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2015年5月13日 (水)

祭!2015 vol.5【足一】150512

2015年05月12日 かつおの遊び場 (15分、20分、10分、25分 休憩15分、5分、10分)

今回は、コンテンポラリーダンス、自己表現色が強い一人芝居、解放表現と、すじがあまり無く、感性で感じるところが多い作品が並びました。
どれも、なかなかメッセージを読み取るのは難しいですが、共通して感じるのは、自分探しみたいな感じでしょうか。
今の自分。している仕事、過ごす毎日、着ている服、考えていること、・・・
そんなものを見詰めてみた時、自分は、これまで生きてきた中で得たことや者たちと共にあり、これからもそうあるのであろうという一つの答えが、今の自分の誇りと、これからの自分の輝きを信じさせるものとなっているような感覚を得る作品だったように思います。

・NO MIND : 足一

朝起きて、電車に揺られて、仕事して。工場なのかルーチンワークで、追われるように業務をこなす。水を一口、休憩して、叩きつけたくなるような苛立つ心を抑え込み、時には、クレームでもあったのか謝って。
口笛吹いて、ゆったりした気持ちで毎日を見つめ直してみる。
そこには、・・・

日常の忙しさ、仕事をはじめ何かに追われる日々。満足いかない毎日に鬱積する焦り、不安、苛立ち。
自分ってどんな人間で、どんなことをしたかったのだろう。
日常の中に埋もれて見失ってしまった自分を探す。あの、口笛吹いて、余裕があった頃の自分を思い起こしながら。
毎日、相変わらず忙しい。でも少しだけ変わった。今は、ただ追われるように仕事をするのではなく、自分で考えて仕事をしている。自分が機械の一部のような頃とは違って、今は自分が何かを生み出せる一人の人間だと感じながら、眠りに就く。
作る、造るから、創ることを実現出来るようになった人の物語か。
やらされているのではなく、やっているみたいな。
大胆な動きを見せながらも、どこか窮屈な雰囲気から、静かな動きの中で拡がる自由を感じさせる最後まで。臼井利奈子さんが、自分を取り巻く壁を突き破った後に見せる安堵が印象的。

・演劇の害と、効能について : 西田美咲

舞台にぬいぐるみ、ペン、風船やらがばら撒かれる。小道具だ。
演者が舞台にやって来る。
彼女は魔法少女。そういう役らしい。
イスや缶詰やらで作った悪者。彼女はそれに自身で命を吹き込み、魔法少女VS悪者の話を創り上げる。一人芝居の始まり。
ぬいぐるみが犠牲者。あっという間に二人が殺される。飽きがくるから、魔法少女は自分を殺すことを悪者に提案。悪者は悪者としての考えがあり、想定外の展開に戸惑う。でも、魔法少女は自ら、ピストルで命を絶つ。魔法少女、倒れて退場。
再び、舞台に登場する魔法少女。悪者を無かったことのように片付け、絵に描かれた鍵盤から奏でられる音楽の下、自分のことを語り始める。
自分の名前の由来、演劇を始めたきっかけ、大切な仲間との別れ。再会を誓い、頑張る今。家計は厳しくても、将来設計は考えている。そんな一人語りで芝居は終わる。そう、芝居なので全部、嘘・・・

お気に入りの女優さん、西田美咲さんの可愛らしい魔法少女のお姿を見れてよかった。
ということでも済ませてしまえるところが、この作品の演劇に対する一つの考察とも思えるメッセージなのだろうか。
彼女は魔法少女なんかじゃない。ただ、ちょっと痛い弾けた女の子だ。でも、そう言っているのだから、舞台では魔法少女として見る。そういう役だから、そう演じられる。それが舞台に立つ役者のポリシーなのだろう。
じゃあ、全部、嘘だったのだろうか。後半に語る演劇に対する想いの真摯な語りも虚構なのか。
どこまで、本当で、どこまで嘘なのか。
舞台で本当の想いを伝えるために、役者さんはどこまで自分を曝け出さないといけないのか。
小道具やこの作品で無理矢理、創り上げられた悪者は偽物だ。観客は、それを本物として見ることを求められる。でも、演じる役者さん自身はどうなのか。役はもちろん虚構だ。でも、語る言葉、魅せる動きは舞台に立つ一人の役者さん自身なのかもしれないし、役として演じる登場人物の姿なのかもしれない。
役に自分自身を投影して、その姿を身を削って魅せる役者さんの演じることへの真摯な姿を感じ取るような作品だろうか。

