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2014年5月16日 (金)

最後の剥製の猿【遊気舎】140515

2014年05月15日 インディペンデントシアター2nd (115分)

二年に渡っての五部作、観劇コンプリート。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-4.html

一作目で死により失った大切な人への想いを切なくも温かく見せ、二作目でそんな喪失、死を受け入れる残された人たちの姿を厳しくも優しく見せる。
三作目は、そんな一連の話が演劇作品として創られた虚構であるという巧みな構成にして、現実にも起こるそんな死を通じた大切な人との別れに対峙させる。
四作目は、残された生ある者が未来に向けて力強く歩もうとする姿を映し出す。
だいたい、そんなイメージだったので、最後は、未来へと歩み出した人たちがどう生きていくのかを見せるような作品かなと思っていた。
あながち、それは間違いでは無かったようだ。
五部作ラストを飾る、これまでの作品と同じく、人の想いを描いた傑作に仕上がっている。

<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで。>

今回は、21世紀も折り返した頃の、少し先の未来のお話みたい。
今の世の中から想像できるように、決して輝く未来像では無いようだ。
度重なる自然災害、誘発される人工的な災害。
コミュニケーションの希薄、社会に適応できない者の切り捨て・・・
そんな時代でも、これまでの作品のように、人には大切な人との別れの時がやって来る。それは、今まで以上に運命なんて言葉で片づけられない不条理なものになっているような感さえある。
未来の人たちは、そんな死や別れ、そして、生をどう捉えて生きているのだろうか。そんなことに想いを馳せてみたような話。

最後の村と呼ばれる施設。昔は山小屋だったらしい。
檻で囲まれており、外にはいつの間にか餌付けされた猿がたくさんいて、その施設の人たちをいつも見ている。
政府管轄というわけでは無く、震災後、除染が済んだ地域に、行き場を失った人たちが集まっている様子。
元々は、影山という男が中心になって創り上げたが、いつの間にか姿をくらましてしまったみたい。
今は、ちょっと口が悪く朴訥な感じだが一本筋の通った男と、ちょっと厳しく怖い感じだが懐の大きそうな女性が、お父さんとお母さんのように、この施設を運営しているみたいだ。
施設には変わった子が多い。
ずっとヘッドホンで音楽を聞いて人の声を拒絶する女の子、一切喋らずジェスチャーで人と接する女性、アイマスクをして人の顔を見ず、ずっとヤクルトの空きボトルで何かを作っている男。
三人とも親の愛情を受けること無く育っており、その傷を抱えた結果、こんな猿で言えば、見ざる聞かざる言わざるみたいな状況になっているみたいだ。
アイマスクの男以外は、そんな親をもう亡くしている。男の母親は手紙をずっと送り続けてくるが、男はそれを読むことを拒絶し続けている。
他には、少々、センスを疑うようなものであるが料理を担当する明るく元気な女性。つい最近やって来た、何か都会の街で遊ぶような格好でここでの農作業などをこなす女性。
多くは語られないが、彼女たちもまた、心の傷を抱えて、ここにやって来たのだろう。
もう一人、お調子者っぽい男がいるらしいが、数日前からどこかへ飛び出してしまったみたいだ。

その代わりというわけではないが、こんな山の施設に訪問者がやって来る。
一人は、亡くなった父の日記を抱えてフラリとやって来た男。
数日前にある施設で視覚障害がある少女が行方不明になった。防犯カメラには怪しげな男が映っていた。スーツに赤ネクタイに白手袋。これまでの作品を観ていれば分かるのだが、羽曳野の伊藤という謎キャラで、この作品では、願えば死んだ人と会わせるために月に連れていってくれる人である。
男の父の日記には、そんな男と全く同じ描写の男が記されており、その男に山小屋で出会い、月に連れていってもらったことが書かれている。
男は、その事実を確認するために、元々、山小屋だったこの場所にやって来たみたいだ。
そして、その羽曳野の伊藤という男が、この施設の影山とそっくりだということを聞きつける。

この施設のお母さんのような人の妹二人もやって来る。
妹二人は、行方不明になった少女のことを気にかけ、施設まで足を運んだらしい。すると、少女は施設に戻って来ていたのだが、いつの間にかまた消えてしまったのだとか。
そのことを姉であるこの施設の女性に伝えている。
何で、そんなことをおせっかいにもするのかと思えば、実は少女はこの姉の娘らしい。
理由は分からないが、幼き頃に捨ててしまい、自分ももう死んだことにしているみたいだ。
その少女は、実は数日前にこの施設を飛び出した男と一緒に、この施設に今いる。
この男は少女と同じ施設出身で、ここで一緒に暮らそうと考えたらしい。
少女と姉は再会する。でも、視覚障害を持つ少女にその姉の、母の姿は映らない。
妹二人は、姉に本当のことを少女に伝えるべきだと説得するが、姉は頑固にそれを拒絶する。
自分はあの子の親である資格が無いから。他人だから、会いたくもないし、向うも会いたがるわけがない。
でも、少女は羽曳野の伊藤と一緒に行方をくらましている。
行った先は、当然、月。その月に行く理由は、死んだ人と会いたいから。その人が母親であることは疑う余地が無い。

