あくまのとなり【がっかりアバター】140517
2014年05月17日 シアトリカル應典院 (120分)
一言で言うと、生きることを描いた作品でしょうか。
厳しい現実の中で、幸せに生きる。その幸せとは何なのか。
夢の世界と現実世界の交錯。演劇らしい作品ですが、夢の世界が現実に浸食されて、完全に崩壊してしまうような逃げ場のない厳しい描き方をしています。
あれだけの笑いを組み込みながらも、まだ深刻な辛い感覚が残るのは、このあたりに理由があるように思います。
まあ、それだけテーマに真剣に対峙して、創り上げた作品だということでしょう。
観終えて、すっかり陰鬱な気持ちになりました。
でも、こうしてブログを書くのもいいことですね。
書きながら、もう一度反芻してみると、厳しいながらもそこに辛く苦しい環境の中でより良く生きることへの光が見えてきたような気もしています。
<以下、ネタバレしますので公演終了まで白字にします。公演は月曜日まで>
のぞみちゃん。
目を覚ますと、動物の国という不思議な世界に。
物知りの蛇のにょろっぺ、可愛らしい兎のぴょんた、気弱な牛のうしさん、いじわるなライオンのがおがおくん。
のぞみちゃんは、そんな動物たちと一緒に、ぴょんたのパンティーを盗んだうしさんを責めたり、雲の綿飴を食べたり、まだ見ぬ雲の遊覧船や虹の滑り台に憧れを抱いたり、ねるねるねるねを何日も夜通し作ったり、いじわるながおがおくんを懲らしめようと毒蛇と戦って修行をしたり、ぴょんたのことが好きながおがおくんをからかったり・・・
みんなで遊んで、歌って、踊って。
ここ以上に幸せで楽しいところは無いかも。
本当に目を覚ます。
のぞみは起きたらすぐにテレビをつける。空っぽな空間の空っぽな自分に音が響く。
テレビでは、清楚さを完全に無くしてしまったようなアグネスチャンが動物愛護を打算的に訴えている。
楽しい夢だったのか。寂しい気持ちと、この現実の世界で今日という日をまた過ごさなくてはいけない不安が心をよぎる。
首には雲の綿飴の中から見つけた飲むと天国に逝ける薬の入った小瓶の付いたネックレス。そして、毒蛇との戦いで経験値が上がり、覚えた魔法、ホイミ。
馬鹿らしい。夢の話だ。でも、そんなことを思い出すだけでちょっぴり幸せな気持ちに。
食卓には父と姉。母は家を出て行った。姉は私のせいだというが、二人がはまっている幸せになれるという怪しげな宗教みたいなものがきっと原因。そして、姉を女性として抱き締める父の姿も。
幸せになれるという、とても食べれたものではない変な食べ物を二人は食べている。何とかパウダーという白い粉も吸うとご機嫌になるみたいだ。
息が詰まりそうな空間に耐えきれず、いつも外に出掛ける。早く帰って来なさい。そんな父の言葉には全く気持ちがこもっていない。遅くなっても気付きもしないだろう。私は見られていない。
お気に入りの曲をiPodで聞きながら、夜の街を歩く。そうすると少しだけ、幸せな気分になる。
ふと、見つけた映画館に入る。そこには、自分と同じであまり学校に行ってない同級生の男の子がいた。
よくこうして、朝まで映画を観ているらしい。と言っても、ほとんど寝ているみたいで、その内容は全くといっていいほど覚えていないみたいだが。
ちょっとした会話に花が咲く。笑顔も取り戻せたみたい。
また、ここで会おう。そんなお別れをして、家路につく足取りはいつもより軽くて、楽しい気持ちでいっぱいだ。
家に戻ると、父が怖そうな人にボコボコにされていた。
宗教団体の人で、朝、食卓にあがっていた変な食べ物や白い粉の支払いが滞っているらしい。
父は失業しているから、お金が家に無いのは当たり前だ。
姉から事情を聞けば、これまでは姉がソープで稼いだお金でやり繰りをしていたらしいが、それでも支払い切れない状況に陥っているらしい。
かくなる手段は、父が臓器を売ること。でも、そんなこと出来るはずがない。
もう一つの手段。こちらは返済の帳消しではないが、返済を延期してもらえる。それは、のぞみがこの宗教団体の男と・・・
のぞみに拒否権は無い。
男と共に寝室に向かう。
暗闇となり、ことを始めようとした時、あの動物の国の動物たちが現れる。
友達であるのぞみちゃんの危機を救うために颯爽とやって来た。
でも、所詮は動物だ。うしさんはいきなり撃たれて重傷。
がおがおくんも男の前に立ちはだかるが、銃を突きつけられたら、もう死亡フラグだ。
