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2014年12月 4日 (木)

それでも世界には俺がいた方がいい【テノヒラサイズ】141203

2014年12月03日 道頓堀角座 (35分、50分、35分)

まあ、ここは安定して笑いという面白さと、話としての面白さを共存させた作品を創られるので。
今回もそのままです。

「もう騙さないで」、「テノヒラガエシ」、「お前が十歳になったら熊と戦ってもらおうと思っている」の3本。
以下に感想を書いていて思ったのですが、「もう騙さないで」はテノヒラをカエスようなトリッキーさを使った話、「テノヒラガエシ」は、ある時期に勝負をかけて全く違う世界に戦いに出るような話、「お前が十歳になったら熊と戦ってもらおうと思っている」は、本当にもう騙さないで欲しいと思う話になっています。
連鎖させてるのかなあ。
まあ、3本とも面白いです。
ゾクッとしたり、ウルっとしたり、ビクっとしたり。最後はニヤリか、ニッコリか、ゲラゲラかで笑っていると思います。

<以下、ネタバレしますので公演終了まで白字にします。公演は月曜日まで>

・もう騙さないで

もう嫌だ。屋上。靴を脱いで、遺書を置く。飛び降りて死のう。
そんな男に、一人の男が話しかける。止める気は無いみたいだが、男はこうなるまでの経緯を話したいようなので、とりあえず聞くことに。
話は男が高校生の時から始まる。自分のことが明らかに好きそうな素振りを見せる女の子。ここは男としてこちらから告白。答えはもちろんOK。自分のことがずっと大好きだったらしく、テンションが上がり過ぎて、ちょっとおかしくなっているのが少々怖いが男も満足気。でも、異常なほどの潔癖症で、手を繋ぐのも、近くに寄るのも拒絶される。挙げ句の果てには、一緒の空気も吸いたくないとばい菌呼ばわり。ちょっと、付き合うのは無理かな。その瞬間、周りから人が出てきて、女子高生を傷つけた。賠償金を払えと脅される。女子高生の父親が警察だと聞き、払わざるを得ない状況に。
それからは、連鎖のように不幸が続く。
気が弱いのをいいことにしょうもない絵を無理やり買わされる。悩んでちょっと頭が薄くなったことをいいことに効果の無いハゲ薬を売りつけられる。ネズミ講よりもたちの悪いマンボー講に引っかかる。何でも、3億人に商品を売らないといけないのだとか。タクシーしか乗れないという女性にタクシー代をせびられる。顔を合わせているのにオレオレ詐欺に引っかかる。そして、路上で話しかけてきた女性に変な踊りを見せられ、いいことが起こりますと言われる。金は取られなかったが、いいことなんか起こらない。これで、もう死のうと決断したらしい。
ところが、この屋上に男を騙した人たちが次々にやって来る。絵は価値が上がって多額になっているらしい。ハゲ薬の男は自分のためだけに開発した最新の薬を持って来てくれる。タクシーの女性は感謝を伝えに来た。そして、あの高校生の時の女の子も。ずっとあなたを見てました。それで、飛び降りようとしている自分を見て駆け付けてくれたのだ。本当にいいことが起きた。
男は女の子と一緒に屋上を去り、街中へと消えていく・・・

この後、二転三転します。
ややこしいのですが、屋上に集まった人たちは詐欺グループ。最初に男に声を掛けた男もマンボーの人だったみたい。鴨に死なれたらかなわないということで、こんなことをしたみたいです。
そして、騙され続けた男と、やって来た高校生の時の女の子もグル。親の後を継いで警察官になったのか、詐欺グループ解体のために、男は一肌脱いだようです。
これからも協力して欲しい。あなたに身の危険が及ぶことは無い。あの詐欺グループのハゲ薬の男はスパイとして潜り込ませている者なので。そんなことを言う女性警官に対して、男は自分には人を騙すのは合っていないと丁重にお断りして、別れます。
屋上にはもうすぐ警察が踏み込むことでしょう。
でも、そこにボスから指示の電話が。逃げ道確保と、裏切り者の名前が分かったと。
電話の主は・・・
といったオチなのだと思います。
作・演が湯浅崇さん。前作の不老不死セレブレーションもこんなトリッキーな作品だったので、こういった感じの作品が好きなのでしょう。巧妙に計算された話に、たくさんの笑いを組み込む。
まさに、湯浅さんワールド満開の楽しくもミステリアスな作品だったように思います。
ちなみに、オレオレ詐欺以外はほぼ実体験であるといった強烈なオチがアフタートークで語られます。
木内義一さんが意外にも騙される切ない男の姿がはまる。
潔癖症の女子高生で狂気的な天然ぶりを発揮する上野みどりさん。
あのかっこいい松木賢三さんがここではあんな恰好までさせられるのかと驚愕するお姿。

