タカラバコ【劇団大阪新撰組】140510
2014年05月10日 シアトリカル應典院 (120分)
近未来で起こり得ると考えられる重い設定の世界の中で、それでも輝きを失わずに必死に生きることが出来ることを伝えているような話かな。
自分のことを大切に思う。
それは自己中心的な自己愛では無く、自分を想ってくれる人への感謝から生み出される感情のように思う。
同時に自分は、人のことを想える。
そんな想いの連鎖を私たちは、どんな世界でも生み出すことが出来る。それが人間の素晴らしさみたいな気持ちを抱くような話だったように感じます。
<以下、若干ネタバレしていますが、許容範囲と判断して白字にはしていませんので、ご注意願います。公演は日曜日まで>
大阪で成功の象徴のように華やかにオリンピックが開催される。
しかし、その裏ではホームレスは何処かに追いやられる。そんな人たちがどこで何をしているのかは分からない。
相次ぐ地震で日本はもう住める所では無いような状況になっている。被災者は住処を失い、戻る場所が無い。
親から虐待を受け、逃げ出すものの、心の傷を抱えたまま、行く先も無く彷徨う子供たちがいる。
言葉が不自由だったり、知的障害がある者は、社会不適応と見なされ、生きる場所を失う。
近未来設定でのフィクションだが、今の世の中を鑑みれば、絶対的な否定の出来ない不安感を煽る設定となっている。
そんな中で、居場所を失った人たちが共同生活をおくるシェルターなるものが出来る。
シェルターと言っても、ゴミ処理場に囲いを作った、不要となったゴミと呼ばれるような人たちが集まる施設。
そこで、そんな人たちは血が繋がらなくとも家族として、生活を営む。
政府の援助が十分にあるわけではない。同じように不要と見なされ、ここに捨てられた人を生きるために食べるといった厳しい現実もある。
当初はそんな施設が幾つもあったようだが、コストの問題と、日本には住めなくなるであろう将来を見越して、日本の人たちを外国に受け入れてもらう移住計画が立てられているため、ことごとく廃止へと追いやられているみたいだ。もちろん、こんな施設にいる人たちが海外に移住できるわけではない。彼らは捨てられた人なので、そんな権利も無い。廃止は殺されるということとイコールである。
作品の舞台となるシェルターはその最後に残っている施設。それは単純に政府が一つぐらいは残しておかないと諸外国に対して体裁を保ていないという理由と、施設の長がここに今いる人たちを守りたいという熱意による。
そんな施設に、かつては作家として活躍し、今はテレビで教育やコミュニケーションの重要性を語る女性が見学にやって来る。
ゴミとして扱われる自分たちとは別世界で幸せに暮らしている女性に対して、施設にいる大人たちの反発心は大きかったが、子供たち、特に知的障害のある一人の女の子は彼女を母のように想い、仲間、家族として受け入れようとする。
そんな姿に女性も見に来るのではなく、施設の人たちを知りたいという気持ちを抱き、そのために真摯にみんなと行動を共にする。
施設への受け入れは反対意見も多かったが、施設に長く住む老人たちの彼女を確かめたいという言葉に渋々納得したようだ。
彼女のたやさぬ笑顔、子供たち含めみんなへの真摯な想いが徐々に伝わり、施設には新しい風が吹き込むように楽しい日々が続く。
しかしながら、施設の外では着々と日本を捨てる計画が進行し、それに拍車をかけるように大地震が勃発する。
さらに、新たに施設に放り込まれた女性の友人がみんなの心をかき乱し、施設の中でも生きる中で生まれる欲望がはびこり、・・・
施設に集まる人たちの個々の設定や、施設内で起こる出来事へのファクターが多過ぎて、少々、焦点が絞れないところがあるのだが、これまた、今の複雑に問題が絡む現実を表しているとも言えるのだろう。
子供たちの純粋な想い、女性の母性的な優しい愛、男性の今を生き、それを未来へ繋げるための現実的な視点みたいなところが印象的か。
言葉にすると単純に一つの言葉になってしまうが、実際は愛一つにしても様々な形で描かれる。母としての愛、女としての愛、子供としての愛。
男性の未来を見詰める視点も様々だ。焦りがあったり、冷静だったり、温かかったり。
登場人物は当然、個々であり、その一人一人にその生き方から生まれた想いの表現形があり、それはどれも否定されるものではないような感じだろうか。
一人一人が宝物である。施設、日本、世界はそんな宝が詰まった宝箱という考えが作品名の由来なのだろうから、その想いは色々なシーンや言葉から滲み出てきている。
大人たちはけっこうこれまでも拝見しているベテラン役者さんなので、安定した演技で魅せる。
子供たちは、苦境の中での純粋な言動が輝きを魅せる。
知的障害の女の子を演じるかめ子さんの純粋過ぎる姿も魅力的だが、一番目を惹いたのはその弟の陸という役の方だろうか。大城戸洋貴さん。
舞台でシーンが進行している以外のところでの表情とかも途中から気になって観ていたのだが、熱のこもったとても素晴らしい演技をされているように思う。
幼き姿で、大人のように現実を鋭く見詰めながらも、子供のように愛を欲する。男の強がりみたいなところを見せながら、時代を築くためにこの苦境の中で何を自分がしなくてはいけないのかと常に対峙しているような感じ。その姿が、この状況に対して、悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみといった負の感情で終わらすのではなく、いつの日かまた光が挿すであろうという希望ある未来を見出せるように感じた。
登場人物たちはみんな、今を必死に生きている。
それは施設の中でも、外の世界でも変わらない。
ゴミ扱いされる弱者であっても、その弱者に至らす出来事から距離がある普通の人でも、抱える苦しみからより良き未来を見ようと頑張る。
だから、人は希望の塊である。希望が輝きならば、それが宝物であるのは当たり前なのかもしれない。
終演後、出国証明書を渡される。
どうやら、私たちはこの二時間、こんな近未来の日本の住民となっていたらしい。
日本を捨てて出て行け、逃げ出せと言っているわけではないだろう。
この作品は恐らくは、私たちが宝物だということを認識させたいのだと思う。
となると、この劇場が宝箱であり、終演後、その中に詰まっていた宝物は箱をひっくり返された様に、世の中に散りばめられるということなのかな。
こんな作品だけではないだろう。自分たちが宝物だと思える同じような時間を得て、世の中に散らばる人たちが増えれば、きっと世界は色々な所で輝きを取り戻し、変わっていくのだと思う。
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