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2014年8月11日 (月)

連作・MONOがたり:f The Flower 花を枯らさぬ、罪と罰【坂本企画】140810・040811

カフェ+ギャラリー can tutku
2014年08月10日 罪の咲く園 (95分)
2014年08月11日 罰の実る庭 (85分)

人が植物のように永遠の生を与えられたかのようになってしまう石化症が流行する時代。
その時代の中で、枯れない花という不老不死に魅せられた人たち、その周囲の人たちの話を描いた4作品。
どの作品も、生きるということはどういうことなのかということを様々な視点から投げかけているようです。
張りつめた空気の中で描写される美しいシーンを味わいながら、温もりを感じる人の優しき姿、生きるということの厳しい現実、感謝を感じられる作品群でした。

<罪の咲く園>

「薔薇屋敷の女主人」

美しい薔薇庭園がある貴族の屋敷。
その手入れをする上品な夫人は、マダムローズと呼ばれている。
そんな屋敷ともお別れの日が近づいてきた。夫を亡くし、屋敷も領地も人手に渡すことになった。
屋敷の最後を見守る女主人の下に、石化症の研究員が訪ねて来る。思いもよらず、明るく元気な女性だったので、少々面食らう。
女主人の夫も研究員で、女性はその弟子になるようだ。夫が残した数々の研究の記録、そして枯れない花を引き取りに来たらしい。
女主人は、屋敷の最後の来客に、ご自慢のローズティーを振る舞いながら、夫が所有していた枯れない花にまつわる話を聞かせる。
夫がまだ幼き頃、父の友人の家で、かくれんぼをしていたところ、地下室である女性に出会ったらしい。
地下室には、バラの地下茎。暗く寂しい部屋にただ一人。ふと、気付いたら、いつの間にか消えていたのだとか。
時が経ち、偶然、その女性に再会するが、姿は変わらず。その時に、枯れない花をもらったらしい。
その女性は、幼き頃に亡くなった母の肖像画とよく似ていたそうだ。
夫の頭の中にはずっとその女性、薔薇の君のことがあったのだろう。この研究室もその時の地下室に似せているみたい。女主人は、人生を自分ではなく、枯れない花に注ぎ込んだ主人への恨みや嫉妬を滲ませる。
屋敷は売り渡し、娘夫婦の下へ向かうという女主人。屋敷の最後の一時を一人で過ごしたいと、研究員を帰らせる。
夜中、女主人は屋敷を燃やして、主人の死と共に全てを終わりにしようとする。
隠れていた研究員がそれを制止する。全てをリセットしたいという女主人の考えが理解出来るので、そんな行動をするのではないかと思っていたらしい。
それと、もう一つ、探していた物が。それは、薔薇の地下茎の中に隠されていた。
薔薇の箱庭。
それは、枯れない花のように不死の薔薇ではない。箱庭の中で、永遠に自然のサイクルが繰り返される。
夫は、それを女主人への形見としようとしたみたいだ。

生を繋げる喜びだろうか。
石化症は人を不老不死にするという話もある。
女主人の夫は、その研究をする中で、永遠の生とは、不死ではなく、生が繋がっていることにあると結論づけたのだろうか。
死なないイコール生きるではないのだろう。
不死の花は文字どおり、死んでいないというだけで、生きているとは思えない。そこには生を感じない。
不死の花は美しいのだろうか。例えば、ドライフラワーは美しかったりするが、それは生の一瞬を切り取ったもので、不死の花とはまた異なるように思う。
これまで拝見した多くの作品で、死と向き合うことで、生が浮き上がることはよく感じるが、その死がなくなったら生はどうなるのだろうか。
生を繋げていく。そこには、その人生で得た経験や想いを伝えることに意義があるように感じる。ただ、死なずに、自分の中でだけ、生を閉じ込める不死の花に、人の心を動かす力は無いように思うのだが。
女主人の夫が、枯れない花、不老不死に魅せられながらも、女主人と共に過ごす時間にこそ、自分の生の時間があり、それがまた新たな生として永遠に循環してくれたらいいといったようなメッセージが箱庭には込められているように感じられ、生への感謝、その生に関わり合った者たちへの愛が見えてくるようだ。

