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2015年8月 1日 (土)

かさをささない人~現在が『戦前である』という仮説を検証するための朗読劇~【大阪女優の会】150731

2015年07月31日 ドーンセンター パフォーマンススペース1F (85分)

作品名から、かさと言えば、あの原爆キノコ。
日本はもう二度とあんな傘をさしませんみたいな意味合いを込めた話かなと思っていましたが、全然違いますね。谷川俊太郎の作品からきているみたい。
そして、教科書や新聞に載っているようなかつての戦争で起こった事実では無く、その時の空気を思い起こして、現在と照らしてみようといった感じの話のようです。
どこか似ている。いや、そのままじゃないか。ということは、あの戦争が今、繰り返されようとしているのか。
どうしたら止められるのか。あの時、どうしたら良かったのだろうか。
その答えを導き出してくれる二編の詩、三編の物語、三曲の歌から構成されている。

・与那国島の子供が平和を考えた詩。
今、自分や家族、友達が見ているこの美しく、のどかな情景がいつまでも続きますように。みんな笑顔で楽しい日々、これが平和ならば、それがいつまでも守られますように。戦争がそれを壊すものなら、そんなことは辞めて欲しい。

私もそうだが、戦争というものを知らない。もちろん、教科書では習うが。
直接聞いた話としては、母方の祖父が南方戦線の歩兵だった時のこと、祖母が満州から引き揚げた時のこと、父親が子供の頃、家の庭に焼夷弾が落ちたこと。父の親父、つまりは私の祖父だが、飲んだくれでその後絶縁となり私も幼き頃、数回会った程度だが、その時、その焼夷弾を消火した姿だけが、唯一父を尊敬した姿として残っているそうで。
この子は、きっともっと私より戦争を知らないはず。それでも、その戦争が、自分たちの大切なものを壊すと分かっている。そして、今、その戦争によって本当に壊されるんじゃないかと思って、こんな願いを込めた詩を創っているのだろう。
この事実だけで、私たちは、今を見詰め直さないといけないことは歴然だ。
そして、忘れたくないのが、戦争は、その相手となる国の子供たちだって、こうやって不安にさせる。相手の国だって、こんな美しい情景に平和への想いを馳せている子がいるだろう。その情景を、焼け野原にして、絶望に陥れようとしている。それを日本という国の手でやるなんて論外なことだ。私たちは、そんな不幸にして戦争に巻き込まれ、焼け野原になってしまった情景を取り戻す大切な役割を持つ国では無かったのか。私は自衛隊とかは、そのために組織されたんだと習った覚えがあるが。

・茶色の朝(フランク・パブロフ作)。
茶色じゃないとダメな国。茶色じゃない犬猫は、もちろん安楽死。だから、今は前の猫を捨てて、茶色の猫を飼っている。友達も最近、飼い犬を始末したらしい。
新聞も茶色じゃないと廃刊になった。読むのは茶色新報だけ。
ちょっとやり過ぎじゃないかな。いや、茶色が自分たちを守ってくれているのだ。だって、今、幸せに楽しく生きている。白いプードルが殺されて泣いている子をみたら、ちょっと心が痛むけど、きっとその子も分かる日が来るだろう。別に犬自体がダメだなんて国は言っていない。茶色にしろと言っているだけだ。ルールに従って生きることは大切だ。
友達が自警団とやらに連行された。前に茶色じゃない犬を飼っていたから。そんな理由だったら、自分だって、前に白黒の猫を飼っていた。自分も捕まるのか。不安で仕方ない日。国はいまさら茶色にしたって、そんな簡単に茶色に染まるわけがないと考えているようだ。
ついにやって来たようだ。扉をガンガン叩く音が聞こえる。覚悟は出来ている。扉を開ける。
最初に茶色にするなんて法が出来た時におかしいと言わないといけなかったんだ・・・

