覇道ナクシテ、泰平ヲミル 偽蝕劉曹編【劇団ZTON】151210
2015年12月10日 HEP HALL (120分)
初演は曹操を中心にした編を観劇。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/95-3e8a-2.html)
同時に上演された劉備を中心にした編を観逃がしてるので、ずっと気になっていました。
今回は、この二つを融合した作品となっており、記憶は曖昧になっていますが、何とか思い出しながら、忘れてしまっているのか、今回、再構成されて描かれたことなのかは分かりませんが、初演と繋ぎ合わせながら観ていました。
作品名どおり、覇道の下、今を壊し、それからをどう創り上げるのか。その先に泰平が生み出せるのか。
壊したり、裏切ったり、妬んだりと負の欲望も心の内にたくさん占める人間にそれが出来るのか。
歴史はそれを実現して、今がある。
これを描き出すことで、混乱して戦いがはびこる世において、どんな時でも、その運命を受け止め、壊し、創り、道を切り開く人の強さを浮き上がらせようとしているように感じます。
あらすじは読み返してみると、今回とけっこう違うところがありますが、まあだいたいの流れは上記リンク先で確認できるのでは。
前回、拝見したのは、曹操をクローズアップしているのですが、今回は観逃がした劉備編もまとめて再構成されているので、こういうことだったのかと繋がるところもあれば、ちょっと話が違うなあと思うところも。
劉備は、霊帝の第二子、劉協を通じて、炎龍と出会います。前回では第一子だったと思うのですが、記憶違いかな。
この出会いを、劉備は勝手に作り上げた、自らが帝の血筋を引くという偽りを、劉協に真実として知らしめる題材にする。恐れ多くも、本当に帝の血筋を引く劉協を騙して信頼を得るだけでなく、神とも思える龍までを騙します。劉協が幼き女の子として描かれており、これがまた、純粋な子を平気で騙す大人といった構図で見させているようです。
これで、劉備と劉協は固い絆で結ばれたようになり、また、幼き劉協を守ることで通じ合うその姿は、部下の関羽や張飛の心まで容易に動かしてしまう。
冷淡で残酷な賊として見せる普段の劉備。その中には優しく温かい心を持ち合わせ、普通の人では持ち得ない大義を抱いていると思わせてしまう。
そして、霊帝の死を聞き出し、その後の策略を一瞬で頭の中で絵を描く。
劉協に帝になる決断をさせる。その政の中で、邪魔な武将は片付けていく。頃合いを見て、自らが帝に。
黄巾の乱が始まる。
劉備は、自分が描くシナリオにふさわしい役どころの武将を見つけ出す。彼にとっては、これから始まる自分が作・演をし、自分が主人公の天下布武の物語の舞台のオーディションみたいなものだったのか。
袁紹の心の弱さは既にこの時見抜いたのか、彼を手中におさめるため、乱に紛れて彼が忠誠を誓っていた何進将軍を殺している。
そして、読み通り、劉協の治める世で、袁紹は自らの地位や権力に執着して、帝に対する逆恨みに近い敵対心を劉備から煽られることになる。
劉備のシナリオに狂いが生じたのが、董卓が偽の第一子、劉弁を祭り上げ、帝の座を奪おうとしたこと。
お坊ちゃんだと甘く見ていた曹操が、戦いの中で成長し、自分が成すべきことを見出し、この世を自らが治めるという決意を抱くまでになったこと。
共に、董卓は土龍、曹操は水龍の守護を受けている。
龍の守護を受けられない劉備が操れたのは結局、所詮は同じく龍の守護を受けていない袁紹だけだったようです。
董卓は部下の呂布の妬みから発した仲間割れで亡き者となる。
帝への敵対心を利用して、袁紹は帝暗殺を企てる裏切り者として葬る。
この混乱を招いた原因を帝の悪政だと民意を煽り、帝を殺害し、帝の血を引く自らが新たな世を作ると宣言する劉備。
信頼していた劉備に裏切られ、傷心する劉協を最後まで守ろうとする曹操。
最後は劉備と曹操の戦い。
劉備に陥れられた武将たちの復帰もあり、追い込まれた劉備を斬りつけようとする曹操の前に劉協が。
