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2015年8月 8日 (土)

たんじょうかい #3【dracom】150807

2015年08月07日 ウィングフィールド (40分、45分、30分)

この企画も、これで最後みたいです。
難解だったり、訳が分からなかったり、妙に不愉快で陰鬱な気分にさせられる作品も多かった印象が残っていますが、演劇を楽しむという点ではとても魅力的な企画。(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-39a1.html
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/2dracom-gala140.html

1回目は愛、2回目は自分を抱くみたいなことが共通テーマじゃないかと感想を書いていますが、今回はそれを融合したような感じかな。
愛。この普遍的な言葉に、翻弄されて自分を見失いもするけど、そこから脱却して自分を成長させるのも、やはり愛。
まっすぐに向けられる、向ける愛に、怖くなるのか目を背けてしまったり、暴力や憎しみみたいなものに形を変えてしまったりするけど、見詰めてみると、そこには自分の想いや相手の想いがどっしりと揺らがずに存在している。
そこから逃げることは出来ない。
それを受け止め、自分なりの表現で伝え合っていくしかない。
そんな姿を、演劇の形での見せているような感覚を得ます。

<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>

「アイデアル」 樋口ミユ(Plant M)

妻が木枠を作って持って来る。壁に掲げて窓だと言う。単なる木枠なのに。
妻が覗く。そこには色々な景色が見えているらしい。
男も覗く。何が見える。そう聞かれても、壁しか見えない。
想像力が無い。そういう生き方だから仕方が無い。
何が見たいかなんだけどな。
男の母親がトラックにはねられて死んだ。
田舎に帰り、葬儀は済ませる。今後のことは姉が仕切ってやりたそうなので任せる。妻もそれで納得。
妻は近所の者たちも大勢、通夜に駆けつける姿を見てびっくりしたようだが、都会育ちの人にとっては確かに異色に映るかもしれない。
四十九日にまた行かなくてはいけない。そんな妻の言葉を聞き流し、男は別れたいと口にする。
理由は何と、妻に詰め寄られるが、それよりも母が目の前に姿を現して、いつものように圧迫してくる。もう、放っておいて欲しい。もう死んだのだから言ってもいいはずだ。
妻には欲情しない。自分はゲイなのだと。
母にそう告白したことがある。母には病気だと言われた。そういう本も捨てられて、無理やり、お見合いもさせられた。挙げ句の果てには、そういうサービスを利用して、女をあてがうことまでしてきた。
母が言うことはいつも同じ。私が恥ずかしいんだから、普通でいて。私が生んだ子なのだから普通の子なはず。そういって指を切って流れる血を見せてきた。
普通って何。妻は、そう聞いてきて、そんな自分を受け入れると言う。
妻には分からないだろう。互いに詮索しない代わりに、何でもありだと認められる都会で育った妻には。
田舎は、人の目がある。噂が風に乗って自分たちに容赦なく吹き込んでくる。父がよその女と歩いていたという噂を母が知るのも実に早かった。そして、父が出て行き、元々、神経質だった母がよりおかしくなったのも。
妻は一向に家を出て行こうとしない。例え、どう思われていても、あなたのことが好きだからと言う。
あなたがゲイだと告白して、それでも、一歩も踏み出せず、男と関係することもできず、悩んでいる姿を見て、知り合いのゲイの友達を紹介してあげたいと思った。つまりは母と同じことをしようとした。
あなたに、あなたがしたいこと、見たいことの道を用意してあげられればと思った。
だから、あなたは私と結婚したのではないか。あなたは、私の中に母を見つけたのではないか。母があなたを離さないのではなく、あなたが母をまだ見続けたいと思っているから、そこにいるのではないのか。
そんな言葉を聞き、男は自分を見詰め直す。過剰に干渉し、多様性を認めない凝り固まった価値観を押し付けて自分を抑圧してきた母。でも、そこに感謝の気持ちもある。自分の救いの一部だったのかもしれない。それを認めた上で、違う道を進んでみたい。
男は母と決別する。
男は妻と木枠を真ん中に向かい合う。互いに見えている者は相手の顔。
木枠を壁に掲げる。
自分が見たい理想の景色。それを一生かけて見つけようと思う男。
それに一生付き合う、ずっと待つと言う妻。これが妻の愛らしい・・・

