« こっからの、距離【空晴】140721 | トップページ | あの日忘れた、大切なもの【HPF高校演劇祭 大阪信愛女学院高校】140724 »

2014年7月23日 (水)

オイディプス(ギリシャ神話より)【HPF高校演劇祭 淀川工科高校】140722

2014年07月22日 メイシアター (85分)

この高校は、今年で3回目の観劇となる。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/hpf130723-2b5d.html
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/hpf130723-2b5d.html

2年前に拝見した作品では、心情表現をとても丁寧にされる方が揃っているなと感じ、昨年は言動一つ一つに自分たちの想いと情熱を込めた熱演に感動した。
そして、今年はもう私の中では完璧だ。話の展開、役者さん方が作り出すキャラの魅力にはまり込んでしまった。
リズムのいい展開に、力ある演技がダイナミックな舞台を創り上げ、完全に魅入ってしまい、終演後、スーっと立ち上がって拍手しそうになるくらい。
大変素晴らしい作品でした。

話としては、ギリシャ神話のオイディプスの内容そのまま。そこに、マスコミや大衆の視点を取り入れて、オイディプスの悲劇な運命をたどる話を楽しむと同時に、現代の情報社会における警鐘や、その情報に翻弄されているマスコミや大衆への批判も込めて展開されている。
マスコミが作り上げるオイディプス像を舞台上で見せられることで、興味本位に第三者視点で、その個人の不幸を見る私たち客が、今の社会のマスコミと大衆の関係に同調しているようだ。

情報を取捨選択して、時にはそれを歪めて、都合のいい解釈を基に、面白おかしく物語を創り上げる。これが、今のマスコミの印象で、その情報操作の犠牲に大衆はなっている。例えば、過去にマスコミに情報誘導された事象、ノストラダムスの予言や石油枯渇問題など。
といったように、マスコミへの非難的な感覚の方が大きかったが、もしかしたら、それは大衆が望んでマスコミにそうさせているのではないかとこの作品を拝見して感じる。
予言を情報と捉えると、その幾つかの情報を理路整然と組み立ててしまうと、真実の姿が浮かび上がる。
たとえ、それが悲劇的で、その人を不幸にしてしまったとしても。
この作品では、その組み立て役をマスコミが担っているように感じる。
単なるあいまいな断片情報を与える神の方が、今のマスコミみたいで、この作品中のマスコミは真実の運命を追及してしまう神のようにすら見える。アポロンの神託などは、あいまいでミスリードを誘う、それこそマスコミに記されるゴシップ記事みたいだ。
大衆たちは、神が与える断片情報だけを信じて、その情報に対してだけ意見をいい、行動する。マスコミの情報に翻弄される今の社会の大衆のように感じる。
非難されるべきは、あいまいな情報源である神、それに安易に飛びつく大衆にように思う。

それでも、この作品中のマスコミに嫌悪感を抱くのは、真実を知ることに恐れを抱いているからだろうか。
大衆だけだったら、情報数が不十分だったり、幾つかの情報のどれかに固執してしまい、うやむやになり真実にたどり着けなかったはず。
実の子かどうかなんて噂はそのうち消えるし、天災や疫病もそのうち勝手におさまる。
それなら、それで、これほどまでの悲劇を生み出すことはなかったのでは。
本当にこの話のように、情報一つ一つにしっかり対峙して、その事実性を明確にしていって、真実までたどり着いてしまうことがいいことなのかはよく分からない。

本当の真実は、その情報に関わる人だけでなく、周囲の人たちまで不幸になる危険性がある。もはや、他人事でなくなり、笑えなくなってしまう。
信憑性が不確かな情報だけをピックアップして、捻じ曲げられたその情報に関わる人の不幸を第三者的に笑って見ていた方が楽だろう。
大衆への追従者としてのマスコミなら、大衆がそう望めば、それこそ売上や視聴率のためにそうするだろう。だって、大衆たちはその不幸を蜜の味として美味しくいただきたがっているのだから。たとえ、自分たちが持つ情報を組み立てることで、恐ろしい真実が明らかになると分かっていても。
でも、ずっと、そうやって真実にたどり着くことに背け続けたら・・・
それこそ、運命に抗って生きることであり、その先には、悲劇しかないのかもしれない。

