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2015年8月 5日 (水)

新羅生門【HPF高校演劇祭 大谷高校】150804

2015年08月04日 シアトリカル應典院 (95分)

昨年に引き続き、観劇。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/65-0472-1.html
4回目になりますね。
ここは、高校演劇を初めて観たところ。
こうしてHPFとして、毎年、数校ですが拝見するようになって、今では講評委員なんかもさせていただくようになった原点となっています。

昨年同様、この惹きつける力の強さは素晴らしいものがあります。
この言葉を書くと、稚拙だとか質が悪いといったマイナスイメージがこびりついているので、使わない方がいいのでしょうが、あくまで賞賛の意を込めていることを前提にして、学芸会のような明るく楽しい空気があるように感じます。
誰もが、その舞台での輝く姿を見て、頑張ってるな、楽しんでるなと拍手をしに足を運ぶような感覚です。
各高校の技術向上や、互いを観ることによる切磋琢磨の目的はあるにしても、演劇祭ですから。祭りですから。
実際に町内や学校でのお祭りのように、当事者だけでなく、近所の気のいいお兄さんや、ここを巣立って活躍されるOGの方、保護者の方なんかとも一緒に、その楽しさを創り出して、観に来た客を楽しませるような作品創りをされているようです。
やっぱり楽しいことをしていたら、それを楽しく観れるんだなといった体感を得るだけで、何やら明るい気持ちにさせられます。
普段、観劇する中では、南河内万歳一座を観劇した時の気持ちに近いかな。あそこも、中毒のようにはまってしまう方が多いようですが、この高校も自然にまた足を運びたくなるような空気を醸しているように思います。

楽しいと言っても、作品はなかなか奥深い、考えさせられるテーマを持っています。
非常に面白い作品でした。
確かに羅生門と同じような構造をしていますね。
職を失い途方に暮れて羅生門に向かう下人。下人はそこで死体の髪を抜く老婆を見ます。気味悪く恐れますが、なぜかその行為は悪いことだと腹立ちを感じます。理由を聞いて、それが自分と同じ生きるために金を得ることだったと分かった時、自らもその老婆と同じ悪となる。
こんな感じの話だったと思います。
この作品では、下人が先が見えず彷徨う若者。羅生門がどういった場所なのかは分かりませんが、同じように生活に苦しむ者が死にゆく場所だったのでしょう。老婆の家も、人生の袋小路のようなイメージで、若者は、もう人生をきちんと生きていくことをあきらめてしまったような感があります。
そこで、若者は鬼と出会う。死体の髪を抜くという、理由無しに悪だと判断される行為が、ここではツノとして単純に表現されているようです。老婆も出てきますが、鬼という息子を生み出したという悪の心を抱く存在となっているみたいです。
死体の髪を抜く老婆を憎むように、若者も鬼を憎む。歴史上の人物やおとぎ話に出てくる登場人物も交えて、その鬼を憎む行為がごく自然であることを強調し、集団心理的な皆が悪だと言っているから、もう間違いないみたいに、より強く悪を感じさせます。
でも、その悪には理由があった。無条件に悪だと責められ迫害されるべきものでは無かったようです。そのことを理解した時、若者は下人同じく、自らが悪の鬼となってしまう。
羅生門では、悪の鬼となった下人が、理由があるなら別に悪でもいいんだとばかりに、同じく悪の死体の髪を抜く老婆を殺害してしまい、そこで話は終わってしまいますが、この作品では、ここから少し話が続きます。
悪を責める者を、鬼となった若者は殺害していきます。悪の鬼となったので、これまで正義を名乗り、ちょっと前までは自らも加担していた者たちが、若者にとっての悪になってしまったようです。そして、最後はそんな悪も、この世には必要であり、常に正義を生み出す源となっていることを知ります。