いきなりぴょんたに告白するものの、あっさりとフラれ、自暴自棄になって、好きなだけ撃たれる。
見かねたのぞみは、動物たちを逃がし、自分は覚悟を決める。
三日三晩、慰み者にされたのぞみは、夜の街を彷徨い歩く。
そして、映画館に。
そこには、のぞみをずっと待っていた同級生の男の姿が。
でも、のぞみは泣く事しかできない。そして、同級生の男もそれを黙って見守り続けるしか出来ない。
動物たちは。
うしさんは、父と意気投合し、どこかへ連れて行かれる。
にょろっぺは、姉に蛇は神の使いだと持てはやされる。
がおがおくんは、宗教団体の男によって、薬漬けにされ、舎弟のようになる。
ぴょんたは、アグネスチャンと行動を共にし、動物実験などで虐げられる代表の動物から、虐げる、搾取する側の者として振る舞い始める。
ホストクラブで、ホストたちを虫けらのように扱い、酔って非常階段で酔い覚ましをしている中、そこで吐き散らす。アグネスチャンは、動物たちを保護して欲しいという願いを込めた子供たちからもらった色とりどりのネックレスを喰らっており、それも一緒に吐き出す。
空の上にいるかのような非常階段で、酔ってふわふわしながら、吐き散らしたゲロは色とりどりの虹のようだ。雲の遊覧船に乗って、虹の滑り台を滑り降りる。夢がかなったかのように、二人は・・・
のぞみは、いつもの映画館で同級生の男にこれまでのことを全て告白する。
同級生の男は、全てをかけて、のぞみを守りたいと思い始める。そして、一度、のぞみの家に連れて行って欲しいと言う。
のぞみが同級生の男を連れて、家に戻ると、その日はすき焼きだった。お金は無いが、牛が手に入ったから肉がたくさんあるのだとか。
そんな中、宗教団体の男が、がおがおくんを連れてやって来る。
借金はまだ返せていない。
ライオンが生きた人間を食べるドキュメント。これは金になる。
がおがおくんは、男の命令で、父に襲い掛かり・・・
部屋には、右手だけになった父。食卓の机につっぷして目を背ける姉。
床にはのぞみと同級生の男が座りこんでいる。
のぞみは、動物の国で覚えた魔法、ホイミを父にかける。もちろん、効かない。
ネックレスの天国に逝ける薬を飲む。もちろん、死ねない。
ただ、泣くしかないのぞみを、同級生の男も、これしか出来ないとばかりにただ抱きしめる。
最初の30分は楽しかったんですけどね。
それこそ、よくは知りませんが、教育テレビのおかあさんといっしょみたいな感じでしょうか。
もちろん、親が目くじら立ててクレームを言うであろう品の無い言葉と、子供がトラウマになって泣き叫びそうな顔芸には気を付けるということが前提ですが。
まあ、残りの90分は、小さな子供には観せられません。そんな子供たちは、この最初の30分の楽しき世界を、思う存分にまだ楽しめばいいでしょうから。
でも、中高生ぐらいからは、観てもいいかもしれませんね。辛辣な描き方をしていますが、生きるということとしっかり対峙しているような話だと思います。
幸せに生きるということ、死ぬということ。そんなことに思いを巡らせるような作品になっているようでした。
動物は、のぞみちゃんが現実逃避の中で創り出した家族のメタファーでしょうか。
ちょっと調子がよく、頼りないところがあるが憎めないうしさんは父。
頭が良く、プライドが高そうなにょろっぺは姉。
ちょっときついところがありますが、明るくみんなのムードメーカーであるぴょんたは母。
のぞみちゃんは、家族みんなと仲良く暮らしていた頃を思い、そんなキャラを生み出したように感じました。
そして、がおがおくんは、どんな時にでも、家族の和を乱そうとしてくる外部要因みたいな感じでしょうか。でも、平和な間は、そんな敵みたいな存在とも、一緒に仲良くやっていくことが出来たのでしょう。
現実世界で、のぞみちゃんにどんどん不幸が降りかかると同時に、この動物たちにも異変が生じています。
それは、夢として創り上げたキャラたちが、現実の方に飲みこまれていくような感じです。
ぴょんたはアグネスチャンに連れて行かれてしまいます。これは、母がそんな家族の生活に嫌気がさして、搾取する側の人になるべく、家を去ったようなイメージです。喰らったネックレスは、のぞみちゃんの母を愛する心の欠片を集めたものではないでしょうか。そんな気持ちをもう受け止めることが出来なくなった母は、それを体の中に押し込めて、人を虐げる側の人として生きていく。幸せを追い求めて家を出たはずなのに、その先に幸せは無く、結局は身を滅ぼしてしまいます。汚いゲロの中に輝く、あの頃の大切な想い。虹の滑り台を追い求めたぴょんたが、最後に見つけたものは、もう戻ることの出来ない滑り落ちるだけのものだったようです。
