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2015年10月10日 (土)

一握の夢 ~朝顔・海底の動物園・human lost~【空の驛舎】151010

2015年10月10日 ウィングフィールド (90分)

短編戯曲三本立て。
ちょっと共通テーマは書きにくい感じがしますが、悲しみや苦しみの中にいる人に差し伸べられる手みたいな感じでしょうか。
悲しいから、辛いから泣き叫ぶという分かりやすい感情表現がなかなか出来ない、妙に相反してしまう人の潜む感情を見詰め、そこに少しでもいいから寄り添ってあげたいなという優しい気持ちが見えてくるような作品だと思います。
死、破局、病気みたいな不条理に降りかかる悲しみ、苦しみ。
それに人は潰されない力がある。それは、人はどうあっても誰かと繋がっており、そこにやっぱり人を想う気持ちがあるからなのだと思うのです。
そう思うと少し安心して、嬉しい気持ちになる。
そんな作品だったように感じます。

<以下、許容範囲な気がしますが、一応ネタバレ注意として公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>

・朝顔

夏のある日。
縁側で会話する夫婦。
セミの鳴き声。そして、姿は見えないが猫の鳴き声。
朝早くに電話がかかってきた。
夫が向かうとそこには和室に横たわる遺体。
外では数多くの弔問客が訪れている。
間に合わなかった。自分は選ばれなかったのだろう。何も出来なかったし、今、何もすることも無い。だから、ずっと遺体の管理をする門番という役回りを自分に与えてじっとしていた。
不思議と冷静な自分。悲しみは露わにするものではないから。
それでよかったのだと言う妻。
穏やかに優しい目をした安らかな死に顔。ありきたりの言葉でその死を妻に伝える。
カレンダーに青色の朝顔。庭には同じ朝顔。なぜか、それを感じた時に初めて涙が溢れてきた。
きっと繋がったから。そんな言葉を妻は夫に投げかける。
私にも伝えて欲しい。あの時のことを。
あの日、何か心がざわつき、家に戻った夫。
ずっと寝たきりだった猫は必死に立ち上がろうとしていた。手を携える。でも、立てるわけがない。やがて力尽き横たわる。ずっと手を握っていた。
あの時は私が選ばれなかった。妻は言う。私だったら、悲しみを露わにして、騒いで、猫は安らかに天に召されなかっただろうから。
でも、猫は妻のことが大好きだった。力強く心を込めて、そんな言葉を夫は妻に投げかける。
邯鄲の枕という話を夫はする。わが身の不満を抱える青年が、仙人からもらった枕を使って寝て、波瀾万丈ながらも幸福な人生の夢を見る。目が覚めれば、時はほとんど経っていない。
人生ははかなき夢。すぐに覚めてしまう。
だから、一つ一つの夢を握りしめる。そして、何度も何度も伝える・・・

悲しみの中にある、ありきたりの言葉にはどれほどの真摯な想いが込められているか。
相手の手を握りたい、心に寄り添いたいという繋がり合いたいのだという優しい心が見えてくるようです。
人生には、数多くの悲しみや辛さが襲ってくるものだと思います。喜びや楽しみは人の欲に結びつくものだからなのか、すぐに受け入れてしまうのでしょう。そして、それははかなき夢のように消え去ってしまう。
でも、悲しみや辛さはそう易々と受け入れられるものではありません。
だからといって、受け入れないで生きていくことは、そんな悲しみや辛さを蓄積していくことになり、いつの日か心がパンクしてしまうのかもしれません。
泣き叫んでそれを昇華する。
それはこの作品のように、あなたの悲しみを私も知っている、そしてそんな悲しみも含めて、一緒に一つ一つを握りしめて、互いに伝え合うことができる繋がりを見ることのように感じます。
2作品目にもありますが、救われる、安堵を得るというような。
ずっと一緒にいたのに、ある日突然、もちろん覚悟をしていたとしても、繋いでいた手が離されてしまう。そんな不安や悲しみが訪れたとしても、何度でも、あなたの手を握ろうとする手がある。離れても、何度でも繋がる。
姿が見えなくなってしまう。それでも、また見えるようになる。そこに姿なくてもいるから。
作品中、舞台には赤い朝顔なのに、ずっと言葉では青い朝顔と言っています。
この夫婦には青色に見えるのでしょうか。青はイメージ的に悲しみ。それは、きっと大切なものを失った心の目で見た像なのでしょう。
二人の想い合う心が、いつしか、二人を悲しみから解き放ち、素敵な彩の風景をまた見れるようになるのかもしれません。
夫役の石塚博章さん。何の作品の影響なのか、ものすごく悪い人というイメージが付いてしまっています。滅茶苦茶な話ですが、こんな作品だったら猫を殺すぐらいのことをしでかす業を背負う悪人。しかし、今回はまあ何と力強い優しさ、慈しみを醸される方で。
妻の悲しみは、私も一緒に受け止めるといった、力強い握りが非常に真摯な優しい姿として映りました。
そして、妻の中村京子さんがそんな夫に身を任せながらも、凛と生きていくという力強さがあり。
二人で支え合いながら乗り越えて行く。だから夫婦。そんな感覚がとても嬉しく、微笑ましく、死という悲しい別れを、生きるための大切な力に変えていく人の強さに通じさせているように思います。