端的に鋭く全体主義の怖さを描いた作品ですね。
みんな同じ色になりましょう。だって、違う色は間違いだから憎まないといけないものなのです。
そんな馬鹿なことに、みんなが従うわけがないだろうとも思いますが、戦争に突入していった時の空気はまさにこれだったのかもしれません。
一番怖いところは、茶色が自分たちを守ると思ってしまうようなところでしょうか。白いプードルが殺されて泣いている子を見ても、まあいいじゃないの、そう指示されてるんだしと納得してしまう。そんな自分たちを正当化してしまう。もう自分の考えというものが無くなった状態にまで巧いこと追いやられているのかもしれません。
その結果、あいつ茶色じゃないものを持っていますよでおさまらず、昔、茶色じゃなかったですよと、異となる者を徹底的に排除する風潮になってしまう。
国が決めたんだから仕方がないですわ。そんな抵抗するのが怖く、争ったりするのが嫌だなあという自分が正直いる。
でも、これでいいのかと思っているんだろ、だったら何かしないとという声が聞こえてくるような作品だった。
白いプードルが殺されて泣いている子を見て、痛んだ心。これが、きっとこの人の本当の心。誤魔化すために、忙しいやら、国のルールやらとか言い訳しているだけなのだろう。
先の詩を聞いて、遠き与那国島の子供に、そんな想いを抱かせていることが申し訳ないと感じた。これがきっと自分の本当の心なのだと信じたい。
目をそらさず、自分の言葉を発したい。

・値上げの歌。
短い歌だが、普通に歌っている間に、値上げなんかしませんよが、ちょっと検討の余地があるかも、しないとしょうがないかな、するしかないかも、しますのでと、変遷していく様を綴る。

まあ、結局、値上げすることになる。
戦争もそんな感じなのかなと思って聞いていたら、値上げを戦争に置き換えた替え歌が歌われる。なるほど、はまる。
歌っているみんなは楽しそうだ。ノリでいつの間にか、値上げをする、イエイッって感じで終わってしまい、実は怖い結論に至っているんだから、そこが恐ろしい。
陽気なギター、ノリのいい先生みたいな人に騙されてしまっているのだから。雰囲気的にはマスコミにのせられる愚民の構図が見えるような気がします。
どの段階がおかしな方向に進むキーポイントなのかな。
値上げなんかしませんよは、戦争なんかしませんよという憲法みたいな感じか。でも、本当はそんなこと当たり前の話で、わざわざ話題に挙げる必要もないこと。値上げなんかしませんよが、実はもうすることの伏線になってしまっているようにすら聞こえる。
戦争に置き換えた時、憲法の戦争しないよはそんなにポリシーの無いものなのだろうかと思う。
そして、大事なのは、した方がいいかも、しないとやむを得ないとか、色々と段階を踏んでいても、最後のするは意志の力に依存することなのだと感じる。
最後にすると決めるのは、自分たちだ。だったら、当然、でもやっぱりしないという選択肢も存在する。

・23分間の奇跡(ジェームズ・クラベル作)

9時。
新しい先生がやって来る。笑みを浮かべ、爽やかな服装で、綺麗で若い先生。瞳、服、靴が全てオリーブ色であることが印象的。
前の先生はしばらくお休みすることになった。泣きながら、教室を後にする。
不安そうな空気を醸す生徒たちに、先生は一人一人の名前を既に憶えていることを証明したり、歌を唄ったり、ゲームをしたりする。前の先生はそんなことはしなかった。そんな生徒視線が受けたのか、徐々に生徒たちは先生に気を許していく。
いつも、生徒たちは国旗に忠誠を誓う。
忠誠って何。誓うってどういうこと。先生は生徒たちに尋ねる。答えられない。
この誓いは国旗のために命を尽くせと言っている。国旗が命より大事。本当にそうかしら。
国を想う気持ちに必ず国旗が必要では無い。そんなに大切な国旗なら、みんなの身にいつも付けていた方がいいかも。
先生は国旗を生徒たちの手で切り刻ませ、切れ端を配る。旗竿は不要なので、捨ててしまう。
先生の服は素敵だ。みんな気に入っているなら、制服として支給されるから、みんな揃って着ることが出来ると先生は言う。
生徒たちは先生のことが大好きになる。でも、一人の男の子はまだ反感を抱いている。
ある生徒が口を開く。戦争は終わったの。この国は負けたの。
先生はどちらも勝った、だからみんなのお父さんも帰って来ると答える。
反感を抱いている子が先生を問い詰める。自分のお父さんはどこかへ連れて行かれた。お母さんはもう帰って来ないと言っていると。
あなたのお父さんは、間違った考えをしていたので、大人の学校に行っていると答える。間違いは正さないといけない。そんな正論に何も歯向かえない。
お祈りの時間。神に祈る。キャンディーが欲しいと祈ってみましょう。当然、キャンディーなど出てくるはずがない。
じゃあ、私たちの指導者に祈ってみましょう。今度はキャンディーが現れる。生徒に目をつぶらせて、先生が配ったのだが。
みんな大喜びするが、反感を抱いている子は、先生が配ったことを明かす。先生は困る様子も無く、その通りだと答える。お祈りは結局、無意味である。何かを私たちにくれるのは神ではなく、先生とかを含め誰かであることを教える。だから、お祈りはしたいならばすればいいものだと言う。
そして、キャンディーのことを明かした子には、優秀だと褒め称え、クラス委員を任せることにする。このことで、その子はすっかりご機嫌になり、先生のことが大好きになる。
これから、きっとこのクラスの生徒たちは、先生の言うことが正しいと考えて、言うことを聞くだろう。ここをはじめとして、いつかこの国の子供たち全てが、正しい考えを身に付けていくことを先生は想像する。
時計の針は9時23分を指している。

