願わくばエゴ ~ほっぷ!すてっぷ!!ギルティーライダー~【劇想からまわりえっちゃん】141114
2014年11月14日 道頓堀ZAZA HOUSE (100分)
ネタバレになるから、ここではあまり書けないので、感想は下記する。
このテーマであの遊び心。見た目や時折入り込む奇妙な演出で、おふざけのように見えるが、観ていると真剣な考えが伝わってきて色々と考えさせられる魅力的な作品となっている。それが演じている役者さん方の表情や全力のお姿からひしひしと感じ取れる。
要は、この劇団自体のような、しっかりした芯を、奇抜で不可思議なものでくるんだような作品だろうか。
この作品を最後に東京に拠点を移されるのだとか。
東京で今まで以上に活躍されるのも嬉しいし、この魅力伝わらずボコボコになって大阪に戻って来て、また拝見できるのはそれはそれで嬉しいし。
どう転ぼうと、進む道を楽しみにしているファンばかりだろうから、思いっきり頑張っていただきたい。
<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>
罪ほろぼ星から、地球にやって来たライト。
父は有名なヒーロー、ギルティーゴールド。宇宙の人たち全てを愛し、その罪を断罪し、浄化するために活躍していた。最期は人を守って亡くなったらしい。
そんな最期を迎える前日にライトにとっては忘れることの出来ない事件があった。
忙しい父。同級生たちに父がギルティーゴールドだと自慢するものの信じてもらえない。嘘つき呼ばわりされていじめられていた時、心優しいエリコという女の子がかばってくれる。そして、ある計画を持ちかけてくる。自分が悪い怪人になってライトをさらう。そうすれば、ギルティーゴールドが助けに来てくれるはず。
狙い通り、父、ギルティーゴールドは助けに来てくれた。でも、当然、それが芝居であることがバレて父に叱られる。お父さんに会いたかった。お父さんを独り占めしたかった。そんなライトの言葉に父は、もちろんライトを愛している、そして、宇宙の全ての人たちを愛しているという言葉で返す。自分は特別じゃないのか。幼いライトには父の真意は伝わらない。
ライトの嘘は学校中に知れ渡る。罪ほろぼ星は、愛ある星。罪を犯す者は許されない。ライトは捕まり牢獄へ入れられそうになるが、エリコが全ては自分がしたことであると言って、ライトの代わりに牢獄に入る。ライトはそんなエリコの姿に何も言えず、牢獄に連れて行かれる彼女の姿をただ見ているだけであった。
ライトは地球でギルティーライダーとなる。人々の罪を断罪し、浄化して手に入る積み木を積み上げる。それがやがて、星にまで届く時、父と同じギルティーゴールドとなるらしい。
警察官の父を持つ少女。
母は幼き頃に、交通事故で亡くなった。3人で手を繋いで歩いていた時、未成年の運転する暴走車に轢かれて。少年法が適用され、大した罰を受けることなく、少年たちは社会に復帰した。
母を殺したのは、守れなかった父だ。幼き頃から父にはずっとそう聞かされてきた。そして、父は職務を厳格に全うすることが自分の罪滅ぼしかのように今まで以上に警察官としての仕事に没頭するようになった。
父はもちろん、生活に困らないように頑張ってくれている。でも、罰を与えるために世の罪人しか見ておらず、自分のことを見てくれていない。
寂しい。孤独からか悪い友達とも付き合うようになった。お金が無いから万引きとかも平気でするように。でも、それでも自分の大事な仲間。みんなと一緒にいることで安心できる。だから、嫌われたくない。仲間にお金が必要なら親の金を盗んででも準備する。そんなことは長く続かない。父に見つかり、叩かれる。虐待。そんな言葉で父を罵る。ごめんなさいとは言えない。
お金が用意出来なければ、みんなから嫌われる。こうなったら自分の体を売ってでも。そんなことを頭に思い浮かべるようになる。
でも、そこまですることも出来ない。いつの間にか学校に行けなくなり、ブラブラと街を彷徨っている。いつも心にあるのは、罪悪感。
ライトの地球での生活が始まる。
乗って来た光速船が駐禁でレッカー移動され、いきなりの野宿。
