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2015年9月23日 (水)

パレード 星の時間 隣の鳥は青いトリ【近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻24期生 卒業公演】150922

2015年09月22日 近畿大学会館5F 日本橋アートスタジオ 
     (星の時間:50分、休憩15分、パレード:85分、休憩10分、隣の鳥は青いトリ:20分)

豪華三本立て。
ちょっと疲れた。

リズムのいい会話から導き出される不条理の中にある孤独への不安感を覚える星の時間。
好きなことを本気でやるってどういうことか、限りある時間の人生を豊かに生きるってどうしたらいいのかに悩み彷徨っているような印象を受けるパレード。
コミカルな中に、温かさを滲ませて、誰かのことを想うことで拡がる優しい繋がりを思わせる隣の鳥は青いトリ。
三作品とも、少々物足りなさが残るところもありますが、それぞれ魅力ある作品に仕上がっているように思います。

・星の時間

3年前に、この作品を観た時の感想。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/sst120926-760e.html

少し感想が違いますね。
前はあまりコミュニケーション不全を感じず、孤独を優しく包み込むような空気が醸されているような気がしたのですが。
少し違うというより、真逆に近いぐらいの印象かもしれません。
女性がちょっとクールで、きつい感じだったからでしょうか。男も自我が強く、少し反抗的な感じだったからか。
孤独や寂しさの中で生きなくてはいけないという現実を厳しく突き付けたような感覚が残ります。
女はまず何かをします。物事を肯定するところから始めるみたいな。でも、その肯定するだけの知識や経験が不足しているようです。だから、する行動は大概、誤っている。でも、そのことを認めません。正当化や理屈をつけて、時には現実を捻じ曲げた嘘までついて。そして、それを否定しようとしてくる男を責めるような口調で接することで、自分が正しいというところまで巧みに誘導する。
男はなかなか何かをしません。物事を否定するところから入るみたいな。しない方向になるように理屈付けをしますが、心のどこかではしたいという意識もあるみたい。だから、嫌だとははっきり言わず、良いとも言わないはっきりしない態度を取り続ける。結局、女に追い立てられるようにすることになっても、それがうまくいかない方向に事が進むと、否定していた時の自分を挙げ始め、自分を正当化しようとする。
要は、二人とも自分のことしか考えていないような感じです。それでも、不思議なことに会話が成立します。この作品の不条理は、ズレた会話にあるのではなく、これだけ分かち合えていない、真のコミュニケーションが取れていないのに、二人の共通の時間が進んでしまうということにあるような気がします。
こんな姿を見ると、自分は人と本当にコミュニケーションが取れているのかと不安になります。自分は一人じゃないからと、孤独を否定するかのように森を彷徨ってはいないだろうか。出会えた人と過ごす時間を得ても、その孤独は何一つ解消されず、自分が孤独であることをさらに意識させるだけになるのではないか。
漠然とした不安感が煽られ、何か生きることが怖いような感覚が残るような印象を受けました。

・パレード

廃工場。廃材が散乱し、なぜか棺桶がある。おまけにマネキンまでいて、あまり気持ちのいい場所ではない。
そんな廃工場を訪れる二組のグループ。

大学のタップダンスサークル。
先輩たちが抜けて以来、衰退する一方。決して技術が劣っているわけではないと思うのだが、コンテストで華々しく優勝を飾った先輩たちに比べて、ずっと入賞止まり。部員も少なくなって、遂には練習場所としてこんなところを使わないといけなくなったみたい。
今の部員は実質5人。
タカシは、自分で色々と選曲して、このサークルオリジナルのタップダンスを創り上げたいと思っている。
弦樹は、自分のポリシーみたいなものは無く、いつも流されてばかりで本気を出さない。そして、いつも言い訳ばかりしている。
桃は中国から日本にやって来ている。プロになる。そのためにいつも最善の道を探索している。男もそのための道具なのだろうか。タカシとも弦樹とも付き合っているみたい。もちろん、本人は知らない。
真理子は、明確な目的が定まっていないみたい。だから、自分にとって最善がどうであるのかが分からず、ただ時間が過ぎてしまっているような感じ。
ゆかりは、こんな衰退するサークルを何とかしようと奮闘中。かつて、サークルを優勝に導いた先輩、茶島を呼んで指導をしてもらうことにする。優勝すれば、全てが変わる。他のメンバーも賛成だった。