昔、教科書で読んだ最後の授業の続きの姿みたいな感じかなと思いながら観ていましたが、もうちょっと普遍的な不気味な洗脳の様子を描いているようです。
まあ、先生が吐き気をもよおすぐらいに嫌悪感があって。
これから生徒たちの中に巧く入り込みますよといった空気を最初から醸しているのが不気味に感じる。そして、生徒の名前を憶えているというくだりでこいつは本物の先生じゃないと感じました。生徒の名前を憶えていますが、席順で憶えたと言っていましたから。一致させるべきは、生徒の顔と名前でしょ。席順と一致させるなら、番号や記号で十分なわけで。表面だけの接触だけで、心を掴もうとしてくる。
一人騙されずに反感を抱いていた子に願いをかけていましたが、褒められるという最も単純な策略に陥落したこともショックでした。
不思議な不気味な感覚が残ります。
この先生は、生徒たちが疑問を抱きもせずにただ教え込まれたことをしていることを正します。どうして、こういうことをするのかと。それは考えるということを教える立派な教育だと思うのです。そして、制服やお祈りもしたい人はすればいいのだと、自主性、自由を重んじているようにも見えます。
立派な先生なんじゃないのか、模範的な教育像なのではないのかと思ってしまうところもあるのです。でも、どこか絶対におかしい。
そのおかしなところがよく分かりません。間違っているところがはっきりと見えない。それは先生が正しいことをしていると言っているからかもしれません。
先生は、生徒に考えさせ、決めさせようとしていますが、最終的に自分が正しいと思っている結論に誘導させるように持っていこうとしているだけなのかもしれません。
質問をして、考えさせはしますが、その答えも決めてしまっている。そこと違えば、間違いですと教育をし直す。
日本は戦争をする国になっていいのでしょうか。そんな質問に、いや、そんなことしたらダメだと決めているからしてはいけない、敵国が攻めてきたらどうしよう、対等に世界の国々と渡り歩くためには出来る国である必要はあるのでは、平和を愛する世界の誇りとして日本はありたい・・・と色々と考えさせながらも、行き着く先が戦争をする国にしましょうと導かれなければ、再教育するみたいな。
正しいことが何なのかを考え、その意志を持って行動を起こすことを、こんな23分間でかき消してしまうことも教育では容易に出来ることを示しているように感じます。

・おなじみの短い手紙
高田渡さんの反戦歌のようです。
詩の一部をメモっておいたので、ネットで調べたら出てきました。
単に赤紙のことかなと思っていましたが、どうも、単純に赤紙なのでは無く、こうしてナイフやピストル無しに自分を死へと追いやるものへの象徴を表現しているように感じます。
上の23分間の奇跡のように、脅迫や暴力無しに、実に巧妙にいつの間にか、自分を決めつけられ、おかしな道を歩まされてしまう。自分など、大した価値も無く、戦争だろうと何だろうと黙って死ねばいい存在なのだからと言っているかのように。
もっと人って尊き存在でしょ。ちょっとした言葉や文章で、生死を分かつような道へと進めさせられていいわけがないでしょといった心が籠っているような気がします。

・かさをささないシランさん(谷川俊太郎作)
罪なく牢屋に入れられている人がいるのです。その人のために手紙を書いて、助けるのを手伝ってくれませんか。
シランさんにそんな手紙が届く。かわいそうに。でも、自分とは関係ない。もしかしたら、本当に悪いことをしたのかもしれないし。
そんなシランさん、ある日、機関銃を持った人たちに捕まる。
かさをささない罪。でも、かさをささずに歩くと雨が気持ちいいのです。シランさんの言葉は聞き入れられません。みんな、傘をさすのに、どうしておまえだけ気持ちがいいのだ。おかしい。間違っている。
会社では、捕まったシランさんの噂話。いい人だったのに。いや、あの人の好さはどこかおかしかったよ。捕まって当然だったのかもしれない。
牢屋の中のシランさん。
どこか遠い国の若者が大臣に手紙を書きます。シランさんはきっと何も悪いことをしていません。助けてあげてください。
どこか遠い国のおばあちゃんは、シランさんに温かい手紙を書きます。お体に気を付けて、頑張って。
シランさんは銃殺されます。

