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2014年6月29日 (日)

魔王城【努力クラブ】140629

2014年06月29日 STAGE+PLUS (65分)

魔王城。
高台から、魔王城がある、いやもしかしたら無い街を眺める人たちの会話から、それが何かを考えるような作品。
こんな作品、試験とかで、最後に魔王城とは何かを述べよなんて問題だったら、大変だ。
とてもじゃないが、合格する自信が無い。相当、落ち込んで帰路につくことになるだろう。
でも、これは観劇。好きなように想像して、好きに楽しめばいい。もちろん、創り手への敬意は捨ててはいけないが。
観ながら、好きなだけ、色々なことを考える。帰路につきながらも、頭を巡らせる。
とても楽しい時間だ。
観劇をより楽しませてくれる、いい作品だ。

舞台の真ん中に、幾つかの木箱が塊で置かれている。
始まると、それを2段ずつ舞台周囲に積み重ねて柵のようなものを形作り、高台という場所を作っているみたいだ。
その高台から、街を眺める人たちの会話劇。
街の中央に、あるのか無いのか、魔王城があるという。
会話から魔王城とその街の移り変わりを描いている。

男二人が街の中央を眺める。小さな魔王城があると言ったり、そこは何も無い公園だと言ったり。かつては大きくそびえていたとか、魔王城の姿は一切浮かばない。
魔王城は、訳あって、消えてしまい、今もその名残を見せているのか。それとも、また、生まれようとしているのか。
ただ、その見えてるのか、見えないのかは分からないが、魔王城からは、悪意が漂っている様子。
自分たちは視力がいいから見える。でも、あくまで見るしか出来ない。大きくなろうと、消えていこうと自分たちにどうにか出来るものでは無いということか。踏み込むべき場所では無いといった感じだろうか。

女二人が街を眺める。
あの魔王城のせいで、好きだった街並みが変わっていく。
魔王城は娯楽施設。
娯楽だらけの街にして、支配しようとしていることを嫌悪する女と、街がアミューズメント施設みたいになって楽しいと言う女。
何か漠然とした危険が街に迫っているのに、それを理解しようとしない女にイラダチを少し示す。

男と女。
街の人たちがかつてのようの、みんな頑張らなくなっていると言う男。街の人たちは魂を抜かれたように活気が無い。頑張るその姿に元気付けられていたという考えに女は否定の意を示す。街の人たちは、あなたのために頑張っていたのでは無いからと。

いつの間にか城中心の街になっている。城下町と呼ばれたりして。
魔王城は、この街に無くてはいけない存在。
でも、その魔王城がいったい何のために存在して、街の人たちに何を与えているのかはよりあやふやになってしまった感じ。
シンボル化してしまったのだろうか。

燃える魔王城。
小さかった魔王城が大きくなるにつれて発展していった街。
その成長過程では、魔王城に嫌悪や賛美を示していたが、いざ消えゆく姿を見ても、悲しみや悔いは沸いてこない。
本当にあったのか。見えていたのか。
街はまた、閑散とした風景を映し出すのだろう。
でも、魔王城は、またきっと生まれる。最初の二人の男が見ていた時のような状況になるのだろうか。

ここからがよく分からない。
魔王城と共に街の一連の変遷が描かれて、また繰り返されるように思ったので、私の中では、もう話はお終い。
ただ、まだ、高台の人たちは街を眺める。この時の下記のような会話が魔王城変遷の時系列のどこに位置しているのかは、理解できていない。

オドオドと街中を彷徨う男。
こんな街に何をしに来たのか、友達とかいないのだろうかと高台から眺める男女。
地図を手にしているものの、何度も行き止まりにぶつかり、街の人に道を尋ねても騙されたりしている。
高台の男女は、つまらないと感じる。もっと、何かをしでかしてくれないと。例えば、騙した人を刺すとか。

魔王城は武器工場だという。目指すは世界征服。
その意味合いはどうとでも捉えていい。
ただ、何かを破壊するためでは無く、街を作り上げていく手段みたいなものみたい。

魔王城駅では、多くの人が乗り降りする。
待ち合わせをしているのか、男が一人。遅れて女がやって来る。
恐らくは初デート。街中で美術館やらを巡っているうちに二人の距離は縮まっていく。
そんな二人の姿を、自分たちなりの解釈で描写して楽しむ高台の人たち。