fragment①「霧笛」
作品の間の舞台転換中は、リーディング。
隔離の音みたいな感じでしょうか。
その音や語られる言葉は、恐怖や不安を煽るものであり、先の作品の繋がりが、どれほどの強敵に立ち向かえる力強きものなのかを感じさせてくれるような気がします。

・海底の動物園

やや緊張の面持ちで、屋上で男を待つ女性。
女性の横には、明るく、ちょっと冗談交じりでからかいを交えるような口調で女性と会話する女。女は生まれてこれなかった子供のようだ。
女性は炊飯器を持ってきている。
別に屋上から飛び降りようと悲しみに暮れているわけではない。かといって、炊飯器でこれから来る男を殴りつけてやろうと怒りに燃えているわけでもない。
一緒に暮らす。そう先走って買った炊飯器を使う気にも捨てる気にもなれず、男に引き取ってもらおうと思っている。
昨日届いた男からきた別れのメール。そのけじめをつける。
触っちゃダメだよ。分かっている。触ったらけじめがつけられなくなる。
女性は演劇をしている。
その演劇に救われて、安堵を得ている。描かないと生きていけないくらいに。
だから、きっと大丈夫。
男がやって来る。
屋上からは、港の船の汽笛。クレーン群がキリンのように見える。
男は、昔、女性が創った作品のことを話す。ではないらしい。男の勘違いで、別の作品らしいがよく覚えている。
海の底から恐竜が浮き上がってきて、仲間かと思った灯台を壊す話。
男は自分の中にも、海底に様々な動物がいるのだと。そんな動物たちは、浮き上がってきてどこかへ向かう。
女性は思う。それは自分とではない、他の誰かと一緒に暮らす生活へ向かうのだろう。
女性は男の体に触れる。
そして、お別れする。
一言だけ謝る。これから、演劇作品を創る中で、あなたを登場させる。何回も何回も描く・・・

恋愛の破局。確かにこれは、甘いと言われるかもしれませんが、経験すると死にも近い悲しみを生み出しますね。
9/12に破局を迎えた私にとっては、何ともほろ苦い作品です。
いやらしい意味でなく、もう、この人を触れないんだなという感覚は、別れ話の中でいつも思うことかもしれません。
やはり繋がりが無くなり、離れるのだということを感じるのでしょうね。
演劇作品を創るということで、それを昇華できるのでしょうか。
虚構の世界で、その男のことを何回も描き続ける。確かにそれは逃げるのではなく、真正面から受け止めるということでしょうか。
でも、それはきっと身も心も削られて、苦しいと思うのですよね。それでも、創る人は、創り続けたいのでしょうか。その覚悟たる想いは、私にはまだ見えないところがたくさんあるように思います。
屋上であったこんな一つの別れ。屋上から見える風景からは独立しており、世は平然と進んでいる。
普段はそんなこと気にも留めないのでしょうが。
海底動物園も似たイメージかな。
自分の心の底にいる様々な動物。それはいつもうごめいていて、一つの組織を形成している。海の底だから、いつも静かでひっそりと見えない。
それが悲しみや不安に包み込まれた時、枠の中にある動物園から外に出て行ってしまう。自分が何か変えようとか、動こうとかする時なのでしょうか。
動物たちは思い思いのままに浮かび上がる。
私は、海底の底に残った空っぽの動物園の風景を考えると絶望のような感情が出てきて、動く気力が無くなりそうですが、そうではなく、浮かび上がる動物たちにこそ、真の自分があるはずと、とっ捕まえて、それと向き合う。
女性が演劇を続けるという言葉からそんなイメージが湧きます。
男、河本久和さん。う~ん、もうちょっとしっかり巧く立ち回ればいいのにともどかしいですが、それだけにその発する言葉が嘘偽り無い誠実さを感じさせます。
演劇を続けるという女性、原彩華さん(桃園会)の覚悟たる想い。これから創る作品には、男への恨みもあるでしょうし、感謝もあるでしょう。そんな全てを曝け出しながら、自分の中に残る相反する想いを見詰めていこうとする力強さに溢れているように感じます。
生まれてこれなかった女、津久間泉さん。飄々としていますが、男が女性に差し出す缶ジュースを手に取れないとか、生きていないという悲しみをものすごくけなげに暗にほのめかします。だからこそ、生きていないから、存在しないのではなく、そこにあった生へ向かおうとした証を演劇ならばこうして姿として見せることができるのかもしれません。死という別れを、単に消滅ではなく、確かにあった生を形として見せて慈しみ尊ぶということが、失ったものを忘れてしまうのではなく、いつまでもその時にあった心、想いを残すということが出来るような感覚を得ます。

