四十六【劇団夜光鯨】140704
2014年07月04日 大阪大学豊中キャンパス 学生会館2階大集会室 (70分)
まあ、魅惑的な美しい舞台で。
公演が始まった時点で、もはや一つの成功をおさめているくらいの稀に見る秀逸の舞台セットでした。
そこに映し出される映像や、世界を創り上げる照明・音響も、素人ながら目を見張るものがあります。
作品としては46の奇異な数字をベースに、人の心に刻まれた想いを描き出すような話。
これまでの歴史の中で、創り上げられた形あるものに宿る想いと心の中で対峙しながら、そこに潜む悲しき想いに祈りを捧げようとするような感じでしょうか。
<以下、一応、ネタバレにご注意ください。きちんとしたあらすじも書いておらず、ネタバレと言うにはあまりにも稚拙でおこがましいので、白字にしていません。公演は明日、日曜日まで。美しい風景を観に行くだけでも価値ある公演だと思います>
売れない古本屋を営む父親。少々、楽観主義で適当なところがあるが、人の良さそうな人。
姉は、しっかり者で、画家を目指していたが、希望する大学には入れず、また、画材などの費用も正直、ままならないので、今は大学で違う勉強をしている。昔、母親からもらった妖怪の描かれた絵巻が画家を目指そうとしたきっかけ。絵を描くのも、見るのも大好きだったが、そんな絵巻もいつの間にか何処かへ無くしてしまった頃から、自分の中で絵を諦める気持ちが生まれてしまったみたいだ。無意識に絵を描いてしまったりして、断ち切れない自分にイラダチを感じているところも。父は、そんな娘を見て、やりたいことをやってくれればと、何も言わないが、分かりもしないのに日本画集を買ってきたりしている。
弟は、生意気盛りの高校生。将来、どうしたいかなんて、まだ分からないのでブラブラしている。読書が好きみたいだが、本人曰く、それも現実逃避でしているだけなんだとか。姉からはよく説教を喰らうが、姉も同じように将来に悩みがあるのを知ってか、あんまり言うことは聞かない。父は、やたら弟には甘く、まあ好きなようにしなさいと自由にさせている。ゆきという彼女がいるみたいで、鬱積した想いを吐き出して語れる姉さんみたいな女性のようだ。
そんな弟も、兄はちょっと苦手みたい。仕事でたまにしか帰ってこないが、随分と堅物みたいで、厳しく説教されるみたいだ。
兄が帰って来た時、姉と何か話をしている。
お前は将来どうするんだ、弟はどうするつもりなんだ、やはり母親がいないことがダメなんだろうか。
そんな会話に父も、姉も、弟も自分たちの未来にモヤモヤを抱えるみたい。
そんな人生に彷徨ってしまった時、姉に何やら怪しげな新興宗教団体が声を掛けてきたり、弟は海辺で母親の幻影を見たりし始める・・・
筋を書くのは残念ながらこの辺りで限界。
新興宗教団体を率いる妖怪、ぬらりひょんが、兄だったり、共に行動している雪女は弟の彼女だったり、そこにやって来る姉は、自分のことを好きになれないろくろっ首であったりと、何やら、来たる日に向けて、動きだ出そうとしている妖怪たちの世界と交錯し始めるので。
そして、父親は、こんな妖怪たちと行動を異にする一つ目という妖怪になっています。
結局は、1995年01月17日05:46から、2011年03月11日14:46までを描いた、阪神大震災で妻のお腹に宿っていた弟を妻ともども失った父が16年に渡って想像してきた夢の世界を見ていたようです。
難しく混乱しているので実際に作品が描いていることはよくは分からず、自分で勝手に想像してみるしか出来ません。
父の一つ目は、本当に震災で被災したのか、あまりの惨事を目の当たりにして、両目で世を見ることが怖くて出来なくなったのか。とにかく、現実と対峙することに怖れを抱いた存在のように感じます。
現実を見れなくなった分、彼は頭の中で想像を繰り広げる力を得たのでしょう。想像を続ければ、失ったものたちも忘れ去られることなく、いつまでも存在し続けることが出来るので。
その想像の題材は、母が娘に渡していた妖怪絵巻だったのでしょうか。
自分に自信が持てず、殻を破れずに生きている姉が、長い首に自己嫌悪するろくろっ首。
16年に渡る想像の中で育て上げた高校生の弟の彼女は、自分のちょっと頼りないところを意識してなのか、ちょっと冷たいくらいにしっかり者だけど温かい心を持つ雪女と付き合わせたのか。
夢の世界を崩壊させて、現実に戻そうとする兄は、ぬらりひょん。最終的に、父が夢の世界から脱却して、現実に戻るのは3.11がきっかけになっているようで、海の妖怪として描かれているのか。
46分という数字で繋がったこの世界は、地球46億年の歴史の一ページであり、人の46本の染色体に刻まれるといった形で46の数字の奇異さも表現しているようでした。
また、父が娘に手渡す日本画集は富嶽36景ですが、これは本当はさらに裏富士と呼ばれる10枚の絵が追加されるそうです。知っている人もいるのでしょうが、まあ、私は聞いたこともありませんでした。知らないのだから忘れることも出来ないようなこんな事実。
父が想像する世界も、報道や書籍で知る事実の裏で描かれる震災の一つの世界であることを示唆しているのでしょうか。
最後は父が想像した世界の全てでもあった、育ててきた弟を母が連れて行くことで、想像世界は終焉を迎えます。
ずっと想像の世界でだけ生きていくことは出来ません。
舞台セットの奥は原稿用紙のようマスが並ぶ障子のようになっており、この悲しき16年を一つの書物作品として完成させて、また新しい自分自身の作品を描いていくために生きなくてはいけないような感じです。
妖怪絵巻は、海の底でしょうか、また長い時、静かな眠りにつくように沈んでいきます。
いつの時代に書かれたのかは知りませんが、これを見て、少なくとも妖怪は、いつまでも忘れ去られることなく、人の頭の中に存在し続けてきた。
同時にその絵巻には、それを見た人が想像した想いも刻み続けているのかもしれません。父の悲しき16年の想いのように。
震災で失われた命。
想像し続けることで、残される想い。
ものに宿るその想い。いつの時代までも繋がる大切な想いがそこに刻まれる。
舞台には、真ん中に本当に水を張った海のようなセットが組まれています。
その周囲を取り巻く、瓦礫たち。
観終えた時に、その瓦礫たちに宿るのであろう、誰かの想いが浮き上がります。
そして、恐らくは舞台では小さな海ですが、そこに無数に吸い込まれていったものたち。
そんなものたちにも、同じように想いが刻み込まれているはずで、それは広い海で、その悲しみを慈しみと祈りの光で照らしながら、今も私たちに忘れられることなく存在し続けるのかもしれません。
その風景は、この公演の素晴らしいチラシに描かれる姿と一致します。
| 固定リンク
「演劇」カテゴリの記事
- 【決定】2016年 観劇作品ベスト10 その3(2016.12.31)
- 2016年度 観劇作品ベスト10 その2(2016.12.30)
- 2016年度 観劇作品ベスト10 その1(2016.12.30)
- メビウス【劇団ショウダウン】161209(2016.12.09)
- イヤホンマン【ピンク地底人】161130(2016.12.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント