遠野物語 ~イッパイアンテナの怪談~【イッパイアンテナ】140808
2014年08月08日 元・立誠小学校 一階木工室 (60分)
不思議な感覚の作品。
話は遠野物語に出てくる怪談じみた民話を男と女中が柳田國男に語る形で進められる。
その語りは淡々と、そして当時の人たちの姿を描写するかのように3人の役者さんが話のシーンを演じられる。
柳田國男の視点で、そんな話を聞くことも出来るし、100年後に生きる人として、3人を客観的に見詰めることも出来るような設定になっているみたいだ。
語られる100年前の話は、当時の人たちの姿を映し出す。でも、同時に今の現代社会の人々の姿もその話からは浮き上がってくる。
薄れることなく語り継がれる話。そこに、真理が見えてくるのかもしれない。
<以下、語られた内容を記したのでネタバレしていますので、ご注意願います。公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>
100年前の岩手県、遠野地方。
柳田國男は、東京で聞いた妖怪などが登場する遠野地方にまつわる不思議な物語に魅せられ、後世に語り継がれる怪談集を執筆する決意をする。
現地に赴き、その地元の男に酒を振る舞いながら、男が経験した、聞いた、地方に語り継がれている話を語らせて、それを書き留めていく。
男は、こんなド田舎にわざわざ訪ねて来て、怖い話を知りたがる柳田に不可解な気持ちを抱きながらも、こうして自分の故郷の話を真剣に聞こうとする柳田を受け入れている。それどころか、ちょっとテンションが上がってしまっている様子で、執筆する本の中に登場する自分の描写にまで口うるさく突っ込んでくる。柳田は軽くあしらいながら、これから語られる話に興奮冷めやらぬといった感じ。
外は夜の闇が深くなりつつある。風も少し出てきたようだ。囲炉裏の深みのある赤い炎に、ほのかに淡い明かりを灯す行燈の置かれた静かな部屋で、不思議な話が語られ始まる。
猟師が出会った山男。大きな足で、餅を焼く猟師のところへ毎夜やって来る。餅と一緒に焼けた石を置いておき、それを食わせて退治した話。
山の中で行方不明になった娘。もう死んだと思われていたが、ある日、村人が山の中で再会する。目の色の違う男たちにさらわれて逃げられないのだとか。山人と呼ばれる男たちの話。
こんな風の強い日に、故郷が懐かしいと現れる婆様の話。
不思議なことは、やはり山で起こることが多いみたいだ。柳田は熱心に話を書き留めていく。
部屋の扉が突然バタンと音を立てる。
おっかなびっくりで男が扉を開けると、女中が酒を用意して待っていた。
酒~、と呼ばれたので、急いでやって来たのだとか。
おかしな話だ。女中を呼んだのは、もう10分以上前。それが、今になって聞こえるというのだから。
不思議な話をしていると、やはり、同じようなものを引きつけてしまうのか。それとも、単なる風の音か。
柳田は女中にも話をせがむ。
奉公人の男がうっかり斧を放り投げてしまう。屋敷を探しているところ、機織りをしている娘と出会う。その娘、先日、亡くなった旦那の娘。娘は自分のことは絶対話すなと言う。その代わり、良運を授けると。男は、羽振りが良くなって楽しい生活を過ごすが、うっかり娘のことを喋ってしまう。あっと、言う間に衰退して、また旦那の奉公人となる。娘の話を旦那にした時、旦那は不穏な態度であり、亡くなった原因には何かあったのかもしれない。
そんな雪女風だが、そこに現実的な生臭さを残す話が語られる。
柳田は話を聞いて、どんどん興奮してきて、山に何かがあると、山にこれから行きたいと言い出す。
基本的に、経験することが大事だと考える人のようで、だからこんなところまで来たのだろう。聞くだけでは物足りず、自分がその話の中の登場人物になりたくまでなってしまったようだ。
もちろん、二人とも夜だし辞めておけと諭す。
そして、代わりにマヨイガの話をする。
昔々、頭のちょっと弱いかかあが、夜に誘われるままに山の中に入り込んでしまう。
気付いたらどこかの屋敷にいたが、その不穏な雰囲気に、山男の家だと思い、必死に逃げ出す。
翌日、かかあは川上から流れる赤い茶碗を拾う。その日から家は発展したそうな。どんどはれ。
マヨイガに偶然たどり着いたら、その家の物を何か持ち帰ると幸運が訪れるらしい。このかかあは良かったけど、一歩間違えれば山男に襲われて一巻の終わりだと。
