を去る。
フルヤは、一人、月夜、マスナガの子を産めないから結婚への覚悟が出来ない自分を哀しむ。
工場長が首吊り自殺した。
キイチは、困る、働けないと困るとアタフタしている。フルヤは、工場長から頼まれていた書類にキイチの印鑑を押させる。これで、ソーシャルワーカーが、彼を何とかしてくれるはずだ。
フルヤは親元に戻るつもり。中絶して、飛び出してきた実家へ。もう孫の顔を見せられない代わりに、娘の顔をと考えている。
ミヤシタは、マスナガに職をどうにかすると告げる。しかし、それをマスナガは拒否する。会社をお前が潰した、それで社長が自殺した。お前は人殺しだと罵り、飛び出す。
フルヤは、ミヤシタにここを去るように告げる。互いに嫌な思いをするだけだから。私たちはバラバラになったら生きていけるからと。反発するミヤシタに、だったらキイチを雇えるのかと詰め寄る。上司の判断がいる、正直、彼はなかなか難しい。ミヤシタの答えを先回りして言うフルヤに、ミヤシタは力無く去って行く。
その後、マスナガは、パート先の従業員、母校の先生を殺して逃亡する。
ニュースは、いつものとおり、残虐な事件を淡々と報道している。
その途中、女子高生のヒトミと出会う。マスナガは包丁を突きつける。
すると、ヒトミは、マスナガの手を引っ張り、自転車の後ろにマスナガを乗せて、走り出した。
ヒトミは、今、悩んでいる。
転入生。席が隣になった。友達が少ないヒトミは、彼女に自分と付き合っても、友達は出来ないと告げる。でも、転入生は友達、0だからと言って、笑顔で返してくる。
いじめが始まった理由は分からない。たまたま、その空気になったから。たまたま、ターゲットが友達になったから。
その友達が助けを求めてくる。自分は何もしない。出来ない。友達の想いを受け止められない。
どうしたらいいのか。マスナガがその答えを持っているように感じたみたい。
マスナガは、殺した理由を語る。部落差別、それを教えた先生。部落を知らない女子高生。知らなくても、それは存在する。
一晩中、逃げた。マスナガはなけなしの金で、ヒトミに着替えを買う費用を渡す。思いやりの心を持つ人。でも、こんな人が人を殺している。
もっと、話をしたかった。自分が出来ることを教えて欲しかった。
でも、マスナガは、ヒトミと別れ、その後、自首した。
ヒトミに連れ回された。マスナガは本当のことを一切、言わなかった。だから、マスナガは、二人を殺し、一人を誘拐した罪で死刑判決を受ける。
拘置所で、マスナガは6番と呼ばれる。
マスナガは殺人犯だ。そうニュースでも報道された。
でも、そのマスナガと今、触れ合う刑務官は、彼をそんな目で見れない。同じ人ではないか。
でも、いつか、この手で彼を死刑執行する日がくる。
ニュースを見る。今日もどこかで酷い事件が起こっている。加害者は酷い奴だ。罪人だ。罪人は悪だ。本当にそうなのか。信用できない常識を無理にでも信用して、刑を執行する妥当性を心に刻み、ほんのわずかの安心感に寄りかかって職を全うしようとしている。
そんな先輩刑務官の姿に、新人刑務官はどこか違う気がすると感じる。
新人刑務官はマスナガにある手紙を渡したいと思っている。それは、世間的には被害者と呼ばれるヒトミからの手紙。そこには、一緒に逃げた経緯やその時のヒトミの心情が綴られている。
渡すべきか、捨てるべきか。先輩の答えは捨てるだ。彼のためにはならないから。でも、前任の刑務官からそのまま置かれている手紙。捨てるべきなら、もう捨てられていてもおかしくはない。手紙だから。捨てにくい。先輩はそうとしか答えない。
先輩は、後輩がこの仕事に向いていないことを危惧している。
マスナガ、いや死刑囚6番に感情移入している後輩に不安を覚え、マスナガに彼とあまり親しくしないで欲しいと願い出る。
マスナガは、刑務官の気持ちも悟って、そう振る舞うようにすると言う。後輩はこの仕事に向いていない。優し過ぎるからという言葉を添えて。
執行の日が決まった。
先輩の硬直した無念の表情で、後輩もすぐに分かる。
後輩はマスナガに尋ねる。
どうして、殺したのか。どうしても分からない。あなたが凶悪な殺人鬼だったら分かる。でも、あなたは普通の人だから。
もちろん、職務違反だ。
そして、もう聞けなくなってしまうからと、刑執行をほのめかす言葉を喋ってしまう。
取り乱すマスナガの下に先輩が駆け付ける。後輩を出て行かせ、マスナガに深く謝罪する。
マスナガは気を落ち着けて、覚悟を決める。
このことは黙っておく。自分は何も聞いていない。だから、執行には後輩にもお願いしたいと。
キイチは、朝の公園で焼死体として見つかった。
