珠光の庵【劇団衛星】1403015
2014年03月15日 乾窓禅院 (120分)
本当に出来るのか。茶道と演劇の融合。
いったいどんな作品なのかと興味津々に伺った公演。
非常に面白い試みで、楽しいの一言であった。いい勉強にも、経験にもなるし、おまけにけっこう笑えるしで、色々な表現があるんだなあとつくづく感心。
こういったスタイルの演劇もまた一つの文化となって、歴史に刻まれていくのでしょう。
最初は、舞台上での話の進行に従って、この演劇作品の観客であると同時に、闘茶を見物にやって来た客となる。いつの間にか禅を組まされ、用意されたお茶会に参加し、舞台の一員に変わっている。
前半の仕込まれた笑いを楽しむ面白さとは別の心地よい時間が流れ始める。
本当に茶道に通じる、お茶の席ではみな平等みたいな感覚。
侘び茶という一つの文化が生まれた瞬間を描いたこの作品同様、新しい演劇といった文化に自分も立ち会い、その先を見詰めるといった不思議な気持ちになる作品でした。
<以下、ネタバレ注意。この公演は47都道府県上演を目指して、現在も全国を巡演中の作品です。これから観ようと考えている方は、ここで読むのをやめて下さい。大したことは書いていませんが、流れを記録的に書いてしまっているので、これを読んで観に行ったら、恐らく興醒めです。本来はこういった感想の書き方をすること自体が、この作品の世界でいう無粋なのでしょうが、まあ、俗人の書く感想ですから、そこはご容赦ください>
上記したように劇場は実際の寺院。
待合室のような和室で、他のお客と一緒に待機。
可愛らしい小坊主がやって来て、案内される。
連れて行かれた場所は闘茶が開催されている会場。
闘茶は金品を賭けるいかがわしい遊び。そんなことを寺でしていることがバレたら大変なことになるのだろう。
このことは一切、口外しないと声にして宣誓させられる。もちろん、声が小さいと小坊主が急にキレて怒り出す。
会場内では、闘茶の席で、怪しげなほっかむりをした男が凛として座っている。その傍には、お付きの人が厳粛な面持ちで控える。
そして、その闘茶の勝負の見届け人なのか、遊女が普通にたたずむ。
そんな中、この寺の僧侶が部屋に入ってくる。
一休と名乗る男。
あのトンチでお馴染みの一休さん。
でも、あの純粋な愛らしさは全く無く、遊女を寺に連れ込み、賭け事の主催者になりと、俗極まりない姿である。
どうやら、このほっかむりの男、運がいいのか、実力があるのか、闘茶でことごとく相手を打ち負かし、寺の大事な仏像などの金品を全て勝ち取ってしまった状態らしい。
このままでは困ると一休は、弟子として寺においている男を呼び出す。
村田珠光。
本来は出家しなくてはいけない身分でありながら、茶の道を歩み、闘茶の名人となって活躍した男。そんな男が、今は、闘茶などくだらないと寺に入り、一休の下に身を寄せている。
これまでの人生を見詰めて、何かしら新たな人生を進みたいと思っての弟子入りだったのだろうが、一休がこの有様なので、結局は闘茶をさせられることになっているみたいだ。
勝負は、珠光の勝ち。圧倒的な強さであった。
その見事な勝ちっぷりに、ほっかむりの男は自らの正体を明かす。
時の将軍、足利義政。お付きの人も、文化を管理するような重要な職に就く人みたい。
しかし、珠光は臆することなく、人々が苦しむこの世で闘茶などで楽しんでいる将軍を責めるような発言をする。
打ち首になってもおかしくないぐらいだが、将軍は器量の大きな人みたいで、こんな席で無粋だからとその場を立ち去る。
珠光はとにかく、現状に苛立ち、あらゆることに不満を感じるような行き詰った状態になってしまっているようだ。
闘茶の席も終わり、夜もふけた頃、一休は寝言を言いながら睡眠をむさぼっている。
お茶を飲んだためか、寝付けない人たちが部屋に集まって来る。
珠光をはじめ、将軍、目付、遊女、小坊主。
その中で珠光はまた、厭世観漂う発言をして、みんなに苦言を呈する。人を、世間を悪意的にしか見れなくなっているみたいだ。
やがて、夜が深まり、みんなが眠りに付いた時、風鈴の音と共に、ある女性が姿を現し、珠光の過去の思い出の世界へと導かれる。
珠光が愛していた小夜という女性。
自分を僧に戻るようにと色々な策略を仕掛けてきた。
闘茶で活躍し、茶を極めているのだから何も問題ない。自分を僧にして、想いを諦めさせようとでもしているのだろうか。そんなことで自分の小夜への想いは揺らがない。
でも、彼女の真の想いは違った。
労咳を患ってしまった小夜は、自分の珠光への想いを心に残してもらうためにも、仏の道へと進んで欲しかったようだ。
そんな小夜の想いを、夢の中に姿を現して、受け止める一休。
目が覚めた珠光に、一休は禅をするようにと誘う。
ここで部屋を移り、私たち客も禅を行う。
そして、その禅で珠光は何かを悟ったらしい。小夜の言葉も珠光に伝わったみたいだ。
珠光は茶をみんなにふるまいたいと言う。
また、別室で茶会が開かれる。
先ほどの闘茶とは異なる、みんなが平等に楽しめる茶の席。
後に様々な作法が定着することになるのだが、今、ここではみんなが思い思いに茶を楽しむ席。
侘び茶の極意が生まれる。
珠光は寺を出て、このような茶会を、もっと少ない人数で開いていきたいと一休に願い出る。
小夜の求めた仏道の精神が茶道にも通じ、繋げていくことが出来るといったところだろうか。
そんな珠光に一休は禅の道を悟った証として、直筆の書を託し、茶会は終了する。
戦国の世が到来する少し前の室町時代。
何やら不穏な空気は、大衆を含め、みんな感じていたのではないでしょうか。
そんな中で産声をあげた侘び茶の文化の始まりを目撃するような話になっています。
この時はまだ確立していなかったのでしょうが、この侘び茶が今に至るまでに一つの道として、極められたということは、今を生きる私たちが知っていることです。
それは、文化がどうやって伝わっていくのかということを教えているような気がします。
そして、それは、今の先行きがどうも不安な時代において、新しい価値観が生み出され、これからの歴史と共に私たちが育てていくような想いを起こさせます。
闘茶は、お茶の味を飲み分ける賭け事みたいですが、それはお茶葉の産地を見抜くだけでなく、その使われた水を見抜かないといけないようです。
だから、この水におかしなものが混じっていれば、その味を飲み分けることは出来ません。
話の中で、小夜は、水に睡眠薬を混ぜ込み、珠光を僧へと無理矢理させようとしたみたいですが、珠光はそれを見抜き、そのお茶を飲みませんでした。
何やら、濁った心を感じさせます。
そんな濁りのある中では、その中にある真を見出せないような感覚を得ます。
純粋な水であるからこそ、その茶の良し悪しが分かる。
綺麗で美しい精神状態であるからこそ、そこにある真実が見えてくる。
これは社会とかも同じで、今の世がいったいどうなっているのかが、本当に分からなくなっているのは、その世間自体があまりにも濁ってしまっているのではないだろうかと感じました。
味を決めるお茶を見出そうとする前に、まず、その水を純粋にすることから始めないといけないのかもしれません。
もう一度、作品の中の登場人物たちと一緒に楽しませてもらいながら、この侘び茶の文化を、今の自分に照らし合わせて色々と考える時間を味わえるといいなあと思います。
近場に巡演される時があれば、また足を運びたい公演です。
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