白のキャンバス【演舞集団コノハズク】140628
2014年06月28日 パシフィック・シアター (90分)
家族をテーマに、その繋がりから人の生を描いたような話でしょうか。
運命に左右されて、不条理に失われる命。
残された者のその悲しみに私たちは祈ることしか出来ない。でも、その祈りは、必ず、悲しみを昇華させることが出来るはず。
死によって家族の愛や、友の絆が失われるわけではないから。
家族を含め、周囲の大切な人への想いに願いを込めて、より良く生きる道、未来を見出そうとしているような作品のように感じます。
<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>
ある家に一人っきりで住んでいる女性、すみれ。
画家として生計を立てているようだが、最近、ほとんど寝てないし、食べてもいないらしい。
それに、・・・
心配する彼女の夫の後輩は、医師でもある保健所の所長を連れて、彼女の家を訪ねる。
すみれは思ったよりも元気そうだ。これなら特に心配する必要はないだろう。そう思った所長は、次の瞬間、衝撃的な光景を目にする。
すみれの周りを取り巻く犬たち。彼女は、そんな犬に家族の姿を重ね、食卓を囲んで楽しそうに笑っている。
所長は、詳細な話を後輩から聞き出す。さらには、これには、保健所で部下として働く女性も関わっていることだった。
カメラが好きで真面目なお父さんと、面倒見のいい優しいお母さんの間にすみれは生まれる。
幼馴染の子に、小学生の頃にプロポーズされたりなんかして、少しおませさんだけど、明るく元気で優しい子に育つ。学校の先生も、生徒想いの優しく綺麗な先生だったみたいだ。町にある大きな木の前でよくたたずんでいた。
でも、そんな家族の下に、ある日、一通の手紙が届く。いわゆる赤紙。
お父さんは戦場に向かわなくはいけない。国内でも戦火が激しくなりつつあり、幼馴染の子の田舎に母と一緒に疎開。
終戦を迎え、家に戻って来ても、そこにはもう父はいない。戦地で、家族の名を叫びながら、その命を失ったようだ。
町にあった大きな木の下には、お地蔵さんが置かれている。戦争で失われた多くの命を物語っているようだ。
悲しみに暮れる母を励まそうと、すみれは毎日、父の絵を描く。少しの時しか一緒に過ごせなかったが、その時の思い出一つ一つの顔を。
そんな母も心労がたたったのか、すみれにありがとうと、あなた自身の望む絵を描く生き方をして欲しいという言葉を残して、この世を去る。
身寄りを無くして、一人ぼっちになってしまったすみれ。ただ、戦後当時はそんな子もたくさんいたらしい。
すみれには幸い、思いやりのある幼馴染がいた。小さい頃の約束を守って、二人は一緒になる。
二人の結婚生活はいわゆるラブラブ状態。
いつの頃から現れたのか、良き友達だったお隣の女性も、訪ねてきてはその姿に目を覆うくらいに。
すみれは画家の仕事をする。けっこう有名だったらしく、稼ぎはもしかしたら夫よりも良かったのかも。
夫は気弱そうだけど真面目で頼りがいのある男だった。人から頼まれたら嫌とは言えない性格みたいで、ちょっと体調が悪いとすぐ会社を休んでしまう後輩のために、休みなのに代わりに営業に向かうこともしばしば。
この日もそうだった。後輩からの電話で、台風で大雨の中、家を出ようとする夫にすみれは恥ずかしそうに、出来ちゃったことを伝える。
大喜びする夫。多分、女の子ということで、胡桃と名付けたいというすみれの申し出に素晴らしい名前だと大賛成。まだ見ぬ、胡桃のためにもより一層頑張らねばと、颯爽と仕事に向かう。
大雨の中、全く後輩にも困ったものだとブツブツ言いながらも、心の中はこれからの新しい家族のことでいっぱい。ふと、川に目をやると、氾濫した川に女の子が溺れている。
胡桃。その溺れる女の子の姿が、これから生まれてくるであろう我が子とオーバーラップしてしまったのか、元々、困った人を見捨てたりは絶対出来ない優しい性格が災いしたのか、彼は気付くと川に身を投げていた。
女の子は助かったらしい。でも、夫はそのまま・・・
一報を聞きつけ、外に飛び出すすみれ。
それでも、悲しい現実は変わらない。それどころか、ショックと雨で体が冷えたことで、お腹の中の子も失ってしまう。
憔悴して、家に戻って来たすみれ。
家にはある女性がいた。保健所で働く女性だ。
