MUGEN -proto.type-【Daikichi project】150921
2015年09月21日 STAGE+PLUS (15分×5 作品間に転換5分)
6本立ての15分一人芝居とジャグリング作品の公演。
最終ステージ以外は、一人芝居が4本しか公演が無いので、2作品は観られませんでした。
短い時間ということもあるのか、作品の中に込められている思惑がどの作品もいま一つ響いてこず。
難解だったという印象が残ります。
・15分 : 秋桜天丸(青空シアター)
鬱病と診察された男。原因は仕事上のストレス。
博士は、本当の理由は他にあると、その男にある実験を施す。
薬と催眠によって、男を密室に。
撮影用のビデオ、15分後にセットされた目覚まし時計、男の全財産、一枚のDVD。
15分後に地球は滅亡。
男は何をすればいいのかを考える。
金で好き放題。違う。今やこんな金など何の意味もない。
悪いことをする。そんなことは、傷つける相手のことを考えると心苦しくて出来ない。
DVD。幼き頃の運動会が撮影されている。一生懸命、ソーラン節を練習した。でも、その運動会に自分は出れなかった。
最後に踊ろう。男は渾身の力を込めて踊り出す。
母がうるさいと止める。
どうして。あんなに楽しみだと言ってくれていたのに。お弁当も作ってくれていたのに。
なのにどうして。
お母さん、何で死んでしまったの・・・
実験により、表出した男の心の闇。
母が亡くなったことと、彼が率先して頑張ることがリンクしてしまったのだろうか。母への罪悪感か、自分の思いのまま、主体性を持って何かをすると、母が止めるという構図が頭の中にこびりついているみたい。
話はここで終わる。心の闇を引き出してしまうことだけに執着した狂気的な博士のお遊び。時間的に難しいだろうが、これを男がどう昇華して自分を取り戻したのか、もしくは昇華できずに自己崩壊に完全に陥ったのかが描かれるようなラストを見たかった。
・茫き洋/貝殻 : 徳丸¥1
男は崖の上にいる。
下は潮の流れの関係か、大きく育つ貝がたくさん生息する貝殻浜。
自分も貝みたいなものか。流されて、いつの間にかこの何も無い、ちっぽけな町にたどり着いた。
そこで、自分はどう育ったのだろうか。単に大きくなっただけか。
男は飛び降りる。意識がスローモーションになり、気付くと夜の海の浜辺にいた。
大きなトランクが話しかけてくる。トランクは鍵を外しても開かない。
サワダという名前なのだとか。持ち主がタナベ。いや、雇い主。こんな馬鹿な話、シュール過ぎる。
でも、2時間も話をするうちに、徐々に思い出してくる。
借金の連帯保証人になり、そんなものを被りたくないと、逃げ出し、自暴自棄になって。
馬鹿なことをした。ごめんな。
男がトランクを開けると、たくさんの自分の思い出が詰まっていた・・・
よく理解できていないのだが、こんな話だったのだと思う。
荒波に揉まれながらも、どこかにたどり着き、貝殻みたいにゆっくりと自分の器を大きくしていく。その中身は、自分の努力や人との関わりの中で得られた数々の経験や思い出。
いつの間にか、男は、自らの手で栄養を手に入れることを忘れ、潮と一緒に流れてくる栄養だけを身にして育つ術を覚え、安易な生活を過ごすようになってしまった。そして、自分の貝殻をそんな大切なものを閉じ込めるためだけに持つようになってしまった。
今さら、貝殻を捨てて、むき身で外に出るのも怖い。自分の過ごした洋は、今では茫洋たる大海にしか見えず、先が見えない。滲み出てくる厭世観。
もっと自分を自分で認めてあげていたら。自分や周囲の人のことを信じてあげていたら。もう二度と大きく成長することは無いトランクの中に詰められた自分の全てを見て嘆く。
・ジャグリング : 堀口楠日(JUGGLING STORY PROJECT)
箱を使ったジャグリング。
緊張していたのか、ミス多し。
大技あまり決まらず、残念。
・一期の問い : 中村奏太
僕らはみんな生きている。みんな友達。
