考え過ぎの喋り過ぎvol.5 ~お金について~【丸山交通公園ワンマンショー】151223
2015年12月23日 スタジオヴァリエ (40分)
vol.1に伺って以来、久々に講義を受けに行く感覚で。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/50-6e71.html)
ずっと、観に伺おうとは思っていたのですがね。なかなか、京都はタイミングが合わず。
今回はお金がテーマ。
独自の視点で繰り広げられる、妄想のような世界観、奇抜な発想を交えたトークはやはり面白かったです。
今回はテーマが難しく、話を締めるための結論が無かったみたいで、苦しそうだったな。途中、切迫した表情で、懇願するみたいな感じになったり。
でも、価値をお金に換えるというマルクスの資本論での商品という考えを、自分自身に見立ててキメたラストはさすがの奇才っぷりを発揮されるなあと感動。
変わらぬ楽しいトークショーでした。
お金について勉強するべく、まずは本を読む。
商品を売るということは命がけの跳躍 by マルクス。お金に関する本の内容は難解で理解できない。
自己啓発本も目を通す。書き綴られている一流の人がする行動。自分が一流では無いことだけは明確になった。
お金を稼ぐ。生きていくには必要なことだ。どうせ死ぬんだからなんて、昔、父親に言って、激怒されたことがあるが。
当然、大学3回生にもなれば、就職活動を始めた。どこも書類で落とされる。
パチンコ屋なら。ここで働ける幸せ、地域の人たちのために。会社から見せられる数々のスライドは、漫画で読んだ、人の幸せを犠牲にして、人を傷つけ、金を儲けるという世界とは全く違った。
でも、本来、お金はそんなことを秘めている。酒やゲームとかだって、人に喜ばれるが、度を越してしまえば、依存症になったりして悲劇を生むのだから。
結局、ここも落とされる。
不安を酒で紛らわせる日々。金が無いから、つまみは麺つゆ。
酔った勢いで書いた履歴書が功を奏して受けたタクシー会社もシラフで面接を受けたらダメだった。
職が決まらずフリーターの状況で月面クロワッサンに入団。おかしな人が集うピザ屋などでバイト。
劇団が株式会社化して社員に。でも、自分の無能さに嫌気がさして、かつてから考えていた落語家への道を目指す。でも、断念。友人の喫茶店で働くもすぐにお払い箱に。で、今、こうしている。
とことん、お金に縁が無い、お金を稼ぐということから遠い位置にいる丸山交通公園が必死にお金について考えたことを語る。
お金にまつわる犯罪を調査。
脅していないと言いながら明らかにその人の目前で脅して金を巻き取った恐喝、安易に思いついたからといってしてしまったコンビニ強盗、満足にスナック通いするには金が足りなかった生活保護者の強盗、警察の執念ともいえる数年越しの捜査で捕まったわずか数百円をボールペンを凶器に脅し取ったタクシー強盗、きつく叱られて逃げてしまったコンビニ店長が起こした近くのコンビニでの強盗。
ツッコミどころが満載。はっきりと言えることは、やはり金は人を狂わすということだ。
そもそも、お金なんてものは無かった。
物々交換の限界から、その仲介の役割を担うものの存在が始まりか。これにより、経済の流通が活発になる。貝殻やら石やら。今のお金として機能していたものは、各地でまちまち。その共通化として、金が使われる。ほどほどに希少だし、何よりもピカピカしててかっこいい。しかし、金は流通の中で削れたり、重量の問題も大きい。銀行ができて、その金に対して、預かり証のような紙、いわゆる紙幣が使われ始める。
ニクソンショック。これにより、金と紙幣の関係性は絶たれる。
しかし、紙幣は価値を失うことなく、独自の路線を歩み続ける。今では、それは通帳に記載された単なる数字、カードに刻まれた数字となっており、単なる設定のような存在になっている。
関係性を繋げていって、いつの間にか関係が全然無くなっているという、どこかの漫才コンビのネタのような悪ふざけに近いものに。
物の価値に対して、お金を支払う。
でも、その価値付けは適切なのか。
味噌とコーヒー。美味しいお湯と苦いお湯。けっこうな量なのに数百円と一杯が400円ぐらい。
お金自体の価値も疑問だ。
いかにも高級そうな紙幣にしているから、老人が大切にしまい込む。すぐに手放したくなるような、例えば老人蔑視のデザインや言葉を入れてしまえばいいのでは。
だいたい、紙幣に載る歴史上の人物は、一体、何なのか。
特に5000円札のマイナーっぷりには、紙幣への価値を感じさせられない。
ワーキングプア。
働いても働いても、十分な金を持てない人たち。
例えば、痩せた力士が、頑張って頑張って稽古に励んでも、横綱にはなかなかなれないだろう。いつの日か、嫌になり、歳もとってどうしようもなくなり、苦しい思いをすることに。でも、もしかしたら、この痩せた力士は、チェスだったら大活躍していた可能性もある。
同じようにお金を稼ぐ力が無い人だってきっといる。それにしがみつかなくても生きていける世の中を作ることを考えなくてはいけないのでは。
そのためには・・・
結論が出なかった。
今回は初めて、カンパではなく、入場料を設定したのに。それも1500円も。
かなりの本を読み、頭も振り絞ったけど、無理だった。
もう死のうかと思ったりもした。元々、明日、死んでもどうだろうかぐらいにしか考えていないから。
でも、どうしても一つだけしたいことがある。
自分はきっとガンで死ぬ。
親族にガンを患う人が多いだけでなく、飼い犬までもがガンになるくらいだから。
だから、闘病したい。
放射線治療やら苦しい治療を。
そして、自分への弔辞をビデオで撮影する。
そのビデオは、葬式で流され、今、こんなに苦しいのに必死で頑張っている自分が、結局、死んでいった自分に向けられた恨みつらみ、悔しさで綴られる。
