輪廻 万華鏡展【星屑企画】150620
2015年06月20日 STAGE+PLUS (125分)
三部作の最終章。
前2作品も一応観ている。あまり覚えていないのだが・・・
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/110305-dd54.html)(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/yellow-sunrise-.html)
人が生まれ、死ぬ。そして、きっと生まれ変わる。
繰り返される人生。
その輪廻は、単発の事象では無く、永遠に受け継がれていくもの。
かつての人生で経験したこと、教えられたこと、感じたこと、悲しかったこと、誤っていたこと、大切に想ったこと・・・
そんなものは全て記憶となり、その人の中に刻まれる。
そんなことを、自分の人生の記憶を一つの作品として描きながら、その作品で彩られる美術館を自分自身のように見詰めてみる話。
コミカルで不可思議な短編をオムニバス形式で楽しく観ながら、最後に今、生きている自分自身の存在への想いを浮き上がらせ、作品名の意味合いを分からせるといった巧妙な作りになっている。
<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は本日、日曜日まで>
美術館。
様々な人たちが、作品を鑑賞している。
そこに蓮華という男が迷い込む。
突然の停電。気付くとそこには、作品も人もいなくなっている。
蓮華のことを館長と呼ぶ怪しげな支配人に導かれ、夢の世界へと。
「イカロスの翼」
イカロスは、大工で職人気質の父のことが苦手。不器用に、でも親しげに接してきて、どう対応すればいいのか分からない。
友人と親のことを話していて、悪口を言われ喧嘩。そのことを父に話すと、友人の親が営むパン屋を潰す荒技をみせる。こういったところが合わない。
そんなパン屋の友人とはなんだかんだいって、その後も仲良くやっていき、いい仲だった同級生と結婚する時には、仲人まで務めた。
そんなイカロス、今では王となった同級生の命を受け、迷宮を作ることに。
何でも、娘と結婚する相手を、迷宮をクリア出来るような肉体的にも精神的にも強い男を選ぼうと考えているらしい。自分が苦労なく王様になった反動のようだ。どこの家の父も、子供への過剰な想いからくるのか、おかしな考えを抱いて接してくるみたいだ。
イカロスは、この仕事に関しては父の助けを借りないで、総指揮官となって、頑張るつもり。
1年の時間を要したが、見事な迷宮が完成。
その35階から外を見下ろし満足げなイカロス。父がやってきて、細かなミスを指摘される。自分がまだ父にはかなわず、未熟なことはよく分かっている。
そこに姫がやって来る。自由気ままに育てられたのか、安易にどこかのスイッチを押してしまう。そのスイッチは迷宮の中に仕込んだ数々の罠を作動させる。
外から順番にクリアしていかないと解除されない。つまりは、中にいる自分たちは閉じ込められたことに。
父は、外を飛ぶ鳥たちの羽を集め、蝋で固定した大きな羽を作る。それをイカロスは付けて、迷宮の外へと飛び立つ。父には蝋が溶けるから低空飛行を命じられていたが、飛んでいる自分に気分良くなり、空高く舞い上がり・・・
神話をベースにして、まだまだ未熟で愚かな自分自身の認識、敬愛するが素直には接することが出来ず、まだまだ乗り越えられない父への想いを描いているのでしょうか。
父から受け継いだ技術を含め、様々な考えは、自分自身が生きていく上で大切な教訓となっている。今はまだ、それを活かしきれてはいないが、何度も失敗を繰り返しながらも、そのことを忘れずに、人生を歩んでいくみたいな。
「有頂天」
その手にするハリセンで多くの者に怖れられる、ちびっこレディースの総長。ある日、捨てられた狛犬を見つける。狛犬たちは、玉を大切に手にしている。
総長は、その玉と共に、狛犬たちを連れて帰り、自分の神社に飾る。総長は、二代目として、総長の座を同じくちびっこの女性に渡し、自らは狛犬の厳しい指導係として先生となる。
狛犬がお参りに来る人たちをバカにするようなことでもあれば、いまだ手にするハリセンで厳しくお仕置きを。
そんな、いまや先生の下に、レディースたちが総長復帰を求めてやって来る。一切応じない先生にしびれを切らしたレディースたちは、玉を奪い去る。
狛犬にとって、玉は大切なもの。先生は一人、レディースの下へ向かい、数々の暴行を受ける。
そこに、狛犬と総長の意志を引き継ぐ二代目が現れ・・・
道に行き詰ったのか、どうしようもなく立ち止まっていた狛犬を拾って、厳しく立ち直らせて、また歩ませ始めた先生。狛犬たちが大切にしている玉も一緒に。
玉は、己自身の誇り、プライド、ポリシーみたいなものか。世の中には、そんな大切なものを奪ってくる連中がいる。捨ててはいけない。奪われても取り返さないと、自分たちが生きている価値を失う。そんなことを未熟な狛犬に先生は身を持って教えてくれる。そんな姿こそが、狛犬たちにとって、大切な出会いであり、本当に守らないといけないことを知る貴重な経験になったということか。
「愛、優、嫉妬?」
カフェで男の愚痴を語る女。今の男どもには飽き飽きしている模様。
ラブホに行っても、有線をきらない、無料のウェルカムドリンク、朝食にテンションあがりみみっちい、自分で何事もしっかりと決めない、風呂の準備や勧め方がスマートじゃない。そして、勃たない。
そんな単なる自惚れも入っているような愚痴を、女はいつも垂れ流す。友達の女は別れた方がいいんじゃないかと聞き役に徹する。