心が落ち着く作品ですね。安堵を得るような。
自分で受け入れられないことが、人に受け入れられる。自分の拒絶が、人に許容される。
そんな時、人ってとても幸せなんじゃないかなと思います。
受け入れられた人、受け入れた人、どちらにも良かったねと声を掛けたくなるような感覚が、この作品の心地よさに通じているように感じます。
亡くなってはじめて、男は母を客観的に見ることが出来るようになったのでしょうか。母の呪縛から逃れたい反面、それを求めているところもあったようです。依存関係と向き合って、母から巣立つ。自分のアイディンティティーを確立したような感じでしょうか。
上記あらすじには、母と決別すると書きました。言葉がどうしても思いつかないのでそう書きましたが、そこに憎しみは無く、そこにあった愛を見出せるようになって解放されたような感覚です。
自分がずっと見ていた母の異常な姿。本当はそこから、母は自分を認めてくれてもいることを見たかったのでしょう。まだ、そこまでは至っていないようですが、少なくとも、自分が本当は見たくなかった異常な姿は打ち消し、見たかった姿をそこから見つけ出していこうとする男の姿が浮かびます。そんな男の抱く理想の母の姿は、目の前にいる妻の姿に通じていることには気付いているのかな。
母の愛と妻の愛。形は違えど、愛という同じ言葉。人も同じように、同じ人って言葉で表されるけど、各々異なる。
そんな多様性に、正解を求めて彷徨うよりも、全てを受け止めて、そこから自分が見つけたい理想、idealを追求する。
その理想の姿を一緒に見たい。そういった想いが存在するところにある優しい心が愛であるように思います。
妻、演じる鎌田菜都実さんの淡々としながらも、まっすぐで力強い愛の表現。マイノリティーといったようなことを超えて、大切な人を受け入れる優しさと覚悟ある姿が非常に魅力的でした。母、演じるはたもとようこさん(桃園会)の迫力は別格。

「愛の棲家」 大竹野正典(くじら企画)

夜中のアパート。
男は、衝動的にビニール製地図の営業のため、ある部屋に飛び込む。
そこには女がいた。
常識知らずのこんな営業にも関わらず、お茶を出してくれて、ずいぶんと親密に接してくれる。
男は昔、吃音症だった。当時よく見かけるどもり、対人恐怖症治しますみたいな看板。ずっと、どもり 対 人 恐怖みたいに読んで、どもりが人を恐怖に陥れる凶悪な生き物だと思っていたなんて昔話。結局、そのどもりの正体が自分で、人を困らせていたなんて自虐オチを付けて。
飛び込んだのには理由がある。昔、ここに住んでいたから。ある女性と一緒に。そして、その女性と、今、目の前の女が似ている。
部屋の壁には穴があいている。親切にしてくれたお礼に地図を渡して、それで穴を隠すことに。
時計が止まっている。高いところにあるから、直せずそのままにしているらしい。男はちゃぶ台を足場に、それを直す。そういえば、この時計は自分が置いたままで出て行ったのだった。ふと、長押に手をかける。長押に沿って、カミソリが何本も置かれている。
この部屋は、あの時のままだ。
交通事故で足を怪我して、外に出られなくなった女性。その女性の面倒を見ているうちに、男は一緒に住むようになった。
足を優しくさすってあげた。よく、母親にも同じようにしていたから。
部屋の壁に穴が開き始めた。女性はそれがバグの仕業で、穴も徐々に大きくなっていると言う。男は大家を呼べばいいと取り合わない。
そのうち、女性は男に狂気的な愛を見せるようになる。かつて付き合った女性からの手紙にも異常な執着を見せる。
外に出られない自分にはあなたしかいないのだと。でも、もう足は治っている。
カミソリで自殺をほのめかす女性を放って、男は出て行った。
あの日、鬼となった男。この部屋に自分が本当に置いていったもの。
女は、壁の穴から見つけてずっと保管していたという手紙を男に渡す。
気付くと、男は女の首に手をかけていた。
部屋に盲目の大家が入ってくる。男は部屋に一人でたたずんでいた。女はいない。
昔、ここに住んでいた女性にいきなり目を切りつけられた。そして、女性も自分の目を切りつけた。その後、女性は精神病院に行き、今では田舎に帰って暮らしているのだとか。
大家は、そのことがきっかけでアパートを辞めた。そして、明日にはこのアパートは取り壊すのだと。
生霊に呼び寄せられたのか。
男は地図を外し、壁の穴を覗き込む。
女性の声が聞こえる。穴の中から出された手に掴まれ・・・