これを最後の笑いとして残したい。
だから、生かして欲しい。そのために必要として欲しい。
ワンマンショーを続け、観に来る皆にとって自分が価値ある存在であるようにする。
自分の人生を買ってくれるような感じで。そんなのもちょっと面白いのではないだろうか。
自分という商品。
命がけで跳躍すると語る丸山交通公園は、マルクスの商品としての定義に当てはまるはず。
みたいな内容だったと思います。
難しい言葉をテーマにしましたね。半分はプロデューサーのような人に無理やり言われたところもあるみたいですが。哲学バーとかでも、お決まりの深い、幾らでも多視点で議論できるようなお題ですから。
お金とはというお題から、モノや人の価値とはみたいなところに行ってしまったような感はありますが、今回も魅力的な話でした。
まあ、でもこのお金と価値は色々と繋がっており、話していたら同一視できてしまえるようなところは多々あるかもしれませんね。
お金が無いという状態は、いわば社会において自分に価値が無いとみなされているような感覚には確かになる世の中でしょう。
このワンマンショーをずっと続けられて、あまりお金持ちになられなくても、みんなが観に行きたいなと集まってくるような状況に自分の価値を見出そうと思っているような結論は、ある意味、この歪んだ世の中の変革に繋がるようなことかもしれません。
私も就職には苦労しまして。
履歴書だけなら、本当に100社以上出しました。
当時は手書きが主流ですから、大変でした。出しても出しても返事が来ない。
これも、当時はネットや携帯などありませんでしたから、研究室の固定電話にかかってくるのを待つわけです。
やっとかかってきて、面接を受けても不合格。
私は親がいい大学に行けば将来は安定みたいな昔風の考えを強く持っており、私自身もそんなことに洗脳されていたところもありましから、この経験は今から思えば非常に良かったと思っています。
まあまあいい大学に行っていましたから。それでこれだけダメなら、その価値観は確実に世の中では間違っている結論を出さざるを得ないわけです。それよりも、自分自身。自分自身に価値が無いと意味がないのだと。
でも、それでどうしたらいいのかは分からず。
何か分からないうちに就職が決まり。
その後、数年で転職したけど、次の職が決まらず。
まだ、自分の価値が見えていなかったのでしょう。
失業状態に追い込まれ、その時、酒におぼれました。ちなみに私のつまみはわさび醤油。スーパーの寿司コーナーからパクッてきました。
この時に、お金が無くなってすさんだ自分を見詰めて、私はお金を生み出す商品を創れる仕事が出来る人じゃないとダメなんじゃないかなと考えたように思います。それまでは、単なる研究ばかりだったので。
今でも、その答えはよく分かりませんが、世に普及するような、金の流通の中にのるモノを創れる仕事をしたいと考えています。
お金に価値があるというより、そのモノに価値があるから、金が付いて回るみたいな感じなのかな。自分でもよく分かりません。
で、今は、ガン専門のクリニックで働いています。
医師では無いので、実際の治療はもちろんできません。でも、研究ではなく、間接的に治療に携われるような形で仕事ができる環境にいます。これも、法規制でいずれ出来なくなるかもしれませんがね。
なので、後半はちょっと笑えませんね。
患者さんと間接的とはいえ、触れ合っているので現実の苦しさを知っていますし、今年入ってすぐに、母が乳ガンでホスピスで最期を迎えたりしているので。
だからと言って、非難する気はさらさらありません。これぐらい、笑いにしてしまって、ガンに負けるななんて気もありますから。話の中にもありましたが、本当に周囲がどんどん暗くなります。今や2人に1人がガンになる時代。そんなものに囚われて、大事な人生の時間を暗くなんかさせてたまるかと思うと、こんな考えで吹き飛ばすのもありでしょう。
ちなみにくだらんアドバイスですが、実際に闘病中に自分の弔辞ビデオ撮影計画は綿密な計画を立てて、周囲にも伝えておかないと計画倒れになる可能性が高いと思います。
まず、死を意識しないと仕方が無いくらいのガンを宣告された時はさすがにショックでこんなことなかなか実行できないでしょう。
その後、治療を受けるはずですが、厳しい話、この時点でいつどうなるかは分かりません。ガンはじわじわも悪化しますが、ある時に急激に悪化するパターンがほとんどです。この前までけっこういい感じだったのに急にみたいなことや、逆にもう楽にしてあげたいくらいにけっこう悪いのにずっとそのままだから、もうこれが続くのかなと思ったら急にとか。
この急激な悪化の後は、もう何も出来なくなってしまうようですね。きつい話、自分での排せつや歩いたりすることすら。これが本人にとっても、気力や自信を無くし、さらに悪化を激しくするみたいなことが多いように思っています。実際にそんな患者さんは経験しましたし、自分の母親がそうでしたから。
このタイミングを判断するのは厳しいように思います。患者さん自身、ご家族、周囲の者、誰だって、まだいけると信じたいはずですから。でも、急に悪くなってしまったら、もう何もできないのですから。
だから、治療も大事ですが、残された期間を少しでも共に過ごすことが本当に大事なものなのです。
今月、撮影するかと考えて、いやまだ大丈夫、来月あたりを覚悟しようかななんてしていたら、ただ喋れず寝たままの姿、最悪、亡くなった姿をビデオで撮影するしかなくなったりするかも。
まあ、これはこれで葬式で流してもらえば、最後までどこか運に見放された人だったんだなあと苦笑いが出来るとは思いますが。
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