解釈は難しいですが、羅生門は人のエゴみたいなものが感じられましたが、この作品は少し、生きることの勇気みたいなものが浮き上がってくるように感じます。
羅生門の下人はラスト、どこかへ消えてしまいます。悪を正当化して生きるエゴの塊となったようなダークな印象が残ります。
この作品でも、若者はラスト、この場を立ち去って行きますが、どこかこれからを強く生きられるようになった、成長して変わった姿のように映ります。
鬼にもなれず、正義にもなれず。ただ、人には各々の想いがあることを知ったのではないでしょうか。鬼は確かに悪で憎むべき存在ではあるかもしれない。でも、邪悪な心を秘め、その悪を息子として持つ母の悲しみや苦しみに想いを馳せた時、その悪は正しきことでもあるような気持ちを若者は抱いた。正義は、あくまで、ある悪の対称物として存在しているだけで、ただ憎しみ、忌み嫌うべきものではない。
取り残された若者が胸の内に熱く、もどかしい気持ちを得たことが大切なような気がします。
無関心、無気力という0が動いた。プラスに動いたのかマイナスに動いたのか。でも、何が正しく、悪いかなんか分からない。その心が動いて、得た幅は絶対値として捉えて、前へ進めばいいのかもしれません。
閉塞感、自棄の感を抱いて、良いことも悪いことも出来ない状態から、その環境によって正義や悪は変わるけど、その人の心の内を見つめて、自分の心の中に湧き上がる感情に従って生きていこうと思えるようになった若者の姿が見えます。綺麗事では無く、鬼というような人の業を受け止めて、安易な正や悪に左右されずに賢明な考えを持って生きていく必然を描いているように考えます。
人は鬼の心を生み出してしまう。でも、それをただ悪いと嘆くこともない。同時に、正義であろうと悪であろうと、人を想う心、それを受け止める心も存在している。そんな心の揺れに翻弄されて苦しみながらも、生きていくというのが人である。鬼の心を持つ自分を見ぬふりして、考えず想わずの道を生きている方が本当は何よりも許されないことであると伝えているように感じます。

明日には取り壊されることが決まっている古びた民家。
老婆は最後まで粘ったみたいだが、地上げ屋の悪質な鬼のような嫌がらせには降参するしかなかった模様。
ぶっきらぼうな息子が、何やら穴を掘っている。
老婆に連れられて来た二人の若い男、岡本信也と山路勝昭。
地上げ屋の補助をする仕事や、使えない英語教材を売りつけたりと、金が手に入るなら、まあそこそこの悪いことは平気でする。 先のことはあまり考えず、フリーターをしながら、今を楽しく気楽に。軟弱なことは自分たちでも認めている。でも、それで構わない。
今回は、この息子の穴掘りのお手伝いのバイト。
見てみると、犬、猿、鳥・・・の骨が発掘されている。そして、どう考えても人の頭蓋骨も。
老婆は掘り出された骨を並べて、供養している。
怪し過ぎる。でも、一晩で5万円。かなりおいしい。遺跡の発掘調査だと思えば。見て見ぬ振り。バカになって考えないようにするのはいつものことだ。
一通り、穴掘りが終わる。随分とたくさん骨が出てきた。
息子は老婆に促され、供養のため祈り始める。
帽子を被っている。男はとった方がいいよと帽子に手をかけると、そこには大きなツノが。
鬼が出た。
老婆は自分の邪悪な心から、鬼が生まれてしまった。でも、普段は何をすることもないのだとかばい隠そうとするが、二人はもうそのツノある姿だけで恐れおののいている。