・×(かける) : 竹内桃子

宝箱の中のボタンをばらまく。
身に纏った幾つかの服がボタンで繋がった衣装は、踊る中で脱ぎ捨てられる。
ボタンは外される。一つ一つになった服の一枚を羽織る。
何度かボタンを掛け違いながらも、自分の身にぴったりと纏う。
残された服に、ばらまいたボタンを合わせてみる。大きい、小さいと様々なボタンは、その服には合わない。
宝箱の中に、そんなボタンをまた、大切にしまい込み・・・

よくは分からないのですが、何か印象にとても残る。久しぶりにこの公演を観劇したが、いつの間にか投票制度が設けられていた。今回は、この作品に投票した。竹内桃子さん。どこかで拝見したことがあるような気がするのですが、とても魅力的な雰囲気を漂わせる方でした。
宝箱の中のボタンは、これまでに着てみたはいいが、結局は脱ぎ捨ててしまった服に付いていたボタンなのだろうか。
合う、合わないがあるのだろうが、それを着たことで得た経験を自分の中に残すみたいなイメージか。
自分自身が築き上げてきたもの、自分の大切な思い出、貴重な経験みたいなものとしてのボタンみたいな印象を受ける。
たくさんの服を欲張って着てみても、結局、ぴったりフィットするのは、ある一着。それも、フィットさせるのに時間はかかる。合わなかった服は、床に捨てられる。そんな服に、もしかしたら、自分の持っているボタンがはまるかも。でも、やっぱり、そんな都合良くはいかない。
今、着た服で、自分を魅せていくしかない。
それでも、脱ぎ捨てた服のボタンは自分にとって、とても大切なもの。それが、いつの日か、ぴったりはまる服に出会うかもしれないし、そんなボタンたちは、これまでの自分の生き様の象徴だから。
自らの経験したことを大切に尊く捉え、今、輝く自分を魅せようとする人の姿が浮かぶ。

・準備。 : Libera(TrouBleMaker*people)

帰宅。
ブロンドのかつらを脱ぎ捨て、メイクを落とし、コンタクトを外し、部屋着に着替える。
スマホで音楽を聴きながら、漫画を寝そべって読む。
そんなことをしている場合ではない。
準備をしないと。
彼から電話がかかってくる。声が聴きたかった。そんな高校生みたいな恋愛を未だ見せてくる彼が恥ずかしかったり、嬉しかったり。
今日の夜行で出発する予定。
部屋にはやはり置手紙を残すべきなのだろうか。
誰から書けばいいのか。おじさん、おばあちゃん。何か、ダメ出しみたいな文章になってしまう。
友達、家族。書いてはみるものの、こんなことが書きたいのではないのにと悩む。
部屋にあるぬいぐるみを抱きかかえ、彼に喋らせる。
不思議と、自分の想っていることそのままが口に出てくる。
出発の時間。もう戻ることのない部屋に別れを告げて、・・・

どう捉えるのか難しいですね。
途中で、この人、あまりにも淡々としているけど、死のうとしているのかなと思わされます。
でも、おかしなところもあって、死ぬなら、その準備はするのだろうけど、焦ることも無く、その日の終わりの行動を普通に取っているみたいです。
明日、それも数時間後に、死ぬための旅立ちをする人が、そんなけじめをつけるものかなあと。それも準備の一つなのでしょうか。
どうも、見ていると、この人は自分が自分じゃないような気がするから、それを断ち切りたいような感じみたいに思えます。
かつらをとって、メイクを落とし、コンタクトを外すのは、素の自分に戻るといったことなのでしょうか。
でも、そんな素の自分になっても、自分の周囲の大切な人への想いは、口から出てきません。結局、ぬいぐるみを通じて、その真の言葉が出てきており、この人は、まだ、何かで着飾った自分を通じてじゃないと、本当の想いを伝えられていないようです。
最後、女性は部屋を出ていきますが、置手紙と一緒にそのぬいぐるみを残します。恐らくは、本当の自分の象徴でもあるぬいぐるみを。
となると、出て行ったのは、その人では無く、分身みたいなものであり、必ず、また部屋に本当の自分という忘れ物を取りに戻って来るのでしょう。
そして、その時、本当の自分を取り戻すと共に、そんな自分が伝えた本当の想いを受け取った数々の周囲の人たちが、自分が自分であるために大切な存在であったことを知るように思います。
この準備は、一見、死に通じているように思えますが、本当は、この人がこれからを自分として生きるために行ったものであったと後から気付くように感じます。
Liberaさんの淡々とした雰囲気の中で、心の中にある周囲の人たちへの尊い想いやそれが今の自分を形作っていることへの認識が、まだ、これからも自分は力強く生きるといった感覚を思い起こさせます。

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