・テノヒラガエシ

淋病です。そう告げられた女。自分には思い当たる節が無いから、付き合っている男を疑う。全てを捧げているぐらいの男だったので、かなりショック。でも、男は知らないと言い張る。そして、ケンカ。
でも、単なる尿道炎だった。もちろん、彼は怒って何も言ってくれない。
泣きながら走り出し、山の中へ。気付けば猿に取り囲まれていた。
そして、いつの間にか、猿たちと共同生活をすることに。火の使い方や農業を教えたり。自分が必要とされていることを体感したかったのかもしれない。
もちろん、猿なのでそんなことを教えても身には全然付かない。が、一匹の猿だけは少しずつ言葉を覚え、火も使い始め、色々なことを学び取っていく。彼に好意を持っているメスザルや周りのサルたちはキーキー言っているだけ。
そのうち、女はここでの生活に疑問を持ち始める。戻ろう。人間の世界へ。

久しぶりに戻って来た自分の部屋。もちろん、男はいない。また、一から出直し。
と、そこに一匹の猿の姿。あの賢かった猿。自分はもっともっと人間のことを知りたい。人間になりたい。
あまりの熱意に女は猿の毛を剃り人間として、人間の世の中を経験させることにする。
働きたいというので、工場に連れて行く。人の好さそうな工場長と、恐らくは猿よりも頭が悪そうな人間の作業員がいる。猿は、そんな人たちと一緒に過ごし始める。
時が経ち、猿は班長に出世。工場長から信頼され、元から大したライバルでは無かったが、人間である作業員よりも優秀となった。そこに、一匹の猿が工場に現れる。あのメスザル。工場長や作業員は追い払おうとする。猿は、一瞬、たじろぎながらも、そのメスザルを叩いて追い払う。何であんなことをしてしまったのか。猿はただ泣くだけ。
着々と人間になっていく。そして、今では何と社長にまでなった。
女は、未だ人生を彷徨っている。捨てられた男を見返したいのか、人から必要だと見られたいのか、自分の居場所を探したいのか、奇抜な衣装を身に纏い街中を歩いている様子。
猿はこれで良かったのかと心に迷いが生じ始める。自分の本当の居場所。
ふと、テレビを見ると、あの自分がいた猿山が映っている。そこには、かつての仲間たちが松明を持って、人間を追い払おうとしている。
猿は決心する。自分はやっぱり・・・

最後は猿はあの知る人ぞ知るオパンポン姿になります。作・演が野村侑志さん(オパンポン創造社)ですから。つまりは、これはご自分の体験を交えた、俺の生き方を描いた作品になっているようです。
自分の居場所を作ることが出来る人。すぐに壊してしまい探さないといけない羽目になる人。

居場所を求める気持ちは凄く分かりますね。でも、その居場所にこだわり過ぎると、道を見失ってしまうこともあるようです。
自分の原点だけを忘れなければいいのでしょうかね。そこから、あちこちに向かってはそこで自分の居場所を作り上げていく。そこに居座るのも一つの道だし、また一度原点に戻って、またどこかへ向かってもいいし、その原点に居を構える覚悟をしてもいいし。
自分の人生ですから。かっこよく生きたい。それが全てなように感じます。
メスザルを叩くシーンは、気持ちは分かるのですが、なぜああなってしまうのでしょうかね。すごく複雑な感情が入り混じっているので、うまくは書けませんが、あれはよく分かるし、あんなことってよくあるような気がします。日常に潜む、あの感覚を作品に組み込むところがさすが、心情をぶつける作品をお得意とする野村さんらしいなと。
猿の湯浅崇さん。何も言うこと無しの鉄板の面白さ。
その猿に絡む女性、田所草子さん。人生彷徨っている感が凄く出ていて、何か切なくも愛らしく。
ダメ作業員の川添公二さん。典型的なダメっぷりを言動でばっちりと。

