ストレッチポリマーインターフェース【プロジェクトKUTO-10】140523
2014年05月24日 ウィングフィールド (70分)
めちゃくちゃに面白いです。でも、同じくらいに訳が分かりません。
観ている分にはいいですが、こうしてブログに感想を書くことにしている私にとっては、最も困る、分からんけどおもろいという典型的な作品。
ショッピングモールへ紙おむつを買いに行く男の話です。
それが目的を持って、目的地へと向かう生き方を描くことと同調してるのかな。
分からないけど、その生き方に対して、色々と感じるところが出てくる話でした。
まあ、一人の男の旅を通じた不条理コメディーとして楽しむのが、一番かなと・・・
<以下、ネタバレしますが、訳が分からない文章になっていますので、白字にはしていません。ご注意願います。大阪は日曜日まで、来週には東京で公演があります>
嫁さんから頼まれた紙おむつを買いに、軽自動車に乗って、ショッピングモールへ向かう男。
普段は地図を作る仕事をしているにも関わらず、ナビのGPSが狂っているのか、道に迷ってガソリンスタンドへ。
店員に途中、宿に泊まるように言われるが、この辺りは嫁の実家の近く。幾ら遠くてもそれほどかかる訳が無い。でも、ちょっと旅情に誘われて。
若いのから熟女まで、よりどりみどり揃えた紙おむつを履いたホステスが接客をするキャバレー宿に立ち寄る。
客の中には、ガスマスクをしている人が。近くの工事現場作業員らしい。バランスボールに上手く乗りながら、ホステス達とよろしくやっている。
ホステス達はショッピングモールに行きたいが、車も無いし、忙しいしで、行くことが出来ず、イラだっている。車がある現場作業員も工事現場以降は立ち入り出来ないらしく、ショッピングモールには行ったことが無い。労働者を嫌う差別的なところがあるみたいだ。
周辺では、どこかにひびがあるのか、何かが漏れているらしい。工事現場の作業員は、いつの時代の話なのか、カナリヤを傍に置き、自分たちの身を守る。
後どれだけ吸ったら、自分もこの仕事を辞めないと。まあ、辞めても仕事なんて無いけど。
ここはあの問題となっている地域なんだろうか。
男もママに伊達マスクを渡されて、この店を出る。
その後も、ナビは信用出来ない。
テーマパークと言い張る墓や公園にいるババアや人妻たちに出会いながら、ショッピングモールへと向かう情報を集めていく。それでも、まだ先という言葉しか聞けない。
一方、ショッピングモールでは、賑わう人ごみの中、落語のイベントが行われてる。
演目は、何やらよく分からないが、ひび割れた茶碗も、ある人ならばうまいことやって高く売れてしまうといったブラックユーモアみたいな話。
男は車を走らす。
流れる音楽は矢沢永吉。
その矢沢栄吉は、トレードマークのタオルをなびかせて、ひび割れを治そうと奔走しているらしい。
そんな中、ついにショッピングモールの入り口に到着するが、そこにはいかがわしい扮装をした巨人の警備員が立ちはだかる。
警備員は、今はダメだの一点張りで、男は中に入ることが出来ない。
こうしているうちにも、子供の紙オムツは尿でパンパンに膨れ上がっているはずだ。
多い日も安心の羽根付きやら無しやらのものでもあるまいし。
怒ったり、泣きついたり、時にはじっくりと話し合ったりしながら、時だけが進む。
どれだけ時間が過ぎたのか、男は気付くと自分が紙おむつをしている。
そして、死がお迎えにやって来たみたいだ。
どうして、他の人たちは、このショッピングモールに入るために、ここにやって来ないのか。
男の最期の質問に警備員は、ここはあなただけの入り口なのだと答える。
覚えている限りを書くとこんな感じの話なのだが。
不条理な展開、語尾の言葉遊び。
そこに意味があるのかなんて考えている間に、もう次の瞬間には、不条理な状況に不思議な言葉がやって来る。
頭が混乱するので、少しスルーして、頭を整理しようなんて思っても、舞台ではこれがめちゃくちゃに面白いことが繰り広げられているので、観ざるを得ない。
