たんじょうかい #2【dracom Gala】140511
2014年05月11日 ウィングフィールド (90分)
昨年拝見した公演の第二弾。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-39a1.html)
何で日曜日の朝から、嫌なこと思い出して不愉快になったり、こんな陰鬱な気分にならないといけないのかとなったり、難解な話に頭を悩まさなあかんのかといった作品が揃いましたが、総じて、やはり重厚感のあるしっかりした作品でした。
共通テーマは何だろうか。何かよくは分かりませんが、自分を抱くといった感じかな。
これまで、今、これからを生きる自分が、周囲の人たちとの触れ合いの中で、自分らしく生きることを見詰めているような感覚を得ます。
<もう残すところ、千秋楽公演だけですが、一応ネタバレしていますので、公演終了まで、以下、白字にしておきます>
・仮面夫婦の鑑 横山拓也(iaku)
顔だけをパネルから出して、夫婦喧嘩。
その内容は・・・
何かなと思いながら観ていたら、妻が夫に黙って整形をし、それに怒った夫が自分も整形をしてやり返したといった話。
甘えや逃げから生じる向き合えない文字どおり、仮面夫婦の姿が映し出されます。
夫婦が目を合わして話さないところも歪みを感じて、何となく恐ろしい感覚が残る話です。
ただ、かつて、ロングヘアーが好きだとあれほど言っていたのに、平然と髪をショートにした彼女に不満を抱き、不機嫌になり、そんな姿が気に食わなかったのか、それも一つの要因になって別れに至るという過去を持つ私にとっては、あまり笑える話ではありません。
分かります。よ~く、分かります。夫がおかしいことは。私もおかしかったと思っています。
でも、そんな理屈じゃないんですよね。外観じゃなくて、内面が好きだったし、整形まではちょっと厳しいとは思いますが、そんなことは人にどうこう言われたり、許可をとってすることではありません。
自分を高めようとする行動なのですから、こちらが何かすることもない。
でも・・・、でもなんです。
結局は、こんなことは、それが引き金になっただけで、いつ爆発するか分らない核を持っていたということなのでしょう。
その核を消したり、小さくしておくには、やはり互いに仮面を被った姿で向き合うのではなく、素の自分を見せ合わないといけないのだと思います。
嫌なこと思い出して、不愉快な作品でした。
・常吠ゆ 稲田真理(伏兵コード)
LINX'Sで拝見した作品。
(;">http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/links03alinxs-3.html)
自分たちの生活が困窮しているにも関わらず、人を助けるために借金を繰り返し、取り立てに脅える兄妹の籠った部屋での会話劇。
部屋にいることが取り立てにばれないように、実際の会話は聞こえない小声で行われ、その心の声が無機質な音声となって話が進行していきます。
2年半ぶりぐらいに拝見しましたが、まあ、変わらず気味が悪いこと。
兄妹の父は、溺れた人を助けようとして亡くなったみたいですが、そう生きないといけないという父の幻想にとり憑かれているのでしょうか。
呪縛の中で生きることで、心身が歪み、遂には完全崩壊してしまったようです。
もっと自由に、気楽になんて言葉が浮かびますが、意外にそんな生き方の方が難しく、縛れている方がいいなんていう被支配欲なんてものも人にはあるから厄介です。行き着く先には、こんな崩壊が待ち構えているのに。
幸福を求める欲と同時に、不幸になっても自分のポリシーを揺らがせないというおかしなプライドが引き起こした悲劇でしょうか。
・正直カメラと日記爆弾 益山貴司(子供鉅人)
父の書斎に内緒で集まり、携帯ゲームをしながら、夏休みの宿題について語り合う小学生。
爆弾が見つかる騒動が起こっており、外に出ると警察に捕まってしまうらしい。
爆弾が爆発すれば、学校も無くなり、もう行かなくてすむ。もちろん、宿題だって。
そんな中、外に高校生の少年を見つけ、部屋の中に入れる。
高校生は何となく学校には行っておらず、日々、カメラで写真を撮って日々を過ごしている。
再び、外に出た高校生は時を刻む時報屋と出会い・・・
意味が全く分かりません。
ただ、感じたままに書くと、あのノストラダムスの世紀末が騒がれた時のように、未来を考えない人たちの姿が浮かび上がるような気がします。
カメラの写真や時報は、今を表しているのでしょうか。
舞台は外と、壁の向こうの部屋に分かれており、その部屋が子供たちがいる書斎や学者がいる図書館になったりします。
本などは過去の蓄積物であるような感覚を得ます。
子どもたちは過去の蓄積物の中に身を委ね、今を刻む時報を聞きながら、今を生きる。
そこに未来は見えてきません。
外に積木があったりしますが、本当はそんな過去の蓄積の上に今があり、その上にはさらに未来が積み上がっていくはずなのに、子どもたちは積み木をゴミとしか見ることが出来ません。
未来を考えられなくなっているのでしょうか。
大人や学者は図書館で未来を語りますが、その未来を子供たちに見せてはくれません。
今の世の中を皮肉に描いて警鐘しているような感じ。
最後に少年はセミの死骸から、長い間、地中に潜んだ過去、外に出てから鳴きまくった今を刻んだ姿を見出しているようです。
そして、日記やカメラといった今の産物を地中に埋めて、それが未来への礎となることを感じたようなラストになっているような気がします。
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