山は怖い。そんなことを柳田に教えようとしたみたい。
柳田はまだ不服そうだが、どんどはれという言葉に興味を惹かれる。
めでたしめでたしみたいな意味合いなのだろう。
文学者としての血が騒ぐのか、その言葉が生まれた経緯を考え始める。
どんどはこの辺りではゴミという意味。農家を営む人が多いので、田んぼ仕事が終われば、体の泥やゴミを払って家に入る。どんど払い。これが由縁ではないかと。
こうした理屈や理論で積み上げた科学的な考えから、こうした話は真実なのかみたいな討論が繰り広げられ始める。
多くの科学者は否定する。
再現性と客観性をもって証明できることを真理と捉えるから。
でも、いつでも同じ環境が作れるわけでもなく、その真理は揺らいだものでもある。
例えば、天狗。
よく、異国の人だなんて説が流れるが、やはり、存在するという考えも消えはしない。男も天狗がいることは信じている。真実なんてものは、そう容易くはっきりできるものではないのだろう。
天狗につっかかった男の話。
あろうことか、天狗にケンカを売った威勢のいい男がいたらしい。
その男は、後日、谷底で手足を引っこ抜かれた姿で見つかる。
風も強くなってきた。天狗の仕業かもしれない。
かかあが津波にさらわれてしまった男の話。
悲しみにうち暮れる中で、残された子供たちをなだめながら、日々を過ごす。
ある日、用を足そうと夜の闇の中を歩いていると、かかあの姿を見つける。男と一緒みたいだ。
一緒に津波に流された男で、昔、かかあが想いを寄せていたという男。
今は、この人と夫婦なのだとかかあは申し訳なさそうに言って、また夜の闇に消えていく。
男は、その後、病に伏せたらしい。
不思議な話だ。
男はかかあが幽霊だと思って、驚かなかったのだろうか。ごく自然に語りかけている。
柳田の疑問に、男と女中は答える。
妖怪なんてものは、出会っている時は分からないし、恐ろしいとも思わないものだと。
もう遅いので、今晩はゆっくり眠って、明日、山へ行きましょうと二人は部屋を後にする。
柳田は、そんな出て行く二人を見詰めながら、恐怖感に襲われる。
夜の闇が深まった外にも、何かが覗いているようで・・・
男は地元の方言で朴訥に、女中は最近、田舎にやって来たので都会の清涼感を漂わせながら淡々と地方にまつわる話を語る。
各話のシーンは、柳田も含めて、3人が描写をしている。
100年前のいわば怪談。よく聞く天狗や座敷童や山男など、そんな妖怪たちに郷愁の念を感じる。
その当時は、そんな非日常的な話が、日常の生活の中に普通に潜り込んでいたのだろう。
それが本当か嘘かなどは関係なしに、当時の人たちの生活背景や社会の様子までが話から浮かび上がってくる。
そして、不思議なことに、100年経った今、その話を聞いても、それは薄まることなく、今の現実世界を映し出しているかのような感覚も得られる。
物語が今も生きていることを思わせられるかのようだ。
それにしても語られる話は非日常であって、実は日常にも捉えられるような不思議な話が多い。
天狗が異国の人みたいに、理論的に証明しようなんてことは科学者の本能や、非科学的なことを嫌う人たちが必死に考え出したものなのだろうか。
目の色が違う山人にさらわれる娘の話も、異国の人が悪い奴だということを誇張するために作られた話のようにも思えるし、現れるお婆も姥捨て山みたいなことを想像する。
機織り娘の話は、どうもこの家に怪しいものを感じる。
マヨイガは、生活に困窮する人々が、描く夢だろうか。盗んだもので豪勢な暮らしをする山賊か何かに、それをお裾分けしてもらうみたいな精神か。
天狗に殺される男は、権力に立てついた人の行く末を案じているようだ。
津波にさらわれるかかあも、いわゆる駆け落ちみたいに見え、不条理にも男に降りかかった悲劇としての逃避みたいなことを感じる。
自然が生み出した不条理で、不可思議な話として伝えられるが、その大元には、何か怖いものから逃れるために、目を背けるために人間が作り出したようなものを感じる。
そう思うと、各話には、何かしらの問題提起が含まれているような気がする。それは、人として誤っていることや、社会として間違っていること。登場する妖怪よりも、むしろその中にまで想像を膨らませた時、人の愚かさが見えてくるようで、そっちに恐怖を感じるのかもしれない。
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