fragment②「コトバ」
私、あなたに貼りつく、剥がれない言葉。
舞台で発せられる言葉一つ一つに、そんな想いを込めて作品が創り上げられているようなイメージでしょうか。
最初の作品のように、たった一つのありきたりの言葉が、人の生き方を導くぐらいに心を響かせる。それが今の感情と相反していたとしても。言葉の芯を感じることがどれほど愛おしいことかを考えさせられるような気がします。

・human lost ~きみはあの青き草原を歩く~

申し訳ないことに、この作品、私には非常に難解でした。
久しぶりですね。最近は寝てしまうことは少なかったのですが、これは頭の防御反応が働いたのでしょうか、かなり意識を飛ばしてしまいました。
脳病院に入院するシュウちゃんの下に、エスという男が訪ねてきて、シュウちゃんが自分のことを語り、エスがそれを聞きながらも、話を拡げていく、どこかの目的地へと誘導するようなあざとさもあるかな、そんな不可思議な会話。
シュウちゃんとエスを組み合わせてシューズみたいな感じで、自分の人生を歩くための靴を生み出すみたいな感じかなと思ったりもしましたが、スペルは合わないですね。
エスは作品中に言及されますが、フロイトのエス、今、ネットで調べて書いているのでよく分かりませんが人の持つ無意識な欲望みたいな感じでしょうか、そんなものの象徴のようです。これに対する抑制する力、現実を見詰める理性のような自我の象徴がシュウちゃんのようです。
エス演じる、三田村啓示さん。シュウちゃん演じる、橋本健司さん(桃園会)。なるほど、そのイメージとはまっているような感じはします。
この作品は、まだ闘病中だった深津篤史さんに、北村想さんが送った作品みたいです。残念なことに、深津さんが演出することで公演は叶わず、このような形になったのだとか。
何となくですが、エスという快楽、自分の思うがままにみたいなことが、病気などの現実が強すぎて、シュウちゃんみたいな理性に強く抑えつけられてしまっているような印象です。
一度、そんな二人を話し合わせてみて、やっぱり、思う道を進むしかない。そんな理性で押さえつけてしまえるほど、自分の進みたいという衝動は弱くはないだろうと伝えているような気がします。蛇の道は蛇。同じ感覚を抱く者だから分かるような気持ちなのでしょうか。
前の2作品も、人は矛盾した考えを持ってしまっているようなことが描かれています。この作品も、自分が何者なのかと、こんな病院に入院しているから狂っているけど、狂っていないみたいな自己矛盾に曝されてしまっているような人間が浮かびます。
そんな矛盾はきっと自分の何かが、大切な想いを抑えつけているから。だから、シュウちゃんは最後に退院して、強すぎる理性をどこかへ昇華して、そのバランスを本来の姿に戻したような。
よく分かりませんが、思いのままに、どこへたどり着くのか、終わりがあるのか分からないけど、自分の人生、まだまだ好きなように歩きなさい。そんなことが込められたような作品のように感じます。

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