さまよひ魂【MOUSEPIECE-REE】140807
2014年08月07日 十三 Black Boxx (90分)
いつもながらの悪ふざけ、不条理展開で大笑い出来る作品。
ただ、ちょっとこれまでと違った感じがするのは、銀河鉄道の夜みたいな感じで、決別することで、自らの生きる道を再生するという切ない想いが話の中に滲み出ているようなところ。
このあたりの解釈が、笑いに覆われてしまい分かりにくい。
その答えを分かる必要は無いのかもしれない。大切なのは、想い合った現実を基に、人は未来に向けて生きていくこと、生きていって欲しいという祈りの精神を感じられるから。
巧妙な深い脚本に、おふざけたっぷりの面白い役者さん方の掛け合い。今回は、この劇団のお三方だけでなく、客演の名女優さんまでもがそれに絡む。
かなり贅沢な一品に仕上がっているように思う。
<以下、あらすじがネタバレしますが、大阪は月曜日まで、8/22から東京でも公演があり、公演期間が長いので白字にはしていませんので、ご注意願います>
舞台は、とある小さな島。
それこそよくありがちな、のどかで、静かで、海が綺麗ぐらいしか言いようがないくらいの何も無い島だ。
そんな島でも、飛んでけ祭りとかいうものは有名らしい。テーマは再生で、執着を捨てて現状を変えるための祭りなのだとか。
島民たちが、その準備をしている。
いつも紙コップで誰かとお話ししているおとぼけ爺さん。することなすこと、先が読めず、奇天烈な人。
その孫娘はいつも、いりこを持ち歩く。なんでも、旦那が忙しくて帰りが遅いとイライラしてしまい、カルシウムを補充するために食べ始めたのが、いつの間にやら手放せなくなってしまったのだとか。そんな、いりこをむさぼり食う姿を見て、旦那とは離縁されて、この島に出戻っているみたいだ。
顔の大きさと体格の不安定さからキティーと呼ばれる男。島民を幸せにしたいと、いつも勝手に島の放送施設を使ってDJをしながら、番組を放送している。普段は声も大きく、元気いっぱいの明るい男なのだが、番組では暗いとか、声が低いとかがかっこいいと勘違いしているみたいで、島民の気が滅入るような放送になっているのだが、本人はやりがいに満ち溢れている。孫娘にちょっと惚れているみたい。
ボスと呼ばれる祭りを仕切る女性。島のお母さんといった感じの懐の大きさを見せている一方、島民のおかしな面々と一緒に悪ふざけをして調子に乗ってしまう一面も。
そんな島に、祭りに参加したいとある夫婦がやって来る。
妻の方はノリ気だが、旦那は妻と離れたくないから、仕方なく付いてきたといった様子。
妻の手を片時も離さず、肩に寄り添う姿は、甘えたそのものだ。
そんな旦那の姿に、爺さんはさまよひだと謎めいた言葉を、ボスもいい顔をしていないと鋭く夫婦を突いた言葉を投げかけるものの、夫婦が祭りに参加することは認められる。
それどころか、祭りに絶対に必要な生身のご神体が、不慮の事故で入院してしまい、旦那がその役をすることに。
ご神体には条件があり、それは上記したこの祭りのコンセプトと大きく絡んでいる。現状を変えなくてはいけない人が選ばれる。代々、ご神体を選ぶ爺さんは、旦那が適任であると認めたのだ。
さっそく、祭りの練習が始まる。
このあたりは、文章では書くことは出来ない。
この劇団、お得意の悪ふざけ、不条理ワールド全開で、とりあえず、あっけにとられて、口をポカンと開けながら好きなだけ笑っておけばいいのだと思う。
普段は、この劇団の3人の役者さんがそんな世界を繰り広げるのだが、今回は客演の女優さんも交えて、より強烈な世界が創り上げられている。
夫婦は二人っきりで話をする。
このままではいけない。2人ともけじめをつけないといけない。
このままでは自分もつらいと言う妻に、旦那はこのままで構わない。ずっと一緒にいられるならと、妻の申し出を拒絶する。
島の放送では、キティーがDJをして音楽をかけている。
二人の大学時代の思い出の曲。蘇る数々の思い出。
いりこを手放せない孫娘は、気づかぬうちに、どこかにいりこを置いてきてしまったみたい。
それをキティーから指摘されると、急に発作を起こす。
何かを口にしていないとダメなら、自分の腕を噛めと腕を差し出すキティー。
思いのほか、思いっきり噛まれる。
でも、これで何とか発作はおさまるようだ。
間もなく祭りが始まる。