最後は魔王城は無いと言う男が現れる。
魔王城ありきで、こうしたことをみんなでしていたが、そんなものは無いのだと。でも、それが嘘だから、描かれるわけで、それならばあると言ってもいいのかみたいな哲学的な会話。
メタみたいになっているのか、最後に取り残された男は、舞台の木箱の柵を片づけ、一つの塔を舞台上に自分で作り上げる。

よく分からないが、会話を聞いている中では、魔王城は、不安、希望、夢、蔑視、恐怖、憧れなどなどに次々、その姿を変えていく。
人や視点によって異なるのだろう。
高台から眺める街は、第三者視点で自分自身を見詰めているような感覚があり、魔王城は自分の心に潜んでいるのだろうか。
閑散としているが、不思議と穏やかだった心に、いつの間にか根付いて大きくなっていく不穏因子。それは不安や恐怖といったマイナス要因だけでなく、夢や希望といったプラス要因までもが、自分の心を変えていく。いい言い方だと、街が発展していくように心が成長していいのだろうが、あの頃の穏やかで余裕があった心は失われ、破壊的だとも言えるような気がする。
知らぬ間に色々なものに占領されて混雑してきた自分の心を彷徨う自分。地図を目標なんかに置き換えれば、街の中を彷徨う感覚と似ているような気がする。そして、もう、全てをブチ壊したいという破壊衝動が出てくるのも。
心の中の魔王城は、自分がより良く生きるために武器を生産する。生きる術みたいなものだろうか。それでも、作り上げられた心は、確実に成長はしており、そこをデートなんかしたら、その魅力に気付いてもらえるようになったりする感じで話を捉えられるような気もする。

上記したことは、このブログを書くために、混乱する頭で必死に思い起こして、こうだったのかなあと考えたことである。
実は観ている時は、全く別のことを考えていた。
と言っても、観終えて、頭が混乱して、はっきりとは覚えていないのだが。もちろん、訳の分からない考えなので、途中で整合性が取れなくなって行き詰まり、思考停止している。
街は演劇の世界なのかなと思っていた。
当日チラシの言葉を借りると、街には最初、余白がある。この余白を想像力で色々な形で楽しむという醍醐味がある。高台から街を眺める人は、そんな余白を楽しむ演劇に魅せられていたのではないかと。
余白を魅力で埋めるために、街の人、つまりは演劇を創る人たちは必死に頑張る。もちろん、それは高台の人たちを楽しませるためだけにしていることではないだろうが。
でも、そんな演劇の世界に魔王城が入り込む。
娯楽施設なんかは、語弊があるが、ありきたりのエンタメとかか。
魔王城がそんな演劇の世界を、常識的な、これまた語弊があるが、一般受けしやすい世界に変えてしまい、高台の人たちは、街の人たちの創作活動にかつてほどの魅力を感じなくなる。
それでも、街は、演劇の世界は魔王城と共に発展する。
そして、魔王城を常識やありきたりとかの言葉に例えれば、それを中心にした街は確実に成長していき、魔王城に依存した世界が形成される。
途中、高台の木箱で形作られた柵が少しずつ壊されていくのだが、何となく境界の崩れのような感じで観ていた。街と高台の人。これが、崩れ、高台にいない人たちが街に入り込めるようになる。
まあ、マニアックから、大衆へみたいな感じか。
高台の人たちは、そんな自分たちにとって魅力の薄れた街にやって来る新鋭の人たちに期待を寄せるが、そんな街では、やって来た人も道に迷う。もっと、刺激的なことをしてくれればいいのにと言いながら。
と、このあたりまでは、この考えだったのだが、武器工場あたりで、多分、これは限界があるなと考えを捨てた。
まあ、こうした魔王城のような、言えば非個性的な一般受けする演劇世界だからこそ、世界征服を狙え、多くの人がやって来る街になって、カップルの仲を深めるくらいの娯楽となり得るのだとつじつまを合わせることが、観終えた今なら出来たような気もするが。

魔王城は結局、何なのかよくは分からないが、一般的とか、生産的とか、安定だとか、営利的だとか、必要なものだが、自分たちの大切な心の余裕を無くしてまで、手に入れなくてもいいのではないかといった感じだろうか。
最後に作り上げる木箱の塔は、魔王城のように立派なものでもないし、積み重ねれば積み重ねるほど不安定で崩れそうだが、それが輝いて見えるようなことを伝え、そんな生き方をしようと思うといった意志を感じる。

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