gate #13≪May≫【KAIKA】150517
2015年05月17日 KAIKA (25分×3 作品終了後8分程度の講評)
三作品とも死と直面した人の姿を描いているようです。その死が、ある個人の死から、ある限定された私たちの死、そして全ての人たちの死と直面する時に、人はどうなるかを描いているような感じです。
個人の死は、そこに私の死が感じられないからなのか、実にその死が薄い。同時にそれは生すらも薄っぺらいという感覚を生み出します。
私たちの死は、私も、あの人も、みんな、その時は分からずとも死が訪れる。だったら、今、生きていることをどう捉えて生の時間を楽しむのかが人の人生だといった感じで、生の尊さが浮かび上がる。
全ての人の死は、人の愚かさ、弱さ、醜さが露出してきます。でも、それを超えて達観した人たちの姿も見えます。生の終わりを覚悟して、訪れるべき死が目の前にやって来た時の人の抗う姿は、これまでの生を誰もが見詰め直して、最良の生の時だった形で死を迎えようとする、どこか美しさを感じさせるようなものでもあったような気がします。
順に死というものが明確に描かれていき、はっきりと感じ取れるようになります。この時、同時に生というものも明確な形で浮かび上がり、生きることとは何なのかがはっきりとしてくるような感覚を得るような作品、公演だったように思います。
・条例 : Quiet.Quiet
死刑執行室。
法律が変わったのか、死刑執行を一般の民間人が行うことになったみたい。
死刑の方法は絞首刑、執行はどれが作動するのか分からない3つのボタンを3人の執行人が同時に押すという形式は変わっていないようだが。
部屋に一人の女性が入ってくる。物珍しそうにニヤニヤと。マジックミラーになっているのだろうか、窓の向こうには執行を待つ死刑囚がいるみたい。10年前に話題になった連続幼女強姦殺人事件の犯人。携帯で写真を撮ったりと厳粛さは全く感じられない。続いて、もう一人の女性。友達らしい。昨日の合コンの男の話で盛り上がったりしている。ケンジだとかいう、イケメンだけど、ちょっと息が臭くて、ウザい感じの男の話で盛り上がる。ケンジは、後から来た女性に興味があるのか、LINEでけっこう連絡をしてくるようだ。今日もこれからクラブに誘われているのだとか。
さらに、もう一人の女性。やはり、二人の友達らしい。昨日も一緒に合コンに行っている。二人と違って、あまりガツガツ前に出ないようなちょっとおとなしめの感じ。ケンジが気になるみたいだが、友達と連絡を取っていることを知り、複雑な気持ちになっている。おとなしい性格が災いしているのか、二人があまりにも思いやりに欠けているのか、二人との間には、友達というか、主従に近い関係が生まれてしまっているみたい。それが、この密室で露骨に浮き上がっている。三人揃ったことを電話で伝えるのも全部任されてしまっている。放送がかかる。5分後にブザーが鳴る。そうしたら、一斉にボタンを押す。
でも、ケンジとちょっと交流を深めている女性は、ふざけて一つのボタンを押す。おとなしめの女性は、もっとちゃんとしようと注意するが、真面目ぶってと反感を買うだけの状態に。死んで当たり前の奴を殺すだけだと。そして、当てつけのようにもう一つのボタンも押してしまう。作動はしない。残りの一つが作動ボタン。仕方ないからみんなで押そうということになるが、ここでもふざけておとなしめの女性に無理やり押させてしまう。
死刑が執行された。もう疲れたから帰るという二人、床に崩れて呆然とする女性。
二人が去った後、女性はケンジに電話をして、これから二人っきりで会う約束をする・・・
死刑囚は顔は映っていない映像。体も分断されており、血の通った人間といったイメージは無く、それこそテレビの向こうで死んでしまった人みたいな無機的な感覚。
そのためか、死へのリアル感は薄い。執行後も、そこに死は存在していないかのようである。さらに、こいつらこそ、死刑だと言いたくなるくらいに憎たらしい女性二人の存在が、生きていることすら薄っぺらく感じさせる。
こんな生死の感覚が希薄な中で、仲の良さそうな二人の女性ですら、渇いた表面上の繋がりであり、ましてやおとなしめの女性もいれてしまえば、触れ合うとか想い合うなんてことが皆無の希薄な人間関係が浮き上がる。
人が死ぬ。ましてや、自分の手で死へと追いやる。この認識の薄さはいったい何なのだろうか。例えば、いじめである人を死に追いやる。こんなことも平気な感覚が生み出されているのではないだろうか。
