カゾクノカタマリ【日本海】141204
2014年12月04日 元・立誠小学校 音楽室 (70分)
男女10人の役者さん方が、各々描き出すご自分の家族の姿。
自分だって経験した、これから経験するかもみたいな、とりとめのないエピソードが紡がれる。
その空気の中に、自分も一緒に漂う。そこで、自分の家族のことに想いを馳せてみる。
それが出来る公演。
それだけなんだけど、とても心地いい時間が流れ、観終えて、安堵と喜びを得る。
<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は月曜日まで>
生まれてきた時のこと。
胎内でウンコをして即座に保育器へ。未熟児ギリギリ。男の子が欲しかった父はおちんちんを見て、でかい声を張り上げる。
家族でキャンプへ。弟がテンション上がって行方不明。お母さんが探しに。絶対にここを離れるなと言われたけど、大好きだった弟のことが自分も心配で。いつの間にやら迷子に。
お母さん。こんな時、出てくる言葉は一つだけだった。
お母さんが何かを見て微笑んでいる。とても綺麗だと思った。何を見ていたのか、隠れて見てみる。お父さんと一緒に撮った写真。何か嬉しい。
お父さんだってきっとそんなアルバム持っている。やっぱりあった。でも、元カノなのか、知らない女の人がたくさん。最後にお母さんがいた。ちょっと安心した。
お父さんとお母さんの馴れ初めってどんなのだったのだろう。
彼氏のご両親と会う。気が合って会話に花が咲く。二人の馴れ初めを聞いてみた。
喫茶店のウェイトレスだったお母さんにお父さんが一目惚れ。ひたすらコーヒーを飲みに通い常連に。いつまでもそれではいけない。一念発起して告白。真面目なお父さんは付き合ってくださいのセリフをあらゆるパターンで練習済み。本番では思いっきり噛んだけど。両親にご挨拶。お母さんの実家はパン屋さん。お父さんは店の入り口から入って、店にいるお母さんのお父さんに娘さんを下さいと。まあ、パンを食べなさい。それが答えだった。認めてくれたのだろう。
うちの息子とも結婚をなんてほのめかされたけど、あの時はまだそこまで考えていなかったから。
夫婦で晩御飯。
テレビのニュースで洪水の被害情報が流れる。夫の実家近く。連絡してみたらと言っても、どうも父親とうまくいっていないのか言葉を濁す。まあ、大丈夫でしょばかり。
そのうち、電話が鳴る。妻のお母さん。夫が出たみたい。大丈夫なの、連絡したの。同じことを聞いているみたい。大丈夫でしょ。同じ言葉を返す夫にお母さんブチ切れ。仕方無しに夫は電話するが誰も出ない。今から行こう。
お母さんが飛んでやって来て車を走らせる。そんなムキにならなくても。そんな夫の言葉にお母さんはあの時会っていればと後悔することだってあると真剣に諭す。夫も徐々にそんなお母さんに触発される。結婚したばかりなので、当然、夫とお母さんの間には距離があったが一挙に縮まったみたい。夫は自分の好きなった女性のお母さんなんだと改めて思っている模様。
これ以上は車で進めない。諦めると思いきや、夫は走って実家に向かう。家には二人とも無事でいた。特に何も無かったらしく平然としている。安心して泣き崩れるお母さん。照れ臭そうに挨拶する夫。この日は、妻のお母さん、夫、夫のお父さんで飲み明かしたみたいだ。
弟は生まれた。小さくて可愛らしい。でも、お父さんとお母さんを取られるような気がして。
おばあちゃん子だった。でも、いつの日かお母さんとおばあちゃんの仲が悪くなった感じがした。ある日、おばあちゃんから手紙をもらう。お母さんと一緒の時は、おばあちゃんと話したらダメですよと。
お父さんはカメラマン好き。何でも写真を撮る。ハイハイから初めて立った決定的瞬間。運動会のかけっこ。文化祭のライブ。そして、成人式。
お姉ちゃんは優秀だった。ピアノコンクールで入賞。私もピアノを習っていたので、同じコンクールに出る。結果はさっぱり。
お姉ちゃんは出来たのにねえ。そんな言葉が母から聞こえる。ピアノは好きじゃなかったけど、その後も続けた。
父がいなくなった食卓。空気が悪い。笑わないと、楽しまないと。家族なんだから。
苦しくなってみんなで食事をすることが無くなった。
おじいちゃんの家へ。毎年、同じ道。お父さんの運転はちょっと怖いけど、道をしっかり覚えているのだから凄い。