言われるがまま、見せられるままにしていたら、めちゃくちゃ面白くて楽しかったけど、結局、男は何をしてたんだよ、ショッピングモールって何よって、何一つ紐解けていないといった有様。
まあ、これはこれでいいだろう。
ただ、この感覚はナビに似ているかなあと思う。
目的地を設定したら、後はそこにしか向かわないように指示される。
違うところを曲がっても、すぐルートを変えて指示してくるし、GPSが狂っても、理論上の地図での道案内をし続ける。
要は目的地にしか行けない。
その目的地が、この作品の男の場合は、ショッピングモールであり、その目的が紙おむつであったのだろう。
男は紙おむつが欲しかったのか、それともショッピングモールへ行きたかったのか。
目的地に行けば、目的が達成されるとは限るまい。
どちらが重要なことなのかが、いつの間にか見えなくなってしまっているような感がある。
ナビに騙されてしまっているのではないか。
当たり前の話だが、途中で見つけた薬局ででも買えばいいのに、ショッピングモールへ行くと決めてしまっているから、それをしない。
でも、確かに人生なんかでもそんなことはあるかなとも思う。
上手い具合に誘導されて、本当に目的が達成できるのか不確かな場所へと導かれるような姿は、今の社会構造なんかを感じさせられる。
目まぐるしく変化する世の状況の中で、錯綜する溢れる情報を頼りに向かう目的地は、本当に今、目指すべき場所なのかを、常々判断しなくてはいけないだろう。
ショッピングモールは、最初は社会とか組織の象徴なのかなと思っていたが、どうもそんな感じではなくなってくる。
何かは分からないが、目的を大義名分にして進んだ人の行く末。
本来の目的を失っていながらも、どこか目的地と称する場所へと向かう。
どんな状況でも、自律の精神をもって、その目的を達成するために行動する。
立派なことのようだが、実は非常に安易なことなのではないか。
その安易さにかまけた先に行き着くところ。
男が通って来たところも、テーマパーク○○とか無理矢理、目的を植え付けられたような安易な場所。
そのゴールが、何でもここなら目的が達成されますといった、ある意味、安易な場所でもある。
目的があって、それを目指して進んでいれば安心なのかもしれない。
希望を見出せるから。
でも、本当はその目的地には絶望が潜んでいることも漠然と知っているのではないか。
男はショッピングモールに向かっているが、ショッピングモールにお迎えに来られているような感覚もある。
向かっている間は、希望を頼りに進めるが、向かうのを辞めた人は、迫りくる絶望を恐れ安心を求める。
出会ってきた町の人たちは、後者のような感じである。
オムツをして、マスクをして。
それは、備えあれば憂いなしでもあるし、もう備えてもどうしようも無いけど憂いたくないから備えるみたいなことでもある。
最後、男はオムツの姿に。
結局、男もそんな後者と同じになってしまったのか。
目的地に到着しても、そこには入れず、本来の子供のためにオムツをという目的は達成されず。
その代わり、それが必要になった自分のために目的が達成されるという皮肉。
やはり、どこかで目的地が間違っていたのだということなのかな。
明確な目的に向かって突き進むなんてことは本当にいいことなのだろうか。
目的を持つことはもちろんいいことなのだろうが、そのための道はたくさんあることを示しているのか。
それこそ、ひび割れみたいに。そのひび割れをすぐに人はふさごうとするけど、そのひびにも実は価値が見いだせるようなことを落語で伝えているのか。そして、目的だけを持って、どこにでも自由気ままに出没する一つの生き方の事例が矢沢永吉か。
よくは分からないが、この作品の中の男の生き方は、自分や現実に照らし合わせると、決して否定できず、だからこそ、悲しい結末に何か怖れを感じる。
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