幼き子供は問う。でも、人形は友達だったのにお母さんに捨てられた。お母さんには友達じゃなかったから。生きていないから。生きていても、猫とかはよく捨てられている。自分たちだって、いらなくなったら。
生きているってそんなに大事なことなのかとお婆ちゃんは問う。
生きているだけで幸せ。そんなことを言う少年に周囲は本当にそうなのかと問う。
夜、電気殺虫機にはたくさんの虫がぶつかり一瞬の綺麗な火花となって死んでいく。人間の幸せな生活のため。
人間っていいな。どうしていいのか。動物たちは、何で人間を羨ましがっているの。
自分たちは生きているといえるのか。アンドロイドは問う。
アイボは生産終了、修理窓口閉鎖後も、技術者が修理を続けたり、機械部品の移植で修理されて、まだ存在している。最近ではロボット演劇なんてものもあるから、人と同じようだ。
でも、それは生きているとは言わないのか・・・
何気ない歌や日常から、溢れるように流れてくる、生きている、命っていうことへの疑問。
様々な視点で、生きていること、命を問うた作品か。
世代や考え方の異なる様々な人間という視点の切り替えと、人間とアンドロイドという視点の切り替えが混雑して、分かりにくい。
生きているということへの問いと、命という言葉への問いが、自分の頭の中で繋がらないのが原因だろうか。
・少女の埋葬 : 成瀬サキ×ohana(Noisy Bloom)
少女は語る。
あの子は、片親だったのでずいぶんと苦労していたみたいだし、いつも一人ぼっちで、クラスでも浮いた存在だった。
仲良くなったきっかけは、一冊の本。あの子は、読書好きだったから。
そう、確かその本に桜の樹の下には屍体が埋まっていることが書かれていた。
二人で穴を掘った。
これからのことを話すと、少し困ったような笑顔を浮かべていた。
バイバイと言って、あの子はナイフで自分の首をかぎ切った。
止めてあげるべきだったのだろうか。
でも、私はあの子を、友達として愛していました。
最後にあの子はありがとうと言ったから・・・
漠然とした不安に苛まれたあの子が、自らを安堵させる唯一の手段だったのでしょうか。
美しい桜の下には醜い死体がある。その死体に自分がなる。
一見すると平然と、幸せそうに流れる世の中は、自分のどうしようもない苦しみや悲しみの上に成立しているといったようなことを、あの子は私が生きている証だとばかりに死へと向かったように感じます。そして、少女はその考えを全否定することが出来なかったのでしょう。きっと、少女は桜の方だから。でも、少女はその桜だって、じっくりと見たら変な虫がたくさんくっついているし、一時の美しさを魅せた後、散って道路にへばりつき、景色を汚すような存在になることを知っているようです。
美しい桜を見ても、その美しさに喜びだけを見ることが出来ず、その裏にある醜さを見てしまうあの子は、常に自分が生きていることの意味合いを見つめ、同時に死を意識し続けていたような気がします。
視点は演じる少女。幼い無邪気な雰囲気から浮き上がる残虐さ、冷静な大人の雰囲気から浮き上がる繊細さ。そのバランスが見事で、圧巻のたたずまいを魅せていました。
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コメント
やぎゅり場、NOLCASOLCAに引き続き観劇いただき、ありがとうございました。
ここまでたくさんのことを私の芝居から感じてもらえるのは、とても嬉しいです。
また、是非見に来てください。
投稿: 成瀬サキ | 2015年9月23日 (水) 00時46分
>成瀬サキさん
コメントありがとうございます。
暁の雲の時と全然、違いましたね。
あのキャラから、今回の張り詰めた空気を醸す少女。
さすがは女優さんです。
今後のご活躍を楽しみにしております。
次回は、成瀬トモヒロさんとのユニット公演かな。
投稿: SAISEI | 2015年9月23日 (水) 11時57分