そんな中、突如、影山が戻って来る。
視覚障害を持つ少女は、聴覚が研ぎ澄まされている。
その男が羽曳野の伊藤と同一人物であることが明らかになり・・・

と、一作目、二作目を観ておくと、分かりやすい話ですかね。
フラリとこの施設に現れた男は、かつてここ、山小屋で月に行った男の息子です。
少女は月に行っても、母親には会えませんでした。それは、母親は死んではいないので当然です。でも、今、目の前に母親がいて、出会うことが出来ている。羽曳野の伊藤は決して嘘をついていませんでした。
ラストはこの一連の事件が終わって、また施設での日常が映し出されます。
アイマスクの男は黙々と何かを作り、女の子はヘッドホンで音楽を聞き、女性は声が出ない。
そして、いつものように、アイマスクの男の母親から手紙が届きます。
いつもは、読まずにどこかへやってしまうのですが、この日は、喋れない女性が震える声で、その手紙を読みます。
そこには、息子への変わらぬ想い、謝罪、悔いだけが溢れんばかりに記されていました。そして、唯一、一緒に万博の太陽の塔を観に出かけた時のことが大切な、大切な思い出として書かれています。
女の子はやがて、ヘッドホンを外し、その手紙を読む声を聞き始めます。
そして、男はアイマスクを外し、自分がずっと作ろうとしていたものを自分の目で見ながら、完成への最後の一手を入れます。
ヤクルトの空ボトルで出来上がったものは、母親がずっと大切な思い出として心に刻んでいたものと同じものでした。

少し先の未来。恐らくはそんなに良くはなっていない世の中なんでしょうが、それはマクロ視点での話で、こうして一人一人の人たちに視点を向けたら、変わらぬ人への想いがあって良かったなといったところでしょうか。
行方不明になった少女は目が見えません。見ざるじゃなくて、見えない。視覚を失ってしまったから。
施設にいる三人は、見ざる聞かざる言わざるといった状況で、各々の感覚を失っていますが、それは取り戻せるものです。
施設にいる少女の母親は、娘を一度、捨てることで失ってしまいました。アイマスクの男の母親も同じでしょう。でも、死んでしまったわけではないから、他の親を亡くしてしまった施設の人たちとは違って、また出会うことが出来ます。会えないのではなく、会わなかっただけですから。

失う。取り戻せない。そのさいたる例が命でしょうか。
羽曳野の伊藤は、死んだ人に月で会わしてくれるという、ずいぶんといい人みたいですが、これまでの作品では、それは死を受け入れさせるためにしていることで、むしろもう会えないことを知って、生ある残された者は自分の歩みを進めろみたいな厳しい感の方が残っています。
でも、今回の作品では、逆に会える、まだ想いを通じ合わせることが出来るならば、それを選択して欲しいという願いが込められているような気がします。それが、本当に失うしかなく、それを受け止めて頑張っていこうとする人たちへの敬意みたいなものに繋がるのかもしれません。

その姿が見えずとも、その声が聞こえずとも、その言葉が発せられずとも、そこにある想いはきちんと存在しており、そんな想いが互いに通じ合うことが出来た時、人と人の触れ合いが生まれる。
そんなことを、見えなくても再会できた母と娘、互いに姿を見せずとも共通の一つの作品を創り上げた母と息子を見て、感じました。

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コメント

SAISEI様。いつも素晴らしい劇評書いていただきまして、ありがとうございます!暫く間があきますが、次も新たな遊気舎でSAISEI様とお会い出来たらと思います。五部作全て見守っていただきまして、ありがとうございました!

投稿: 長尾ジョージ | 2014年5月22日 (木) 18時24分

>長尾ジョージさん

コメントありがとうございます。

五作通じて、ちょっとおちゃらけてるし、不器用だけど、真摯な想いを持つ男のイメージでしょうか。
最後は泣かせますよね。心の目でずっと見ていた母との思い出。
観劇して、しばらく経ちますが、こうして思い出すと素敵な作品だったなと改めて思います。

また、どこかの公演で拝見できるのを楽しみにしております。

投稿: SAISEI | 2014年5月23日 (金) 11時22分

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