工場の時の日課であった、ラジオ体操をずっと続けていたみたいだ。
そこを少年たちに目をつけられ、暴行を受けた上で、ガソリンを撒かれたようだ。
彼は、自分が先に死んだらダメなんで、順番を守らないのはダメだと、最後まで命乞いをしていたらしい。
ニュースキャスターは、番組でその残虐な事件のあらましを語る。それが仕事だから。伝えることが。
マスナガの死刑執行の日となった。
先輩が迎えにやって来る。
刑場には団子と最中が用意されていた。どちらかを食べていいらしい。マスナガは団子を選んでほうばる。
後輩が、先輩に手紙を読みたいと直訴する。
彼のためにはならない。その先輩の言葉に、後輩はこれからのためだと答える。
彼には辛い思いをさせてしまうのかもしれない。それでも、この仕事をしていく自分には、彼にヒトミの言葉を伝える必要があるのだと。
先輩は刑執行の時間が来るまでにとつぶやき、マスナガの、死刑囚の仕事は、死を覚悟して受け入れることだと語る。それは辛く悲しい大変な仕事だ。マスナガは今、その仕事をしている。後輩はいつも違和感を覚えていた先輩の言葉の真意を理解する。
後輩の口から手紙が読まれる。
どうして、自分が連れ回したんだと言わなかったのかという疑問。
自分が友達に何をしてあげたらいいのかの答えをもっと一緒に導き出して欲しかったという願い。
ヒトミは、あの時の自分自身を見詰めている。
マスナガと出会って、マスナガのしたこと、言葉から、見詰め直した自分。
被害者になりたかったのかもしれない。そうすれば、友達とまた一緒になれると思ったのかも。
でも、そんな降りかかる災いにしがみついて、被害者でいるのってしんどい。あなたは、加害者になった。だから、死刑になることは当たり前だと思う。
でも、私は加害者にはならない。傍観者にもならない。
これからのため、私は自分にきちんとなりたいと思う。
最後に手紙は、その死刑執行の日までお元気でと書かれていた。
後輩は、マスナガに声をかける。
数々の差別を受け、こうして死刑を執行されることにまでなってしまったマスナガ。
自分は、これからの自分のために、今から自分の仕事を全うする。
あなたにとって、辛く厳しい世の中だったのかもしれない。でも、自分はそれを受け止めて、これからを生きていく。地獄を変えろ。その時が来るまで、自分はあなたを許さないと。
後輩が呼ばれる。
死刑執行人としての仕事をする部屋へと向かう。
マスナガの首に縄がかけられる。
死にたくない。彼の最後の言葉を残し、刑は執行される。
ヒトミは、友達の家を訪ねる。
今は一児の母になった友達。
久しぶり。その一言だけで、心をもう一度通じ合わせようとする二人。
自分は自分として生きていく。だから、まだ間に合う。
これからだから・・・
言葉とかは、曖昧になって勝手に想像して作ってしまっているところがあると思いますが、話の流れはこんな感じ。
これを、時系列をバラバラに展開し、散りばめられた数々の問題を、想いを交えながら収束させていく感じでしょうか。
もちろん、話のテーマが重い上に、多様なところもあり、綺麗に一つにまとまるなんてことはありませんが、行き着くところ、そんな色々を受け止めて、今を生き、これからに繋げたいといった祈りの気持ちを導き出しているように感じます。
マスナガが工場長に、友達がヒトミに助けを求めるシーンがあります。
工場長は、ずっとマスナガに寄り添っていた。でも、色々とあって、もう寄り添えなくなってしまった。
ヒトミはいじめられる子と友達だった。でも、同じように色々とあって、距離を置くようになってしまった。
工場長やヒトミは、決して、傍観者になったわけではなく、触れることが出来なくなった、難しくなったのだと思います。
助けられなかった。助けられようとしなかった。
それは、マスナガや友達の被害者意識が、差別というものにあまりにも縛られてしまい、かけられている声や想いが全く見えなくなってしまったかのように見えます。
被害と加害という言葉が語弊を招きますが、まあ、差別など人の過ちを受けることも含めて傷つけられることを被害、逆に差別する、人を傷つけるという過ちを犯すことを加害とします。中立の立場。これが二つあると思います。一つはどちらにもなりたくないと拒絶する中で生まれる傍観者、どちらも受け止めた上で、どちらにもならない自分という確立した存在。
マスナガは、被害者であることを恨み、加害者になったが、死刑執行の前のヒトミの手紙によって、最後に自分になりたいという願いを抱いた。見届けたかった、死にたくないといった生の言葉が、彼の本当の自分として生きる願いだったように感じる。