この女性、捨てられた犬たちを保護することが仕事。ただ、その仕事は、そんな捨てられた犬を救うということと同時に、救えなかった、つまりは新しい飼い主を見つけられなかった犬を処分するという厳しい一面がある。
このことが、どうしても納得できない女性。
だから、以前から、すみれの家を訪問して、そんな犬たちを引き取ってくれないかとお願いしようと考えており、ついに実行に移したらしい。
こんな状況だ。正直、犬どころではないはず。
でも、すみれは、その女性が連れて来た犬たちに家族の姿を見つける。
人間に捨てられた犬。そして、神に捨てられたかのように不幸を背負うすみれ。何か分かち合うものがあったのか、この日から、奇妙な家族の生活が始まる。
事情を把握した所長。
すみれは、何かを思い出すことを恐れるように眠らず、そして死に向かうように何も食べない生活を続ける。そして、キャンバスに絵を描き続ける。しかし、そのキャンバスの色は白いまま。
彼女は自分が描く絵を探し続ける。
所長は決断する。彼女ためにも、犬たちをあの家から連れ戻す。
でも、彼女の体力はもう限界に近づいていた。
彼女を守るためには冷徹な決断でも実行しようと考える所長。夫を死に追いやり彼女を追いこんでしまった責任を感じる後輩。捨てられた犬たちを守りたい女性。すみれに家族の幻想を見せる犬たち。その犬の姿を借りるかのようにすみれに語りかける家族たち。そして、すみれの心の支えになるかのように振る舞うお隣の女性。
様々な周囲の人のすみれに向けられた想いが、一つになった時、すみれの描き続けていた白のキャンバスに一つの絵が浮かび上がる。
それは、彼女が願った、実現できなかった家族の姿。その姿を描き出した時、彼女は全ての苦しみから解放されるかのように、・・・
と、いった感じの話だが、60分を過ぎたあたりで、話の展開が急に緩くなった感じがして、少しトーンダウンしたような気がします。
少し分かりにくいように思うのは、隣の女性の存在でしょうか。
この方、所長の妹であり、すみれの学校の先生でもあるようです。戦争の空襲かなにかで恐らくは亡くなったのでしょう。所長はそんな妹を守ることが出来なかった、それも厳しく早くから疎開するように言っていればみたいな悔いがあるようです。
石蔵地絵という役名で、他の役名が苗字か名前なのに、この方だけフルネームで、その名前からも大きな木の下にある地蔵の化身のようなものなのでしょう。
その他にも、犬を守るという曲げられない強い意志と地蔵の石、所長の医師なんかもかけているのかもしれません。また、絵は、すみれが描きたかった自分の絵の答えへと導くような意味合いもあるような気がします。
色々なことが多く含まれた存在で、少しややこしい感が残り、私との関係性の焦点を絞れないところがあります。
兄弟や師弟といった、また違った形の絆が浮き上がるのかもしれませんが。
私は、最初の方は、ずっと地蔵だけに、戦争により失われた命を慈しむ象徴としてだけ捉えて観ていたので、そんなものたちが、すみれのように残されて生きる者に、どんなに辛くても頑張って生を全うして欲しいという願いを伝えているのかと考えていました。だから、彼女の正体に具体性が出るたびに、より分からなくなるといった感じだったかな。
最終的にすみれの命は尽き、あとには、彼女が願った一つの家族の姿がキャンバスに映し出されます。
キャンバスの上でしか叶わなかったすみれの願いでしたが、彼女の死後、この家は、保健所の女性、そして後輩により、捨てられた犬たちが集まり、家族を作り出すような施設になるようです。
自分を囲む周囲の人たち。その自分もまた、そんな周囲の人を囲む一人。
そんな家族がこれから作り出されるのでしょう。
家族を追い求めた人たちの願いが叶えられる第一歩といったところでしょうか。
そして、すみれは、あの世で家族たちと再会します。
お父さん、お母さん。生まれるはずだった胡桃。そして、自分を愛してくれた優しき夫。
お父さんが手にするカメラで、あの頃のように一枚の家族の写真が撮られて、話は締められています。
家族を描いた作品ですが、感覚的には家族よりも、もっと普遍的な生への願いを感じる作品のように思います。
不条理にも失われる命。残された者の悲しみ。
戦争、事故、天災など、それによって失われる命は、別に親しく無い他人でも、亡くなって喜ぶようなことはまず無く心が痛むわけで、深く関わり合った人の死だったらその辛さはどれほどのものか。
