山の声 -ある登山者の追想 山編【カムヰヤッセン】15614
2015年06月14日 ウィングフィールド (75分)
孤独を愛し、孤高にストイックに生きる。誰かの後を追随するわけでもなく、苦しい時に助けを求められる人の隣にいるわけでもない。道は、自分が切り開いて、その先の新しい世界を目指し続ける。その道の厳しさに怖れ、自分の力の限界を知り、悩み苦しむ。それでも、その道を進むことは決して止めない。
人を求め、家族や友への愛情に溢れている。人を拒絶するような孤独ではない。誇りある孤独。自分が戦う孤独の時間を愛すると共に、家族や友と過ごす時間を大切に想う。
作品を観ていて浮き上がる、加藤文太郎という登山家の人物像。
その加藤が、命を絶つことになる最期の登山の遭難の様子が描かれる。
それは壮絶であるが、彼が最後まで、自分の生き様、精神を守り抜き、愛する家族の下へ戻ったような形となっている。
切なさと同時に、悔しいという気持ちが湧き上がる。
正月、妻と子を残し、槍ヶ岳に登山した加藤文太郎と、そのパーティーを組んだ吉田という後輩の遭難現場でのやり取りが描かれる。
加藤は、六甲全山縦走をはじめ、数々の単独登山を成功した経歴を持ち、日本のウィンクラーと呼ばれる男。後輩の吉田は、とても真似できることではないと加藤を崇拝している。
しかし、本人は、高度なクライミング技術が必要な奥穂高登山で、その技術の低さから、たまたま同行してもらった者の手助けにより、頂上に達するものの、恐怖にさいなまれた経験を持つ。日本のウィンクラーと呼ばれる世間の目と、自分自身とがかけ離れているような感覚を抱いていたみたい。
そして、学生などが、軽装で手軽に山を登る姿を見て、山を愛する者として賛意を示すものの、どこかで山をなめているという苛立ちもあったようだ。
そんな、自分の心を素直に出せない、孤高でストイックな面があったためか、その笑顔は妻ですら慣れるまでは怖く、威嚇されているような感を持っていたらしい。
サラリーマンであった加藤は、有休を使いながら長期休暇を取って、登山をする。あまり、それを理解する者は少なかったが、山が好きな、ある上司にはかわいがってもらっていた。
そんな上司から、ヒマラヤのことを聞く。当時はまだ誰も頂上まで辿りつけていない。莫大な金が必要とか、物理的に遠過ぎるとかで日本人は誰も行こうとしない。行けないと決め付けてしまう。それでも、いつの日か、日本人がヒマラヤにアタックする時が来るだろう。
加藤はそう信じて、少しずつ貯金を始める。もちろん、妻には内緒で。貯金を続けている間は、自分はヒマラヤを目指そうとしている。自分の頭の中にヒマラヤがいつもあると考えていたようだ。
加藤には、妻と最近、生まれた女の子がいる。家族はいいものだ。自分を温かく迎えてくれる家族。命の危険を常に意識しないといけない登山において、家族の存在は、加藤にとってかけがえのない大切な存在だったみたい。吉田は独身なので、それに関しては、頑なな態度を取る。山と家族、どちらを取る。加藤は、はっきりと答えない。でも、吉田は山だと断言する。
そんな加藤の登山人生の中で、今でも決して忘れられないことがある。
山の名前は忘れてしまった。
自分が入山する前に、6人のパーティーが既に向かったことを知る。加藤はいつものごとく、単独登山。
先行するパーティーの登山跡が残っているので、いつもより非常に楽な登山となる。
山小屋で6人のパーティーと出会う。
あまり人とすぐに打ち解けられない朴訥な性格だったためか、ろくな挨拶もなく、その山小屋で過ごす。それでも、パーティーの中の案内人とは一緒に語り合ったりはしたようだが。
翌日、天候から、先へと進むことは困難な様子。パーティーは、ここで亡くなった登山者の弔いをするために、ある近くの岳へとパーティーは向かう。
加藤はそれに付いて行く。しかし、最初に挨拶が無かったのが悪かったのか、パーティーの人たちには、怪しい人だと思われてしまう。
そして、岳の頂上まで着いた時、パーティーだけで写真を撮りたいから、加藤は帰るように言われる。邪魔にならないようにするから、一緒にいたいと言えばよかったのだが、何も口に出来ず、加藤は山小屋へ戻る。
単独では厳しい帰路。しかも、加藤は、いつもの単独登山とは違って、仲間たちと一緒に行動することに楽しいと感じ始めていたので、孤独感が大きくつのる。
一人、山小屋にいると、6人パーティーが戻ってくる。