・お前が十歳になったら熊と戦ってもらおうと思っている

共働き夫婦。
妻は仕事が忙しく、家事は夫にお任せ。5歳の娘の育児も任せている。
そんな妻が、少し仕事の都合がついたので初めて保育園の面談に行く。
園長先生、担任の先生、副担任・・・と総出でお迎え。
何やら仰々しい雰囲気。そして、あることを告げられる。
娘さんはお父さんから、十歳になったら熊と戦わないといけないと教え込まれている。
妻は意味が分からず、夫のユーモアみたいなものだから、そんな深刻にとらえなくてもと答えるが、先生方は真剣そのもの。
それもそのはず。娘は、熊の図鑑を見ながら熊を研究し、熊と戦った時のイメトレや必殺技開発に日々いそしんでいると言う。未だに夜はオムツが取れないのも、そのプレッシャーからなのか。さらには、娘の右腕には歯型があるらしい。熊との戦いの訓練として、お父さんに噛まれたのだとか。
異常だ。あの優しい夫に潜んでいた狂気。妻は怯える。
でも、娘をこのままにしておくわけにはいかない。家に電話をして、夫に真相を確かめる。
いつものとおり、優しい声で電話に出る夫。あなたは娘に熊と戦わないといけないと言っているのか。その質問をしたとたん、声色が変わり、今から保育園に行くと言い出す。
夫がここに来る。
保育園の先生たちと妻は、サイコホラーのごとく、迫りくる恐怖に・・・

オチはイクメンの切なき未来の姿。
男が娘に熊と戦えと言っていたのは事実で、それはサンタさんみたいな感じだったらしい。
一緒にいられる10歳までの時間を、二人で冒険するかのように過ごし、その時を自分の胸に刻み込んで、娘とお別れしようと考えていたみたい。
10歳でお別れする娘。その悲しき別れに涙しそうになりますが、お得意の引っかけにはまっただけで、男は死んだりはしません。もちろん、娘も。
10歳になれば、娘は父を無条件で嫌う。このどうしようもない事実に、男は最後に自分が熊と化し、娘との10歳までの共に紡いだ物語を終結させようということみたい。
妻はそんなことにはならないと言うが、男はそれに声を大にして反論します。それは母親だから。
母親は、いくら育児をほったらかしでも、娘から好かれる。父親はいくら面倒みても、10歳になれば嫌われる。そんな男の言葉に保育園の男の先生たちも同調。園長先生なんか、もう娘には自分の姿も見えず声も聞こえていないくらいになっていると告白。
でも、やっぱり子供のことを考えると。
男はこの日、お風呂の中で娘に、戦う予定だった熊は事故で亡くなり、もう戦わなくてよくなったと娘に伝えます。また、新しい秘密を分け合う父と娘になったようです。
こんなもんなんですかね。子供がいないから分かりませんが。何か、人生を一緒に過ごそうとしていて、すごく微笑ましく感じますが。
10歳。確かにそれぐらいまでですかね。親と一緒にいることが無条件で当たり前に感じるのは。自我が芽生えるのか、自分は自分みたいな感覚が生まれて大人になっていないのに、大人だと振るまおうとする。でも、子供だってきっと不安だし、まだ一緒にいたかったりもする気持ちもあるでしょう。それでも、この頃から徐々に自分は旅立たないといけない。その時に、こんな親と一緒に創り上げた一冊の物語が描かれたような思い出の本があればいいなあ。そして、親との本当のお別れの時に、そんな本がたくさん自分の手元に残っていれば・・・
妻のあだち理絵子さん。必死に恐怖を拭おうとするリアクションの大きさが可愛らしく。
レギュラー番組の都合らしく、こ
の作品だけにご出演の井之上チャルさん。体操の先生でしたり顔。イラッとする面白さが健在。

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