観終えて、番町皿屋敷が頭に浮かんだのですが。怪談とホラーが同調したのかな。
壁の穴と割った皿なんかが、愛する男の目を惹き、男の愛を信じたいという女とお菊を思わせます。そして、そんな疑いのある愛が、自らの吃音で社会に認められなかった過去や恐らくは盲目的な愛を受けた母を持つ男のもどかしい苦しみ、そこから育つ怒りに繋がっているのではないかと。
先の作品が平成の男女を描いているのなら、こちらは昭和の情熱的な男女愛みたいなものを感じる作品。
似ている要素も多々あるようで、男の中にある母の存在、苦しみの中にいる人に救いの手を差し伸べたいような気持から膨らむ愛なんてところは同じように感じます。
でも、そこからドロドロ、狂気的に展開していくのは作風なのか、時代なのか。
女、演じるキタノ万里さんがどこかに鬱積した愛の膨張をじわじわ見せて、それが壊れることで起こるであろう恐怖を終始感じさせて恐ろしい。

「tango@はじめて」 繁澤邦明(劇団うんこなまず)

着ぐるみをきた3人。
みんな女らしい。
マックの女店員、ハンバーガーを食べる女、初夜にチャレンジする女。
こちらでお召し上がりできるハンバーガー。やっぱりハンバーガー。ブレない。
初夜は失敗。お召し上がりしてもらえなかった。まじ、闇だ。でも、ハンバーガーはヤミー。
ヒッチハイクでドライブ。ドライブスルーでお持ち帰り。
繰り返される時間。抗うにしても、ハンバーガーをフィレオフィシュに代えるぐらい。
着ぐるみを脱げば、自分たちは男。
単調な無音は、爆音へと変わり・・・

この企画を拝見するのは3回目。過去2回とも、最後の作品は、意味が分からないものだったので、間違いなく、この作品を持ってくるだろうと思っていました。
まあ、最初の作品が平成、2番目の作品が昭和の男女愛なら、これは、これから先に訪れる、もしかしたら訪れることのない時代の男女愛なんじゃないでしょうかね。そんな愛の形は聞いたこともないし、見たこともないわけだから、分からないのもある意味当たり前かも知れません。
最近、観たこの劇団の作品の影響もあるのか、繰り返される断片、ルーチンからの疾走みたいなことが感じられます。
はじめてというスタートから、繰り返されることで、普通、当たり前になっていく。経験、熟練が身に付く反面、失われてしまったかのような新体験。
初夜は1回だけ。そこに至るまでのワクワクした楽しみと、終えた後の単なる繰り返される夜。いつでもブレずにおいしいから食べてしまうハンバーガー。
おいしい、楽しいと言いながらも、闇にも感じる。
ちょっと変えてみても、全体は何も変わらない。
いつの間にか、着ぐるみを被っているかのように変わっていた自分。脱ぎ捨てて、疾走する。いつの間にか無音になって流れる日々に、爆音を奏でてみる。
そんなイメージでしょうか。
不思議なことに、私はここは興味深い作品を観ることが出来るけど、決して笑えず面白くはないといつも言っているのですが、今回は不覚にも笑いましたね。面白かったのでしょうか。作品を観て楽しむよりも、舞台にいる人たちを純粋に楽しむことが出来たのかもしれません。
3人のコンビネーション。特に稲葉俊さん(劇団走馬灯)の不可思議な魅力が光っていたように思います。

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