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2015年4月 9日 (木)

わが星【劇団六風館】150409

2015年04月09日 大阪大学豊中キャンパス学生会館二階大集会室 (85分)

昨年の新入生歓迎公演はMORALでしたね。
あの作品も、社会とその時代を生きる家族・個人を、マクロとミクロ視点で交錯させながら展開する話だったように覚えていますが、今年はさらに規模が大きくなって、個人と宇宙を対比させながらの作品のようです。
正直、昨年は劇団としての持ち味は存分に魅せているものの、あんな難解な作品を見せて、新入生に敷居の高さを感じさせないのかなあなんて他人事ながら心配していました。頭をこねくり回してこのブログに感想を書いたのはよく覚えていますから。
今年は、今年で、舞台にあんなに美しい宇宙空間をも創り上げてしまう卓越した力を魅せて、大丈夫なのかなと。まあ、役者さんの輝かしい演技はもちろん、舞台美術や音楽、照明の美しさも感じられる作品だったので、様々な分野でこんな空間を表現する人たちの一員になりたいと足を踏み入れてくれる若き新入生がいることでしょう。
私は、確かに観ながら感じた溢れてくる感情をどう言葉にしたらいいのか、また今年も悩まされていますが。
こんなものは、美しかったとか、今の自分や地球、時に愛おしさを感じたとかしか書けません。

観劇を始めて、今年でもう7年になるのですが、この作品は一度は観ておきたいよなというものでした。
多くの方が感動したと感想を述べられている作品。その理由が確かに分かったことと、どうも自分がどんな作品を観ても感じ取れていないところが何となく浮き上がってきて、いい観劇の勉強になった気がします。
この作品を観て、この劇団に入られるような方々と共に、これからも、観続けることで色々な視点で演劇を楽しむ力を自分もつけていければいいなと思っています。

あらすじや作品の解析はちょっと検索しただけでめちゃくちゃ出てくるので多くを書く必要は無いかな。
勝手にリンクしていいのか分からないので、アドレスは記載しませんが、ワンダーランドという演劇レビューが載っているページの片山幹生さんという方のレビューがとても分かりやすいように思います。これを読んでから観に行けば良かったです。

大きな円形の舞台の真ん中の空間が地球、ちーちゃんという女の子が住むマンションの一室。
そこを無邪気に自分自身が回転したり、周囲を走り回りながら、ちーちゃんは日々を過ごす。そうして、一年一年、時を刻んでいく。彼女を生み出したお母さんやお父さん、おばあちゃん、お姉ちゃんの星たちと共に。ちーちゃんが生まれる前から、ずっとその誕生を見守り、その後も同じ時を過ごして見続けてくれている人たち。
ちーちゃんも、自分自身を見詰めるかのように、地球を覗き込む。
一番仲の良い友達は月ちゃん。彼女とは互いに惹かれ合う。でも、互いに時を刻むうちに徐々に離れていく。惹きつける力が互いに及ばなくなる日もやがて来るのかもしれない。
ちーちゃんが年老いて死を迎えるように、星たちもやがて、終わりの時を迎える。それは太陽が膨張して、全てがまた無に至る時間。

星の一生とある女の子の一生。
舞台は宇宙と小さなマンションの一室を行き来して、時間軸も地球単位の何億年の世界から、ちーちゃんという人間レベルの数十年に切り替わる。
望遠鏡で覗き込むようなシーンが散在しますが、舞台を観る客の視点もそのズームを大きく切り替えさせられているようです。
ちーちゃんも地球も最後は死や消滅という形で終わりを迎えますが、この作品にはその姿をずっと見つめている人が登場します。
先生。先に生まれたものとしての存在のようです。先に生まれたといっても、家族のようにちょっとした時間差で生まれ、実際は同じ時代を過ごす人とは異なり、はるか未来、何万光年も先にある星のように描かれます。
ちーちゃんを見守る。でも、それは過去の光。かつてのちーちゃんの姿。
ちーちゃんを遠くかなたからずっと見守っていた先生は、光速を超えて、時を遡り、ちーちゃんに会いに行きます。そこにたどり着いてしまえば、出会いではなく永遠の破滅、終末が見えてしまう。 それを何か恋愛のような感覚で見せているようです。 校則を超えた結ばれることのない禁断の恋みたいな。
全体的に死や消滅を、悲しみや絶望のような負の姿としては描いていないようですが、このあたりは、唯一、恋愛の残酷さを、時間の残酷さと同調させているように感じます。