棺桶を定期的に掃除しに来る男。
棺桶が猫の棲家になっているらしい。
普段はホームセンターに勤める男だが、桜猫の会という、野良猫に不妊手術をしたり、里親を探したりと、猫の面倒を見る会に入って活動している。掃除もその活動の一環。
昔、自分のミスで猫を殺してしまい、罪滅ぼしの意味も含めて、猫の手助けを真摯に行っているみたい。
文化祭でダンスを披露することになっている女子高生。と言っても、一部のダンスが出来る子たちが主導で進め、自分の出番はほとんど無いみたい。おまけに衣装などの雑用を押し付けられ、出来が悪いと文句を言われる。悔しくて仕方が無い。周りのみんなも何も言わずに従っている。
女子高性の悩みを男は親身になって聞いてあげている。少しでもうさが晴れるなら、いくらでも話は聞く。でも、現実的に、先生や親にも相談しながら、頑張って欲しい。そんな大人の優しさを見せている。

茶島がやって来る。
みんなの目を盗んで、桃はイチャついている。どうやら、この男ともできているらしい。
茶島のサークル再生方針は、原点に立ち返る。タップ技術でしっかりと勝負する。
ジーンケリーの雨に唄えば。
新しさは無いが、基礎技術がしっかりしていれば、目を惹く作品になるはず。
練習が始まる。
何回も繰り返される基礎練習。厳しいダメ出し。体力も無いから、とてもついていけない。
こんな練習、意味あるのか。茶島の視線がセクハラだ。
優勝する必要って本当にあるのか。自分のやりたいこと、自分らしさを出すことが大事なのでは。
今は茶島に従うべきという考えが認められず、ゆかりはこの場を去る。
タカシは茶島に直訴。
しかし、茶島は基礎も出来ずに、新しいことに挑戦しても仕方が無いと言う。別に構わない。嫌なら、自分は辞める。
ただ、桃だけは才能を認めているから連れて行く。ソロで出場させるから、後は勝手にすればいい。
桃も大きなチャンスだからと、出て行ってしまう。

女子高生は、自分が出来ることも少なく、どう協力すればいいのか分からないでいると、非協力的だ、自分ですることを見つけろと非難され、もう練習には参加していないみたい。
男の手伝いをしたくて、棺桶を定期的に掃除している。でも、合成洗剤を使ったのがまずかった。最近、猫が来なくなったのはそれが原因らしい。
男は怒ることも無く、ただ懸命に乾拭きして、合成洗剤のにおいをとろうとする。
来なくなったのは寂しい。そして、元気にしているか心配だ。でも、別のところに行って幸せならそれでいい。生き方を縛ってはいけない。環境を整える、居場所を与えてあげることが大事だから。
そんな男の言葉に、女子高生は惹かれる。
女子高生は、桜猫の会の定例会に参加することにする。

棺桶に猫が戻ってきているみたい。
可愛らしい寝顔に弦樹と真理子は癒されている。
ゆかりを呼び出して、これまでのことを謝罪する。タカシもやって来て、もう一度、頑張ってコンテストに出場しようと。
猫がいるから、ここではもう練習できないというみんなに、タカシは桜猫の会に里親探しを依頼しているから大丈夫だと言う。
弦樹と真理子は表情をゆがめる。あの新興宗教だと言われている桜猫の会。何やら、言葉巧みに定例会に誘い出して、行方不明になった人もいるのだとか。
まあ、とりあえずは猫がどうにかなればいいのではないか。
そんな中、ひょんなことから、弦樹が桃と付き合っていることを発言する。タカシがパニックになっているところ、茶島が現れる。桃が手紙を残してアメリカに行ったのだとか。
手紙には、アメリカでチャンスを掴んだから、そこに行くと。あなたたちは本気ってよく使うけど、そんなの本気じゃないんじゃないか。本気の捉え方が私とは違う。ダンスもサークルもセックスも、自分だけ気持ちいいを求めている間はダメ。
弦樹、タカシ、茶島は桃に三股をかけられていたことを怒っている。
これでは、もう一緒にダンスなんか出来ない。
真理子が、呆れたように語り出す。
さっきまであんなにやる気になっていたのに、女に騙されていたからと、もう辞めてしまう。
あなたたちにとってタップダンスって何なのか。
こんなところにいた自分が恥ずかしいと去っていく。