人と深く触れ合うことをしないから、その人が生きていること、さらには自分も生きていることすら理解できず、そのためにその死が、たとえ目の前で起ころうとも、どこか遠くの関係ないところで起こったかのような錯覚を引き起こしてしまうような感を得る。
何のために、どういう効果を期待して出来た条例なのか。人が死ぬということは、その人のこれまでの人生に終止符が打たれること。作品中の死刑囚は、犯罪を犯してから10年経つ。この10年は、この女性たちにとっても、自分たちが生きて成長する10年だったはず。犯罪者だからといって、その10年を無視して、あまりにもたやすく死へと追い込むのは、自分自身の大切な10年の生の時間をおろそかにしか捉えていない愚直な考えのように思うのだが。
死刑制度の是非は、難しく、私は賛成とも反対とも言い難い。どちらかと言えば、賛成やむなしのスタンスは一応あるが。
それでも、ただ死だけを突き付け、その人の生の時間を無視してしまうような考えは、同じ人間としてあまりにも悲しいことのように思う。
死刑は決して当たり前に行われていいことではないように思う。それは、単純に人が死ぬことだから。その死への感覚が薄くなってしまうようなことの理由の一つに、希薄な人間関係や生きていることを感じさせない世の中にあるならば、まず変えなくてはいけないところはそこにあるように感じる。
・INEMURINOKUNI : 万博設計×プロトテアトル
舞台はある電車の中。
4人。私、たちはこれから電車に乗る。その電車は事故を起こす。そして、多くの死者を出す事件となる。私、たちは事件とはもう関係がない。事故で亡くなるというところで、全て終わってしまうので。
大学生。今日はバイトに行って、五限には間に合うように大学に戻る予定。趣味は天体観測。ごく普通の大学生だ。
九州から原付で日本縦断中。大阪は初めての地。原付が故障してしまい、その修理の時間がけっこうかかる。それなら今日は京都でも行こうかということに。
プログラマー。睡眠が足りない。電車の中で、少しでも居眠りをして、会社に向かう。最近始めたゲームが今のちょっとした楽しみ。今日はきっと、レア猫がやって来るはず。
18歳、無職、彼氏無し。それでも、今の自分は幸せだと感じている。今日はTwitterで知り合った大好きな作家と会いに行く。
4人は電車に乗る。この広い宇宙の地球の日本の兵庫の電車に。
電車は走る。停車して幾らかの人が降り、それ以上の幾らかの人が乗ってくる。いつの間にか車内は人で溢れる。
そして、あのカーブに電車はさしかかる・・・
そこに私がいます。そんな私、たちは出会って私たちになります。
私たちはそれなりに幸せ。
この作品の4人は、ただ、私が、単に私だった時にそれに気付くことはなかなか難しかったようです。若い女性だけは自分の幸せを素直に語っていますが、他の3人は、あまり変わらない日々を過ごしている大学生も、日々、新鮮な景色や人と出会える日本縦断をする人も、仕事に追われるプログラマーもそんなことには気付けていないようです。
でも、そんな4人が、たまたまかもしれないし、別に大したことないかもしれませんが、確率的には奇跡的な出会いにより、私たちになった時に、自分たちの幸せを見出したのかな。
個々の私、たちが、自分たちのことを語る時は、特にとりとめもない自己紹介に過ぎませんが、私たちの間で語り合う時は、その生きている自分の幸せを笑顔で語ります。
でも、そんなことが出来るのも、死を知らないからなのでしょう。5分後に死にます。そんなことが分かっていれば、今の生の喜びなど語ることも出来ないでしょう。もちろん、いつかは誰もが死ぬのですが。
この作品の4人は死んでしまいます。でも、その死を知ることは、この人たちのように絶対に出来ません。だから、私、たちは、私たちとなって、互いに生の喜び、幸せを感じ合いながら、今の時間を楽しめるのかもしれませんし、楽しまなくてはいけないのでしょう。
今、生きている自分を、周囲の人と共に見詰め合うことで、必ず訪れる死とは遠いところで、生の喜びを感じ取れるはず。そんなことを、考えさせられるような話でした。
居眠りは英語でもINEMURIで日本特有の言葉だそうです。睡眠を削ってまで過酷な働き方をしているとか、無防備だとか海外からは思われてしまうらしく。