意を決して、パーティーに入れて欲しいと伝えるが、輪が乱れる、それが遭難に繋がると受け入れてもらえない。
加藤は、結局、単独で行動し、山小屋を後にする。
その後、パーティーは、その山小屋で雪崩にあい、全滅したらしい。
他人が切り開いた道を付いて行こうとした自分への嫌悪。無理にでも一緒にいれば、みんな救われたかもしれないという悔い。
前半は、こんな加藤の生き様を登山経験の話の中で浮き上がらせる。
加藤と吉田は、わずかな甘納豆を煮込み、塩気が体を元気にさせると、これまたわずかなじゃこの油揚げを食べ、アルコールランプにわずかな灯をともしながら。
食べ物の話になったからか、田舎の雑煮の形式に議論をしたり。
登山はいつだって、孤独との戦い。
単独登山をする加藤は、その厳しさをよく知っていたのだろう。
今回は、パーティーとして、信頼できる吉田を誘った。
過去に、一度、誘った時は、自分の認識の甘さか、吉田の準備不足か、吉田に凍傷を負わせてしまった。
山をなめてはいけない。
このことは二人ともよく知っている。
だったら、なぜ、今、こんなことになっているのだ。
2人だからと甘く考えてしまったのか、依存し合ってしまったのか、互いに自分の実力におごりがあったのか。
自分とパーティーを組んだのが悪かったのではないのか。単独登山を志す自分たちは、パーティーを組んではいけない者同士だったのではないのか。
吉田は叫ぶ。
そう、単独登山だったら、あんな行動は絶対に取らなかった。
頂上まで、あとわずか。空には晴れ間が広がるが、これは偽物だ。
すぐに天候は崩れ、おそらくは猛吹雪となる。
頂上まで行って、この山小屋に戻るまでに数時間。
危険過ぎる。
でも、二人は山小屋から出発した。
それも、大半の食料や必要品をその山小屋に残して。
二人は頂上に着く。
空の様子から、急いで戻らないと危ない。
でも、山の天気は待ってくれなかった。
二人は猛吹雪に襲われる。
降りしきる雪は、山小屋へ戻る道筋すら消してしまう。
二人は足を踏み外し、陥落する。
谷を目指すしかない。雪崩の恐怖と戦いながら。
徐々に体力を落とす吉田。やがては、幻聴まで聞こえている様子。
そのたびに、ひっぱたき、歩かせる。わずかな甘納豆、じゃこの油揚げを食べさせる。
最初はそれを口にして噛む仕草を見せていたが、それも無くなる。
いくら呼びかけても返事は無い。冷たくなる吉田。
ふと気付くと、加藤は一人、取り残されている。孤独。
自分は誰と話をしていたのか。
加藤は、雪の中を歩き、やがて、そこに風景が広がる。
日本海の漁の灯り、後ろには山々。自分の家が見える。
妻と子が待っている。
魂となった加藤は、その家へと身体を雪山に残してたどり着く・・・
そうか、ずっと加藤の人生の追想を見ていたんだと最後の方で気付く。
前半に、加藤が山という自分の目指すものへと孤高の精神で常に立ち向かう凄い人ではあるが、家族を愛し、友を信じる優しき心を持つ人でもあったことが描かれている。
自分で新しい道を切り開いて生きていきたい。その証明を登山という形で達しようとしていたのか。
孤独を好んでいるようだが、人の想いを拒絶するわけではなく、むしろ、常に人を求めているかのようにも見える。そんな加藤が家族を得ることでどれほど心の救いがあっただろうか。自分を慕ってくれる友と一緒の時間を過ごすことをどれほど嬉しく思っていただろうか。
でも、現実は、一人を捨てた時に、災いが降りかかることになる。
後半は、その最期の時に至るまでの壮絶な遭難シーン。あまりの迫力に唖然とするしかない。
そして、訪れる穏やかな終息の時。
そこに至るまでの狂気や恐怖を感じさせられる時間からは想像もできない美しく温かい風景が広がる。
孤独な最期の時間が終わり、ようやく家へと帰れた。
その姿に、切なく、そしてとても悔しい想いが溢れてくる。
| 固定リンク
「演劇」カテゴリの記事
- 【決定】2016年 観劇作品ベスト10 その3(2016.12.31)
- 2016年度 観劇作品ベスト10 その2(2016.12.30)
- 2016年度 観劇作品ベスト10 その1(2016.12.30)
- メビウス【劇団ショウダウン】161209(2016.12.09)
- イヤホンマン【ピンク地底人】161130(2016.12.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント