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2016年1月 7日 (木)

話すのなら、今ここにないもののことを話したかった。今ここにないものの話ばかりしようと思った。【Recycle缶の階】160107

2016年01月07日 パシフィック・シアター (舞台編:45分、休憩15分、客席編50分)

登場人物と役者の舞台編、登場人物と観客の客席編を通じて、演劇って何なのかという演劇論のようなところから、人が登場人物を創り出し、その作品の中で唯一の世界を生み出すことで描かれる人の想いのようなものが浮き上がる作品。
今、見えないもの、聞こえないことを、舞台から語り掛けることで、観る者の心に響かせることが出来る演劇の力は、暗闇の中で不安にいる者たちへの大きな光になり得ることを示唆しているような話かな。
演劇だけでなく、色々なことに置き換えられそうなメタファー的な要素を持つ話と、いつの間にか劇場を舞台にした舞台と、自分たち観客が座る客席の境界がよく分からなくなるようなメタフィクション構造が、不思議な感覚を得る作品でした。

<以下、若干ネタバレしますが、許容範囲と判断して、白字にはしていませんのでご注意願います。公演は日曜日まで>

<舞台編>
劇場で公演の準備をする男。
しばらくすると、色々な荷物が運び込まれる予定。
男は缶珈琲を購入して待機していると、舞台に一人の男が現れる。
その男はこれから公演する作品のセリフを語り出す。
それも自分が演じる登場人物の。いや、正確には演じるはずだった登場人物。
台本の改訂で削除されてしまった登場人物。
彼は、上演されることのなかった登場人物は劇場に霊となって彷徨うっていう、それらしい。
男の役はヒーローだった。それは削除された。
しかし、この作品には、演じる役者はいないけど、確かに存在する登場しない男がいる。
事故。暗闇に閉じ込められた人たち。数多くの言葉が発せられる。しかし、その絶望的な状況に人々の声は途絶える。たった一人の男を除いて。彼は話し続ける。言葉を話し続ける。物語を語り続けた。やがて、救出される。助かった者は、その彼の話を聞いていた人たちだけ。彼の姿はどこにも無かった。
男は缶珈琲に照明を当てる。満月に照らされたヒーロー。
男は缶珈琲を手にして舞台から、客席へと降り立ち、劇の外の世界へと向かう。

劇の登場人物とその役を演じる予定だった役者さんの会話劇。
登場人物は台本のことを考えて、そこに存在していない。彼が今いる唯一の世界で、自分はどうなるのか、どう生きればいいのかを考えながら、これからの時を過ごそうとしている。
だから、自分がヒーローであることも知らない。
役者は、登場人物のことを台本を通じて知っている。彼が限られた上演時間の中でヒーローとして存在する者であることを。劇中の人が知らないことを、劇外の人は知ることが出来る。役者は、演じる数だけの多数の世界が存在すると思っている。彼がヒーローである世界はその数多くの世界の中の一つに過ぎない。
こんな関係性を見ていると、台本の中から飛び出してきた虚構の存在である登場人物の方が、自分たち自身と同じ人間の人生を歩んでいるのではないかと思わせられる。
自分が何者なのか、どう生きていけばいいのかを、自分自身で考え、決めて生きなくてはいけず、悩みながら時を過ごす私たちのように。
役者は人を創る。台本の段階で、役名、その背景が与えられた登場人物の内を、自分の考える姿として具現化する。人を演じるということがどういうことなのかが何となくだが分かったような気がする。
そんな生み出された人が存在する唯一の世界が、上演期間中の劇場なのかもしれない。
演劇に救われる。この言葉はけっこう見聞きすることがある。大袈裟な言葉だが、こうして観劇をするようになると、確かに自分の人生に大きな影響を与えることは少なくとも間違いないように思っている。
何かはよく分からない。大きな力を持っているのだと思う。
上演される作品。暗闇の中で、これからの不安、死を身近に感じてしまう恐怖に抗いながら、少しだけの光でも求めようとする人たち。
そこで物語を語り続け、言葉を発し続けるヒーロー。
これは、暗闇の中で、見えない客席に座る客相手に、自分たちの作品をぶつける役者の姿と同調する。
役者はその舞台で満月のような光に照らされる。
これは、現実に作品中の暗闇の中でいる者たちのような人たちに、あなたに語り掛けてくる言葉に耳を傾けてください、舞台と同じように光は必ず照らされて、希望は見つかりますという願いが込められているように感じる。
台本では削除されてしまっても、ヒーローは姿無き者として、作品の世界にしっかりと存在した。現実の世界だって、生き辛い世の中で救世主などいないと言われていても、きっとそれは削除されているのではなく、どこかに姿無くても、傍にいることを伝えているようだ。
ラストは、そんなヒーローが、私たちのいる客席側の世界に向かって歩み出してくれていることを描いているように感じた。