描いていることは茶色の朝と同じようなところでしょう。
人と違うことなど、きっと誰でもどこかでしている。だって、個々というものがあるから。
何が正しくて、何が間違いなんて本当は分からない。
シランさんは傘をささない。変わってはいるが、それが気持ちいいというなら、本当はそれでいい。迷惑かけるわけでもないし。
でも、おかしくなった社会はそれを許さない。傘をさすということを正としたなら、それに反するものは誤りとして扱われる。
それまで、どんなにいい人で親切で優しい人気者だったとしても、間違った人として非難される。
無関心でいられるのは、遠い国の出来事だから。でも、それは実は自分の今、生きている国のことかもしれない。無関心の恐ろしさ。
そして、マイノリティーのことも少し気付かされる。多数派にはかなわない。これは多数決みたいな民主主義のようだが、その決まった多数とは異なる少数を迫害する決まりなどは別に無いはず。少数を尊重しつつも、多数の意見を活かす道へと進む。
傘をささないシランさんがいる。雨が降ったら傘をさすという世の中がある。
ただ、それだけのことだと思うのだが。

・戦争を知らない子供たちに戦争を教える詩
戦争をしない国ができる国になった時、どうなるか。
国際貢献という立場で、自衛隊はどうなるか。
かつての戦争の体験を踏まえ、どんなことが起こるかを語る。
国民はいい、悪いに分けられる。そして、命よりも国が大事になる。これまで教わったことは全て嘘になる。
そんなの嫌だと思ったら、大人に嫌だと伝えて欲しい。
大人は忙しいからと自分のことに精一杯で気付いていないかもしれないから。

端的に言えば、安保法案がとおったらこうなりますということを語っている。
この公演の設定は、今が戦前であるという仮説を検証することであるが、ここでは戦前であることがもはや検証されたという前提になっているようだ。
ここまでの物語、詩、歌で確かに、そう結論づけることは間違いでは無いというぐらいのところまでには持って行けてはいるだろう。
安保法案が戦争に直結することは無いという意見はよく聞く。
これは私見だが、でも、リスクが高まるなら、そんなこと何でしないといけないのかと思う。戦争の可能性は常に0でなくてはいけない。この0をたとえ1であっても、無から有にしてしまうのが安保法案だと理解しているのだが、それは間違いなのだろうか。
他国が攻めてきたとしても、日本は戦争をしない。それは、かつての戦争で日本という国が戦争の愚かさを誰よりも知り、平和を愛する心を誰よりも願うから決めたのではなかったのか。私は、こんなポリシーを持ち、戦争放棄をしても、世界の中で日本の国は永続するという善意に従った考えは誇りに感じているが。
戦争の可能性無しが有るに変わる。その危機感を意識しないといけないことを伝えているようだ。それを子供たちに伝える。
何やら申し訳ない気持ちが芽生える。こんなこと、どうして子供にお願いしないといけないのか。大人は忙しいけど、子供は自分たちの将来へと自分を磨くのに一生懸命だ。その時間を少しいただいて、こんなことを考えることに費やしてもらう現状を本当は恥じなくてはいけないのではないだろうか。

・各々が楽器を手に取り、歌い、音楽を奏でる。
一緒に考えましょう。
今回は女性しかいないが老若、色々な楽器の音色。各々の音、言葉で声にして、みんなに響かせよう。
そんな願いを込めているのだと感じる。

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コメント

ご来場ありかとうございました。
いつもながら、細やかで丁寧なご感想ありがとうございます。
ゆっくりお話する時間があればいいなぁと思います!
観ていただけてよかったです!

投稿: 秋津ねを | 2015年8月 1日 (土) 21時48分

>秋津ねをさん

コメントありがとうございます。

秋津食堂のおいしいご飯を食べて、酒を飲みながら・・・ヽ(´▽`)/
いつの日か。

じゃあ、具体的にどうするのかと言われると答えに窮するところがありますが、それでも、あきらめず、目を背けないでいたいなと思っています。

投稿: SAISEI | 2015年8月 2日 (日) 11時59分

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