ヒトミは、被害者であることを恐れ、加害者であることもまた恐れ、かと言って傍観者であることも拒絶する。でも、マスナガとの出会いによって、どれになる必要も無い、本当の自分を導き出せた。
後輩刑務官も同じか。人を憎むことが出来ない彼は、その生を自分の手で抹殺する仕事に対して、こんな仕事をさせられる被害者なのか、人を殺す加害者なのか、先輩のように傍観者であるべきなのかを悩んでいたかのよう。でも、マスナガとの出会いで、自分の仕事を受け止め、それを全うすることを見出した。
先輩刑務官は、被害者と加害者にどちらにも寄り添うべきでは無いと考え、傍観者としていることで自分を抑え付けた。そういう傍観者であるかのような自分を苦しみながらも、保持する覚悟をしている。
キイチは、いつだって自分は自分であり、被害者であることに気付かず、そのまま被害者として生を終えた。どうしようもない世の不条理の象徴として描かれているのか。彼を傍観することで生まれてしまった死だという警鐘なのか。
ミヤシタは、傍観者として、被害者にならぬよう、加害者にもされぬように、気をつかって疲れて生きる。生きることはそれぐらいに大変だ。いっそ、どちらかになってしまった方が、思い切って生きられるのかもしれないと考えさせられる。
友達は被害者であることから、抜け出して彷徨う。もう被害者にはなりたくない。でも、加害者になることもできない。彼女は自分としての幸せな時間を持てるようになったから。あくまで今は。過去の被害者であった恐怖は今も残り、それがある以上、これからに安全の保障は無いかのよう。そんな不安や彷徨いを、ヒトミの訪問は、消し去ったように感じる。過去を受け止め、これからに幸せを求める自分を生み出せたかのよう。
フルヤは、自らの間違いで加害者にも被害者にもなったことを強く認識している。自分が自分を傷つけてしまった加害者と被害者の両側面を持ち、自分のことなので傍観者にもなれない。彼女の心を動かせるのは、被害者でも加害者でも、もちろん傍観者でもない。自分として生きている人の言葉が、きっと彼女自身を自分として生きることの誇りへと導いてくれるように思う。田舎でそんな人と出会えたことを祈る。
工場長は、被害者であることを受け止めた上で、その被害者としての自分を同じ仲間の中の一人として生きることを目指していたのか。工場が閉鎖したとたん、全てを失ったかのように自殺してしまった。工場を閉鎖して、従業員たちを捨てた。でも、結局、捨てられたのは自分だったことに気付いたことが、生を終えようとした一番の理由だったように見える。
ニュースキャスターは、傍観者だ。傍観者でいることが重要だから。でも、先輩刑務官と同じように傍観者でいることもそれほど甘くない。湧き上がる自分の気持ちを抑え切れず、数々の生死にまつわる事件を情報を知っているからこその、人の命は決して平等では無いという言葉が吐き出されている。その吐き出した姿が自分として生きることなのかもしれない。
各登場人物に想いを馳せてみたら、何かこの作品の焦点が導き出せるかなと思って、書いたはいいものの、結局、皆それぞれだね、生きるって大変みたいな感じにしかなりませんでした。
行き着くところは、やはり自分は自分として生きることが大事なのかなと思います。自分として生きるなんて言うと、なにかむちゃくちゃに自由に勝手に生きる人だらけになって、大変な世の中になりそうだけど、そんなことは絶対に無いこともこの作品は伝えているように感じます。人を信じているというか。加害者も被害者も傍観者も含めて、皆、人であり、そこにはどの立場であろうと、そこに至る原因があり、それを人は想えるのだという絶対的な信念が前提にあるようなことを感じます。
被害者、加害者、傍観者があらゆることには存在し、そのことをきちんと受け止める。
人が人を殺しました。殺した人、悪い、殺された人、可哀想、自分、関係ないでは無く、それぞれの立場になって、見詰めてみる。
その時、自分は傍観者では無く、自分として生きることが出来るように思います。
そして、そんな風に、見詰める機会を与えてくれるのは、単なる事件のあらましを報道するニュースとかを見るのではなく、本当にそれを伝えようとしているもの。
例えば、この作品のような。
それが、これからを一緒に見出すための、演劇を通じた私たちの仕事であることを掲げているようにも思います。
(2016.02.24 フルヤの役名を間違っていたので全部、書き換えました)
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