そんな二人と、一応、女の彼氏、そして、その女の言うことは必ず聞く奴隷のような後輩の男と飲み会をすることに。
女は、後輩とラブホに。特に今の彼氏と変わらない。強いて違うところを言えば、今の彼氏は見栄を張るところがあるが、後輩は初めてだからか素直で純粋な姿を見せていることぐらいだろうか。それでも、することは同じ。
女は、どの男も自分にはふさわしくないと幻滅している。
女は友達の女とラブホに。
女が後輩と付き合い始めたこと、友達の女は、女の彼氏に告白されたようなことを語り合う。女はそれでも後輩の愚痴ばかり。私には合わないけど、まあいい人だと友達には元カレを勧めたりする。
友達の女は男と違って手際がいい。女の気持ちを読み、一歩先の行動ができるし、周囲をよく見ている。
親友だから。そう言う友達の女だが、その奥には女への嫉妬の感情が渦巻いており・・・
前2作を、蓮華自身が、イカロス、狛犬となって、父や出会った先生との記憶をたどっているかのように観ていたが、ここで崩れる。同じような観方をするなら、どちらの視点に立てばいいのだろうか。
自分自身を高めることもなく、文句ばかりで、いつも現状に満足せず、憂鬱な日々を過ごす女。それとも、そんな女の言うこと聞きながらも、それに妬みの感を膨らませてしまう弱い友達の女。
それか、蓮華の中に潜んでいた弱い心を分割して、会話をさせることで、その全てを否定して戒めようとしているのか。
人を愛するには、優しさの心を抱いて相手と接しないといけない。そうしないと、欠点ばかりが目につき始め、その不満を平気で露わにすることになる。そんな人に対して、人は決して同情や理解などせず、妬みや恨みを抱かれることになる。みたいなことかな。
「2/2」
赤の女と、青の女。
二人は、赤いもの、青いものを互いに語り合い、その色の素晴らしさを主張し合う。青はちょっとズルをするので、その度に揉める。
その後ろでは、赤青の色鉛筆を両側から鉛筆削りで削っていく女性。その真ん中に自分がいる・・・
ここで、先に記した、蓮華を登場人物の誰かに置き換えるという観方では、成立しないことに気付く。もっと、彼自身の概念的なことを描くようになっているのだろう。
情熱的で真っ直ぐな赤。冷めて狡猾なところがある青。そんな赤で絵を描くこともあるし、青を使う時もある。二つの色を使って、描かれた絵が紫になることはあるが、自分は決して紫では無い。赤も青も持つ自分。2/2=1みたいな感じか。赤青色鉛筆のように、表に出ている赤や青を削っていけば、その境界にたどりつくが、そこは紫では無く、0である。
様々な色を持つ自分を認め、その色の魅力を引き出しながら、素敵な絵を描くことが大事みたいなことを伝えているのだろうか。
「山羊の吐瀉物」
黒山羊の黒柳さん。白山羊の白柳さんから手紙が届く。早速食べて吐き出す。美味しかったよと返事する。
乙姫様からは、亀が届く。何かと勘違いしているのか、ジンギスカンの肉とフワフワの毛を所望されている模様。亀から、浦島太郎の使っていた杖をもらって、自慢の黒髭をとりあえず亀と一緒に送り返す。
白柳さんからビデオレター。もう、手紙のやり取りを辞めようという内容。郵便屋さんも迷惑しているから。
黒柳さんは蓮華に手紙を求める。それを仕方なく書いている間に、白柳さんから再び手紙が。
早速食べる。彼は亡くなったらしい。
黒柳さんは、白柳さんに会いに行くために死ぬ・・・
手紙をもらう。そこに書かれた文字を読む。
ビデオレターをもらう。そこに映る姿を見る。
情報社会は発展して、言葉や文字、姿によるコミュニケーションが可能になった。あの長い時を費やすことになった浦島太郎と乙姫様の出会いも、今では、すぐに交流を図れる。
でも、自分が手紙やビデオレターから受け止めているのは、その言葉や文字、映像に込められている、その人の想い。そのことを忘れて、受け取る言葉や文字、姿からその人のことを見詰められていなくなっていたのではないか。受け止めずに吐き出してしまっていたのではないか。そんなことに気付いた人が、本当に会いに行くといったような感じかな。
蓮華は、気付くと一人、何も無い美術館に。
そこに一人の女性が訪ねてくる。
優しい微笑みを浮かべ、お腹を大切そうにさすっている。
自分がここの館長。
形は無くとも、ここには記憶が残る。
蓮華は、その女に自分の記憶の作品たちを紹介する。
ここに戻ってきた蓮華。そして、今から、この女を通じて、行ってくる・・・
少々、飛び過ぎの描き方もあって、よくは分からないが、美術館は、前世も含めた、蓮華のこれまでが蓄積する空間だろうか。
生きている間は、そこに様々な作品が飾られる。それは、記憶というかは経験の蓄積のようなイメージ。様々な人がそれを見て、賞賛したり、蔑んだり、批評したりするのかもしれない。
でも、その作品たちは死と共に片づけられる。蓮華も恐らくはそうだったのだろう。
空っぽになった美術館。
しかし、そこに飾られていた作品たちは記憶となって、この美術館の空間に残り続ける。
蓮華は、また新しい人生の中で、この美術館にたくさんの作品を飾り始めるのだろう。でも、それらの作品は、その時を生きる蓮華の創り出した作品であると同時に、これまでの蓮華が創り出した作品の記憶と共にある。
人が生まれ、死ぬ。そして、輪廻して生まれ変わる。その繰り返しで得られるその人の記憶の欠片は、やがて、万華鏡のように幾つものパターンで毎回変わった、様々な美しい姿を映し出すようになるのでしょう。
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