うしさんは、父によって殺され食べられてしまいます。自分のことだけを考え、自己の快楽欲求だけを満たすべく振る舞う。幸せをはき違えて捉えてしまうようになってしまったみたいです。そのうしさんの死は、同時に自分の死も暗示していたかのようです。
にょろっぺは姉に敬われますが、誇り高く振る舞う姿は、何もかも失った孤独をイメージさせる悲しいものです。蛇は神の使いとして、大切にあがめられる存在でもありますが、一歩間違えれば、忌み嫌われるものの象徴でもありますから。そんな忌み嫌われながらも、自分は神なのだと思って、誤ったプライドと共にこれからを生きていくのでしょうか。
がおがおくんは、最初はいじめっ子レベルで、毒蛇と戦って得た経験値ぐらいで倒せたのでしょうが、現実にやって来た敵と同じレベルくらいのボスキャラになってしまったみたいです。こうなると、ちょっとした経験値で倒すことは出来ず、家族というチームを容易に崩壊させてしまったようです。
結局、のぞみちゃんが、現実世界から逃避して創ったと思われる夢の世界も、その現実にどんどん脅かされて、最後には壊れてしまいました。
のぞみちゃんは逃げることすら許されなかったのでしょうか。それとも、逃げてはいけないから、こうなったのでしょうか。
夢の世界の動物たちも、現実世界と連動するかのように全て壊されてしまい、残ったのは、死ねる薬としょぼい魔法。
それすら、何の効果も示さず、ラストを迎えます。
死ねないし、死んだことを帳消しにすることも出来ません。
死ねなかった。殺されなかった。だから、生きる・・・しかない。そんな消去法で、浮き上がるような生が見えます。
それでも、人は生きなくてはいけないのでしょう。
幸せになるために。そして、のぞみちゃんに幸せになって欲しいと願う、彼女を抱き締めてくれる人のために。
幸せになる。
おいしい物を食べる。好きな曲を聞く。みんなと会って話をする。想いを寄せる人と出会う・・・
のぞみちゃんは、そんなちょっとしたことで心に明かりを灯し、小さな幸せを手にしていたように思います。
動物の国の動物たちも、何も無い日常が天国とかいうところよりも素敵なところだと口にしていたはず。
でも、そんな幸せの感覚は、歪んだ幸せの思考に潰されてしまいます。
お金や離婚などが理由なのか、不幸な出来事に対し、幸せにならないといけないような強迫観念にとらわれ始めた父や姉。
でも、そんなものが、手に入る訳がない。
弱者はそうして破綻する。
その破綻を恐れて、強くなろうとする。幸せになりたい願望が、いつの間にか強くなることイコール幸せという形式に変わる。
搾取する側になった、アグネスチャンや宗教団体の人。
彼ら彼女らは、幸せだと言えるのでしょうか。手に入れた物は、金や地位、権力だけで、そこに幸せは見い出せていないような気がします。
幸せは手に入れるものではなく、気付くものだ。
どこで見聞きしたのか、覚えていませんが、心の中に残っている言葉があります。
のぞみちゃんがしてきたことは、まさに気付くことであり、それが幸せに通じるもののように思います。
作品のラストは、救いようが無い厳しい姿を映していますが、彼女はきっと、また日常にある幸せに気付くことが出来るのではないでしょうか。
それは、家族の破綻により暗闇の中に突き落とされた彼女が、たとえ妄想であっても幸せの本当の姿がある動物の国を創り上げたように、そして、宗教団体の男によって不幸のどん底に落とされた時にでも、近くにいる同級生の男との会話一つで心にほのかな明かりを灯したように。
幸せを手に入れようとしか考えていない他の人たちは、それが手に入らなかったら、それはもう自暴自棄になるしかなく、最終的にはそれは死へと通じるように思います。
彼女はきっと生きるでしょう。幸せを見つけ出しながら。
今、生きる中で、それがどんなに過酷な環境であったとしても、そこにあるはずの自分の大切な幸せを見つけ出す。それが、死へは向かわない、生きる道なのだと思います。
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