作品自体が、マスコミがまとめあげたオイディプスの真相に迫る記事かのよう。私たち客は、それを暇つぶしがてら興味本位に楽しんでみる世間と同調。
でも、楽しんで見ていたら、あまりにも悲劇的な結末へと向かい、もう笑えなくなる。
真実を知ることには覚悟が必要。でも、避けることは出来ない。それを受け止めて、どう自分の運命を切り開くのかを考えなくてはいけないのだろう。
今、自分に降りかかる現実、情報。それは自分にとって、どういうことなのか。それを多視点で見極め、自らの生き方に組み込んでいく。神頼みやマスコミによって都合よく歪められたことに安心していてはいけない。それは単に誘導されて人生の道を進んでいるだけであり、自らの歩みでは無いといったことでしょうか。

出来るだけ、役者さん個々に一言を記すようにしているのだが、上記したように、のめりこんで観ていたら、ちょっと誰が誰だったかぐちゃぐちゃになってしまった。
いつもなら、目立ったシーンで感じたことをメモ書きしているのですが、それもあいまいに。覚えている限りの方だけになってしまうことをご容赦いただきたい。皆さん、きっと真摯に役と向き合い、キャラを立てる役作りをされていたのだろうなということは強く感じました。

オイディプス、奥谷知紀さん。貫録でしたね。演出もされているのかあ。昨年のお姿を何となく覚えています。確か、イライラした神経質な生徒会長。何かずっと心に詰まったものがあるオイディプスも少しそんな雰囲気があるかもしれません。
イオカステ、門田侑樹さん。登場と同時に会場をざわめかせる。そりゃあ、あのお姿だったらねえ。女王の貫録と同時に、母親のような母性愛をオイディプスに見せていたような気がします。
クレオン、柴田純さん。非常に知的さを押し出しています。ただ、その有能さは、自分が率いていくというところにまでは至らず、イオカステやオイディプスの側近でいるということに逃げている感じがします。二人が死と追放という形でこの国を去り、残されたこの方はどうするのでしょう。もう一つの悲劇がそこにあるように感じます。
権三、黒田英史さん。当日チラシを見直したら、コリントス王もされていたんですねえ。あのおかしな女王と一緒におかしな掛け合いをしていた人が、真実を恐れ、怯える大衆の象徴のような人に。大きな体を活かして、縮こもる感をよく出されていました。
スフィンクス、小田浩輔さん。怪人みたいなイメージ。大衆に考えることを突きつけているようです。考えずに、逃げたり、単に受け入れていては、身を滅ぼすことを知らしめているのか。愚かな大衆から生み出された、思考することの象徴のように感じます。それに人は苦しめられたりすることは皮肉に感じます。
ディレクター、片山直樹さん。一番、目を惹きました。上記したようにこの作品のマスコミが、神のように感じたのは、この方の大衆を翻弄させて、真実を見せることを楽しむような狡猾な支配欲を感じた影響が大きいように思います。後半の立ち振る舞いは、まさに独断場。本当の神託のように、それにより、世を操ることが出来るという自負を嫌みったらしく滲ませます。
テイレシアス、松尾駿亮さん。両性を感じさせる気味悪い預言者だなあと思っていましたが、感想を書くにあたり、オイディプスを調べてみたら、本当にそういう人だったんですね。見事な役作りです。

|

« こっからの、距離【空晴】140721 | トップページ | あの日忘れた、大切なもの【HPF高校演劇祭 大阪信愛女学院高校】140724 »

演劇」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: オイディプス(ギリシャ神話より)【HPF高校演劇祭 淀川工科高校】140722:

« こっからの、距離【空晴】140721 | トップページ | あの日忘れた、大切なもの【HPF高校演劇祭 大阪信愛女学院高校】140724 »