そんな、大切な人を失ってしまった人の悲しみをどう昇華させればいいのかを考えれば、ただ手を合わせて祈るしかないように思う。お地蔵さんと同じように。
その祈りは、本来、その人が人生で得ていたであろう喜びの姿への願いであり、このような作品としての表現物は、その姿を具現化してくれているように感じます。
世の中は不平等。
逃れることの出来ない運命に左右される。
そして、大切な人を失ったりする。
そんな厳しい現実だけをそのままの姿で映すのも表現の一つの手段だろう。
でも、こうあって欲しいという真たる願いを込めた想いを託した作品は、表現物だからこそ出来ること。
この作品で最後に完成する家族の絵、そして、家族を大切に描いたこの作品自体がそういうものであるように感じる。
全ては起こりえなかった虚構の姿である。でも、その込められた願いは必ず、未来の現実の姿として映し出されるのではないだろうか。
最後に、父のカメラが撮った家族の揃う一枚は、私たちが託す想いは未来に実現するであろうことを示しているように思う。カメラは、想像とか関係なく、現実を映し込むはずだから。
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コメント
本日はご来場誠に有難うございました。早速の日記誠に有難うごございます。
私も日記に対するコメントがネタバレになってしまいそうなので、後日改めてさせて頂きます。取り急ぎ御礼のみさせて頂きます。本当にありがとうございました(≧∇≦)
投稿: コノハズク 大井 | 2014年6月29日 (日) 01時11分
公演終演いたしまして、改めて御礼申し上げます。
感想読ませていただき、涙が溢れました。私が描きたかった世界をそのまま(それ以上に)文章にしていただいていたからです。
すみれが間違いなく主人公ですが、石蔵地絵という存在の描き方が最も難しかったところです。仰られる通り、医師の妹という設定にしてから地蔵と地絵の関係が薄くなった部分もあります。
家族への感謝の気持ち、生きてることへの感謝の気持ち、一人では生きれないし、当然演劇もできない。当時は自信をもって上演した一回公演でしたが、終わってからのアンケートや様々な感想やご意見を見て聞いてひとりよがりな公演だったと現実を突きつけられました。評価は自分でするべきものじゃないので前回に比べて今回はなんてこととても言えませんが、自分の想いだけでなく、キャスト、スタッフ、お客様全員が感動できるようなお芝居を作りたい!D3さんや進船組さんのような熱く、心震える作品の中にコノハズクらしさを出したいという想いを胸に上演いたしました。
まだまだ足りないことだらけですが、これで終わりにしたくないのでまた次回に向かえるように毎日を大切に、周りの方々への感謝の気持ちを忘れず生きていきたいと思います。
本当にありがとうございましたm(__)m
投稿: コノハズク大井 | 2014年7月 1日 (火) 16時39分
>コノハズク 大井さん
ご丁寧なコメントありがとうございます。
2年ぶりでしたが、私もその間、ずっと観劇を続けてきたので、あの頃よりは、作品が伝えたいことを少しは捉えられるようになっているかもしれません。というか、そう成長していることを信じたいものです(゚ー゚;
少しでも大井さんの描きたかった世界の風景が私にも見えたようで、とても嬉しいです。
言葉ではなかなか伝えにくいところもありますし、頭の中を互いに覗くことも出来ないですが、コメントいただき、何か、創り手の方々と観る私が繋がったような想いを今、抱いていることに喜びを感じています。
観劇の醍醐味ですね。
D3さんや進船組さんは、こちらも卒倒しそうになるくらいに熱いですからねえ。いつも、観終えてぐったりです(^-^;
今回、拝見した限りでは、コノハズクさんは、表に熱さはめちゃくちゃ出してはいませんが、内に真摯たる熱があるようなことは感じました。
これからも益々、ご活躍いただき、この作品の絵のように、ご自分方の素敵な色を付けていってください。
また、どこかの劇場で、想いのこもった素敵な作品を拝見できることを楽しみにしております。
投稿: SAISEI | 2014年7月 2日 (水) 09時29分