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2015年6月27日 (土)

運命の子供【伊藤えん魔プロデュース】150626

2015年06月26日 近鉄アート館 (130分)

一言で言えば、人生訓が詰まった作品だと思います。
乳児という未熟な存在。それは、人が生まれたばかりで物理的にも精神的にも多くの大人と呼ばれる者たちの手助けが必要な状態だからですが、ずっと生きて大人になっても、別視点からはまだまだ未熟だったりするものでしょう。
何も変わらない。その生きるステージで、次のステージを目指しながら、成長しようと頑張る。その時に、やはり周囲の仲間、その時点で自分よりも大人の人たちの手助けを得ながら。
こうして、自分の成長を繋いでいくことが生きる証。成長を止めてしまえば、そこで、終わってしまう。
もう記憶には無くなっているだろうけど、誰もが確かにあったあの乳児の時間。その頃にきっと、思い描いていたであろう、多くの不安や、他人への憧れ、嫉妬、自分の能力の限界を抱えながらも、成長することの喜び。
未熟な人間の象徴として、乳児を題材にして、大人が演じるのでコミカルに魅せながらも、今の私たちにそんなことを語りかけてくれるような話でした。

病院併設の育児施設を改変し、乳児専門の特別な施設、ネバーネバーランドを創設。
これにより、かつてのように親たちは育児に苦労することなく、自分たちの生活をこれまでどおり楽しめる。
病院があるから健康管理もバッチリ。
授乳は父性と母性を共に持つ人、つまりはオカマが担当するため、特定の保育員に懐いて、本当の両親を忘れたりしないように、適度な距離をとる特別なシステムが配慮される。ドクタークモンと有能な秘書がこの施設を管理する。共に、兄弟姉妹が賢かったり、美人だったりしたため、劣等感にさいなまれた経験があるらしく、乳児の頃からわけ隔てない平等な社会を望んでいるようだ。

そんな施設に、メロディーという女の子が入所してくる。
一番年長、と言っても2歳まじかぐらいだが、リーダーであるカール、感が鋭いペコ、頭のいいリカ、鍛えた体で元気なビスコ。
すぐに仲良くなり、大人には分からない幼児語で会話をする。
いつかは、こんな世界も終わりになる。やがて、大人たちと同じ言葉を覚え、自分のことは自分でしなくてはいけなくなる。
カールのように、そんな当たり前の運命を受け入れる者もいれば、それに異を唱え、いつまでも子供でいようとする者もいる。
この施設では、そんな対極する2グループに分かれている。
ドギー、ムーニー、マミーポコ。
三輪車で暴走し、ミルクもなるべく抑える。自分たちはいつまでも子供。徹底した思想を貫くドギーに傾倒するムーニー。でも、彼の頭や体には徐々に、この世界を卒業する前兆が現れている。
マミーポコは、ペコの姉。かつては、カールのグループにいたが、優秀なペコに対して自分の無能さを嘆いて、こちらに入り、成長を諦めようとしている。

そんな施設で生活をする中、メロディーはおかしいことに気付く。
例えば、親と面会しているが、どうも会っていない感じがする。それは、有能なホログラム機能を用いてるからだ。
何かを隠している。
そんな時、歩行器がまだ手離せない二人組から、病棟のどこかに子供のままで何年も監禁された男の話を聞く。
彼なら、この施設の謎を知っているはず。
カールたちは、すぐ先の病院に行くだけではあるが、大冒険へと出発する。

ADL48と呼ばれる男がいた。
もう、48年も、体に取り付けられたパイプを通して、栄養補給をされながら生きている。
やたら難しい言葉を多用して話してくるので、カールはさっぱり理解できないが、メロディーは付いていけている模様。
彼は、メロディーに、あなたはいずれ49と呼ばれて、自分と同じようになるかもと警告を受ける。

しかし、49と呼ばれ、どこかへ連れて行かれたのはリカだった。
リカは非常に頭がいい。それが理由らしい。
親の承認の下、ドクタークモンたちは、リカを閉鎖病棟へと連れて行く。
これは、施設の陰謀だ。
カールとメロディーは、仲間であるリカの救出に向かう。
敵対するグループ、歩行器の二人に手助けをされながら。
そして、乳児たちは、この施設の隠された真実を知り・・・

結局、この施設は、秀でる者を見つけ出すための施設だったようです。
ドクタークモンは、天才と呼ばれる優秀な兄がいたため、自分はおろそかにされ、憎しみの感情を抱いた。
こんな憎悪の感情は、人の能力差から生まれる。だったら、平等な世を生み出すためには、こういった天才を世の中から封印しようと考えたようです。
彼は、実際に兄をADL48と呼んで監禁し、今回は知能指数が異常に高いリカを同じように封印してしまおうと考えた。
しかし、それは同時に成長を止めてしまうことであり、それは死に等しいことであることに気付きます。
大人でも子供でもなく、ただ生き長らえさせられた兄の姿を悲しみ、各々が自分たちのペースで成長していくことこそが、生きる証であると考えを改めます。

最後は、このネバーネバーランドが、そんな施設に生まれ変わった姿を見せています。
乳児たちは、まだまだ未熟であるが故、周囲の大人と呼ばれる人たちに助けられながら、生を繋ぎます。無償にその愛を求められるのは親であることも、本能的に分かっているでしょう。
未熟でも、己の社会を形成し、その中で、人と出会い、その人と自分の能力を比較することで、自分自身と向き合いながら、時に傷つき苦しみ、時にそんな仲間たちとの絆を感じ合い、日々、成長します。
やがて、言葉を覚え、この乳児の社会から巣立ちます。その時に、ここで生きた記憶はもうほとんど覚えていないでしょう。
でも、確かにそんな社会で生き、上を見て、何も出来ない自分にイラだち、人に甘え、不安を覚えながらも、憧れも抱き、そこに向かった短い時間。その証はきっと、心のどこかに刻まれ、次に生きる社会において、自信という形で現れるような気がします。
生きるということは、そんな成長をするために過ごした時間を、自分の人生の次のステージに繋げていくこと、だから、成長を止めようとしたら、もうその先に自分の生は繋がらなく、そこでもう終わり。だから、人は生まれた乳児の頃から、死ぬ時まで、ずっと成長し続けることを考え、そのために時間を過ごし、頑張り続けないといけないのかなといった想いを感じる話でした。

メロディー は何者なんでしょうか。
実はリカよりも相当賢く、本来ならば、49号となるのは、間違いなくこの子なはずです。
感覚的には、運命の象徴のようなものでしょうか。
メロディーがこの施設に入ってくることで、変化が生まれました。それはこの施設にいる乳児たちに、行動のきっかけを与え、それがひいては、大人たちの考えに変化をもたらし、最後には施設をも改変します。
自分の人生を振り返ってみると、転入してきた転校生、サークルで出会った友達、転職先で会った上司・・・
自分の道筋を見つけるきっかけ。
惰性になってしまっている環境に投じられる気付き。
受け入れるという状態に甘んじてしまい、自分から取りに行くとか、掴むとかを忘れてしまい、くすぶってしまう時期。
そんな時に、何かを手に入れる、成長したいんだったら、自分で何かをしないといけないことに気付かせてくれる存在みたいなものでしょうか。
そして、その行動一つが、やがて周囲を動かし、組織をも変える。
さらには、自分がメロディーとなって、多くの人に影響を与える。
そんな辛いこともいっぱいあるけど、頑張って成長することで得られる、繋がりながら豊かに生きる道筋を教えてくれるような話のように感じます。

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