愛はないとぼくは思う【ファックジャパン独り舞台】140406
2014年04月06日 KAIKA (60分)
不思議というか、不可解な作品だ。
観終えて、太宰治みたいなイメージを持つ。
本名である津島修治の姿を隠し込むかのように、太宰治として破天荒な生き方をした太宰。
女にモテず、セックスも出来ず、母の青春時代の話を聞いて、自分が生まれることのなかった可能性もあったことを知り、どこか自分を否定してしまいそうな元林伸雄。でも、その伸雄はファックジャパンの姿で、演劇界を破天荒に駆け回る。
そんな姿が想像され、舞台上のあの面白く、エロく、哀愁があって、可愛らしく、親しみやすいファックジャパンをもっと好きになってしまうような作品だろうか。
出町柳駅で、大阪で知り合った演劇関係の女性と待ち合わせをする、京都で一人暮らしの元林伸雄。
女にモテず、セックスも出来ない元林にとっては、期待の高まる時間。
待ち合わせ場所になかなか現れない元林は、出町柳駅の地下道を駆け巡り、彼女を探す。
その中で、一人の少年と出会う。淀屋橋から京都へ向かう切符をあの女性に渡すように指示された元林は、少年と共に大阪へと川を下り始める。
実際に元林が行った母の青春時代のインタビューをベースに、その旅の中で、元林は自分を見詰めていく・・・
といったような話だと思うのだが。
元林の母は4人姉妹だったらしい。当時、大阪に住んでいた母は、京都の男の人に嫁ぐチャンスがあった。
でも、母の父、つまりはおじいちゃんは反対だった。それは元林姓を残したかったからみたいだ。
結局は、京都の人とは別れ、お見合いで大阪の人と結婚する。
そして、生まれてきたのが伸雄というわけだ。
そんなおじいちゃんが少年に姿を変えているのか、伸雄の下に現れて、母である女性の下に京都行きの切符を渡す旅が始まる。
つまりは、その旅の終わりは、伸雄が生まれてくることの否定へと繋がる。母が京都の人のところへ嫁いでいれば、伸雄は生まれなかったのだから。
女にモテず、未だセックスも出来ない伸雄は、血を繋げることが出来ない。それをおじいちゃんは分かって、やり直しをさせようとしているのだろうか。
伸雄自身もこんな自分では失敗だと卑屈な心を抱いてしまっているのだろうか。
でも、伸雄はファックジャパンという名前で役者さんをしている。
知る人ぞ知る、弾けた面白い姿を見せながらも、どこか哀愁を漂わせ、親しみ深い情に溢れた、恐らくは客だけでなく、演劇に携わる人たちみんなから好かれる名役者さんであるのだと思う。
それが、母の青春時代の真実から浮かび上がった自分への不安を昇華させるかのように、舞台でファックジャパンが爆発する。
大阪と京都。
大阪にいる母と京都にいる愛する人。
京都にいる伸雄と大阪からやって来る愛することになるかもしれない女性。
この物理的には電車で1時間もかからない隔たりの中を、伸雄と母の時間の次元の違いが交錯して描かれている。二人の間の短いようで長い時間の隔たりは、船でゆっくりと京都から大阪へ向かう旅として描かれているのだろうか。
結ばれることの無かった母と京都の人の恋と同じく、伸雄と女性の恋も成就することはないのだろうか。
結ばれることが同時に自分の否定へと繋がってしまうような感覚は、伸雄は今の伸雄でいなくてはいけないという切ない宿命みたいに映る。
その切なさを伸雄はファックジャパンの姿を通じて、世の人に魅せているかのようだ。
炊飯器をガンガンに叩くパフォーマンスがあるのだが、何だろうか。白いご飯は何となくは家庭の象徴。そんなことをファックだとばかりに、それを叩き潰してしまうファックジャパンの姿は痛々しいながらも、やはりどこか魅力的である。
結局、この人が好きなんだろう。
自分の生い立ちを振り返るのではなく、生まれの由来をたどる。
脚本がごまのはえさん(ニットキャップシアター)だけあって、何か古事記みたいに、人間の始まりみたいなことに通じさせているのか。
なぜ、元林伸雄が、今ここにいて、そこにファックジャパンが生まれだしたのか。
そんな由縁を、生み出した母の姿と重ねて、たどるという不思議な感覚を得る作品だった。
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