愛がなくちゃね【十中連合】140518
2014年05月18日 social kitchen 2F space (70分)
なかなか観念的なところがあり、感想が書きにくいが、つまるところ、作品名には確かに行き着く話かと思う。
描かれる世界は、ある村の終末であり、どうあがいても終わりへと向かい、消えていくという厳しいものである。
でも、そんな中にも、人がいて、人がいるから愛があり、終わりを迎えても、また始まっているから、人が愛を生み出している。
そんな、人の強さを感じさせるような話になっており、その強さが愛なんだろうなと思わせられる。
<以下、若干ネタバレしますが、ご注意ください。読んでも意味が分からないレベルなので、白字にはしていません。公演は月曜日まで>
人間は誰もいなくなった村。それもだいぶ昔に。
最後まで残っていた村長が死んだ。村は終わった。何も無い村。
でも、その日から、その飼い犬は村で動物たちと王国を作る。
そして、その動物たちさえも、次々といなくなった。あの男がやって来てから。
男は目を覚ます。
喋れる犬に少々、引きながらも、この村のことを聞く。
やがて、一人の女が花束を手にやって来る。
二人がここに来た理由。
共に大切だった人がかつて暮らした故郷だったから。
男は、一人のおばあちゃんを愛した。付き合っている間は何も言わなかったが、最期の時を迎えて、愛する家族、大切な人に会いたかったことを告げる。その願いは叶うことなく、孤独の中で死へと向かう。
だから、男は、その肉を喰らい、自分自身と同化した。
女はかつてこの村に住んでいたひいおじいちゃんのことを思い出して、ここにやって来た。この村に、まだ残されているであろう彼の影を求めて。ひいおじいちゃんは、最後まで村に住んでいたらしく、恐らくは、ここにいる犬の飼い主だったようだ。
犬はもうどこにもいない、動物たちを呼ぶために鳴き続ける。
男は、かつてこの村を去り、戻ることなくこの世を去ったおばあちゃんの代わりのように泣き続ける。
女は、死と同時に村の終わりを告げたひいおじいちゃん、そして、かつて村に影を残した人たちへ弔いの花束を掲げる。
二人は村を去る。犬は残る。犬を連れては行けない。きっと、犬はこの村に残る影、記憶だから。
二人は、影となった村が語りかける言葉を聞いて、自分たちの未来を見詰める。
そこには、二人の愛が生まれている。
設定が観念的なので、よくは分からないが、筋はこんな感じだろうか。
終わった町に暮らしていた人たち。そこから違う場所で始まった町での人々の生活。そこで生きている二人の若者の出会いと生まれる愛。
終末の場で、新しく始まるものが生み出されるまでを描いているようである。そして、その生み出されたものは、未来に向けての一歩であり、それは同時に作品名のとおり、愛だったような感じである。
舞台に敷き詰められた砂や、次々に人がいなくなっていく村。
この作品の村という場は、恐らくは終わりからの始まりを描くための普遍的な設定としているのだろうが、途中から、どうしても今の原発問題とオーバーラップしてきた。
おばあちゃんはこの村に戻らなかったのではなく、戻れなかったのではないのだろうか。
ひいおじいちゃんは、この村で死んだが、その子供たち家族は、避けられない理由でこの村を捨てて出ていくしかなかったように考える。
犬は、知らぬ間に次々といなくなる自分たちと一緒にいた人間たちの残された影を頼りに、動物たちだけの生活を始める。
戻るより前に寿命が尽きたおばあちゃん。彼女の心は、一人の男の肉体に宿り、この地を訪れる。
自分の出生をたどれば、そこにはある村があり、そこで最後まで生を全うしたひいおじいちゃんがいて、その影に感謝と弔いを表する女。
最後まで、村を守ろうとした村長の意志を引き継ぎ、村を終わらせない犬。
一つの村は終わったが、それが終わった後でも、こんな様々な愛が生み出されている。
それは、二人が愛し合うことを選択して、これからを生きていこうとしたように、終わりからの希望を見出すことであるように感じる。
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