鬼退治で有名な渡辺綱が穴から出てくる。続いて、桃太郎、金太郎、お椀の中の一寸法師を抱えた姫、洗濯板を持つ女も。
みんな、かつて鬼によって葬られたようだ。
日本は元来、平和で優しき心を持つ者が住む国であった。しかし、いつしか人々は邪悪な鬼の心を抱き始め、ツノ無き鬼をも生み出すようになってしまった。邪悪な根源である鬼は始末しなければいけないと高らかに叫ぶ綱。
鬼を退治しようと、一緒に亡骸になっていた犬・猿・雉を呼び出す桃太郎。キビ団子を二人にも食べさせて、鬼退治を手伝わそうとする。
鬼のおかげで洗濯も出来ぬと、民を苦しめる鬼をやっつけて欲しいと願う洗濯女。
自らのおとぎ話の中で、鬼と戦いあった金太郎、一寸法師を抱える姫もそれに同調する。
鬼を倒そう。邪悪なものはこの世から始末しないといけない。
これまで特に何をするわけでもなく、目が死んでしまったような日々を過ごしていた二人。これは、変わるチャンスなのではないのか。この日のために、自分たちはもしかしたらフリーであり続けたのかもしれない。
綱、桃太郎と犬・猿・雉、金太郎、一寸法師を抱える姫、洗濯女、そして岡本と山路の二人は、悪である鬼を退治することに熱く心を燃えたぎらせる。

鬼を捕まえる。
みんな殴り蹴り、ひどい仕打ちを与える。
老婆は、全ては自分のせいなのだと、許してやって欲しいと願い出るが、その老婆にも、みんなは非情な態度を示す。
正義の桃太郎、それは成敗ではなく、もはや侵略だ。
洗濯女、確かに鬼に苦しめられたのだろうが、それだけで鬼が全て悪いとするのはあまりにも凝り固まった価値観ではないのか。
見た目が小さく、人と異なる一寸法師を愛することが出来る姫、どうしてツノがあるだけで鬼を汚らわしいと忌み嫌うのか。
金太郎、あなたは強いから痛みを知らないのではないか。
岡本と山路は、あまりにもひどい鬼への仕打ちを見て、みんなに、分け隔ての無い平和な世の中、これからの変わるより良き世の中、ラブ&ピースを叫ぶ。
明日のことを、未来のことを語る二人の言葉に、鬼はただ笑っている。
綱は、考えを曲げない。
それでも、鬼はいけない。退治すべき存在なのだと、みんなを懐柔する。
そんな姿を見て、二人は鬼に味方をする。
そして、鬼は二人にツノを渡す。

鬼になった岡本と山路は、暴れ狂う。
桃太郎、金太郎を斬りつける。逃げようとする犬・猿・雉も。
元の姿に戻った一寸法師も、大して強くなく、姫と共に斬殺。
どこか遠くで見ていて、我慢できずに登場した浦島太郎も、玉手箱の煙を嗅がされ爺にされた挙句、斬られる。
本物の鬼も現れる。
最語に残った綱と鬼の対決が始まる。
しかし、それを母が止める。
母は剣を持ち、鬼に向ける。これで、全てを終わらせる。ツノがあるから、鬼だから。邪悪な者は消えなくてはいけない。自らと共に死のうと鬼に剣を振りかざした瞬間、綱の剣が・・・

最後は母が綱に斬られます。
鬼はいなくなってはいけない。邪悪な者があるから、そこに正義が存在する。
そういい残して、綱は立ち去る。
呆然とする岡本と山路は、自らの骸を抱いて、穴へとみんなが帰っていくのをただ黙って見守る。
気が付くと朝。
工事の現場監督がやって来て、出て行くように言われる。
俺たちはここを守る。そんな言葉も一蹴される。
どこか心がモヤモヤと、でも熱くなっている。
もっと頑張れよ、お前はダメだと互いに罵り合いながらも、その言葉は自分にも向けられているようだ。
二人は、ここを立ち去る。

ここには大きなビルが建つらしい。
鬼の心を持つたくさんの者たちが、その鬼を封印するかのように眠っている場所。二人の若者は、そんな鬼と出会うことで、正義や悪について知り、己の心に潜む鬼の心、人を想う心と対峙した。
このことを受け止めて、心に抱いて、これからを生きていこうとする成長した姿。
古民家が取り壊され、その地下に眠る数々の鬼と想いの上に、一回りも二回りも大きくなったビルが造り上げられることと同調しているような感じで話は締められています。

