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2016年1月10日 (日)

演劇と歌声と10個くらいのいいたいこと。【べろべろガンキュウ女】160109

2016年01月09日 千里山コミュニティセンター (95分)

ちょっと設定は歪んだところがあるが、その中で純粋な想いを通じた人の成長を描いた切なくも心地よさの残る青春劇。
・・・をベースに、演劇的手法によって、その物語の奥深くまで潜り込んでみるという作業に付き合わされたような公演かな。
普通は、その完成品を観るので、その過程を観て考える時間は新鮮だったかもしれない。
たった一つのシーンの中にある登場人物の心情、そこに至る背景、登場人物の元々の性格、登場している人たちの相関、シーンを盛り上げる音楽、伝えたい事、演劇的な技術・・・
これらにより、そのシーンは多様な可能性を持ち、舞台は宇宙のような無限を生み出せることを見出しているような作品だった。

あおい。
大学を辞めて、仕事もせずに親のすねをかじって生きている。
医大生のゆうと同棲。
ゆうは私と違って、優秀。研修医として忙しい日々を過ごしている。だから、担当の患者の容態が悪くなったら、いつだって飛んで病院に行かなくてはいけない。
この日もそうだった。本当は二人で海に行くはずだった。
2年前、皆と一緒に行った海で、ゆうと親友から恋人になった日。
仕方ないとは思っている。ゆうは頑張っている。私は頑張れない。私のことを笑っている人がいる。
こんな時は私のわがままにいつも付き合ってくれる幼馴染のあさひを呼び出す。無茶ぶりのモノマネをさせて心を落ち着かす。
あさひは、ゆうとのことを気にかけているみたいだ。
それに、今の大学を辞めた私のことを心配してバイトを紹介してくれようとする。
でも、何か素直になれない。いつだってそうだった。私が野球を始めたら、あさひもやり始めて、いつの間にやら全国大会へ。大学受験も。私は必死に勉強していたのに、あさひは急に自分と同じ大学に進学すると決めてあっさり合格。
勝ち組のあさひに負け組の私が情けをかけられているみたいだから。
野球は私を甲子園へ連れて行きたかったから。大学受験は私と一緒の大学に行きたかったから。そんな、あさひの好きを受け止められない。
ゆうとの同性愛には限界があることは分かっている。いつかは終わりがくることも。
でも、今は分からないふりをしていたい。

ゆうの帰りが遅い。いつものことだ。そう思っていた。
電話がかかってくる。
ゆうがどこか高いところで輝いている。
私は何処にいるのだろう。何処を彷徨っているのだろう。
病院。気付くと、あさひが横にいる。
坂本先輩もいる。妹の芽衣子も後で来るらしい。
大丈夫。ゆうが死ぬわけない。ずっと一緒なんだから。
前にもこんなことがあった。
坂本先輩がゴムをつけなかったから。
命に別状は無かった。
でも、ゆうは子供が産めなくなり、SEXも出来なくなった。
自分と同じような後悔を人にさせたくない思いだったのか、自分への罰なのか、この時、ゆうは医者になる道を決めた。まだ私は何も掴めていないのに。
でも、そんなゆうを見て私は少しだけ嬉しくなった。
最低の私。
そう、私は最低だった。

高校時代。
ゆうから、あさひは私のことをきっと好きだなんてからかわれて、あれは弟みたいなものだと否定していた。
男なんて好きになったこともない。
でも、ゆうは今、恋をしているのだとか。
3年生の坂本先輩。
女をとっかえひっかえしている悪い男。あの時、ゆうにそうはっきりと言えば良かったのかもしれない。
ゆうと坂本先輩は付き合い始める。
でも、坂本先輩は案の定、浮気。
私は坂本先輩にその件で詰め寄った。
最低の男。死ね。ゆうの処女を返せ。
坂本先輩は、その態度を見て、私がゆうに友達以上の好きな想いを抱いていることを見透かした。
気持ちが分かるのだとか。だって、坂本先輩は妹の芽衣子に同じような想いを抱いているから。
好きだけど好きだと言えない。抑えきれない想い。
坂本先輩はその想いを、芽衣子と同じ年ぐらいの子とSEXすることで消化している。
私はその芽衣子と似ているらしい。
だったら、私が先輩の相手をすれば、ゆうとは別れてもらえますか。
フラれて泣き叫ぶゆうを、私は先輩は最低な人だったのだから仕方ないの一言で慰めた。
本当の最低は私だ。

ゆう、あさひ、芽衣子と一緒に海に行った。
ゆうにとっては初めての海。
あさひは芽衣子に呼び出されている。
芽衣子はあさひにあおいのことが好きなのかと尋ねる。
慌てて、違うと誤魔化すあさひに、芽衣子はだったら自分を抱きしめてと。
あさひは、あおいへの想いに葛藤しながらも、芽衣子の背中に手を回す。
私はゆうに告白した。
ゆうは中絶したことから、男のことが怖くなり、安易なSEXをした自分を責めている。
私は、ゆうの心を少しでも楽にしてあげたかった。
そして、二人は恋人となった。