どこか繰り返しながらも進んでいる時間。それは、普通の日常会話から浮き上がらせているようです。
クルクル回りながら、ある意味、ルーチン的な動きで時を進む星たちは、突き詰めれば単調な日々を過ごす人の姿と同じかもしれません。
でも、その単調さの中にも変化はあり、それが時間の不可逆性に繋がっている。地球と月の距離が徐々に離れているのもその一つでしょう。もう、過ぎた時間が戻らないことを、少しだけ変化した日常として、やがては全てが終末に向かうことを暗にほのめかしているかのように感じます。
この描き方が、とても愛おしく感じられます。音や光のような周期性を持つ波長のような時間みたいな感じでしょうか。不可逆と言っても単に直線的に進み続けるのではなく、ループしたり、他の人の時間と重なり合ったりしているような感覚。それは、自分が一人で時間を過ごしているのではなく、周囲の人たちに見守られ、見守り、想いを寄せ、寄せられて生の限りある時間を過ごしているということを認識させられるかのようです。
そして、それは命の繋がりに結びついているようにも感じます。

生の喜び、楽しさ、輝きを存分に見せる。恐らく、これはちーちゃんの純粋で明るき姿からでしょう。演じる佐岡美咲さんが、等身大の純粋な幼き女の子と同時に、穢れの無い宇宙に生み出された尊き地球の姿を魅せています。その可愛らしき姿はとても魅力的だったように思います。
ただ、作品では、終始、生とは相反的に、潜む死の訪れや闇の中に浮かぶ存在、終末に訪れる無も感じさせています。
これに怖れや悲しみを全く抱かないというわけではありませんが、それよりも生の喜びの方に強さを感じさせられます。
これは、きっとちーちゃんを見詰めている存在が効いているのでしょう。家族や友達、それを超えて遠くから見守る者の存在。
一人じゃない、想われていることを知ることが、死という怖れを打ち消し、それ以上に今、生きていることの賛美に包み込まれてしまう。
そんな見守られていることが、人が生きることにどれほどの強さを与えるかということは、この作品の一つのメッセージにように思います。
地球は太陽の光を浴びて輝き、太陽系の他の惑星と共に一緒の時間を過ごす。そんな地球の姿をはるかかなた、時空を超えたレベルで見守ってくれている宇宙という存在がある。
ちーちゃんは、家族や友達、周囲の人たちの想いを受けて、みんなと一緒の時代を生きる。ちーちゃんを見守ってくれている人の存在は、ちーちゃんが地球に生まれ、今の時間を生きる最大の喜びに繋がっている。
行き着く先は、死を決して否定せずに、生の喜びを抱くことが出来る人生のように感じます。

泣ける。号泣なんて感想もよく目にします。
私は涙までは出てきませんでしたね。きっと空を見ているだけでその美しさに涙が出てくるとか、朝、いつもと変わらぬ日常の景色が愛おしくて涙が溢れてくるとかいった感覚の感動を得られるのでしょう。
私は周囲を無意味に意識したり、斜に構えて見たりしてしまうのか、涙は出てきませんでした。それに、よくよく考えると、私は死の悲しみでいつも泣いているのかもしれません。舞台上で誰かが死んだりしたら悲しくてじんわりと涙が滲みますから。
そうではなく、その死の中から、生の尊さを導き出して、その喜びに涙する感覚を持たないと、この作品ではきっと泣けないように感じます。この作品は、死を決して負として捉えておらず、そこに至るまでの限りある生の時間が素晴らしく愛おしいものだと言っているような気がしますので。
と言っても、今の自分の存在や、自分が身を置くこの地球やこの時に感謝や喜びの感情はやはり生まれ、その行き着く先に涙を流すという感極まった感覚は納得できるところです。
と、こんな感想を書いている間にもTwitterでは号泣という言葉が幾つかTLに出てきていますね。そうかあ。その中には、この劇団のOBさんもいらっしゃるな。つい先日、童貞を扱ったふざけた作品を演じられていたのに、やはり作品の真髄を見出せるんだな。
泣かないかんことは決してありませんが、単純な悲しみや辛さだけで泣くのではなく、喜びや嬉しさで涙を滲ませられるような感性は持ちたいものですね。
この感覚は、きっと現実の日常生活も豊かなものにしてくれると思うのです。

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