着いたら、早速遊ぶ。おじいちゃんの絵を描いてあげる。隣ではおばあちゃんが何やらお父さんとお母さんに説教をしている。墓参りの数珠を忘れたやらで、しっかりしてもらわないと、分家でもしきたりがあるのですからなんて声が聞こえる。
そろそろお風呂の時間。もちろん、おじいちゃんと入るつもり。後片付けをしなさい。家ではどうしているのかしら。おばあちゃんは口うるさい。おじいちゃんが後片付けを手伝ってくれて、お父さんに悪いなと言って風呂へ向かう。
おじいちゃんの胸には電池が入っている。ロボットみたいでかっこいい。大人になってから聞いたが、ペースメーカーを付けていたらしく、コンプレックスだったそうだ。でも、自分にはいつも喜んで見せてくれた。
そんなおじいちゃん。認知症なのか人格が変わってしまった。結局、家は誰も跡を継がないことになったみたい。婿養子だったので、そんな抑圧もあったのだろうか。お父さんとお母さんがしっかりしないからこんなことになったと叫ぶようになった。自分に優しく接してくれたおじいちゃんは嘘だったのかな。
亡くなった時、お父さんの兄弟も集まる。遺産相続の話ばかり。お父さんは、違うだろと叫びながら、兄弟たちと大げんか。お父さんは相続放棄したらしいが、結局は三等分になったらしい。元々は仲良しの兄弟だったから。
認知症のお母さん。ケンちゃんがいないと座り込んでいる。一緒に帰りましょう。ケンちゃんは家にいますから。ケンちゃんは母に語りかける。
ご丁寧にどうも。そんな母と手を繋ぎ、家路へ。
こんなぐらいかな。抜けているような気もするが。
様々な家族のエピソードを男女5人ずつの方々、各々が語っていきます。語る人が、役者を決めて、自分の話を描かせるスタイル。
演劇らしいですね。というか、役者さんが集まれば、こんな形で自分の思い出をみんなに見せることが出来るんだな。
単に、人の家族との思い出話を聞いているのではなく、自分とも同調させながら、自分の家族やその思い出に想いを馳せる。その空気がとても心地いいです。
家族って、どんなことがあろうと、絶対的な絆で結ばれている。その言葉が、自然に湧き上がる安堵や喜びに感じる時もあるけど、そうならないといけないという強迫観念みたいなものも生み出す。
絆なんて綺麗な言葉だけど、それは家族を引いて見ているからで、どこかに焦点を当ててしまうと、けっこう汚い妬みや憎しみの感情も渦巻いている。
いいことばかりじゃない。家族に傷つけられることって、他人にそうされることより実は多いかもしれない。でも、それ以上に、かけがえのない優しさを受け止めているのだろうか。振り返る時にそんなことが浮き上がってくるような気もする。
お母さん。やっぱり、この人から生まれてきたからなのか、お母さんなんだよね。
振り返れば嫌なことだっていっぱい。このエピソードの中では、ピアノコンクールみたいな感じで、中学受験に失敗した時に吐き捨てるようにダメ呼ばわりされたなあ。母は絶対的な味方だなんて言うけど、自分のことを一番疑っているんじゃないかと思わせるようなことも。
そして、今は末期ガンで多分、来年には亡くなってしまうだろうから、精神的にもおかしくなってわがままばかり言っている。こんな観劇に出掛けるんだったら、会いに来たり、介護をしたり出来るだろうといったことをほのめかされたり。うるさい、いい加減にしろ、俺には俺の時間があるし、これからのことを考えて今の時間を過ごさないといけないことだってある。そんなことを声を荒げて言ったりする自分がいる。
家族だから、お母さんだから、しないといけないことの方が多いような気がして、疲れたりする。
それでも、ふとした時には、お母さんのことを考えている。こんな作品だったから、観劇中もずっとお母さんのことを考えていた。そして、もう亡くなったお父さんや、たった一人の妹のことを。
家族ですから。その言葉が全てに通じる。嫌になっても、好きになっても、喜んでも、悲しんでも・・・全部、それは家族だからといった言葉で昇華される。
今、43歳だから、44歳、病院になるのかな。私の家族が終わる時は。
終わってもいつでも蘇ってしまうのも家族なのか。ずっと、付き纏われるんだね。生まれてきたから。それが何か面倒くさくて嫌な気もする。でも、同時にとても嬉しく、また出会えていることに安堵と喜びを感じたりもする。
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