ソコナイ図【dracom】160102
2016年01月02日 アートスペース ジューソー/#13 (100分)
今年の観劇始めは、苦手な劇団3本指には入るだろうdracomから。
孤独に最期の時を年越しと共に迎えようとしている姉妹の話。
救われることのなかった姉妹が、最期の時に暗く冷たい部屋の中で、どんな想いでこれまでを振り返り、これからを見詰めたのかを描いたような感じ。
彼女たちが届けることの出来なかった想い、私たちが受け止めることの出来なかった想いに頭を巡らせ、彼女たちを通じて幸せの社会を祈る話のように感じる。
<以下、若干ネタバレしますが、許容範囲と判断して白字にしていませんので、ご注意願います。公演は明日、日曜日まで>
空っぽの部屋。
玄関先に放り出されたままの、投函された封筒。
横たわる姉妹。
部屋の外から感じられるのは、除夜の鐘の音と、部屋に入って来る冷たい隙間風。
じっとして動かない姉。
横たわったまま妹は言葉だけを並べる。
特に不自由なく、自分の土地に建てた家で両親と暮らしていた姉妹。いわば、資産家の娘と言っていい。
土地は値上がり、ピークを迎える。
そんな時に亡くなった両親。
莫大な相続税。姉妹は国にローンで返済をする。
ところが、就職も困難で思うように返済できず、強いられる厳しい生活。
土地の価値は暴落する。今更、売却しても何の意味も無い。
家を取り壊し、マンションの家賃収入で暮らしていけばいいという甘い話。
壊される家。消えていく両親との思い出。
のしかかる国への税金と不動産会社へのマンションのローン。
困窮する生活。友達や隣の人に金や食べ物を恵んでもらうまでに。
いつしか市民税も払えず、差し押さえ。
生活保護も考えるが、市の職員は、形式通りのことしか言わず、親身になって対応はしてくれない。
執行員は日々、姉妹の部屋に手紙を届けることしかしない。電気・ガスが止まっていることはすぐに分かった。ゴミの異臭がすることにも。でも、呼びかけはしない。状況を報告するだけ。それが自分の仕事だから。
担当職員は、その手紙を姉妹が読んで、連絡をしてくることをただ待つだけ。連絡をしてきたら、何かをしてあげるのに、残念だと責任逃れできるようにしている。
姉は思う。
年越しってどう過ごす。
家族で夢やら希望やらを歌うアイドルたちの歌を聞いて、くだらないと言いながらも、誰がいいとか言い合って。やがて、暇だからか、ちょっかいを出し合ったり。
幸せにふさわしくない人になってしまった。幸せに無縁な人に。
増え続ける人間。自分たちは邪魔になって間引かれるようなものだろうか。
妹は病弱だ。自分がいなくなって一人になったら。幸せにふさわしい人であって欲しいと願う。
そうして意識は遠くなって、力尽きる。
妹は言葉を並べ続ける。
隣にはじっとして動かない姉。聞こえているのかな。もう年は越したのだろうか。
空っぽの部屋。何も無い。いや、記憶があるか。奪われなかったものはそれくらい。
何も無い部屋に二人だけ。もしかしたら、逆に二人がいなくて、部屋だけあるのか。外の世界と隔離されたこの部屋、自分たち。
握りしめている五円玉。ぬくもり。まだ、世界と自分が繋がっていることを感じる。自分たちを見放した、そして自分たちも見切りをつけた世界と。
妹は五円玉を手放す。
生まれて初めて自分で決めた。最後の生死は自分の自由に。
もう、年は越したのだろうか。
薄れる意識の中、眠りにつく。
部屋には、封筒が投函される・・・
別に特に貧乏で生活に困窮している環境で育ったわけではない。
天涯孤独のような寂しい生い立ちでもなく、ごく普通に家族や友達と過ごしてきた。
人から妬まれるような資産家でもないし、恨みを買うような悪いこともしていない。
ただ、生きてきた。
そんな姉妹が死ぬ。それもどうしようもなく孤独に、差し伸べられる手もなく、自分から手を差し出すこともなく。
ただ、両親が死んだという、時間の流れ、生命の法則から逆らうことができない当たり前のことをきっかけに。
救いようのない話。
でも、それは現実に起こった話であり、経緯を見るに、自分自身にだって起こり得る話なのかもしれない。
自分たちだって救われないかもしれない。だから、姉妹が救われたらいいと思う。そんな考えを抱きながら、姉妹の最期の時に思いを馳せるような感じになる。
彼女たちを通じた、自分も含めた、今を幸せを求めて生きる皆への祈りがあるように思う。
姉妹の人生最期の時だからだろうか。
詩や音楽のラストの盛り上がりのように、同じセリフが何度もリフレインされる。
その言葉に自分たちは社会に殺されたといった恨みや、何で自分たちだけがこんな目にといった妬み、厳しい生活の辛さ、死にたくないという悲しみはあまり込められていないよう。
ごく日常のいつもの様子。自分たちを置いて、時だけは静かに流れ、やがて、年を越すという新しいステージに行くのかなと純粋に思いにふけっているかのように感じる。
もう、自分たちが進むことが出来ない次の時間。
彼女たちが抜け出せなくなってしまったこの閉塞した暗く冷たい部屋に残る、届かなかった想いに寄り添ってみようとしているような作品。
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コメント
SAISEI様
Doracomまだ行ったことないので行きたかったんですけどね。仕事が(笑)キタノさんは客演でよく拝見しますが。
投稿: KAISEI | 2016年1月 2日 (土) 17時12分
>KAISEIさん
機会あれば、一度観ておいてもいいかなといった劇団ですね。
今作は、ある事件をベースにしているので、難解でも感じることは出来ますが、ここは厳しい時はそれすら出来ず、思考停止に追いやられることも。
姉妹の悲しい姿は、未来の自分でもあるような感覚が不安を煽られるところがあります。
投稿: SAISEI | 2016年1月 4日 (月) 12時57分