公園で犬と出会う。ホームレスのおばあちゃんが死んでから一人ぼっちで、未だ葬られていない遺体と共に生活をしている。その犬に罪悪を嗅ぎ取れる能力を身につけさせ、世の人々を罪から救う。
リストラで苦しんでいる人。家族にも言えず、公園で日中を過ごす。この人の心には罪悪感が住み着いている。これは罪か。ギルティーライダーによるギルティージャッジメント。必殺技みたいなもので、声高らかに叫べば、可愛い女の子たちに混じって場違いな男が踊りながら、その罪の判定を下す。リストラ男は罪。ライトはその罪悪感を倒し、罪を断罪する。小さな積み木がまた一つ手に入った。
ライトの母親も地球にやって来る。母には地球の大統領をしていると大噓をついている。そんなウソもバレて、ギルティーライダーになったことを伝える。父のこともあり、母は反対だ。自分の息子にはこうなって欲しい。その欲望はとどまることを知らない。これも罪だ。ライトは実の母の罪ですら断罪する。
こうして、ギルティーライダーとして活躍する中、一人の少女と出会う。
父から愛されず、仲間と一緒にいたいがために、数々の罪に手を染め、学校にもいっていない。これは罪。悪いことをしている罪ではない。孤独という罪悪感を背負っている。
ライトは、父にごめんなさいとありがとうの言葉を言えばいいのではないかと話す。彼女にとっての断罪の仕方。それは、ライト自身にも向けられた断罪なのかもしれないが。
彼女はライトのそんな言葉に少し気が楽になったようだ。
時同じくして、地球ではチャイナ服を纏った美女と野獣みたいなコンビ、ギルティーペアもライトと同じように活躍している。この二人、実は夫婦。罪を犯した娘のために、地球で罪人の断罪、浄化をしている。
出身地は罪ほろぼ星。互いに気付いていないが、ライトをかばった少女の親である。
拳法を駆使したその戦い方がライトよりも格段とかっこいいみたいで、かなりの人気者。おかしなファンも多い。
シングルマザーの妙齢の女性。自分もギルティーペアの一員になると言ってきかない。
ポイ捨てなど、些細な罪が女性は許せない。断罪せねば。ギルティージャッジメントにしゃしゃり出て、全てを有罪にする。
でも、本当のギルティージャッジメントは、この女性こそ有罪。生活の苦しさや不安からか、些細な罪ですら見逃せず、それを糾弾することが生きがいみたいになっている。これは断罪、浄化ではない。
確かに悪いことは悪い。でも、それを非難的に見るのではなく、ほんの少しの優しさをもって見てあげればどうだろうか。自分自身もそんな罪を犯す人の一人ではあるのだから。
そんな言葉が彼女の心に住み着く罪の意識を浄化する。
断罪。罪を浄化する。確かに素晴らしいことではあるだろうが、それで世から罪は無くなるのか。
実際に、ギルティーライダーやペアが活躍する地球では、罪が増えつつある。罪は許される。断罪される。それが罪を犯す歯止めを緩ませているのだろうか。
本当にこれでいいのか。そんな世の声から生まれたかのように、もう一人のヒーローが現れる。
バッツマン。罪には罰を。贖罪の考えで行動する男。武器は警棒や拳銃。恐らく、その仮面の下は警察官なのであろう。
悪いやつを罰するその姿は、人々に安心と罪を犯してはいけないという意識を植え付ける。
ライトはこれでいいのかと悩みだす。
そして、自分の立場から逃げてしまう。自分は何も出来ない。エリコちゃんにだって何も言えなかった。父にも嘘をついて叱られたままお別れになった。弱い自分。何も出来ない自分。
落ち込んで彷徨う街中で、少女と再会する。
少女はライトの断罪のおかげで、学校にもう一度行こうと思っている。そして、教えてもらった言葉を言うつもり。ごめんなさいとありがとう。同じことをきっと、父にも言わなくてはいけないことも分かっている。
私は救われた。そんな少女の姿と言葉にライトは自分の今の想いに真摯に従って行動しようと決意する。
自分も弱き罪を犯す人。だから、同じように罪を犯して苦しむ人に救いの手を差し伸べてあげたい。共に断罪してあげればいい。
ライトはバッツマンの下に向かう。
贖罪では無く、断罪だ。
しかし、そこにはバッツマンにより捕まり、殺されようとしているギルティーペアの姿が。
そこで初めて、互いの顔を知る。共に、エリコの罪を救えなかった者たちが。