旦那は生贄のような簀巻きの恰好をさせられ、各々、祭りの服装に着替えて、飛んでけ祭りが始まる。
執着するものを神に差し出すようで、その中にはいりこもあるみたいだ。
訳の分からない、練習どおりの儀式を終え、最後にみんなで踊り狂う。
その中で、旦那は妻に話しかける。
もう一度、前を向いてみる。辛いけど、自分の道を進んでみる。
そんな旦那に、妻は、嬉しそうに頑張って生きてと声をかける。
このために、きっと二人は祭りにやって来たのだろうから。
旦那は島を後にする。一人っきりの旅立ちだ。
もう、さまよひでも無いし、いい顔にもなったみたいだ。
お土産は、いらなくなった大量のいりこ、祭りでえらい目にあったスリッパ、放送局にあったマイク。もう、キティーはDJは辞めるらしい。島民の幸せよりも、一人の女性を幸せにすると決めたのだとか。
そして、爺さんからは紙コップ。検尿なんて記されていて、捨ててしまいたいところだが、無理矢理、押し付けられる。
家に戻った旦那。
妻との思い出を胸に、これから、また自分の道を進んでいかなくてはいけない。
ふと、紙コップで、妻に語りかけ、それを耳に当ててみる・・・
孫娘の悲しい想いは、キティーが全て受け止めてくれるのだろう。
DJっぷりから、キティーは自分本位なところが見受けられるが、それも、時間の経過と共に、改善されていき、相手を想いやることが出来るようになったみたい。元々、そうだったのだろうが、そのために取るべき言動が見出せていなかったような感じか。まあ、その顔の、いや懐の大きさから、孫娘一人全部を受け止めるなんてことは、しっかりとやっていけそうだ。二人はこれから、楽しいことも辛いことも含めて、数々の思い出を互いの時間に刻んでいくことだろう。
孫娘は、キティーとの新たな絆を得て、自分を再生した。キティーも、くすぶる自分に明確な守るべき者を見つけて、再生したと言っていいのだろう。
旦那もかつては、妻に自分の想いを受け止めてもらい、自分もそうして妻の想いを受け止めていたのだろう。
二人はもうそんなことは出来なくなった。
この理由がはっきりしないのだが、二人は妻の死によって分かつという解釈をしたのだが、どうなのだろうか。決定的にそうだという要素は無いし、妻が亡くなったのであれば、辻褄が合わないようなところもあり、よくは分からない。作品名からは、全く真逆に彷徨う魂である旦那の方が亡くなったといった解釈もできそうだ。この島を現実に存在する島と捉えるのか、夫婦どちらかの頭の中の世界と捉えるかによっても解釈は幾らでも出来るように思う。
ただ、どうも、二人のスレ違いが広がり続けてお別れに至ったということでは無いように感じる。それなら、二人のスレ違いをきちんと解消して、再生するという形が取れるから。
このあたりは、もちろん作家は答えを知っているのだろうが、好きに感じていいのだろう。少なくとも、二人がもうかつてのように未来を見据えて想い合える関係ではいられなくなったことだけは確かなのだと思う。
孫娘とは異なり、もう想い合うことは出来ないということを受け止めることで、旦那は再生する。
それは、絆がもう失われたということ。
でも、二人の全ての思い出は鮮明に互いの胸に刻み込まれており、それは決して消えることは無い。
失われたのは、これからの絆であり、これまでの絆は二人の中に永遠に残る。決別することで、全てが失われるのではなく、二人のこれまでは、いつまでも大切な時間として、これからを歩めばいい。
それが分かった旦那は、互いに別々の道を歩むことを決断する。もう、二度と交差することもなく、出会うことも無いであろう道を。
この島での祭りは、二人にとって、大切な時間を、各々が受け止めて、決別するいい機会になったようだ。
もう一緒にいられなくても、共に同じ時間を刻むことが出来なくとも、自分の道を誇りを持って歩んで行く。出会えた、そして、互いに過ごした大切な時間を胸にして。
死への慈しみ、生への感謝、そして、再生への願い。
祭りが本来持つ、尊い観念が滲み出てくるような作品だった。
楽しい中にも、人の悲しい、寂しい一面を映し出し、それでも元気良く頑張っていくんだという力強さを厳かに優しく祈る。そんな祭りの精神は、この劇団の魅力とも同調しているかのように感じる。
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