キンギョの人々 vol.3 「穴の宇宙」【突劇金魚】140606
2014年06月06日 突劇金魚アトリエ (70分)
なるほどな。
公演名が非常にしっくりきます。
この劇団の人たちの魅力を感じながら、その創り出す宇宙を味わう。
狭いアトリエに創り出される壮大な宇宙という空間を楽しむような公演でしょうか。
刺激されるなあといった感じが心地いいです。
<以下、ネタバレしますので重々ご注意願います。公演期間が長いので白字にはしていません。全部で5作品あるようです。1公演3本立てなので、効率よく観るなら最低2回、足を運ばないといけません。でも、なかなか、そんな都合よく日程調整はできないので、何度か行くことになりそうですね。公演は6月中>
オープニングは、ギターとピアニカに合わせて、透き通るような歌声が響く、何やら昭和の見世物小屋風の雰囲気。
・ヨシ子の罰
妹はイタズラばかり。
今日もシロの餌にムカデを混ぜたりするので、大変なことに。
でも、素直に罰を受けるところは、いい子だ。
鎖でつないで、虫の入ったドッグフードを食べさせ、鳴き声しか許さず・・・
妹は、私から母を奪ったのだから当たり前だ。
私は正しい。悪いことはしない。その証拠に、悪いことをする人を懲らしめる。
近くのスーパーに出没する、なかなか現場を押さえられない万引き犯を捕まえるために包丁をバッグに忍ばせ、犬になった妹と向かう。
妹は言う。お姉ちゃん、私に罰を与え続けて・・・
歪んでるなあ。
恐らくは自分が生を得たと同時に、母を死へと導いてしまったヨシ子。自分の今ある生、存在は、大切な人の死や悲しみの上に成り立っていると思っているのか。原罪かのように罰せられることが、自分の生を全うすることと思っているみたいだ。だから、罪を作り続けて生きているのか。
そして、そんなヨシ子の気持ちに応えるかのように、彼女に罰を与え続ける姉。
気味の悪い話だ。
でも、視点を変えると、姉は生きとし生ける者全ての罪を罰することで、ヨシ子を許そうとしているようにも見える。
大切な人が死へと導かれ、この世にまだ生を許されて残った人。そんな人の想いを描く作品は多く、現実世界でも苦しんでいる人がいるのだろう。例えばは書く必要もなく、関西に住んでいればあの日を思い出すし、今ならまだその時の衝撃をすぐに思い出す出来事もあった。もう時が経ちはしたが、未だにその悲しみの中にいる人も多いはずだ。
生き残ることを罪とするなら、それを罰して昇華できるなら、そこから新しい道を歩んでもらえるのだろうか。
犬にいたずらしたなら二三発叩く、万引きならせいぜい数ヶ月ぐらいの懲役か。だったら、生き残る罪は、どんな罰を与えればいいのだろう。答えが出ないなら、それはきっと無罪なのじゃないかと思う。
死の悲しみよりも、生の喜びの方が幾倍も尊く大切だと思い合える日は来るのだろうか。
・俳優の謎
役者。
上手くやりたい。
未来が決まっている人。言うこと、することが全て、自分の意志ではなく決まっている。
思っていることをすればいい。思うがままに。
役者というものを、表現する側に立って考えてみたような作品だろうか。
私の大好きな山田まさゆきさんの一人語り。
でも、確かにそうだなあなんては思うのだけど、あまり分からず。そして、ついウトウトと・・・
要は、レットイットビーの世界でみたいなところにたどり着いているような気がする。
・穴の宇宙<黄色>
クチャクチャ言いながら食べる父。やかましく、知りもしないことを平気で知ったかぶりする母。
父は大工の仕事は真面目にしないのに、ギターを買ってくれとせがんでいるのだとか。
母と私でぐちゃぐちゃ言うと、キレ出して、誰の金で飯を食っているんだと。
母のパートの月収と2万円ぐらいしか変わらないのに。
もっと上品に、もっと紳士的に、もっと人のことを考えて。
私の苛立ちは鬱積する。
気付くと宇宙の世界へ。
私のことを知らない父と母。
あの人のことを想い、花びら占いをする母.
楽譜という宝の地図を片手に宝探しをする父。
ここは私の宇宙の中。私の宇宙を彷徨う。
どんなに生きても、その年数分しか自分のことを知ることは出来ない。
自分の膨大に拡がり続ける宇宙全てを知ることなんか出来ないのだ。
元の世界の戻った私は、変わらぬ父と母ではあるが、そこに愛おしさが・・・
これは、また赤色バージョンを観て、どういう話なのかを考えよう。
この劇団にしては、けっこうコミカルに展開し、笑いも豊富。でも、同時に、この劇団に似合う宇宙という世界観がはまっている不思議世界です。
今、何となく思うのは、人の人生なんて、自分のことですら分からないのに、たとえ親であっても他人のこと全てを把握するなんてとてもじゃないけど不可能。
父や母はどんな人生を送ってきたのだろう。
自分の宇宙の中には、二人が作ってくれた宇宙だから、そんな父と母の思い出の欠片がたくさん浮遊しているのだろうか。
感覚としては、よくある過去にタイムスリップして、父や母と出会って、今の自分を見つめ直すなんて話かな。
それが、自分の宇宙の中に存在していた父と母みたいになっているような感じだろうか。
親子のように繋がって拡がっていき、欠片として人の想いが彷徨い続ける人の宇宙が、たくさんの死惑星とかも含めて永遠に拡がり続ける宇宙と同調する。
宇宙のことを考えて、人間のちっぽけさを感じ、何か頑張ろうという気になるように、自分の宇宙の大きさに何か誇りや安堵を覚えるような気になりました。
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