役者さんにコメント。中高校生の方々だけ。
岡本、山田麻弥さん、山路、細田愛佳さん。共に彷徨える若者ですが、先輩、後輩の関係となっているようです。そのためか、先輩の岡本に追従する形で山路は行動をしているように見えます。そして、より若いこともあるのか、情にほだされやすく、その時に高ぶった感情そのままの言動をしている山路の姿が浮かびます。岡本はそんな山路に対して、少し先輩としての威厳を見せたいのかもしれませんが、経験不足の未熟さゆえに、結局は同じような言動に至ることへのもどかしさのような苦悩を感じさせられます。兄弟のようなコンビネーションを魅せるお二人。それは、人は自分を映す鏡のように見せているようです。
綱、西坂泉美さん。勇ましさ、凛とした、ブレない強さのイメージですが、そのぶん、遊びが無く、至上主義の中で自分を保つような凝り固まった感じです。こうでないといけないという固定観念が生き辛さを生み出し、人を想う優しい心を犠牲にしてしまっているかのよう。自分を制する。自分の中に潜む鬼がいることを実は一番理解していて、恐れていることが、このような人格を形成したのかもしれません。
桃太郎、森野和さん。何とも可愛らしい。アニメ版桃太郎みたいなものが抜け出してきたような感じです。でも、その可愛らしさは、無邪気な正義となり、それは揺るがない正論となって周囲に絶対的な考えを押し付けているようです。
金太郎、岸本舞鈴さん。いつもニコニコ、自由奔放。それは愛らしくもありますが、絶対的な自分の強さに依存しており、相手の立場になって物を考えられない横暴さも感じさせます。
姫、粟田真帆さん。おっとり優雅な、まさしく姫の貫録でしたね。でも、同時に世間を知らず、汚いものを見て育っていないため、受け入れるものと拒絶するものに明確な理由の無い残酷さも感じさせます。正しい、悪いの境界は、あやふやで、人のエゴに大きく依存することを伝えているようなキャラです。
浦島太郎、テレーセ・アリアナ・ベデルセンさん。一発勝負のような登場でしたが、しっかりと笑いをかっさらっていかれました。
洗濯女、藤田琴音さん。飄々とガツガツと。恐らく大衆の象徴なのでしょうが、好き放題言いながら、巧妙に立ち回る様が描かれているようです。戦いには直接、参加せず、その流れに身を委ねる。生きるというより、生活するということが前提にある感じ。この作品も羅生門も、鬼やら、正義やらがぶつかり合いますが、大前提にそんな生活が安定しない、どこか皆、不安を抱えているという窮屈な世の中であるという問題もあるように思います。そのことを考えさせるようなキャラでしょうか。
老婆、三井玲奈さん。非常にじっくりと丁寧に一挙一動、表情と言葉を紡がれていました。そこに訴える力の強さがあります。自分の中にある潜む鬼の心を認めはしますが、受け止めるには至らず、ただただ抑え込み封印すべく、悔いや嘆きの中で時を過ごしてきたような悲しみを感じます。この老婆に救いの手を差し伸べる者がいたら、老婆が救いを求める手を出す勇気があれば、また変わったのではないかと思うと、想い合える社会を創ることの大切さを感じます。
鬼、宮嵜紗南さん。押し殺した感情。血を恨むといった負の要素。自分の中にある邪悪な心の膨張を止めることが出来ず、自らの姿をそれに合わせてしまったような感じです。この鬼も、老婆同じく、誰かと接触していたら。人の心を抑え込んでしまうのではなく、それを解放することが大切であることを教えてくれるような悲しき存在でした。
この他に踊り子さん4人組がいらっしゃいますが、個々のお名前とお顔が一致せず。前説の微笑ましい空気から、この作品の世界の中へと入りこませる。その姿は妖艶であると共に、どこか祈りを感じさせる姿でした。

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