<客席編>
開演前の客席で、準備をする男。
女性客が入場。
場内アナウンスがあり、開演までしばらくといったところ。
客は女性だけ。男は女性に話しかける。
なかなか始まりませんね。舞台は幕が降りたまま。
上演されるのはある作品の再演版。女性はその初演を観ている。それが人生初観劇。今回が2回目となる。
でも、男は初演と同じでは無いと言う。
そりゃあ色々なことは変化するから少しは変わるだろう。でも、違う作品を上演するのはおかしいのではないかという女性の意見。
それでも、初演と同じではダメなのだと言い張る男。
それには理由がある。男はこの作品の登場人物。未完成の脚本で、演出家が勝手にラストを決めて終わらせてしまった。それに納得できないでいる。
誰もいない森の中で音がした。登場人物は森の外でその音を聞いた。その森はどのようなものだったか。演出家はその音に耳を傾けず、自分が知っている一般受けする森を描いただけで、登場人物が音を聞いて感じた森ではなかった。
と言って、作家を捕まえて、ラストを思うように書かせることも出来ない。演出家に直談判して、ラストを考え直させることも出来ない。
だから、再演は始まらない。
考えたことは、劇が劇となることの条件。
作家が脚本を創り、演出家がその脚本以外のことを全て考えて創り上げる。そして、それを客が観る。
客が感じたことは、どうであろうと、そう思ったならそれがその作品そのものとなる。
だから、その女性に初演のラストはあんなものではなかったということにしてくれとお願いするために、こんな偽の公演を打ったらしい。初演を観た女性と会って話をするために。
でも、女性はそれに協力することはできない。
演劇を観たら分かると思っている人に言われ、その人の気持ちを理解してみたくて観たので、ラストを覚えていない。だから、今度は自分でそのラストを見届けようとしているみたい。
あの作品は終わらせたと演出家は思っているけど、終わっていないと登場人物は考えている。
女性は思う。終わらせたと思っているから、勝手に遡って始めたと思っているだけで、実は始まっていないのではないのか。
時間がくる。登場人物は上演時間の間だけ、客との心の中の会話で気持ちをぶつけ合える。それが終わり、登場人物は舞台へと戻る。
女性は気付くと舞台という客席に座って、その作品を観ている。

今度は、劇の登場人物と観客の会話劇。
客席は観劇をする者にとってはホームなので、こちらの編の方が発せられる言葉の理解はしやすいような印象。
作品は当然、創り手の方々によって生み出される。これに観客は関与できない。女性がたびたび口にする、私は演劇をする人ではないからといったことと同じか。
良かったと思う作品も改訂されてしまえば、もうその時の良かったは味わえない。それは創り手に全て依存せざるを得ない。
上演も観客は観るだけで、舞台に絡むことはもちろん出来ない。演じる役者さんも、基本的には客席に座る客は存在していないものとして、舞台で言動しているはず。
じゃあ、観客は創り上げられたものを押し付けられるだけかと言ったら、これは違う。それをどう捉えるのかは観客の自由であり、絶対的な特権だ。創り手にとっては不条理なことも多々あるように思える仕組みで劇は成り立っている。劇だけでなく、表現するということの原点なのだろうか。
舞台編とも同調しているようなところが多々ある。
要は誰もいない森や客のいない客席、いてもいないという暗黙の了解で、舞台から語られる、発信されることを、どう聞いて、どう感じられるのかのようなことが描かれているみたいだ。
聞こえない、見えないものを、どうやって聞かせ、見せるのか。
そのために、舞台から何を客席に向かって発信するのか。
作品という物語ならば、何を話すのか、語り掛けるのか。
これが作品名にも繋がっているようである。
同じことをやり直すことも出来ない、観た客の記憶を変えることも出来ない。
こうして見ると、一つの上演される作品は、それ自体が人生のようであり、それ故に、それに立ち会うことで、自分の人生を見詰め直すことが出来るという演劇に救われるということの正体が見えてくるような気がする。
観終える。観始めたから終えたということだが、そもそもこの二つの編共に、いつ始まったのかよく分からない作りになっている。観始めたのはどの段階なのか。
勝手に始まったと思っているから、終わりなんて言葉を口にしてしまう。終わってなんかいない。いつだって、これからが始まり。
ラスト、幕が上がって、いつの間にか、舞台に出来ている客席で一人観劇をする女性の姿から、そんな始まることへの安堵、勇気を感じる。

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コメント

SAISEI様

先行かれたか~(笑)

今日予約しましてやはり今年の観劇始めになりそうです。

土曜日の17時に初観劇。一昨年

投稿: KAISEI | 2016年1月 7日 (木) 22時56分

だったんですね。。観れなかったので今回優先しました。

投稿: KAISEI | 2016年1月 7日 (木) 22時57分

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