「桜の燃える日」

ある研究所の植物学者の下に、マヌカンが訪ねて来る。
ガラス器具が乱雑に並べられ、奥には桜の木が植えてある。
彼女は恋人を探している。
この植物学者、恵まれない人生を過ごす中で、ある植物の研究をする男に拾ってもらっている。つまりは、彼女が探している恋人である。男は何処かへ行き、植物学者が後を引き継いで研究をしているみたいだ。
植物学者は、男がどこに行ったかという女性の質問に明確に答えない。
ただ、枯れない花を求めて旅立ったとしか。
教えろ、教えないの問答を繰り返しながら、植物学者と女性は、共に生活し、互いのこれまでを分かち合う中で、男がいなくなった真実が明らかにされていく。
植物学者は、石化症に悩まされる村のお金で学問を勉強していたが、長引く戦争で勉強が続けられなくなった。お金も尽きて、生きるためになら必死に何でもした。両親は、村に連絡もしない息子の責任をとって、追い出されるように村を去ったのだとか。
マヌカンと男は森に捨てられた姉弟。植物で毒薬を作って飲んで眠りにつく。所詮、子供遊びのようなもの。翌日も、当然生きている。死ぬことは出来ない。生きるふりをして、生きていたのかもしれない。その頃から、男は枯れない花に興味を抱き、死なないふりをする生き方を考え始める。
男は植物の研究者となる。化粧品や媚薬など、その研究をお金にする能力には長けていたみたいで、やがて、その研究は王族たちの目に止まるようになる。多くの地位ある権力者が願う不老不死。莫大な研究資金を手に入れながら、その研究として枯れない花を追い求め、不老不死の薬の開発を目指す。
研究は行き詰まる。マウスなどで実験していても、どこかで限界があるみたいだ。男は、自身を実験材料とするため、研究によって作られた試薬を植物学者に注射させる。
その効果は、人の細胞を植物に変えるようなものであり、人間の形を維持出来なくなってしまうものだった。そして、植物学者は全てを隠蔽するために、男を燃やした。
女は、生きるために自らの体を武器にしていた。ある日、弟がそんな店にやって来る。それは、自分をかってくれるパトロンから、そんないかがわしい仕事をしている人と知り合いであることを疑われたから。店に一緒にいって、人違いだとはっきり言うために。弟もまた、生きるために、上流階級の仲間入りをしようと必死になっていた。それ以来、弟は女の下を離れる。女はいつまでもそんな仕事を続けることは出来ない。誰にでも老化は訪れる。マヌカンとなって、仕事をしながら、弟の行方を追う。
研究の失敗により、王族の怒りをかって、研究所にはもういられなくなる。
植物学者とマヌカンは、枯れない花、不老不死に魅せられた男に関わり続けた一つの人生の終わりを悟り、二人で手を取り合って研究所を後にする。
男は燃やされた後、桜の木の下に埋められたらしい。桜は花を咲かせ、桜吹雪が新しい人生を歩み始める二人を見送る。

生きるということへの積極性からの生ではなく、死ねないという観念から生まれる生への執着だろうか。
登場人物たちは、不遇の人生を過ごし、死んでも構わない、むしろ死が訪れるなら、それを受け入れたがっているように見える。それでも、死はそうたやすく訪れてはくれない。だったら、そんな死が絶対に訪れない環境を作りだし、その中での生を受け止めようといった感じだ。
男は遺伝を拒絶している。繋がる生への否定とも言えるのだろうか。彼が求める生は、自分の個体だけで完結する永遠の生であり、そこにはもう周囲の人たちとの想い合いや、自分自身の心が無くなってしまっているように感じられ、とても悲しい。
彼の生はまだ続いているというような咲いた桜の花は、旅立つ二人に何を伝えようとしているのだろうか。共に過ごした時間への感謝と同時に、自らの過ち、生を否定した不死には春は訪れないという悲しみを込められているように感じた。
マヌカンという女性の存在により、不老不死の不老の部分にも焦点が当たっているようだ。老化は、人生で得た経験や想いの蓄積産物。その否定は、これまでの人生自体の否定にも繋がるように感じる。老化を拒絶する不老、生を拒絶する不死を得ることに、人が生きることでの幸せは本当にあるのだろうか。

<罰の実る庭>

名付けられた百合」

ある夫婦に子供が出来る。父親は、早々とおもちゃを買ったり、母親のお腹に顔を近づけて、子供が顔を蹴ったと大喜びしたり。そんな姿に優しい笑顔を浮かべる母親。
でも、生まれた子供は石化症に感染していた。生まれてきたのは、胎児の姿をした白い石。母親が手に取ると、それは崩れ去る。
しばらくは、母親は完全に病んでしまう。父親は、カウンセラーのアドバイスどおり、とにかく母親に話しかける。どんなことでも構わない。同僚のいかつい男が、妻を怒らせて似合わない花を抱えていて大笑いだったとか。
そんなことを一年続けた結果、父親の真摯な想いは遂に母親に届く。声を出して、返事をするようになり、互いにまた会話をすることが出来るようになった。
そして、二人目を妊娠。無事、出産。もう、3歳になる。
何をしてるの。あなたはそんな子じゃなかったでしょ。また、お母さんと会えなくなるよ。
子供に語り掛ける母親の言葉に父親は違和感を覚える。
母親は今の子供を、亡くなった子供の生まれ変わりだと思って接している。盗み見した日記を見たら、亡くなった子供につける予定の名前が、今の子供の名前になっている。
カウンセラーや同僚に相談するが、考え過ぎだとか、おかしいことではない、あなたが考えていることが正しいとは限らないといった言葉を返される。
違う。あの子は、亡くなった子ではない。母親のお腹から自分の顔を蹴ったあの子とは。
そのことを母親に伝えるが、話し合い自体を拒絶される。
父親は自分の母に相談する。今まで知らなかった事実を聞かされる。自分には歳の離れた兄がいるが、その間にもう一人兄がいたらしい。当時は、父の事業が思わしくなく、堕胎したらしい。それから、生活も落ち着いた頃に、母は妊娠した。そして、自分が生まれた。
そんな話を聞き、父親は母親ともう一度、向き合って話し合う。
自分自身の知らなかった生い立ち。生を受けるきっかけになった亡くなった兄。その生への可能性を得たことに感謝をする気持ちが芽生える。でも、自分が兄では無いように、あの子も、亡くなった子では無い。
母親は、あの子をそう思わないと、亡くなった子のことを常に思い出すことになり、辛く悲しく痛いのだと告白する。
そして、寝ている子供を見ながら、この子もそんな辛く苦しい想いを人間だから生きていく中でしていくのかと思うと子供など生まなければよかったと。
二人は自分の想っていることを受け止め合う。どちらが正しいとかは分からない。その答えは、この子と一緒にこれからの人生で出していけばいい。
そんな悲しみや苦しみにまみれた人生を、自分たちは想い合うことで覆い尽くしてしまうことは出来るのかもしれない。

