« DOWMA ~二人の女優による「ドグラ・マグラ」~【空の驛舎+北村想】141011 | トップページ | 白黒つかない【オレンヂスタ】141012 »

2014年10月12日 (日)

百鬼繚乱【伊藤えん魔プロデュース】141011

2014年10月11日 ABCホール (115分)

鬼という宿命を背負う女性、自分の思った通りに世が動かない男たちの生き様から、世に闇を見ていた少年が新しい輝く世を見詰めるようになるまでの話でしょうか。
幕末の動乱の時代に、駆け巡る様々な想い。どうにもならないことを抱えながらも、輝く新しい世へと今が繋がるために懸命に生を全うしようとする人たちの覚悟を感じながら、自分はこの世に何を残すのかを問う話のように思います。
話としては、非常に面白いんですけどね。役者さんも覚悟もって生きる姿がとてもかっこいいですしね。
ただ、どうも物足りなさが残ります。
いつもより、テンポも悪い感じがしたかな。まとまりとかも。笑いもかなり不発だったし。
ちょこちょこと、何かしっくりこないなというところが積み重なって、最終的にこの話の内容にしては、心揺らがされる感が小さかったように思います。

幕末。
幕府方の新撰組と、新政府方の長州藩の対立は益々激しくなる。
そんな混乱する京の町では、長きに渡って封じ込められていた鬼の総領である酒呑童子が復活を遂げようとしていた。
そして、人の姿をした妖魔たちが町に紛れ込み、殺戮を繰り返す。
丁稚奉公をしていた弥太郎という少年は、そんな人の姿をした妖魔の真の姿が見えてしまうために、世をずっと恐ろしく思っており、自分などは何も出来ないし、生きる価値も無いと卑屈な生き方をしていた。
ある日、出会った術者に声と引き換えに、その自分の見える能力を渡す。
妖魔の姿が見えなくなった弥太郎は、親のいない子たちを集めて面倒を見ているある女性の下で働くことになる。
しかし、その女性には悲しき宿命があった。酒呑童子と人の間に生まれ、半分が鬼である女性は、人から虐げられ、鬼の世界に身を宿す。育ての両親は、人として生きろという言葉を残して、そんな鬼たちに殺された。
自分は人でもある。しかし、その姿は鬼であり、その宿命からは逃れることが出来ない。鬼として生きるしかないのか。そんな悩み苦しんでいた時に、新撰組の土方は、その女性の真の想いに心を惹かれ、共に妖魔たちと戦って欲しいと願い出る。
動乱の時代に、自らの先の運命に覚悟を抱く新撰組、鬼であることには逆らえずとも、人として命を全うしたい女性の生きる姿。
そんな生き様を見た弥太郎は・・・

話としては、結局は、藤原道長の「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」がキーワードみたいな感じでしょうかね。
新撰組も一時は活躍華々しいものの、これからの新しい世では不要のような扱いを受け、女性は半分、鬼であり、人とは認められない。
満月などとは程遠く、自分の思いのままになんぞ全く生きていけない。
でも、それが何が悪いのか。三日月、欠けているからこそ、必死に輝こうとしているのではないか。
そんな想いを込めた辞世の句を、最後に半分鬼である女性がこれからの新しい世に、自分のような存在は不要だと自ら命を絶った時に残した句で話を締めています。
そんな姿に、妖魔が見えるために世を悪く思い、自分にも卑屈になっていた弥太郎は、そんな負の感情は全て自らが引き起こしていたもので、自分さえ変われば、自分もこの世で活躍でき、輝けることを知ります。
世の汚さや悲しみを知り、
這いつくばって生きてきたからこそ、そんな考えに至ったのかもしれません。
この弥太郎、後の岩崎弥太郎であり、本当に自分の人生を、そして日本を満月のように輝けるように奮闘した人になるようです。
wikiでちょっと調べた限りでは、出自を差別せず、国が栄えるために人々に教えを伝えていった人らしく、この話とも当てはまるようです。

|

« DOWMA ~二人の女優による「ドグラ・マグラ」~【空の驛舎+北村想】141011 | トップページ | 白黒つかない【オレンヂスタ】141012 »

演劇」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 百鬼繚乱【伊藤えん魔プロデュース】141011:

« DOWMA ~二人の女優による「ドグラ・マグラ」~【空の驛舎+北村想】141011 | トップページ | 白黒つかない【オレンヂスタ】141012 »