帝を斬ってしまった曹操。
しかし、それをただ悔いて立ち止まっていては国は動かない。
曹操は、自分が帝となり、新しい世を作る覚悟を抱く。
炎龍から水龍の時代に。
しかし、龍の守護を受けない劉備はその憎しみを増幅させ、曹操の前に立ちはだかろうとする。
そして、まだ誰も気付いていない風龍の守護を受ける孫堅の存在。その龍がなぜか見える劉弁。身を任せていた董卓を失い、不要の存在となる。その憎しみが、どこへぶつけるのか、全てを破壊するという力を生み出していく。
水龍によって制されたかに見えた泰平の世。
しかし、再び覇道の下、時代は動き始める・・・
浮き上がるのは、劉備の悪さですね。何に憑りつかれているのか、龍の守護を受けてもいないのに、あの権力への執着。
龍によって、人が操られ煽られて、戦乱の世を創り出しているかのように見える時がありますが、実際は全て人の内に潜む負の感情がそれを引き起こしているのでしょう。
ただ、そんな負の感情に人々が打ち勝たない限り、永遠に戦乱は続き、泰平は訪れないものなのかもしれません。
龍はそんな試練を人に与える存在のようにも見えてきます。
龍は、今を壊し、これからを創り上げることが出来る人を見出して、その守護により、力を与える。
でも、悲しいかな、人は壊しはするけど、その破壊の欲望に憑りつかれてしまい、いつまでも戦乱の世が続く。戦争を始めるのは簡単だけど、終わらせるのは一苦労みたいなところにも通じるように感じます。
覇道の後に続かなくてはいけない泰平の世を築き上げる前に、人の欲望を龍が制することが出来なくなってしまうように映ります。
自分が認められた存在だという奢りの念がそうさせるのでしょうか。
それならば、認められずに生きてきた、劉の守護を受けることが無い劉備の存在はやはり世の改革に重要なものなのかもしれません。
そして、自分が龍の守護を受けるなどとは思っていなかった曹操が、その事実を知ったこれから、必要とされなくなった劉弁が、風龍を見ることが出来ることから、この世を治める者としての血が流れていることを知った時に、どのような行動を起こすのか。
このぶつかりが、時代をどう変革させるのか。
この続きである真王孫権編でどのように描かれるのかが楽しみになります。
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コメント
SAISEI様
一昨年夏の作品は『三国志』であって『三国志』ではなかったと思うんです(前に書いたように劉備編はシェークスピア『リチャード三世』が下敷き)が昨年夏の『三國学園』が『三国志』知ってるものからすると『三国志』中の小ネタがちょいちょい入っていて『三国志』知ってるものからしたらおもしろかったりもしたんです。
今回は主宰に直接訊いてないですが『三国志』の話を採りながらある人物がやったことを他の人物がやったことにするなど入れ替えを多くして巧みに話を構成した、という感じだったと思います。
正史『三国志』や『三国志演義』に忠実か、というと違いますね。あれで『三国志』をわかったつもりになられると専門家としては困るなあ、と(笑)
ただ専門家というフィルターをはずすと良い公演だったとは思います。
10月の『月に叢雲、花に風』もブレヒト幕を使うなど良い公演だったので観ていただきたかったです。あそこはSAISEIさんはZTONを棄て私はテノヒラサイズを棄てたんですよ。テノヒラサイズ行きたかったんですが・・・
劇団ほどよしや壱劇屋&WStudealの公演の週です。
投稿: KAISEI | 2016年1月 6日 (水) 13時14分
>KAISEIさん
えっ、私はユニット美人とここ、ZTONの公演を観劇して、三国志通になったと思ってるけど(^-^;
まあ、劉備ぐらいしか知らなかったレベルだから、素人には楽しみながら、ちょっと知ったつもりになれるといういい公演でしたよ。
にしても、専門はそっちなんですねえ。
投稿: SAISEI | 2016年1月 7日 (木) 22時16分