罪は受け入れ浄化させる考えのギルティーライダーと、罪は罰し滅ぼす考えのバッツマンの最後の戦いが始める・・・
罪を犯す個人を責めるのではなく、その罪を生み出す社会にも目を向けるべきではないか。
罪は誰でも犯す。そんな芽は誰にでもあるのだろう。それが育ってしまう環境や人格を無視して、その育ってしまった罪だけをむしり取ってしまうことで本当に罪は消えるのか。
たどり着く先は、死刑制度の在り方まで問われるような話になっている。
ギルティーライダーは、ある事件でおぼろげながら自分の弱さやそこから罪を犯す可能性を理解したようである。それが地球で様々な人の罪を断罪し、自分とよく似た罪を背負う少女と出会い、その断罪をすることで、自分自身の断罪にも繋がったかのようだ。そして、それはきっとあの完璧だと憧れていた父ですら、そうであったはず。父も、ギルティーライダーとして活躍する中で、自分自身をより見詰め、人に手を差し伸べることで、自らも成長していくことを知ったのだろう。
宇宙の全ての人を愛する、そして何よりも自分の家族を愛する。そのためには、自分が愛されるべき存在でいることが大事だったのではないか。そんなことをライトは、地球でようやく知ることになる。
断罪をすれば、この作品は積み木が手に入るみたいだ。その積み木は、その人の罪と断罪した人が成長する糧のようなものが詰まっているのだろうか。それを積み上げていく。いつの日か星にたどり着くまで。人は一生かけて、自らの罪と人の罪を断罪し続けて成長して、その生を終えるみたいな、何やら宗教的な人生観も感じさせられる。
断罪は最後に必ず、ごめんなさいの言葉で締められるようだ。悪いことをしたことを認めるのだから当たり前ではあるが。でも、この言葉を真に発することが難しいのは誰でもそうだと思う。その言葉を引き出し、相手に伝える。そして、その相手から返ってきた言葉にありがとうと言えた時に罪は消えるように思う。
贖罪ではきっと何も残らないのかもしれない。むしろ、贖罪された者の憎しみや悲しみ、そして、同時に贖罪した者にも同じものを背負わせることになっているように思う。ごめんなさいを言う前に罰でその罪を消してしまう。ごめんなさいもありがとうも言えない。全てが全てとは言えないのだろうが、そんな贖罪に頼った罪滅ぼしは、人の想いがそこに無い無機的な事務処理のようにすら感じてしまう。だから延々と繰り返される。
最後、少女は父や仲間にごめんなさいとありがとうの言葉を発する。少女の孤独の罪悪感は消える。これからの希望が見い出せる姿。ギルティーライダーはバッツマンとの戦いで死んでしまうが、天国で自分をかばって死んでしまった犬とまた一緒に断罪の道を進む。その姿は、天国で死んでいるのに、前を向いている。
一方、バッツマンの下には罪悪感が現れる。それすらバッツマンは撃ち殺す。そして、その罪悪感は再び蘇り、彼に銃弾を撃ち込もうとする。
そんなラストから、罰で罪を制することは不可能で、罰がまた罪をいくらでも生み出す。でも、想いのこもったごめんなさいとありがとうは、そんなことの蓄積がいつか罪を消すのではないかという期待を感じさせるように映った。
といったような罪と罰を描いた深い作品。
ただ、これは真面目な部分だけを拾った場合の感想。
脚本のおふざけ部分は塗りつぶし、舞台でもお姿が笑いになってしまうので目をつぶって観る。
そうすれば、一つの文学作品として捉えることが出来るかも。
こんな感じで、非常に真剣な芯の部分を、ヒーロー設定や、この劇団特有の急に入り込む意味不明の演出、ちょっとしたミュージカルまでを取り入れたエンタメ、テンポのいい楽しい展開などで色々と被せているみたい。
しっかりした信念があるから、いくらふざけまくっていても魅力的な作品を生み出す。この劇団自体のような作品になっている。
孤独に囚われる少女の父、警官の岸本武享さん。ライトを助けた娘の母親、ギルティーペアの可愛い方の柿ノ葉ならさん。
親の子を想う愛情だろうか。辛き過去を回想しながら、自分の想いを見せるシーンでの、しっかりと目を見据え、厳しくも優しい感情を醸す表情、佇まいが非常に美しかった。
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