真理子が猫たちに絵本を読みきかせている。
百万回生きた猫。
最後はもう生き返らない・・・

結局、どうなったのかが全く描かれず、と言ってそれを観終えて膨らませるだけの、話の盛り上がりがあったようにも感じられず、未完成みたいな中途半端な印象。
何のために頑張るのか。
それが好きだからとかいう答えはよくあるけど、突き詰めると、虚栄心みたいなものに囚われているだけじゃないかという警鐘、戒めだろうか。
だから、その頑張りが自分の虚栄心を満たさなくなったら、自分らしさという言葉に逃げる。
本気は、自分らしさも何もかも捨てて、ただ好きになったことに向かってひた走る。ひた走る姿が、自分らしさを生む。最初に自分らしさありきではないといった感じだろうか。作品の登場人物が考えたこの本気の姿を最後に見てみたかった。最後のみんなで演じるタップダンスがそうなのかもしれないが、そこに好きだからやるという本気の覚悟は見い出せなかった。
中国人の女性が本気を語るが、それは、また一つの虚栄心でしか無く、外国人キャラになっていることもあってか、何かやたらとおとなしくなってしまった日本人が失ってしまった汚いくらいのがむしゃらが見えてきて、日本人の甘えみたいなものが感じられる。まあ、個人的にはそんな日本人が素敵だとも思うのだが。
真理子も本気を語るが、その本気は、自分が置かれる環境、関わる人たちに依存していることを言及しており、彼女もまた周囲の中で自分が浮き上がる存在であることにこだわる虚栄心を持っているように思う。
確か百万回生きた猫は、自分のことばかりだった猫が、愛する猫を見つけ、その猫のことを想い続ける一生を過ごすことで、ようやく死ねたみたいな話だと理解しているが、自分をただ好きで生きるのではなく、好きになったものに尽くして生きる、そして、そんな自分を信じて好きでいてあげることが出来ると、本当に豊かな生を感じられるのだろうか。
作品名はガーナの華やかなパレードのような葬式からきているみたいです。百万回生きた猫は読むと、もちろん悲しく涙を誘われますが、あ~よかったなあと思えるようなところがあると思います。猫が死んでいるのにそう思える気持ち。これは、ガーナの葬式と通じるようなものがあるように思えます。
死んだ時、絵本のように良かったといったそんな想いを抱いてもらい、ガーナの葬式のように笑顔でもって送り出してもらえる。
そんな死に方は、どんな生き方の先にあるのか。
その答えを、これから社会に出る大学生の立場から、少し描き出してくれていたら、この作品の魅力が高まるように思います。

・隣の鳥は青いトリ

某大学の舞台芸術専攻に入学した女性。
新しい人生をと、これまでの自分を変えて女子大生デビューするはずだったが、一人だけクソ真面目にスーツ姿。そして、初日なのに、なぜかもうグループが出来ていて、蚊帳の外になってしまっている。
一人、気になる男がいる。オウムのような、いやオウムそのものの顔をしている。
誰とも喋らず、いつも本を読んでいる。みんなから少し変わった危ない奴だと噂されている。
実習授業。銀河鉄道の夜の一シーン。
そつなくこなすみんなの中で、女性は吃音の症状が出てしまう。今度はセリフをちゃんと覚えてきなさいと先生にも叱られる。
オウム君の番。あいつ大丈夫なのといった空気が漂う中、彼は素晴らしい快活な演技を魅せる。
昼休み、オウム君が外で一人で読書しているところ、女性は声を掛ける。
自分は吃音でうまく喋れないけど、女優を目指しているという悩みを打ち明ける。だから、この前の実習授業でオウム君は凄いと思ったと。
オウム君は、周囲はあなたが思っているほど気にしていないから、思いっきりやればいいんじゃないのか、あなたの方がよかったと思うと言う。
そんなの綺麗事でしかない。ずっとそうだった。それに、自分の方がいいなんてあり得ない。
オウム君は慰めでは無く、本気でそう言ったみたい。だって、自分は舞台に立つことが出来ない。顔がオウムだから。
そうだ。あなたが舞台に立てるために協力をしよう。オウム君はそんなことを言い出す。
オウムだから声真似が得意。女性は口パクで演技をする。影でオウム君が喋る。
練習するとなかなかいい感じ。
オープンキャンパス公演で舞台に立つことに。
舞台に立つという夢が叶った。
でも、演じる中、女性は違和感を覚える。今、目の前にいるお客さんには、自分の声を届けてはいない。
気付くと、女性は声を出して演技を始めていた。オウム君はそれを見て喋るのを辞めた。
女性は、無事に舞台を終えて感謝の意を示す。
数日後、女性はオウム君にまた協力を依頼する。
今度は何をすればいいのか。そう言うオウム君に女性は自分が書いた脚本を見せる。
オウムが主役の作品。今度はあなたが舞台に立って・・・

ちょっと感動しましたね。素晴らしい作品だと思います。
最初、おとなしい女子大生の気持ちが何か分かるなあと思って観ていたら、オウムというシュールに突然、驚かされる。
そして、このオウムの意味合いが、声真似とかで活かされる独創的な発想に感心。
やれば出来るという、ありきたりではありますが、そんな青春ドラマみたいな熱さに感動。そして、最後は演劇っぽいラストに唸る。
人と違うって変だけど、その変は他の人には絶対真似できない最高の武器でもあるのでしょう。変が変じゃないと思えるようになった女子大生。自分を輝かせてくれた光のような青いトリに、今度は自分がその青いトリのための青いトリになる。
何とも人への想いが連鎖する、優しく温かみのある話です。
2作品観て、だいぶ疲れていましたが、最後にこのメリハリがあって切れ味鋭い映像作品で元気になったぐらいの非常に魅力的な作品でした。

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