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2014年6月30日 (月)

舟歌は遠く離れて【アトリエ劇研プロデュース】140630

2014年06月30日 アトリエ劇研 (90分)

船という閉鎖空間で、生死の間を淡々と描きながら、話が進むので、観ていてとても心が疲れる。
震災と同調させて観ると、それはより現実化して、心苦しい。
生きていることに不確かさを感じる社会かもしれない。どう進んでいいのか分からずとも、生きている限り、進まないといけないので、彷徨っているみたいだ。
でも、船はきっと、どこかへたどり着く。
それまで、彷徨いの不安の中で、すぐ身近にある死の世界へと目がいくかもしれないが、それよりも、港に着いた後、また地面を踏みしめて歩むことを信じて、この時を過ごして欲しいという祈りが沸いてくるような話だった。

住んでいた家を追われた姉妹。
何か訳ありの兄妹。
何か犯罪を犯したのか、一人の男。
みんな、色々なことを抱えているみたいだ。

そんな人たちが、船の最下等の狭苦しい部屋に詰め込まれる。
文句を船員に言っても、聞く耳持たずで横暴だ。
みんな、行く場所が無くなったので、この船に乗った。故郷へという漠然とした考えはあるようだが、どこへ向かうという明確な意志はこの人たちにも、そして船自身にも無いみたいだ。
目的地が定かでなく、そこに向かって出発したのか、まだ立ち止まっているのかも分からない。
でも、各々、周囲の人たちと絡みながら、船上の旅の日々を過ごす。
旅というかは、彷徨いみたいな感じか。

船室に窓は無いので、外の景色は全く見えない。
そのため、時間の経過が分からない。
明日は友達と約束とか、いついつまでにこれを仕上げるとか、着地点を常に意識して生きる、普通の世からはだいぶかけ離れているようだ。
恐らくは、船という乗り物に依存した生活だからだろう。
地上で、自分の足で歩いていたら、こんな状態で過ごすことは出来ないはずだ。
漂っている人生の一時みたいな感じだろうか。

窓は無いが、床には下の部屋を覗ける通風孔みたいなものがあるみたい。
その下の部屋に横たわる一人の女性。
いくら船が動こうと、彼女の時間は止まっている。つまりは死んでいるらしい。
すぐ下には死の世界が拡がっている。
でも、その部屋に意志を持って、望んで普通に入り込めるわけではないみたいだ。
死の部屋への招待はいつも唐突なのだろう。
この人が、自分が、この時に、その死の部屋に入ることになろうとはみたいな感じか。

船は、みんなにそんな死の世界を意識させながら、死者たちの言葉を聞かせながら進む。
やがて、船に乗る者たちは、狭苦しく汚い閉塞された相部屋の中で、互いに揉め事を起こしていき、猜疑心や欲望を露出させていく。
生の世界は醜い。
食、性や金。生きているからこその欲望だが、それに執着しないと生きてはいけない。生を感じる時は、胸いっぱいの幸せだとか、喜びからではなく、こんな汚さに胸を痛めた時のような感じがして皮肉めいている。
それに比べて、死は静かで穏やかだ。でも、そこには永遠に変化しないという彷徨い続けなくてはいけない悲しみがある。生は、この先がどうなるか分からなくても、どこかの港に着けば、そこで降りることが出来るから。

そして、その露出した猜疑心や欲望は、互いの隔たりを生み出し、争いへと発展する。
争いの結末として、この死の部屋へ向かう者も。
兄妹の妹は、相部屋で共に過ごさなくてはいけない人たちの汚さや、生の世界の居心地の悪さに辟易して、死の部屋へと足を踏み入れる。
そこで聞く死者の純粋な言葉に惹きつけられるように、その部屋で長い時間を過ごす。
やがて、上の通風孔に兄の下半身を見つける。死の世界にはまってしまった兄は、そのうちに無残な姿で上の部屋の住人では無くなってしまう。

生きるための最低限の食と居住を準備され、この先がどうなるかといった不安を抱えながら、この閉塞された部屋で過ごす人たち。
故郷に帰る。と言っても、その目的は定かでは無い。
この船の部屋で過ごしていれば、時が経つとともに、本当にどこかの港に着くのか。船の周りは霧で覆われ、何も見えない。
どこかへ本当に向かっているのか、まだ何も変わらず、元の場所にいたままなのか。
船員たちは、わずかな要望すら聞き入れず、和を乱すものには制裁を与えるぐらいの考えでいる。そして、自分たちは広い部屋で、たくさんの食事をとって過ごしている。
身近には死の世界の方が、現実的のように姿を現す。死者たちは達観している。それに比べて、自分たちは生きるために金や食や性の欲望から逃れることが出来ず、同じ相部屋同士なのにいざこざを起こす。
気付けば、死の世界へと足が向かおうとしている。
船がどこかの港に着く時、自分たちは本当に生を手にしたままなのだろうか。
漂う船の中で、生きることに彷徨っている人たち。

この作品は2011年に初演だったらしい。
つまりは震災の年だ。
恐らくは創る前は、震災が起こるなどとは思っておらず、今の社会で不確かな生みたいなものを描いている話なのだと思う。
でも、観ていて、これはまさに震災による生きることへの不確かさとして捉えていいような気がする。
上記段落の文章は、この作品を拝見して、あることをイメージしながら書いた。
震災で故郷を追われ、仮設住宅のような閉塞された空間で、援助物資をベースに生きている人たち。あまり、よくも知らず、調べずに書いていることにはご容赦いただきたいが、そんな不安定な生活を強いられている人たちの姿が浮かび上がる。
この先、どうなるのかは分からない。故郷に帰ることは出来ずとも、どこかの港にきちんと連れて行ってくれるのか。仮設住宅が船のように思え、それを管理する船員は政府ってところだろうか。
船からは周囲の景色は霧で覆われて見えない。隠ぺいされる情報、混乱する情報による、現状が認識できない状況を示しているのではないか。
死の世界を身近に感じるのは、それはもう、被災者なのだから当たり前だろう。

あれから時が経っているだけに、徐々に被災者の生活には目がいかなくなっている。
もしかしたら、長い船の旅で、死の世界へと足を、それこそ半身を踏み入れてしまって、悲しい死を迎えた人もいるのではないか。
そんな死を、生死の境界で彷徨う、同じ船に乗る人が見ていたのではないか。
そんなことを考えるといたたまれない気持ちになる。
ただ、阪神大震災の時も、同様のことはあったのだろうが、今では社会全体が息苦しくなっているとはいえ、どこかに定着して、また生を全うしようとしている人たちがいることも事実である。
霧は晴れるし、船は故郷では無いにせよどこかへたどり着く。
そこで、閉塞した船を出て、また、足で地面を踏みしめて歩む日が来ることを祈りたい。

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