目を覚ますとあさひがいる。
ゆうはいない。
死んだのだとあさひから聞かされる。
信じられない。信じたくない。ずっと一緒だと言っていたのに。
あさひは、さらに、ゆうは女だったことを伝えてくる。
眠るゆうの下に男が来た。結婚も考えていた男が。
裏切り。
いや、それは全て私のためだったと言うあさひ。
大学を辞めて、家に引きこもり、自分の道が見つからず彷徨うあおい。
もし、自分がいなくなったらあおいはきっと本当にダメになってしまうと。
錯乱する私に、あさひは必死に声を掛けてくる。
好き。ずっと好き。いつだって傍にいたはず。ゆうで見えなかったかもしれないが。だから、これからもずっと一緒にいる。

ゆうのことをそんなに簡単に忘れられるはずがない。
でも、今ならゆうに言える。
ゆうが女だったことを責める気はない。
仕事はけっこう写真が合っているみたいで、バイトを始めた。
あさひが私のことを好きだって言ってくれた。
芽衣子や先輩とも、まあ上手くやっている。
そして、あなたのことが大好きだと・・・

同性愛や近親愛などの性描写の中で、一人の女性が成長する姿、純粋な人への想いを浮き上がらせる。
学業、仕事、恋とか自分の人生に明確な道筋が見つけられないあおい。ふわふわと漂っている。そんな自分に不安を感じ、周囲からも笑われている、認められないと思っている。
でも、周囲の者たちも同じように悩み、もがきながら頑張ろうと生きていることを知り、こんな私にも優しい想いを寄せてくれている存在がずっとあったことを感じ取る。そして、私が私であることに誇りを抱けるようになったみたいだ。
人を想う力の優しさ、力強さを魅せる、少し甘酸っぱい青春物語。
ここで、演出家のゆうたが登場する。
爽やかな青春物語はここまで。ここからは露骨な性描写や暴力シーンを組み込んだ作品となる。嫌なら出て行けと。
ある意味、ここで出て行ったとしても、この公演はきっと成立している。
上記した、ちょっと歪んだ世界だが、その中で純粋な淡い想いの中に込められた人が人を想う力の強さを十分に表現した物語となっているように思うから。
今から思うと、この後を観なければ、登場人物の中に潜む醜さや汚さを知らずに、何かちょっとキュンとしちゃうような作品だったと感想を書いていたことだろう。
ここからは、演劇らしいメタフィクション構造の中で、演劇の面白さを見出そうとしているようだ。

登場人物たちは、演出家のゆうたから新たな台本を渡され、舞台の外で見る演出家の代理として、役者と共に舞台の中で演出する女ゆうたが登場する。
先輩にフラれるゆう。でも、さほど気にしない。SEXする男ならいくらでもいる。処女なんてとっくの昔に捨てている。
あさひは必死にあおいに好きを伝える。その後、芽衣子とはセフレの関係を続ける。
全てを知ってやっている性格の悪い芽衣子。彼女への嫉妬心をあおいは露わにする。
あおいはあさひを責める。所詮、SEXか。だったらいくらでもやってやる。やってくださいと言え。汚く軽い女性像をあおいはアドリブで生み出す。
坂本先輩は芽衣子の代わりにあおいを抱く。レズのあおい。先輩はあおいの処女を奪い、その後もあおいはずっと男とはしない。そのことに興奮する先輩。
そもそも、ゆうを病院からの呼び出しに行かせなかったら、何も起こらなかった。そんな、あっさり終わりパターンもありか。

このあたりから、もう突拍子も無い台本になって付いていけなくなる。
あおいは、あさひを宇宙に飛ばしたり、芽衣子をスペース芋虫にしたり、ゆうにSEXを強要した上で宇宙に一人で行かしたり。
あおいの中にある、妬みや自己嫌悪から生み出される残虐性にも見えるし、どうにもならない世界に対して自己犠牲的な相手への優しさ、思いやりのようにも見える。
試行錯誤の中から生み出された最後は、ゆうの病院からの呼び出しに対してあおいは快く送り出す。
恐らく、一度、爽やかな青春劇のラストを迎え、その時の成長した登場人物の姿の状態で、もう一度、この作品を始めたら、こんな冒頭のシーンになるのかもしれない。
事故には会うのだろう。でも、あおいのゆうへの依存が無ければ、ゆうは心悩むことなく、最期の時を迎えられるのかもしれない。あおいもゆうとしっかりと決別できるのかもしれない。運命には逆らうことが出来ない。でも、その中で、少しでも良しとすることは可能であることを示唆しているのだろうか。
決められた物語、台本でも、その中に潜む登場人物の心情をセリフ一つで変えてしまうことで作品の世界は変えられる。
同じシーンをリフレインすることで、単なる繰り返しではなく、そのたびに登場人物は成長するので、違う結末を導き出すことも可能なのかもしれない。
爽やか青春劇にも出来るし、露骨な汚さ漂う醜悪な話にも出来る。
一つの台本から生み出される無限の可能性。
宇宙。
作品名の演劇と歌声と10個くらいのいいたいことがあれば、舞台空間にそんな無限の宇宙を創り出すことが出来ることの証明をした公演だったように感じる。

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