でも、いいように捉えれば、自分を犠牲にしてでも、会社のため他の人のために働くという、自分のことだけでなく周りのことを知らぬうちに考えてしまっている、周囲の人を信頼しているといった感じに捉えることも出来るような気がします。古き時代からの義の精神や、仏教の悪人はいないみたいな思想が頭を支配してしまっているのでしょうか。でも、そんな国なんだから仕方ありません。それがあるから、こうして、見も知らぬ人たちが、私たちという仲間のようなものにまで比較的、容易に発展させることが出来るのかもしれませんから。そんな日本人の個性を考えて、独特の死生観を抱く姿がぼんやりと浮かぶような話だったように感じます。
・チラ美のスカート : コトリ会議
隕石が地球に衝突する。
街頭のギター弾きは、落ち着いて下さいと書かれた看板の下で、最後の時まで、自分の音楽を静かに奏でている。
放送では、詳細な衝突時刻が明らかにされ、どこかへ逃げてと無責任なことを言っている。
部屋では、クレープをたっぷり食べて、最後の時を二人で過ごすカップル。クレープ屋のミニスカ店員のパンツを覗いたやらでちょっと言い合いになっているが、それもすぐに収まり、幸せな時間を過ごす。プレゼントも用意している。男はそっと手渡す。指輪だろうか。
最後の瞬間はやっぱりキスで。でも、男の歯には青のり。綺麗にしないといけないと取ろうとするが、どうやら虫歯らしい。いまさら治療も出来ず、そうかと言ってこのままキスすれば虫歯が移る。歯を折りかねないぐらいにパニックになっている男を制しながら、女はプレゼントをあける。ピンクの派手なパンティー。よく分からず履く。
隕石は予定どおり、衝突する・・・
時は遡る。隕石衝突がNASAから世間に知らされた。
ギター弾きは今日も街頭で弾き語り。それをずっと聞いている少年。話を聞くと父親はNASAで隕石衝突の解析をしているのだとか。隕石は本当は衝突しない。でも、何かの圧力がかかり、そう報道できないのだとか。本当か嘘か分からないが、ギター弾きは家に帰る。猫ちゃんが待っているから。
街なかにはテンション高い少年少女。ロードローラーが街にやって来る。何でテンション上がるのかは分からないが、興奮しまくっている。ロードローラー登場。二人は轢き殺される。もう地球はお終い。それでやけになっている人がロードローラーを運転しているから。
瀕死の宇宙人が現れる。ロードローラーの餌食になったみたいだ。宇宙人はギター弾きと一緒にいた少年に、あるお願いをする。隕石は間違いなく地球に衝突する。だから、この宇宙船に乗るチケットをチラ美に渡して欲しいと。
ペアチケットらしく、チラ美さえ了承すれば、一緒に自分も宇宙船に乗れる。
少女は向かう。チラ美のところではない。さっきのギター弾きのところへ。そして、一緒に逃げようと誘いだすが、猫のほうが大事だというギター弾きはその誘いに全くのってこず・・・
何のことやら・・・
時系列は逆になっており、隕石衝突が発覚した時点で色々とあったことの結末を最初に見せられる。
ギター弾きは街頭で弾き語りをしているので、宇宙船に乗るのは結局断ったのだろう。猫がいない。あれだけ可愛がっていたのだから最後の時は一緒にいるだろうに。もしかしたら、自分の代わりに猫を乗せたのか。
チラ美はクレープ屋の店員みたいなので、結局、宇宙人の命を懸けたお願いは叶わず。自分が助かるはずだった人だとも知らずに、これまでどおり働いているみたいだ。きっと、こんな時まで外で仕事をしていたら、恐らくは最後の時を迎えて完全に自暴自棄になったロードローラーの餌食になっているかもしれない。
少年はそんな裏切りをして、ギター弾きへの想いも叶わず、どこへ行ったのか。やはり、宇宙船へと向かったのか。ペアチケットなので、誰と一緒に乗ったのだろうか。猫か。いや、自分を裏切ったギター弾きの猫を連れて行くとは思えない。ただし、非常食としてなら話は別であるが。
カップルは最後にキスをして愛を確かめ合うことも無く、プレゼントをとりあえず受け入れた変な姿の彼女と、彼女を傷つけたくないがばかりに、虫歯を気にする彼のドタバタの中、終末を迎えたのだろう。
二作品目と異なり、自分の死が明確になった状態で、人が最後どうなるかが描かれる。もすごく、個々で抗っている。でも、何かあまり変わらないんじゃないかという気もする。各々、自分の最後にしたいことを普通にしているみたいだ。
それもそのはずで、突き詰めれば、人はいつか死ぬことが分かっているという大前提で生きているからなのかもしれません。
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