文章では残念ながら伝わらないでしょうが、慈愛に満ちたとても美しいシーンが連なります。この作品以外も、その空気の作り方はより一層磨きがかかっており、素晴らしいものですが、この作品は特に、これぞ、坂本企画といった、最高級に仕上がっているように感じます。
触れ合う手と手を見て、その温もりが感じられるようなくらいに。
生きることは苦しい、辛い、悲しい。これは、きっと嘘ではないですよね。でも、だったら生きるのを辞めてしまいましょう、少なくともそれを知って新たな生を生み出すことは辞めておきましょう。とは、ならないのも事実です。
それはきっと、そんな苦しみや悲しみを覆い尽くしてくれる人の愛があることも知っているからなのでしょう。人は無力でしょうが、その想いの力は全てを昇華するくらいの無限の大きさを持っているようにも感じます。
生きるということは、そんな自分の苦しみや悲しみを誰かの想いで消し去ってもらったり、逆に自分が人の苦しみや悲しみを消したりの繰り返しなのかもしれません。生かされているといったことでしょうか。
苦しみや悲しみがあるからこそ、人は生きていく価値がある。そして、一番の人の悲しみであろう死。これに向かって人は歩んでいきますが、だからこそ、その死のために人は生きなくてはいけないように感じます。
死なないなら生きる必要もない。不老不死の矛盾するところが浮き上がってくるようです。

「せっかしょう」

石化症の研究をする女性の下に、一人の女優が訪れる。研究員が呼び出したらしい。
研究員が石化症の研究を続けるのには理由がある。自分は石化症にはならない。特殊な抗体を持っているから。もし、世の中の人が全員、石化症になったら、自分だけが生き残る。石化症は人を不老不死にするという話もある。それならば、自分だけが死ぬ。
研究の成果あって、ある木の胞子が飛散することで感染が拡がるようだ。そして、その木が、今、この研究所にある。
その場に、女優を呼んだ。女優が感染する心配は無い。なぜなら、彼女もまた特殊な抗体を持っているから。
研究員は、女優に自分の生い立ちを語り、二人の関係を突き付けていく。
石化症の源になっている木は、人が植物の姿になったもの。植物学者の成れの果て。女優は、その男との間に子を宿した。そして、生まれた子は捨てた。
研究員は、その子だ。孤児院で不遇な生活を強いられ、かつ、このような石化症にならない体を与えた親を恨む。
石化症を生み出す木は父でもあるので、それを破砕することは、殺すことになり、どうしても出来ないでいる。
どうして、自分を捨てたのか。研究員は3発の弾がこめられた銃を用意している。
母である女優、木となった父、そして自分を撃つつもりなのか。
女優は死を恐れてはいない。自分の娘を捨てた。でも、その娘が何に苦しんでいるのかは、やはり母だからか分かっているみたいだ。
女優は木を破砕する。飛び散る胞子。これで全てが終わる。
しかし、その木の根元には、枯れない花が見つかる。
研究員の研究はまだこれからも続くようだ。ただ、今までとは違い、一人ではなく、その傍にいてくれる人がいる。

これまでの話を全て繋げるような作品かな。
と言っても、その繋がりはけっこう難解で、深読みしたら、巡り巡って、永遠に循環し続ける世界のような感じにもなります。
研究員はその不遇な環境と孤独の中で、石化症となって、過ぎ行く時間を止めてしまいたいと思っていたのでしょうか。彼女は、もう孤独に耐えられなくなったような空気が感じられます。
自分も、それを生み出した両親も全てを消し去ってしまいたい。
でも、父はそれに対して、彼女に枯れない花を残します。生からは逃れることは出来ない。たとえ、死んでも、新たな生が始まる。だから、今の生を精一杯に。
石化症という不老不死から拒絶された二人の女性が、これから死へ向かうまでの生を全うする姿が、本来の人の正しき生きる精神のように感じます。

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